第二話 ギャルの願い③
バタンッ!
怒りに任せて勢いよく閉めた扉は思ったより音が響いた。でも、すべての元凶は俺に首根っこ掴まれてもふてぶてしくそっぽを向くこのガキ。俺よりも4つも年上だなんて、制服を見るまでは正直疑ってた。でも、隣にいる心吾とか言う人はいかにも高校生だったし、コイツとも仲よさげだったから、きっと嘘じゃない。
一度だけ会ったことのあるこの男、おおよそ二年前、姉さんが受験期のとき、突然家を飛び出して一ヶ月も音信不通で居たのにふらっと帰ってくれば、母さんたちが居ない俺と春、二人だけの時を見計らってこの男とともにやってきた。
そこで話されたのは、とある事情で一人暮らしになること、高校受験はもう決まったからお金の心配もないことで。最初は、姉さんが変な詐欺にでも引っかかったのかとも、この男にたぶらかされたのかとも思った。でも、姉さんの目は真剣で、まっすぐな目をしていた。そんな姉さんの姿を見たことがない俺は、ゆっくりと頷いてしまっていた。
ほんとは離れてなんか欲しくなかったし、何か特別な理由があるんだと、ちゃんと気づいていた。でも、深く聞くことはあの時の俺にはできなくて、月に数回しか来なくなった今でも、なにをしているのか、あの一ヶ月間なにがあったのか、気になって仕方ない。でも、姉さんだったら適当にはぐらかして結局うやむやにされそうでならない。だから、この男に聞くことにした。
本当のことを話してくれるかなんて分かりゃしないけど、半ば強引にここまで引っ張ってきた手前、聞かない手はない。
自分の部屋にあいつをぶん投げて扉に鍵を掛ける。
いってぇ、、と頭をなでるあいつに向かって俺はゆっくりと近づいて目の前に座る。
「姉さんのことについて、聞かせろ」
「あ?麗子の?」
「それ以外に何があんだよ、アンタなら知ってるだろ?あのとき一緒にいたんだから」
そういえば、あのメガネの男はいなかったような気がする。あの男も理由を知ってるんだろうか。後で確かめなければ。
それも、コイツが全部はいてくれればしなくていいことだが。
「それを話して、お前のメリットは?」
「はぁ?」
めんどくさそうに頭をかくあいつはこちらをみてにやりと笑う。
「明らかにお節介だろ、あいつが話したがらないってことは、聞かれたくないことってことだろ。それを聞くのは無粋だぜ」
わかってる。姉さんが隠したい気持ちのこと、俺たちに話せない理由があるはずということも、それを考慮して俺は聞きたい。
「それでも、それでも聞きたい」
「・・・そっ」
そっけなく返したあいつはオレから目線をそらす、棚の上にある家族写真をじっと見つめながらポツリとつぶやくように言った。
「俺が会ったときの麗子は、今みたいな感じじゃなくて、あの写真の中にいる地味なやつだった」
「姉さんは地味じゃない」
「話は最後まで聞けって」
言葉通り、俺はあいつが口を開くのを待つ。
「たしかに俺は、アイツのことを知ってる。でも、全部は知らねぇ」
「全部は?じゃあ、それだけでも・・」
「悪いけど詳しいことは秘匿情報だし話せねぇ」
「なんだそれ、俺を子供だからって侮ってんのか」
「違うわ、規則を守らねぇと心吾に怒られっからで・・」
「なら、ちゃんと言えよ。お前が知ってること」
そう詰め寄るとコイツは、待て待てとベットの方まで逃げていく。思い悩んだ末、ちろりとこちらを見ながら口を開いた。
「お前が思ってるほど、お前の姉ちゃんは弱くねぇ」
「あぁ?」
「あいつは心配されるほどやわじゃねぇってこと」
それは、厭味ったらしい顔なんかじゃなくて、人を安心させるような太陽のような笑顔。はっきりしない物言いに追い詰めようとした俺の言葉は喉の奥で溶けていった。
「じゃあ・・お前は、姉さんの何だよ」
せめて、それくらいは答えてほしい。すべてを知ろうとはもう思わないから。
「ただの仲間だよ。信頼できる」
真っすぐ、俺の方をみてそう言ったあいつはあの時の姉さんと同じだった。
「・・はっ、意味分かんね」
頭では理解できてた、でも、高校生らしいと言うか、それ以上の顔を見せられてしまえば言葉を紡ぐ気すら擦りそられた。俺もまだまだガキだ、こいつのほうが断然大人で、忠実だ。自分に、仲間に。
「お前にとっても、麗子はいい姉ちゃんだったんだろうな」
「・・え?」
「あの写真、嘘がねぇ。幸せだって、腹の底から叫んでるみたいな写真だ」
「お前もそうだったんだろ?いい顔で笑ってやがる」
まるで、慈しむかのような目で俺たちの家族写真を見つめている。いや、どこか羨望の気持ちを孕んだコイツの目に、俺までが悲しくなった。なんでかはわからない。だが、そこに踏み込めば底なし沼のようで、一度足を突っ込めば二度と這い出ることはできないとすら思える。
「姉さんは、昔っから引っ込み思案だけど優しい人で、頼りになるなんて言葉が似合わないような人だった」
「この前、高校で生徒会やってるって聞いたときは目ん玉飛び出るかと思ったし、嬉しかった」
