シドのモテる鉄則
シドはキッチンに降りると、テーブルに伏しているクロトを発見した。何だか気だるげで、視線が合うと青白い顔が見える。
「そちらも具合が悪いんですか?」
「ああ、大丈夫。いつもこうなんだ。彼が来たあとは」
「彼?ああ・・・誰か来てたみたいですね?」
「そう。仕事関係のね・・・香水だかポプリだか・・・強い香りが苦手なんだ。あれをかぐと、気分が悪くなって・・・」
う、とクロトは詰まると、そのまま喋らなくなった。
シドは〝お気の毒に〟と思いながら、ふと玄関の方へと視線を移した。眉間を寄せて不審そうな顔をすると、玄関の方へと歩く。角を曲がってリビングに一歩踏み入れると、シドは益々顔を顰めた。
「この匂いは・・・」
シドは暫く、玄関の向こうを睨むようにして立っていた。
***
夕飯を食べて行くことになったシドは、どうせならルイカの側にいたいと、二階での食事を提案した。三人分の皿をトレイで運び、シドは花瓶の置かれた丸テーブルに配置する。
ルイカは食べたくないと言ったが、クロト特性のコンソメスープを飲むことに収まり、ベッドに入ったままトレイを渡された。澄んだ黄琥珀色の液体に、星型に型取りしたパプリカが浮かんでいる。ルイカはそれを見つけて、僅かに口元を上げた。
席についたシドとクロトは、紅い薔薇が活けてある花瓶を挟んで、向かい側に座った。お祈りを始めたクロトを、シドは興味があるのかないのか、頬杖をつきながら見つめている。
目を開いたクロトは視線に気づいた。
「クロトさんは・・・誰に感謝を?主の恵み?」
「主?いや。それもだけど――色んなひとに?」
「色んな人って?」
「食材を作った人とか、運んで来てくれる人か・・・とにかく色々だよ」
シドは数秒沈黙した。
「ふぅん?」
クロトの真似をして指を組むと、難しそうな顔で目を瞑った。片目を開けると、クロトに〝これでいい?〟とでも言うような顔をしてみせる。
「君の家では・・・お祈りしないの?」
「しないなぁ。好きな時に好きなだけ、勝手に食べれば?って感じの家だったし。しようがしまいが、誰も何も言わないから」
「アポロリック家ではあったじゃない?」
シドはスライス肉をフォークでさしながら、ルイカを見た。
「それも七・八歳までだろ?アポロリックも献身的な宗教を持ってるわけじゃないし。形だけのお祈りはあったけど、クィーン優位主義を守るなら、どうぞご勝手に?みたいだったじゃないか」
「うぅん・・・」
ルイカはスプーンを口に運ぶ。
「そうねぇ」
スープ皿に視線を落とした。
「これ美味しいわ」
クロトはふと笑った。
「ありがとう」
「うん。ほんとうまい。店で食べてるみたいだ」
シドは次々に肉を頬張り、飲み込む前にマカロニサラダをフォークでさした。
「シド。お行儀悪いわよ」
「いいだろ、今日ぐらい。学校でも家でも、気が抜ける食事ってなかなかないんだから」
クロトは気持ちいいほどよく食べるシドを見ながら、そう言えば彼も、貴族の一員だと言っていたな、と思った。
初めは他人行儀でトゲっぽい喋り方だったが、ルイカのことがあってからは、普通の少年と何ら変わらなく見えた。一緒に看病をしているうちに、いつの間にかクロトに気を許したようだ。一日ほどが経った今では、彼の八重歯を見ることも増えていた。
「学校の規則は厳しいの?」
「いや?イレズミとかピアスとかもオーケーだし、化粧してる奴とか―と言うか、変装の授業で化粧教えてるし」
変装の授業?
