謎のキーワード「イロディム」
クロティスは壁際の椅子へと画材道具を置く。
窓を覗くと、そこには四角形の庭があった。外からの目隠しに、背の高い木が壁に沿って植えられている。花壇があるようだが、何も植えられていなかった。斜め右横には、壁にかかるフライパンと、食卓の一部、椅子の背の部分が見えた。
「なぜ、何も育てていないの?」
棚の中を探っているクロティスは、「うん?」と聞き返した。
「花よ。どうして大きな花壇があるのに育てないの」
「ああ。どうしてかな?世話が面倒くさいとか、虫が好きじゃないとか・・・まぁ。強いて言えば、特別育てる理由がないからかな?」
「花はお嫌い?」
「いや?むしろ男にしては好きな方だと思うよ。さっきも描いていたし。祖母が住んでる家も、緑が多い所だった」
クロティスは棚の中を見て眉間を寄せ、扉を閉めた。
「おかしいな。どこに行ったんだろう・・・?」
「どうかして?」
「薬だよ。消毒薬。ここに置いたと思ったんだけど―・・・キッチンだったかな?ああ。そこらに座ってて。ついでにお茶も入れるから」
「いいえ。お構いなく。それに消毒薬なら持ってるわ」
「え?」
ルイカはコートの内側を探って、包帯と小瓶を取り出し、それを見せた。
「いつも持ち歩いてるの?」
「何が起こるか分からないし、本来魔女のはじまりは女医や薬草学を学んだ者達よ。座って。あなたから先に消毒しましょう」
ルイカがソファに座り、クロティスは向かいのテーブルへと腰掛けた。
ルイカは手馴れた様子でピンセットを持ち、小瓶の中に入っている透明な液体に脱脂綿を浸し、クロティスの傷を撫でた。
「いっっ―」
悶絶するクロティスの腕をルイカは押さえた。
「染みるけど良く効くわ。我慢して。もう終わるから・・・」
白い布をあてて、包帯を巻く。まるで黒衣の看護婦みたいだった。
「あなたのお祖母さまは、薬草学に詳しかった?」
「うぅん・・・どうだろう?専門的な言動は見たことなかったな。もし見たとしても、年の功、ぐらいにしか思わなかったのかも。ケガをした時に、庭に生えてたハーブみたいなのをすり込まれたことはあったかなぁ」
「そう・・・」
ルイカの顔は、うかなかった。
「できたわ」
完璧に包帯が巻かれている。
クロティスが感心しているうちに、ルイカは黒いコートを脱ぐとソファに放った。
「・・・質問いいかな?」
「なぁに?」
ルイカの着ているシャツ、スカート、ブーツ、コートで隠れていたポシェットも、右の薬指にしている指輪の石も黒かった。肌が白い分、細い足で潤んでいる赤が目立つ。
「全身黒ずくめなのは、魔女の決まり?」
「いいえ。私の個人的な趣味よ」
「じゃあ、カラフル趣味な魔女も?」
「もちろん。逆に魔法使いを連想させる黒い色は、避けるひとが多いわ。特に人間界に行く時は」
ルイカはソファに座り、自分で消毒をし始める。僅かに眉間を寄せたが、クロティスほど痛がりはしなかった。
「それなのに、君はどうして黒を?」
「人間に見つかることを想定していなかったのよ。今まで見つかったこともなかったし。あんなに低空飛行するなんて、迂闊だったわ」
「―ってことは・・・君は人間界以外の場所から、一回以上こちらに来てるってこと?」
ルイカは動きを止め、一瞬沈黙した。
「なかなか鋭いのね」
目が、少し怖い。
「興味があるって言っただろう?それに祖母が、異世界の話をよくしてくれたんだ。イロディムって言う、ドラゴンとか妖精とかがいる国のね」
「イロディム・・・?」
ルイカは消毒を終え、足に包帯を巻いていた。片足を巻き終えると、のろのろともう片方を巻きだした。
「イロディム・・・どこかで聞いたことがあるような気がするわ・・・」
「本当に?」
「ええ。他にはどんなことを言っていたの?」
「そうだな・・・喋る木とか、ゴブリン、人魚の冒険談、変身する動物の話、人間と魔法使いの恋の話とか・・・あの話は悲しすぎて嫌いだったな・・・あ。あと魔術師ユアの話とか、賢者ミカーンの話・・・知らない?」
「うぅん・・・」
「じゃあ、空を飛ぶ馬とか、人食い植物とか、人を惑わす蝶、心の闇を映す鏡とか、魔法使いの天才は短命だとか、死を呼ぶバラとか、二本足のイカとか」
「ちょっと待て。今何て?」
「二本足のイカ」
「違うわ。その前っ、死を呼ぶバラ・・・それはどんな話?」




