ベスの出現
クロトは虚脱し、床に膝を付けた。
「どうして僕には見えない?ずっと会いたいと・・・今も―。今もだ。ベスの姿を見たいのに・・・彼女の気配を感じるのに、姿が見えないんだ。僕がどんなに望んでも、彼女だけは見えない。ルイカが言っていたみたいに、僕が能力に蓋をしているわけじゃない。彼女が亡くなってから、僕の能力は強くなったのに・・・彼女だけはどうしても・・・見えないんだ・・・」
「見たくないから、見えなくなった・・・その思いが解放されたなら、あなたにも彼女を見ることができる筈よね?実際あなたは、見ようと思えば見れるだけの能力を持っているわ・・・」
「ならば、何故?」
「あなたは望んでいるけれど、彼女が望んでいないから」
クロトは顔を上げ、ルイカを見た。
「それは・・・どういうこと?」
「あなたは見たいと思ったけど、ベスさんは見られたくなかった。見たくなくなったから見えなくなるなら、見られたくないから見せなくすることも可能なのよ」
「何故・・・そんな・・・」
「一度でも見ると、きっと次も期待するから・・・二回会えば、三度目も会いたくなる。三度会えば、四度目も・・・それじゃああなたは、生きている人間に―現世に興味がなくなるわ。例えお互いが思い合っていても、幽霊と人間の恋愛は、この世の理に反することなの」
「愛しあっていても?」
ルイカは頷く。
「彼女が姿を見せて、以前のように夫婦みたいに暮らすことはできるけど、そうなればあなたの生気は急速に失われるわ。生気を失うということは、着実に死に向っているということ。彼女はそれを望んでいないの。自分のせいであなたの寿命を縮めるのは嫌だから」
ルイカの瞳の中に、ベスの思考が流れ込んでくる。
「でも、あなたのことが心配で、あなたの側にいるの。あなたに見られないように・・・でも寂しいから、存在が知れると分かっていても、触れてしまったり、話しかけたりしてしまったのだわ・・・」
ベスの瞳から、また、涙が落ちた。涙が床に落ちても、染みはできない。
クロトは自分を抱きしめるように、両手で肩を掴んだ。
「やっぱり・・・いたのか・・・」
ベスはそっと、クロトの右肩へと手を置いた。
クロトは右肩を掴む手に力を入れる。
ルイカは静かに言った。
「私に話しかけなかったのは、クロトさんに存在が知れてしまうからだったのね?」
ベスは頷く。
「クロトさんがいない時にも話さなかったのは、長時間現世に留まるためには、多大なエネルギーが要るためね?極力の消費を抑えているの?」
ベスはかぶりを振った。
「もしかして、エネルギー不足で喋るのも難しい?」
ベスはが頷く。
「そう・・・クロトさんが手紙を出してた時も側にいたけど―・・・何か耳打ちしていたように見えたのは、私の気のせい?」
「あれは・・・僕の名前を呼んだのは、ベスだったのっ?」
ベスが頷く。
「そうみたいね」
ルイカはベスを見て、ふと笑った。
「あなたはイタズラ好きなのね?」
ベスは瞬き、ふと笑い返した。白い歯が、見えた気がした。
「私、ある事情でこの家に暫く厄介になることになったの・・・あなたの部屋、使ってもいいですか・・・?」
ベスはにっこりと笑った。
ルイカも笑い返す。
「ありがとう。大事に使うわ」
ベスは聖母みたいな穏やかな顔で、クロトを見下ろした。
《もう、行かないと・・・》
頭の中なのか実際耳で聞こえたのかは分からなかったが、ルイカにもクロトにも、ベスの声が聞こえた。
ベスはクロトの背中に抱きつくと、顔を埋めた。
「ベス・・・」
クロトは自分の胸の辺りを掴んだ。彼女の腕がそこに回り込んでいるような気がして、自分のシャツを強く握りしめた。
《彼を、護って・・・》
ベスと、目が合った。ルイカの視界から、瞬時にしてベスの姿が消える。
同時にクロトの背中から、重みのような感触が消えた。気配すら消えて、今はもう、どこにも姿は無い。
クロトはルイカを見て、呟いた。
「彼女は・・・どこに?」
「向うの世界に戻ったみたい。力を充電しに行ったんだわ。きっと」
「・・・また来る?」
「きっとね」
「そう・・・」
クロトは暫しの間、俯いたまま動かなかった。長い長い沈黙のあと、ルイカはクロトの目の前にしゃがみ込んだ。
「一緒にお茶をしましょう?」
クロトの手を握ると、クロトは顔を上げ、ふと、微笑した。
「そうだね・・・」




