幻想が見える目
次の絵は黒ネコだった。灰色のレンガ壁の側に樽が置かれていて、その上に一匹の黒ネコが座っている。こちらを向いた姿は、今にも立ち上がりそうに警戒していた。その瞳は何故かルビー色で、横にしたアーモンド形に、同色の絵の具が額に塗られている。
ルイカは静かに、ネコの額を指差した。
「これは、何?」
「さぁ?そうゆう風に見えたんだ」
「見えた?」
ルイカはクロトの顔を見上げた。
「隣町に住んでたころ、散歩していたら見えたんだ」
クロトは次の絵を取り出し、表をルイカへと見せた。
それは公共の噴水。通り道の真ん中に造った広場。噴水のへりに座ったり、立ち話をしている人々が描かれていた。
しかしこの絵の主人公は、絵の真中にいる紳士である。スーツの上にコートを羽織り、帽子を目深にかぶってステッキを持っている。黒いコートの裾が風でめくれ、縦縞のズボンと黒い革靴が見える。一見すれば少し寒がりなだけの紳士であるが、奇妙なのはその紳士の影だ。一瞬コートの影かとも思えるが、横長に広がったその影は、コウモリの羽のようだった。
「同じ日のことだ・・・」
クロトとは紳士の後ろ、灰色の建物に挟まれた路地を指差した。細い路地は暗いが、家と家の間に樽らしきものが見えた。
ルイカが猫の絵を隣り合わせると、確かに壁の具合が似ている。
「あなたには、そういう風に見えたのね?影が奇妙な形をしていたり、猫の額が赤く見えたり?」
「小さい頃から、時々・・・大抵は一瞬だけどね」
ルイカは妖精の絵をクロトに見せた。
「これを最後に、幻想画を描かなくなったのは何故?」
「見えなくなったからだよ」
「不思議なものが?」
「そう。これは彼女の部屋だ」
クロトはルイカの隣にしゃがみ、絵の中のコップを撫でた。
「彼女と付き合いだして、婚約したあたりからはぱったり見えなくなったな・・・浮かれてもいたし、不安でもいたし・・・。彼女との将来を考え出してからは、現実的な問題で頭がいっぱいだったから、幻想的なものを見る余裕なんて無かったのかも」
「それが・・・原因だと?」
「違うの?」
「うぅん・・・違うとはっきりは言えないけど・・・」
ルイカは沈黙し、真剣な顔で唸った。クロトの顔を見る。
「『浮かれていると同時に、不安でもあった』・・・それはどういう意味?彼女にフラれるとか、彼女との将来設計のこと?」
「両方、かな」
「どうして彼女にフラれると思ったの?」
「どうしてって・・・それは・・・僕は小さい頃から変わり者だと言われて育ったから、不安だったんだよ。そういう僕に彼女が愛想をつかして、普通の男に取られてしまうのでは・・・とかね」
クロトはふと、どうしてこんな話を少女にしているのだろう、と思った。
ルイカは伏目がちに小さく頷く。
「つまり『変った子』というのは、『そういう不思議なものが見える子』とか、『他人とは違う感覚を持ている子』、という意味なのでしょう?ならばあなたが不安に思っていたのは、自分の不思議な能力が彼女に知れて、彼女との将来がなくなること。つまり彼女に気味悪がられて、結果フラれること?」
クロトは目を見開いた。
「現実的な問題にあって、そういう不安が出てきた・・・クロトさんが現実的になったから見えなくなったのではなくて、見たくなくなったから、見えなくなったのじゃない?」
しばし目を見開いていたクロトは、大きく瞬いた。
「ああ。そうだね・・・そうかも、しれない・・・」
「彼女が亡くなってから、また見えるようになった?」
「ああ・・・以前にも増して、はっきりと」
「それはあなたが、現実を見たくないからよ」
自分で勘付いていたのか、クロトの納得は早かった。数秒後、神妙な顔付きで頷く。
「では、全ては幻覚だったのか・・・・・・」
虚ろな瞳で、ルイカを見つめる。
「もしかして、君も?」
「いいえ。私は実在しているわ。この絵の妖精や、紳士にとり憑いている悪魔も、人間界にやって来たカーバンクルも・・・」
「カーバンクル?」




