クロトの恋人
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リズより少し、クロトの方が背が高い。クロトの横顔を見ているリズを見て、ルイカは再びクロトへと視線を上げた。
「リズさんと付き合っていたのは、三・四年前よね?」
「そうだよ」
そうか、とルイカは思う。さっきの女性の絵と、リズの姿は系統が似ている。クロトの趣味が一貫しているということだろう。リズさんの死因は分からないが、彼女がこの世に姿を現すことに、クロトが関わっているのは明白だ。
彼女が悲しげな表情をしているのは、自分以外の女性がいることを知ってしまったからなのだろうか。それとも彼女は、クロトに婚約者がいることを知りながら関係を続け、報われぬ恋に後悔しているのだろうか?
しかしクロトを怨んでいる表情ではない。むしろ憂いている。きっとまだ、彼が好きなのだ。彼女としてはただ、見守っていたいだけなのかもしれない。
「彼女とはどれぐらい付き合っていたの?」
「一年か・・・いや。明確な愛の告白があったわけじゃなかったから、はっきりした交際期間は分からないけど・・・大体一年、半―ぐらいじゃないかな?」
「ベスさんと同じ時期に付き合っていたの?」
「え?」
クロトはやっとキャンバスから目を離し、ルイカに振り向いた。ルイカの真っ直ぐな瞳を見つける。
「ベスと―、何?」
「ベスさんとリズさんと、同時に付き合っていたのでしょう?」
クロトは不思議そうな顔でルイカを見て、暫し考え込んでいるようだった。
「それは―・・・リズとベスが違う人物だということ?」
今度はルイカが奇妙な気分になった。
「それ以外に、何か意味があって?」
「だって、リズとべスは同じ名前だろう?」
「え?」
ルイカは瞬いた。
「リズとベスは、エリザベスを略した愛称・・・だろう?」
ルイカは数秒沈黙し、だんだんと目を見開いた。
「ベスは『エリザベス』なのっ?」
「は?アトリムグでは違うの?」
ルイカは呆然として、先ほどのキャンバスを指差す。
「じゃあ、アレは?あの女性がベスさんではないの?」
「あれ?」
クロトは振り返り、色なしの絵を見る。
「ああ・・・あれね。あれはベスじゃなくて、キャシー=ニロー。僕の母だよ」
「母・・・?」
「そう」
クロトは苦笑した。
「ベスと似てるだろう?・・・若い頃に母親を亡くしているから、母親に似た人を求めてたんだろうね。ベスに母親像を見ていたけど、この絵はベスが死んでから描いたものだ。頭の中で二人が混ざったのかもしれないな・・・正直に言うと、もう母親の顔をきちんと思い出せないんだ・・・ベスに似ているのは、きっと・・・そのせいだ・・・」
独り言のように呟くと、クロトは視線を落とす。
「じゃあ、こっちがベスさんなの?」
ルイカは近くにあるキャンバスを見る。その側に立っている、リズだと思っていたベスと、目があった。
ベスは頷く。
「ベスは愛称―・・・何てこと・・・」
ルイカは頭を抱えた。そうとうショックだったのか、出会った時と同じように、暫く動かなくなった。
「アトリムグには、『エリザベス』っていう名前はないの?」
「生粋では―ロビンみたいに外から来ない限り、あり得ないわ。世界的倫理観から見て、歴史的な悪党の名前を自分の子供につけたがる親なんて、そうそういないもの・・・」
「悪党?」
「アトリムグでは歴史の教科書にも載ってる、国レベルの大量虐殺者の名前なの・・・」
ルイカの気分はどんどんと下降しているようで、目に見えて落ち込んでいた。どうやらルイカにとって、このことを知らなかったのは随分と大きな痛手らしかった。
「じゃあ・・・ベスって名前はいるの?」
「そう。ベスはそのまま、ベスっていう名前なの・・・」
「じゃあ君のお姉さんも、そのまま『リズ』なの?」
「いいえ。本当はエリザ・・・」
「エリザか・・・」
クロトはルイカの顔を心配そうに覗き込んだ。
「いい名前だね?」
「ええ・・・」
ルイカは反射的に空の笑みを浮かべた。
「ありがとう・・・」
じゃあ彼女は、一体何故、現れたのだろう?
ベスはクロトのうしろに回り込むと、彼を抱きしめようとした。
クロトは一瞬弾かれたような顔をして、うしろを振り向いた。しかしすぐに瞬き、不思議そうに首を傾げる。
そうか、とルイカは思う。妙な勘ぐりをしていたようだ。彼女はただ、見守っていたいだけなのだ。独りになってしまったクロトのことが心配で。
「なら、リズとベスは同一人物で、エリザベスとエリザは別人なのね・・・」
ルイカは落ち込んでいる自分に、内心驚いた。自分でも気づかない内に、奇跡みたいな偶然を期待していたらしい。そんな浅はかな自分に気づき、さらに落ち込んだ。
「ルイカ・・・」
ルイカは暫し沈黙し、動かなくなる。
ふと、どうして自分の前にベスが現われたのかを考えた。
彼女は一体、自分に何が言いたかったのだろう。
どうして自分の絵を見せたかったのかしら?
突然現われた私が、自分の部屋を使ったから嫉妬した?
それとも単にのろけたかっただけ?
ルイカはベスを見る。
ベスは未だ悲しげな顔で、クロトの手を握ろうとしたり、頬にキスをしようとしている。しかし上手くいかないようで、益々悲しい顔になった。
「クロトさん。ベスさんは生前に、肉体的障害を持っていた?」
「障害?いや・・・健康そのものだったけど・・・?」
「じゃあ、口が利けない、なんてこと―ないわよね?」
「ああ」
じゃあ、そういう理由で喋らないわけではないのだ。




