ルイカの実家
***
目を覚ますと、ルイカは瞬いた。
すでに翌朝だった。
新しい服に着替え、一階へ降りて行く。キッチンには、朝食の準備をしているクロトがいた。目玉焼きとベーコンを焼いている音に混じって、「おはよう」とクロトの柔らかな声がする。
「おはよう、クロトさん。右手の調子は?」
「うん。起きたら治ってた。もう包帯取ってるけど?」
「ええ。大丈夫だと思うわ」
「そう。良かった」
「もしかして私・・・昨日・・・おかしなこと言ったりした?」
「いいや?」
「そう」
ルイカは卵を抱えたまま、クロトの背中が見える椅子を選んで座った。
「そう言えば、この子のベッドができてたわ?」
「ん?ああ」
クロトは微笑した。
「あんまりにも暴れん坊だから、取っ手が壊れた洗濯カゴで簡易のね。問題ない?」
「問題ないどころか、目が覚めてビックリ。あれは洗濯する時のカゴなのね?少し変ったゆりかごだと思ったわ」
ふふ、とクロトは笑い、フライパンの中身を平皿へと移した。
「もしかしてアトリムグでは、魔法で洗濯するの?」
「そうする時も、しない時もあるそうよ。学校には寮母がいるし、実家には使用人がいるから・・・私は家事とは縁がないの」
「へぇ」
クロトは朝食の乗った皿を、テーブルに二つ置いた。
「ルイカの実家はお城みたいに大きいの?」
フォークを受け取ったルイカは、意外そうに瞬いた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、女当主は女王様。君はお姫様・・・なんでしょ?」
「ああ・・・ええ」
ルイカは微笑した。
「そうね。そう言えば動揺ついでに、そんなことを話したかしら?」
再度微笑すると、小さくかぶりを振った。
「生まれた時からあの家にいるから、大きいかどうかは分からないわ。それって、とても主観的な感覚だもの」
「それはそうだ」
クロトはルイカの向かい側に座り、自分用のミルクと、ルイカ用のオレンジジュースの入ったコップをテーブルに置く。
「ああ―、でも・・・我が家は、『ヘキサビヴァイア城』って名前がついてるわ」
クロトはぎょっとして、ルイカを見つめた。
「・・・・・・本当に・・・お城なんだ?」
「ええ。ロマネスクだか、ゴッシック様式だとか呼ばれるタイプの建物らしいけど、全部の部屋を回ったことがないから、どれぐらいの大きさかはよく分からないの。無闇に歩くと迷うし、地図にはない隠し部屋とかがあるらしいし」
「ああ・・・そうなんだ・・・」
「ええ」
生まれてから今まで住んでるのに、行ったことのない部屋がある時点で普通の家ではないだろう。
『女王』と『姫』・・・クロトは当惑し、ルイカを見た。
まさか大変に高貴なお嬢さんと、食事をしているのだろうか?
もしもそうだとすると困るので、クロトはその疑問を質問しなかった。
***
待機が命じられたらしく、ルイカは家にいる。
午前中は『開放された庭』の絵の続きを描くことにして、クロトは自室に篭った。
ルイカは観察日記をまとめるため、二階の部屋にいる。
窓からの微妙な角度によって、窓際にいるクロトには人影が見えた。開けた窓からはそよそよと風が入ってきて、白いレースのカーテンが揺れている。
懐かしいな、とクロトは思った。
この感傷的で静かな気持ちを、一体何と呼んだらいいのだろう?三年前―いや。四年ぐらい前か。彼女といた時間がとても昔のような、さきほどのことだったような気がしてくる。
彼女と出会って恋に落ち、婚約して同棲して、そして―・・・。
全ては僕の作り出した妄想で、彼女などいなかったのかもしれない。そんな絶望が途方もなく続いたのかと思えば、ふと背中を抱きしめられたかのような浮遊感がやって来る。今でも側にいてくれているような、そんな気持ちだ。本当は今も彼女は生きていて、死んだということが妄想なのかもしれない。
今にも彼女の足音が聞こえてきそうだ。軽く跳ねるように階段を上がってくる、とん、とん、とん、いう音が。今にも―。
「クロトさん」
クロトははたと我に返り、階段の方へと振り返った。
「驚かせてしまった?」
相当顔に出ていたらしいが、クロトは必死に笑った。
「いや。どうしたの?」
「この近くを散歩に行きたいんだけど、卵を頼もうと思って」
「ああ。大丈夫だよ。特に外出の予定はないし」
「そう」
ルイカは首を傾げるように、クロトで遮られた死角を覗いた。
「それは初めてあった日に描いていた絵?見てもいいかしら?」
ルイカはクロトの隣に立ち、キャンバスを見つめる。ピンクの中に、顔のない子供の天使像が建っている。腰布をつけ、両手を空に上げている。
何だか少し、悲しい。
「クロトさんは、どんな種類の絵を描くかで、随分とタッチが違うのね?」
「そうかな?自分では意識してないけど」
コリンシリーズの絵はとてもシンプル。
風景画は淡い色が多いようだ。
ルイカの見る限り、幻想画がとても魅力的だ。光と影。黄昏と鮮光。気を抜かない長閑さ。真夜中の黒い水に映る、煌々とした人工光のような不自然な自然―。特に彼の描く空は、色合いが微妙で素敵だった。
「一階に掛かっている絵も、幻想画よね?」
「多分ね。本当は別の呼び方があるんだろうけど―」
ルイカが首を傾げた。
クロトは苦笑する。
「独学だから、専門用語に疎いんだよ」
「これを独学で?すごいわ」
キャンバスを見つめる整った横顔が、ふと呟いた。
「私、あの砂漠の絵が一番好きよ」
クロトは照れくさそうに笑い、「ありがとう」と言った。
「じゃあ、行って来ます」
ルイカが背中を向けて階段へと向うと、クロトは「あ」と声を上げた。
「そうだ。帰りにでもパンを買ってきて欲しいんだけど」
「ええ。『アマンダ』ね。何を買えばいいの?」
「朝食用。好きなの買ってきて」
「分かった。行ってきます」
「あ、ルイカ。お金。お金」
クロトはポケットを探る。
「いいえ不要よ。パンを買うぐらいなら持ち合わせているから」
クロトはきょとんとした。
「お金って・・・人間界の?」
「ええ。だって、じゃないと本一冊買えないでしょう?」
「そうか。うん。でも・・・資金源は?」
ルイカは瞬いた。
「ああ。異世界の者がこちらのお金をもっているわけない、ってことね?それはアトリムグ通貨が、こちらとあちらの境界線を潜った時点で換金できるように、FS法が使用されていて―・・・」
ルイカは途中で尻すぼみになり、言いよどむ。
「ああ~・・・ここから先は説明が難しいし、秘密にしなきゃいけないかもしれないわ」
「うん。それならいいよ。とにかく大丈夫なんだね?」
「ええ。ご心配なさらないでね?」
「分かった」
クロトはにっこりと笑った。
「行ってらっしゃい」




