死を呼ぶ薔薇
「ええっと・・・確か死を呼ぶバラって言うのは、ある人物を花に例えた比喩で―・・・『大きな赤いバラが現われれば、そこは火の海と化し、まるで彼の背中色に染まったように花びらを散らすこととなる』・・・みたいな・・・意味は良く分かんないけど、そんな感じだよ」
伝説人シド。
彼の背中には、牡丹の刺青が二輪、彫られていたらしい。
牡丹が一般浸透していない時代、その花はバラだと思われていたそうだ。
「続けて。私この話知ってるわ」
「本当に?」
クロティスは座り直し、咳払いをして話を続ける。
『赤いバラはどの花よりも猛々しく、また美しい。死を呼ぶと知りつつも虫は惑わされ、追い求める。しかし死を呼ぶバラを魅了するのは、唯一、天の花。下界を見下ろすことはない。どんなに美しい蝶が舞って見せても、それは踊らされているに過ぎず、どんなに賢いミツバチでも、その核にたどり着くことはできない。そして―」
「『そしてどんなに勇敢な風でもその花びらを揺らすことは叶わず、どんな庭師のハサミにも、切り取られることはない』」
クロティスは目を見開いた。
ルイカは大きく頷く。
「伝説人、シド。彼の別称は『死を呼ぶバラ』よ。この話を知っているのは魔法使いか、それに関係している者でしかないわ」
「じゃあ・・・」
「ええ。あなたのお祖母さまは、少なくともアトリムグと関係しているわ。アトリムグには人食い植物もいるし、空を飛ぶ馬もいる。あなたの話に信憑性が出てきたわ」
「それは良かった・・・けど・・・ところで、『アトリムグ』って何?」
「ああ。私の住んでる世界のことよ。直訳すると、『狭間にある世界』。『溶けた場所』『中間の場所』っていう意味もあるわ」
「じゃあ、こことは違う・・・ああ~・・・異次元?」
「そう呼ぶには出入りが簡単過ぎるかも・・・平行世界・・・いいえ。異空間、と呼ぶのが一番近いのかもしれないわ」
「アトリムグ語とか、アトリムグ時間なの?」
「いいえ。多少の違いはあるけど、基本的に言葉は同じよ。時間の流れも同じだし、私達の寿命だって大して人間と変わらないわ」
「そうなの?」
「ええ。だって、元々奇妙な生き物が住んでいた世界と、あなた達が住んでる空間をつなげて、その間に造ったのがアトリムグだもの。魔法使いの起源は、超能力の類を持った人間達でもあるし」
「ああっ。だから『狭間にある世界』、か・・・」
「ええ。今も多少の行き来はあるから、隣の国とか隣の部屋って感じよ」
「そんなに簡単に出入りができるの?」
「ここからキッチンに行くのに、何か苦労する?」
「いいや?」
「それと一緒よ。本当に扉一枚越しの入り口だってあるし」
扉を開けると異世界。クローゼットや鏡、机の引き出しから異空間に移動する童話をクロティスは思い出した。
「じゃあ・・・君はどんな所から?」
「秘密」
クロティスは眉間を寄せた。
「まだ僕のこと、信用してない?」
「いいえ。別に?」
ルイカは肩をすくめた。渋い顔のクロティスを見て、微笑する。
「ごめんなさいね。無邪気に他人と接すれば、毒針に刺されてしまうと教えられて育ったものだから・・・」
「魔女界はそんなに厳しいの?」
「そうね。楽じゃないわ。世の中善人ばかりじゃないもの」
「そうだね。こちらでもそうだよ」
「らしいわね」
「人間とか・・・僕が怖い?」
「いいえ。あなたが悪い人じゃないのは分かってるから」
クロティスは首を傾げた。
「何故?それも魔法?」
「いいえ。これまでの経験上、あなたに会っての印象で」
「そう・・・うん・・・良かった」
クロティスは微笑し、キッチンを親指で示した。
「お茶入れて来るから。気になるなら好きに見て回って」
「ええ。ありがとう」
ヤカンを火にかけ、棚を探って紅茶の缶を取り出す。カップを二つ取り出し、久しぶりだな、とクロティスは思った。
流し台を背にすると、窓の向こうにルイカが見えた。棚を開けて中を見ているようだ。ヤマシイ物は置いていないので、クロティスは動揺しなかった。ルイカにも必死な様子はなく、とりあえず探しておくか、というような表情である。
「本当にいたんだなぁ・・・」
祖母の話が本当なのだとすれば、魔法使いの世界はとても不思議で、とても魅力的な場所だ。一度でいいから行ってみたいが、彼女は了承してはくれないだろう。僕に出会ったのも不測の事態だと言っていたし、その存在を隠して生きてきた者達にとって、僕のような存在は不安要素でしかない筈だ。
「ミスター・ニロー」
クロティスが扉の方へ振り向くと、ルイカが立っていた。
「この部屋を見てもいいかしら?」
「どうぞ」
ルイカは扉の横にあった棚をしゃがんで開け、閉める。立ち上がるとカラの花瓶があって、壁には小さな絵がかかっていた。
「ミスターは画家なのよね?これもあなたが?」
「一応ね」
ヤカンが湯気を噴きながら悲鳴をあげると、クロティスは火を止めた。
ルイカは木の額縁に入った、クロティスの絵を見上げた。ノートサイズの世界は夜で、砂丘の上に満月が浮かんでいる。月光に照った波が、打ち上げられて白い飛沫をあげている。小さな星が微妙な色合いの紺闇に散らばっている以外、他にはなにもない絵だ。




