第8話「殺す感覚」
「こんな雑魚相手なら、あんたの“初めて”にはちょうどいいかもね」
仁美が口元だけで笑った。
ターゲットは、中小企業の金を横領して逃げ回っている男。
薄暗い倉庫の奥、油とカビの混じった匂いが漂う中、男はガタガタ震えていた。
「最初は刺殺がいいわね。殺した感覚を覚えるためにも」
仁美が何気ない調子で言い、腰のホルダーから短いナイフを抜いて大樹に手渡す。
冷たい柄の感触が、嫌に重い。
「……ほんとに、やるんだな」
大樹はかすれ声で呟いたが、仁美は答えず、ただ男を見下ろしていた。
呼吸が浅くなる。
足が前に出ない。
頭の奥で「父を殺す」という言葉だけが渦巻くのに、目の前の現実は受け入れられない。
「なにしてんの?」仁美が眉をひそめた。「刺せって言ってるでしょ」
大樹は一歩踏み出した。
男の肩越しに見える恐怖の表情。
自分の心臓の音が、やけにうるさい。
……無理だ。
その瞬間、仁美が苛立ったように大樹の腕を掴んだ。
「貸してみな」
強く握られ、抵抗する間もなく、その腕ごと前へと引かれる。
ナイフの刃先が肉を割き、奥へ沈む。
ぶちり、と何かが切れる感触。
温かいものが柄を伝い、指にかかる。
内臓を突いたという現実が、遅れて脳に届いた。
大樹は喉の奥からこみ上げるものを堪えきれず、吐き気を覚えた。
足元が揺れた気がする。
「初の殺し、おめでとう。男の顔つきになったわね」
仁美が満足げに言い、大樹の頬に唇を触れさせた。
しかし、大樹の手は震えっぱなしだった。
それは寒さのせいではなく、明らかな恐怖と拒絶だった。