「イレズミもいいの?」
「一部の部族の間では、儀式のために入れるから、そういうのは特別に許可がもらえる。一般生徒は、服で隠れる所ならオーケーだと聞いたことあるけど・・・」
「フアッションのためなら、見えない場所に入れても意味ないんじゃない?」
「まぁ、そうなんだけど―」
シドは苦笑した。クロトの左耳に視線を上げる。
「ああ。クロトさんもピアスしてるんだ?」
「ああ、これ?」
クロトは耳に触れた。
「ピアスホールはまだあるけど、少し前に外したんだ。だんだん塞ぐつもり」
「あら。気づかなかったわ。どうして塞ぐの?」
クロトは苦笑した。
「何となくね」
シドはスープに入った星型のニンジンをフォークで捕まえて暫く眺め、それをぱくりと口に入れた。
「うちの学校は各地から生徒を集めるから、宗教とか思想とかの縛りはかなり緩いよ。食事の時間皆と違う奴とか、食べた後に祈りの時間がある奴もいるし。あと制服とかね。男がスカートはいたり、女がズボンはいたりするのは日常だし」
「お・・・男がスカート?」
クロトは制服のスカートからスネ毛の生えた男の生足が出ているのを想像して、少し食欲を失くした。
ああ、ああ。そうか。アトリムグの十代はとても幼いのだから、まだ、ギリギリ・・・いや。無理だ。シドみたいに普通に成長する者もいるのだ。どうしたって、教師と間違えそうな姿の生徒は学年にひとりぐらいいるだろう。
シドはクロトを見て苦笑した。
「もちろん俺は、生脚には穿かないよ。あちらの世界には、アトリメデューナとかアトリムグラスっていう人種がいて―」
「ああ。『第三の性』を持つ者、だろう?」
「何だ聞いてたんだ。うん。そちらにはそういう種がいて・・・で、その第三の性を持つ者のおかげで、うちの学校には男女兼用の特別な制服とかがあるんだよ。ズボンとスカートが一体型になってるやつで―、今学校では、どっちでもない奴等の間で、それを着るのが流行ってる」
「どうして?」
「単に、かっこいいから」
クロトは笑った。
「そうなんだ?」
「うん」
シドは笑いながら、フランスパンにガーリックバターを塗りつけた。
ルイカが微笑。
「シドが流行らせたのよね?」
パンを齧る小気味良い音が聞こえた。
クロトが聞く。
「そうなの?」
シドはパンを銜えたまま、にやりと笑った。
「シドは学校一の色男なの。周りへの影響力は、上級生にも危険視されてたわ」
「何度呼び出しをくらったことか・・・」
シドは他人事のように言うと、付け合せのサニーレタスを頬張った。
「大丈夫だったの?」とクロト。
シドは不敵に笑うだけだったので、ルイカが代わりに答える。
「その上級生のボスを惚れさせて、一件落着よ」
クロトは瞬いた。
「ボスは女の子だったの?」
二人はくつくつと笑った。
「違うわ。シドは男の子にもモテるから、『学校一』の座をたとえ譲りたくとも、誰にも譲れないのよ」
シドはふふ、と笑ってグラスの水を飲んだ。
「今のところ、誰にも譲る気ないしね」
クロトは呆れて苦笑した。
「どうりで学校では、食事も気が抜けないわけだ」
シドは様々な感情を含めて笑った。
「スマートに食事すると、体もスマートになるからね」
「それはモテる男の鉄則?」
「どっちかって言うと、モテるための鉄則」
クロトはくつくつと笑いながら、サラダを口に運んだ。
「じゃあ試してみようかな?」
シドは白い歯を見せ、頬杖をついた。
「止めときなって。モテる男は辛いよ?」
スープ皿にバラの花びらが一枚落ちると、赤い小船が満月の上に漂っているように見えた。シドは銀色のスプーンで花びらをすくうと、一口で飲み込んだ。片側の顔が歪む。
「やっぱりバラはジャムが一番良いな・・・」
***
「もう遅いから、今日は泊まっていった方がいい」
クロトにそう言われて、シドはもう一晩泊めてもらうことにした。
電気の消された薄藍色の部屋は、ルイカの小さな寝息が聞こえる程静かだ。
シドの座る長椅子の辺りは、青い月光に包まれている。
先ほど覗き込んだルイカの寝顔が脳裏を過ぎった。
白い肌や艶やかな唇を頭から追い払うために、シドは大きくかぶりを振った。
ふとルイカが身動ぎをする衣擦れの音がして、シドは咄嗟に息を止める。
何事もなくルイカの寝息が再びしだし、深い溜息を吐く。
「体に悪い・・・・・・」
シドは親指を噛むと、切実そうに呟いた。
「熊さんどころか狼になりそうだ・・・」
自分の頬を拳で軽く殴り、気を紛らわそうと背凭れに体をあずけた。呆然と月を見つめると、余計におかしな気分になってくる。シドは八重歯を舌でなぞってみた。尖った感触と、熱い唇が触れる。
はぁ、と大きな溜息を吐いたシドは、顔を覆って長椅子に倒れこんだ。
「狼男の気持ち、分かってどうする・・・」
毛布に包まると、無理やりに目を瞑ることにした。
「一匹狼は、もっと嫌だ・・・」




