止まらない電車
【誰もいない駅。止まらない電車。聞こえるはずのないアナウンス。】
終電を逃し、帰宅ルートを変えた俺は、
地下鉄の途中駅で目を覚ました。
だが、そこは見たことのない駅だった。
改札は閉まり、電車は止まらない。
スマホは圏外。時計は動いていない。
そして、向かいのホームに“誰か”がいた。
これは、都市の隙間にある「なつかしらぬ」空間を彷徨う物語。
最後の電車だった。
日付が変わる直前。
無言の広告モニターが明滅し、車内の照明が少しだけ揺れる。
つり革が静かにぶらさがっている。
握っているはずの手に、感覚がなかった。
ドアの窓から見えるトンネルの闇。
黒に溶けた壁が、蛍のような誘導灯を流していく。
目を閉じる理由も、開ける理由もなかった。
⸻
ふと気づくと、電車の音が、ほんのわずかに変わっていた。
低く、柔らかく、まるで水の中を通っているような音。
まぶたを開けたとき、車内には誰もいなかった。
扉は開かず、案内音声は聞こえない。
ディスプレイはただ、
「次は____」という文字を点滅させていた。
そこには何も書かれていなかった。
⸻
次の駅に着いた。
が、音もなく通り過ぎていく。
照明がある。壁もある。ホームもある。
でも、それはすべて、無音の箱庭のようだった。
反対側のホームに、人のようなものが立っていた。
ただの影かもしれない。
誰かが立っているように見えただけかもしれない。
窓の向こうに、その“気配”が少しずつ、こちらを見ていた。
⸻
三つ目の駅で、扉が開いた。
空気の流れがない。
床がやけに滑らかで、足音が反響しない。
その駅には、時計がなかった。
あるべき場所に丸い跡だけがあり、何も掲げられていなかった。
スマートフォンを取り出す。
表示は、「時計のマーク」だけ。
時刻がない。通知もない。
どこにも、誰もいない。
なのに――
スピーカーから、わずかにアナウンスが流れた。
《……まもなく、記憶の終点に到着します。》
⸻
駅の奥に、一枚の鏡が立っていた。
壁に嵌め込まれたはずのものが、床に浮いている。
その鏡に、少しだけ遅れて動く自分の姿が映っていた。
いや、あれは本当に“自分”だったのだろうか。
鏡の中の“それ”が、ゆっくりとこちらに背を向けて、歩き出した。
同じ構内、同じ電車、同じリズム。
でも、時間だけが違っていた。
⸻
走った。
逃げる理由も、追われる理由もないのに。
けれど、音もなく風が吹いた。
そのとき、
肩に手が触れた。
⸻
「大丈夫ですか? 終点ですよ」
見慣れた制服の男が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
揺れる電車の座席。
明るい蛍光灯。
でも、スマートフォンの画面にはまだ「時計のマーク」が、動かずに残っていた。
電車は「目的地に着く」ための乗り物ですが、
もしも、目的地のない電車に乗ってしまったら?
あなたが今いる駅は、本当に地上へつながっているのでしょうか。
深夜、電車の窓から見える「誰もいないホーム」に、
誰かが立っていたとしても……
それは、きっと“なつかしらぬ”誰かです。




