発作
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ルイカのイトコ、シドの名前は、伝説人、シドからあやかっているらしい。
伝説人シドの本名とされているのは、『シド・コーネリア・エイム・デイビット・マリアンヌ・サーシャ・センジュ・アレキサンダーソン=カネシゲ』。
王族説や貴族説、スラムの出だとか、色んな逸話が残っている。
ルイカのイトコの方のシドの家は男系一族で、女性蔑視が当たり前だ。
シドと一番年の近い姉、ナーズは成人するまでろくに部屋からも出してもらえなかった。
シドの母親は、アポロリック家とイザナズミ家の和平のために結婚した。
シド、という名前は伝説人のようになれ、と、期待されてつけられたのではない。
誰の子供だか分かったものではない、という嫌味らしい。
シドは末弟で、家を継ぐ権利はない。
そんな家で育ったが、いや、そのせいなのか、シドはフェミニストだ。
ルイカはバラの香りをかぎながら、棚からカップを取り出した。
「それでシド。今日はどうしたの?」
「どうしたの、は、ないんじゃない?」
ルイカはふふ、と苦笑した。
「そうね」
まだ温かいお茶をカップに注ぐと、それをクロトの斜め向かいの席に置く。
シドは上着を脱いでそこに座り、鞄を隣の椅子に置いて、足を組んだ。
「君は年相応に見えるね?ハーフなの?」
「いえ。生粋のアトリムグ人です」
「イザナズミ家は、人間と同じような見た目で成長する血族なの」
「人間に近いのかな?」
「さぁ?あんまり考えたことなかったけど・・・ウィザッチは元々、人間の変異種だって言う説が有力視されているし、俺の実家は比較的人間界に近い・・・可能性で言うなら、多分食べ物やら環境やらが原因じゃないかな?」
シドはテーブルの上で肘を突くと、交えた指の上に顎を置いた。じっとクロトを見つめると、冷気をおびたような瞳が一瞬見える。
「ミスター・ニローは、ウィザッチについてどのような考えを?」
「妄信もしていないし、魔女狩りに参加したこともないよ」
「では、ウィザッチの血を引いているご自分のお立場―」
「シド」
ルイカはシドの肩をぽん、と叩くと、顔を覗きこんだ。
「彼への尋問は、すでに校長がしているわ。学校側からも許可が下りているし、ロビンも納得してくれた」
シドは眉間を寄せ、キスができるぐらい近くに在るルイカの顔を睨んだ。
「ロビンが来たのか」
「ええ。まだ学校に帰ってないの?」
「帰る前にナーズの家に寄ったら、そこで知らされた」
「そう。ロビンも二・三日は人間界にいるらしいわよ」
「ふぅん・・・」
ルイカは弟か息子にでもするように、シドの頭を撫でる。
「心配しないで?クロトさんは悪い人間じゃないから」
数秒の間があった。
はぁ、と溜息を吐いて明ら様に肩の力を抜いたシドは、テーブルに向き直った。
「ルイカの観察眼では、あらゆる危険から除外されているわけ?」
「そういうことよ」
「そう。ならいいや」
シドは冷えかけのお茶を一口飲んだ。
「なんだか久しぶりな気がする」
「そうね。最近はごたごたしてたから」
シドはクロトを見た。
「すいません。ミスター。人間とウィザッチは見た目に然程変わらないけれど、やはり別の生き物だと言う感覚が抜けないんです」
「うん。きっと僕も、知り合いがアトリムグに行ってウィタジィと住む、って言われたら心配だもの。根堀り葉堀り質問したくなるのは当然―・・・あ。僕のことは気軽に、クロトと呼んでくれないか。堅苦しいのは苦手なんだ」
シドは目を細めた。
「『クロト』か・・・運命的な名前ですね?」
クロトが首を傾げる。
「知らないんですか。『クロト』はギリシャ神話で、運命の糸を紡ぐ女神だ」
「へぇぇ?・・・美女じゃなくて申し訳ないなぁ」
シドはくすりと笑った。
「だとしたら、花束をもう一つ用意したのに」
クロトも笑い返した。
「『運命紡ぎの女神』も、大きな赤いバラには翻弄されちゃうかもね」
シドは大きく瞬き、意外そうな顔をした。
「ああ・・・そうか」
シドは苦笑した。
「まさか人間界で言われるとは思わなかったな」
ルイカは微笑みながら花束のリボンを解いた。流し台で壺のような花瓶にバラを活け、それを満足そうに見つめた。花瓶を流しから上げ、横に移す。
「シドは『契約師』っていう生業の一族で、悪魔学、天使学、精霊学、その他の神話やら伝説なんかにも詳しいのよ」
ルイカは花びらを指先で突付いた。シドははにかみ、八重歯を見せた。
「俺は末っ子だから、金食いの役だけどね」
「上にキョウダイが?」
「そう。長男だけど、九人キョウダイの末っ子」
「九人っ?今どき珍しいね」
「イザナズミ家もアポロリック家と同じぐらいの貴族だから、当主はたくさんの妾を所有して―・・・」
どくんっ、と大きな鼓動が聞こえて、目の前が白くなった。
ルイカは胸元を掴み、顔を顰めた。声が出せない。
クロトが訝しむ。
「ルイカ?」
心臓辺りの筋肉がしまっていき、それに比例して胸元を掴んでいる拳に力が入る。ルイカは前かがみになり、流し台の縁をつかんだ。
クロトは目を見開き、シドと同時に叫んだ。
「「ルイカっ?」」
シドが慌てて立ち上がると、椅子がひっくり返った。シドがルイカの体を支える。
「どうしたんだっ?」
クロトが駆け寄るとルイカは更に前のめりになり、その拍子に流しの縁から手が滑り、花瓶に当たった。ルイカの足から力が抜け、膝から崩れ落ちる。ぐらついていた花瓶が倒れて、冷たい水とバラが飛び出してきた。
ルイカの上半身やシドの肩、コートにかかった水は瞬時に浸透していき、トゲなしのバラは計算されたように花弁を撒き散らし、あたりに乱れ落ちた。
「ルイカっ、ルイカっ」
クロトはしゃがみこみ、ルイカの真っ青な顔を見て仰天する。
「きゅ、救急車っ?」
「ダメだっっ」
シドはクロトに振り返る。
「絶対にダメだっ。俺達の世界にもルールがあるっ。そんなことできないっ。それに、人間の医者にどうにかできるものじゃないっ」
「何か持病がっ?」
「違うよっ。違うっ。ルイカは―・・・」
シドは大きくかぶりを振った。
うぅ、とルイカが呻くと、ルイカの顔を覗きこむ。
ルイカはシドの腕を握り締めた。
「ルイカっ・・・大丈夫か?熱い?寒い?」
ルイカは充血した瞳でシドを見上げた。ドクンドクンと耳の中でうるさい心音が、痛みと共に引いていく。冷や汗が額から流れていたが、花瓶の水で何が何だか分からない。




