魔法の通路
ルイカは、耳がおかしくなるのではないか、というレベルの速さで空を飛んでいた。
日は天辺近くにあって、今日はかなり温かい。コートの中は薄らと汗ばんでいたが、気にしている時間はない。体を右斜めにして下降した。コートがはためいて、強い風の抵抗で髪が吹き上がる。フードが肩に落ちたが、すぐに片手で直した。片手運転のまま、さらに高度を下げる。
ルイカが着ているのはウィッチクラフトコート。
フードをかぶっていないと、人間に見えてしまう。
時折薄い雲の間から見えるのは、首都ミカゼナだった。
クモの巣のように緻密な道が見え、蟻の大群のような家々がある。歴史的な建造物が多い街だったが、それよりも古い建物に住んでいるルイカにとって、興味の湧く対象ではなかった。
知り合いの家から出発して約三十分、そろそろ時計塔が見える筈だ。この町自慢の一つ、ミカゼナ時計塔は有名な観光地だ。周りには常に人間がいて危険だったが、ルイカは一際高いその時計塔を目指し、急降下を続けた。片手はホウキの柄を握り締め、両足は穂の部分に巻きついていた。
斜めになった体のまま、満月のように大きい時計が四面についている時計塔を九十度曲がり、ルイカはさらにスピードを上げる。
「二時十三分・・・」
横目で見た時刻だった。
全速力で飛ばして、学校まで一時間と少し。往復二時間強。
ルイカは顔を険しくした。
「急がないと・・・」
黒い突風のようにしか見えないほど、ルイカは高速で街の上を飛んだ。ミカゼナの建物は高さに一貫性がなく、死角から急に建物の壁が現われることも多々ある。ルイカはその建物の間を縫うようにして走り、片手で己を支えていた。高速運転は両手でも危険。自殺行為に等しい。
そもそも、生徒が人間界で飛行すること自体が禁止されている。これが知れるだけでも、充分に処罰の対象になる。
しかし時間がなかった。学校は完全寮制で、夕方六時には誰の出入りも禁止している。
暗くなったアトリムグを一人で飛ぶという行為も、自殺行為に等しい。
時間がない。彼等に会えるかどうかも分からない。
不安だが、ルイカはとにかく急がなければならなかった。
急に視界が開け、大きな道路に出る。道路を挟んだ向かい側に、白くて大きな建物が見えた。ガラス張りの入り口の上、円形のステンドグラスに向って全速力で突っ込む。
「オーディアクッ」
ルイカは姿勢を低くした。するとステンドグラスの幾何学模様が、ヘキサグラムに姿を変える。それを確認した一瞬のうちに、ルイカはその中へと吸い込まれ、赤い絨毯の敷かれた廊下に噴き出されていた。
ルイカはうしろの円形窓を確認することなく、巨大な絵画が並んでいる直線の廊下を疾走。横に金の額縁に入った絵画、下の方には彫刻が並んでいる。人間もちらほら見えた。人間界では著名な者の作品らしいが、今のルイカに興味は無い。
十字路の左を直角に曲がり、黒い風のようになった体は、次の曲がり角で思いきり後へと仰け反り、今度は天井に向う。
ドーム状になった天井の真中に、ライオンの頭を模した石像があった。ルイカが天井に衝突する寸前、そのライオンが目を見開いて大口を開けた。中は真っ暗な穴が深く続いている。ルイカが自らその口に入ると、ごくん、という音がした。ライオンは口の周りを舌で舐め、再び口と目を閉じる。僅かにタテガミを揺らすと、すぐに石像に戻った。
《まったく、騒がしいな・・・》
《だが、久しいねぇ》
《この御時世、こんな無茶をする魔女なんて珍しいわ》
ライオンの側、両壁に掛かっていた絵画達は全員で天井を見上げていた。白馬と、白馬に乗っている男と、木陰でお茶をしている貴婦人の絵だ。
その下のほうで、「あっ」と声が上がった。
「ママッ、目が動いたっ」
絵画達は驚き、視線を急いで元に戻した。
「なぁにバカなこと言ってるの。行くわよ」
「でも、本当にっ・・・」
母親に手を引かれて廊下を歩いてゆく子供を見て、絵画達は胸を撫で下ろした。
しかしすぐに次の客が現われ、動きを止めた。
「私美術館に来るのなんてはじめて~」
「そう?僕は何度か来たことあるけど」
「本当にぃ~?」
「本当だよぉ」
手を繋ぎながら猫なで声で話すカップルの後ろで、庭先でお茶を飲んでいる貴婦人の絵が、顔を顰めた。それを横目で見て、廊下に置いてある人型の石像に笑われたことなど、カップルが気づく筈もない。裸体の石膏像は毛皮を着た観光客らしき者が近付いて来るのに気づき、歪んだ口元を直した。その姿を見送って、肩から力を抜く。
《全く・・・今日は珍客が多いな・・・》




