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天の花  作者: 猫姫 花
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とらわれの身の上


 ***


 ルイカは暗い部屋の中で、薄っすらと意識を取り戻した。布を噛まされて、腕と足首はロープで縛られていることに気が付く。埃で白くなったスカートが見える。殴られた腹部が妙に熱く、鈍痛が残っている。

 ルイカはゆっくりと顔を上げ、部屋の中を見た。古くなった絨毯が敷かれている。椅子が一つ。大きな本棚にはずらりと分厚い本が並び、簡素な机が一つ。石造りの階段から、かつん、かつんと足音が聞こえて来ると、ルイカは咄嗟に気絶しているふりをして、顔を俯けた。


 数秒、数十秒後?


 革靴が目の前でしゃがみこんだ。

 ルイカは壁からずり落ちたように見せかけて、床に倒れた。


「あっ」


 思わず伸びたスーツの腕より早く、ルイカは男の耳辺りに蹴りを入れた。男はよろめいたが、ルイカの片腕を掴んだ。ルイカは背中越しに男に体当たりをした。すると細い体の男は、くぐもった声を出して倒れていく。


 ルイカの手の中には、細く光る物。

 ルイカは男が完全に動かないのを確認して、溜息を吐いた。超即効性の睡眠薬が塗ってある針を床に捨てると、手首に力を入れてみた。しかしロープは外れない。しかたなくイモムシのように地面を這って、階段を目指した。


 歯を食い縛り、焦らないで、と自分に言い聞かせる。

 甘い香りがする。眉間に溜まるような匂いだ。 

 きっと男のコロンか何かだろう。気分が悪い。腹の痛みも手伝って、吐き気を催した。

 はっと気が付いて、顔を大きく顰める。


 アンバー先生から貰った、後天性コズリス用の試験薬っ。あの薬の効力がきれてしまったのだっ。

 ルイカは必死でスカートのポケットを探った。薬が無い。家だ。指輪も無い。針はバレなかったけど、指輪はあの男に抜かれたようだ。


 なんてことっ。相手が誰だか分からないのに、ホウキも出せないなんてっ。

 ルイカは身をよじりながら、地面を這った。

 早く何とかしなければ。あれは毒針ではない。時間がたてば起きて来る。


 ルイカは肩を床に擦りつけながら進み、床の黒い染みに気付いた。だいぶ時間がたっているが、インクの染みのようにも、血の跡のようにも見える。埃とカビと、甘ったるい匂い。薄っすらと、何かが腐ったような匂いもした。


 匂いが迫って来る。鼻腔が焼ける。気持ち悪い。

 早くここから出ないとっ。

 体に力を入れた瞬間、ルイカは大きな鼓動を感じて目を見開いた。


「うっっ」


 心臓がわし掴みにされたように痛む。口に挟まれた布のせいで、息ができない。胸が小さく締まっていく。


 校長の、〝体には気をつけて〟という言葉が脳裏に蘇る。

 〝じゃあ、日常生活に支障がおこるほど悪くなってるのか?〟

 〝こんな症例、聞いたことないしなぁ・・・〟


 ルイカは何度か呻いたあと、最後の力を振り絞って、階段の一段目まで顔をつけた。階段の辺りにも、匂いが残っている。ひんやりとした感触が訪れた瞬間、ルイカはシドとロビンを思い出した。


 〝クロトさん、ストーカーがいるみたいだね〟

 〝この間クロトさんを訪ねてきたお客。あいつには気をつけた方がいい。強い香の匂いに混じって、悪意とか憎悪とか―何かよくない匂いがした・・・あれは、悪魔に魅入られた者の匂いだ・・・〟


 ルイカは誘拐犯が何者であるか気づいた瞬間、気を失った。


 ***


「・・・遅いっ」


 シドはキッチンのテーブルに顔を伏せた。

 ロビンはその横で、小雨が降っている中庭を眺めている。


「雨宿りしてるのかな?」

「ああ、朝から降ってるのに傘が減ってないな」

「多分、自分の使ったんだよ。男ものは大きいし、ルイカは黒いカサしか使わない」

「そう言えば、どこからホウキやら杖やらが出てくるんだろう?」


 二人は同時に、左手の指輪を見せた。


「普段、ホウキやら杖やらは持ち歩けないからね。指輪の中に異空間を作って、空間を仕切る。そこに収納するんだ」

「それを応用したのが、人間界とアトリムグの国境なんだって」

「へぇぇ・・・その中に・・・」


 ―約一時間後。


「おおっそぉいっ」

 シドは椅子から立ち上がると、玄関のドアを開けて外を見渡し、キッチンに戻る。

「遅すぎるっ。また道に迷ったんだっ。それか誘拐されたっ」


 ロビンはオレンジ色の飴を舐めながら聞いた。


「何でさらわれるの」

「可愛いからに決まってるだろっ」

「・・・なるほど」

 クロトは苦笑する。

「シド君はルイカのことが好きなんだね」

 シドは照れもなく、真剣な顔で言った。

「もちろん。周りに女の子はたくさんいるけど、結婚したいと思うのはルイカだけだ」


 クロトは大きく瞬いた。


「仲がいいな、とは思ってたけど・・・二人はそういう仲なの?」

 シドは渋い顔をした。

「分からない・・・俺はルイカの何なのか、ルイカが俺のことどう思ってるのか・・・俺はルイカをどういう風に好きなのか―、本当は分からないんだ」


「なのに結婚したいの?」

 ロビンが聞いた。


「他の女の子と比べると、それぐらい好き、ってこと・・・でも、ルイカと一緒にいてもあんまりドキドキしないんだ。スリル、って言うかトキメキって言うか・・・他の女の子達にするみたいに、口説き文句が出てこない。むしろ喋りたくないし。―でも、喋るのが嫌、ってわけでもなくて・・・喋らなくてもいいからかな?俺が話してる時に読書とかしてると、ものすごく腹が立つけど・・・」


 シドは難しそうな顔をして、ロビンの隣に座り直した。大きな溜息を吐くと、テーブルに額をごつり、とぶつけて呟いた。


「何なんだろう、この矛盾・・・ルイカが目の前にいない時の方が、ルイカのこと考えてるかもしれない・・・」


 ロビンは遠くを見つめた。

「ジャーポでは、ブルー・スプリングと言うらしいよ」


 ***


 ルイカは息苦しさを感じて、顔を顰めながら目覚めた。最初に見えたのは木の天井で、次に見えたのは明りの灯された石壁だ。

 横を向くと、蝋を垂らした蝋燭が幾つも置かれ、それが自分を中心に円を描いていることが分かった。絨毯が片付けられていて、床には何かの模様が描かれている。階段から移動させられ、部屋の真ん中に寝かされているようだ。体を左右に動かし、その模様が蝋燭の内側に円を描いていることに気がついた。円の中には、いくつかの直線・・・。


「気が付いたか・・・」


 下の方から声がして、足音とともに金髪の男が現われた。手には逆さ十字架型のナイフを持っていて、それがロウソクの光に反射した。


「何が目的でミスター・二ローに近づいたのかは知らないが、ろくな理由ではないのだろう・・・魔女は悪魔の手先だ。全て、排除しなくてはならない・・・」


 サンズはルイカの横にしゃがみこみ、ゆっくりとナイフを振り上げた。

 ルイカは目を見開き、ナイフが自分の心臓を狙っていることに気が付いた。銀色に光るナイフを見て、ルイカは思わず目を瞑った。


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