窓からの来訪者
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ノックをしてもドアは開かず、返事もなかった。ルイカはチョコレート色のドアの前で首を傾げると、ドアノブを回してみた。
「無用心ね」
ドアを開けてすぐに、ルイカはクロトを見つけた。リビングのソファに座り、寝息をたてている。ルイカは後ろ手で静かにドアを閉めて、無防備なクロトの寝顔を見た。
それとほぼ同時、ロングスカートの女を見つけた。ルイカには気づいておらず、細い腕でクロトの頭を撫でている。スレンダーな体は、人間の平均的な身長だ。直毛のショートカットに、化粧気のない顔。向こう側の壁が見えるぐらい透けているので、色素はほとんど分からなかった。
「あなたは・・・?」
女と視線が合う。女は人差し指を立て、二階を指した。ルイカは視線を上げる。何も見当たらないし、気配がするわけでもない。視線を戻すと、すでに女の姿はなかった。
「うぅん・・・」
身動ぎをすると、クロトが薄らと目を開けた。
「ああ・・・おかえり」
間抜けた声がする。
「ずいぶん出てたね。こんな田舎に長居できる所なんてあった?」
「ええ、そうね。迷路みたいで、なかなか楽しかったわ」
先ほどのことは暫く黙っておこう、とルイカは思った。
「クロトさん。さっき描いていた絵、また見てもいいかしら」
「いいよ。あんまり進んでないけど」
ルイカは頷くと、リビングから二階へと繋がる階段を上った。
***
「くそっ・・・もう帰ったのか?」
サンズはクロトの家を見張っている。あの家は外側に向った窓がないので、中の様子が見えない。サンズはチョコレート色のドアが見える物陰へと潜み、手首の時計を見た。
一時五十七分。彼女を尾行し、すでに二時間以上が経っている。
あのおかしな道のりは、全て計算だったのだろうか?もしや既に気づかれていて、自分はからかわれたのかもしれない。相手は魔女なのだ。油断は出来ない。
家と家の間は、昼間でも薄暗い。角材と木箱が積んである空間に、彼は潜んでいた。
クロティス・ニロー。彼は一体何者なのだろう・・・?
そう思っていると、突然うしろで派手な音がした。弾かれたように背後に振り向いたサンズは、壁に掛けられていた何本もの角材が、地面に崩れているのを見つけた。
「何だ・・・誰かいるのかっ?」
奥に進むほど、隙間の闇は濃い。サンズは角材の隙間で蠢く、黒い塊に目を凝らした。黒猫だ。ガタガタと角材を鳴らしてこちらに走って来ると、光の方へと飛び出す。
用心深いサンズは、それでもまだ薄闇の中を睨んでいた。
自分の背面、クロトの家の上空に少年が飛んできたことなど、気づきもせずに。
***
二階への階段を上ると、床からだんだんと黒い頭が出てくる。二つの目が手すりの間から見えるようになると、ルイカの方からも正面を向いたキャンバスを見ることができた。それをじっと見つめる。クロトの言った通り、少し色が塗り重ねられているだけで、先ほどと何ら変った様子はない。
彼女の指差していたものは、キャンバスのことではないのかしら?
ルイカは部屋を見渡す。クローゼットに近付き、音が鳴らないように扉をスライドさせた。冬用のコートや、透明なビニールがかけられたクリーニング済みのスーツがある。ハンガーに掛けられた似たり寄ったりのシャツ、ズボン、それらのポケットには何も入っていない。
ルイカはそっと扉を閉め、もう一度部屋を見渡した。ベッドの側には、スタンドを置く引き出し付きのキャスターがある。木製。引き出しに手を掛けようとした。しかしほぼ同時に、とんとんとん、と足音が近づいて来る。
ルイカは体を強張らせ、素早くベッド沿いの壁に向き、背中の方で手を組んだ。
クロトの顔が、床の下からひょっこりと出てくる。クロトには、ルイカがコリンの絵を見ているように見えた。
「お昼どうする?」
「ん?ええ・・・今日は一緒に食べるわ」
「何食べたい?」
「チョコクッキー」
クロトは微笑した。
「それでいいの?」
「それと、紅茶があれば言うこと無いわ」
「分かった。今お湯を沸かすよ」
「じゃあ三人分にしてもらいたいな」
「うん、わかっ――え?」
少年の声がして、二人は窓の方へと振り向いた。
「うわっ」
クロトが声を上げると、ロビンが片手をあげて挨拶をする。棒飴を銜えているせいで、片方の頬が張れて見えた。
「あら、ロビン。どうしてここに?」
口の中で飴が移動し、歯に当たって高い音が鳴った。
「校長に言われて、会議の結果をお報せに」
「・・・どうだった?」
「それは今から、校長本人から聞けると思うよ」
「来るの?ここへ?」
「ううん。僕が通信道具のメッセンジャーに任命されたの。校長何かと忙しいから、こっちに来れないんだって」
「そうなの・・・」
「うん。で―、この地図書いて校長に渡したの、ルイカ?」
ロビンは紙切れを差し出した。
ルイカはそれを受け取り、頷く。簡単な住所と、この家の付近らしき地図が記されていた。
「やっぱりね。どうりで遠近感がおかしいと思ったよ」
「あら。どこらへんが?」
クロトがその紙切れを覗き込む。たしかに奇妙だった。
「なんか・・・すごいな・・・」
ルイカがクロトに向って首を傾げると、クロトは苦笑した。
「あ、いや・・・」
「でぇ~・・・僕はどこに着地すればいいの?」
ロビンは頭をかいた。このままでは血が上ってしまう筈だが、ロビンは何とも冷静だ。逆さ吊りの状態でホウキの下に立っている姿は、クロトの目からはとても異様だった。
「つらいなら普通に立てばいいじゃない」
「それが、停止した状態だと何故かひっくり返るんだよね。何度挑戦してもこの形に落ち着いちゃうんだ」
つんつんと立っている髪形だけでは分かりにくかったが、何故かロビンのコートやネクタイ、斜め掛けの鞄などが、重力に逆らって上のほうに向いていたので、普通の逆さ吊りでないことはクロトにも分かった。
「二重の重力操作・・・立って飛ぶだけだって難しいのに、それは高等技術なのよ?」「そうなの?」
「そうよ」
「ふぅん?」
ロビンの返事は本当に不思議そうにしていた。
「普通に飛ぶより、こっちの方が楽なんだけどな・・・」
ルイカは少しの時間考える。
「それはいつもの、『基本はできなくても応用編はできる』、の法則に当てはまるんじゃないの?」
「ああ。なるほどねぇ」
「着地するなら、そのまま中庭にして。すぐそこにキッチンのドアがあるわ」
「ん」
ロビンはゆっくりと下降し、窓の死角へと消えて行った。
「あの・・・今の子は?」
ルイカは振り向き、クロトを見た。
「ああ。学校の同級生で、私の友人。来て。紹介するわ」
ルイカは先に階段へと向かい、クロトは頷いて窓を閉めた。