姉さんはよく、自分の気持ちを隠すのがうまい人だった。兄妹の中で一番勉強ができた姉さんは母さんたちからの期待を一身に背負ってきた。
母さんたちは、俺達が生まれる前から経営コンサルタントの会社を起業していて、常日ごろ家にいる時間が少ない、というか1週間に2、3回夕飯を食べるかぐらいの頻度でしか会えない忙しい人たちだった。
俺も、春も姉さんも母さんたちに会うのは楽しみだったし、疲れたような様子を見せることなく屈託のない笑顔を見せる母さんたちを強い人だとも思ってた。
でも、仕事至上主義だった母さんたちは年齡が上がるにつれ、期待は膨らみ、それは回りくどいものに変化していった。
夕飯を食べる時は、「こんなにおいしいご飯を作れるようになったのね、これならどこに嫁を出しても恥ずかしくないわ」「今度、お見合いの話でも持ってこようか?いいとこの社長さんの一人息子でね・・」とか、はたまた勉強をする前に家のことをする姉さんの姿をみたときは、「仕事の効率化、いいわね。流石は私とあなたの娘」「そうだね、将来はうち(会社)で雇いたいくらいだ」とか。
その言葉に姉さんは乾いたような笑顔で答えていた。このままでは、姉さんはこの人たちの意のままになってしまう。
俺は、姉さんの未来は、姉さんが決めてほしいって願ってる。
受験期、やはり娘の受験サポートよりも仕事を選んだ母さんたちは有り余る金で家政婦を雇い、俺たちの身の回りの世話をさせていた。だが、家政婦は終業時間が迫ればしっかりと帰るし、夜中まで勉強してる姉さんに夜食を持っていくなんてことはできっこなかった。
一度、春と二人で作ったおにぎりをプレゼントしたときはひどく喜んでいたと思う。
不格好で、塩が大量にかかったおにぎりをおいしい、おいしいってほおばる姉さんの姿をみて俺達は母さんたちの代わりに俺たちでサポートすると決めて意気込んでいた。それはひとえに、姉さんが自分で決めた志望校だったから、どうしても応援したかった。
姉さんが意気揚々と合格発表をしてくれる日を願って、毎晩おにぎりの具を変えてみたりして、精一杯サポートした。
しかし、ある時、母さんと大喧嘩した姉さんは一ヶ月も家を空けて、帰ってこなかった。
何が起こったのか、俺たちには分からなかったけど、母さんがグチグチと文句をたれているのを見れば、姉さんは悪くないんじゃないかと今でも思ってる。それからは、さっき言ったのと同じでコイツと姉さんが二人してやってきた。
「正直、突然高校受験が終わったとか、一人暮らしするとか言われて、お前がたぶらかしたんじゃないかと思った」
「んなことしねぇわ、俺のタイプは年上の深キョン似の人だ」
「そこだけは高校生なんだな」
くすっと俺が笑うときょとんとした顔をしたコイツは、少し笑ってずっと外を向いてた身体をようやくこちらに向き合わせた。
「麗子のことをそこまで思ってやれんなら、あいつが話してくれるまで待ってやれよ」
「・・もちろん、そのつもりだよ。もう、無理に聞き出そうとかそんな事は考えてない。でも・・」
「でも?」
これを言うのは欲張りだろうか、でも、俺や春はこれだけを願っていたから、初めて姉さんの役に立てて嬉しかったから。
「欲を言えば、姉さんの行きたかった学校で、姉さんが学びたいことをたっくさん学んでほしかったな」
「・・・」
「なぁ、今からでも、編入とかできないか?姉さんはそれだけのために積んできた努力があるんだよ、それを無駄にしたくねぇ」
「無理だ」
さっきまで優しさを孕んでいた表情から、うって変わり口をきゅっと引き結んで目を細めてたコイツはそう断言する。
「今麗子が行ってる学校は、指定された高校だから編入試験は自動的に却下される」
「指定・・?なんだよ、それ」
それじゃあまるで、勝手に未来を決めたようなもんじゃないか。
さっきから秘匿情報やら、指定やら意味のわからないことを言って、なんなんだ。
姉さんは、コイツは、なにをしているんだ。
気だるげに頬杖をつくコイツをよく見れば、鍛え抜かれた腕、着崩した胸元から見える線の入った身体、そして極めつけはゴツゴツとした皮の厚いコイツの手のひら。
そういえば、運動が苦手だって言ってた姉さんが体育祭でリレーの選手に選ばれたと聞いたことがあった。それはあの事件の後で、また母さん達がいない時間を見計らった日付、それを知らされたのは5月中旬を過ぎた頃だったはずだ。ちょうどその時期は、ギルドと文部科学省が協力体制をとると大々的に発表されたことを記憶してる、今年は自衛隊とも協力体制を・・まさか。
「もしかして、お前と、姉さんは・・」
コンコン
「お兄ちゃん?ご飯できたよ?」
「あっ、春・・」
「おう、報告サンキューな」
「うん!お姉ちゃんが仕方なく作ってやったから、アンタも早く食べろってさ、素直じゃないなぁ」
フフフ、と笑う春はどこか姉さんの面影を感じる。歳を重ねる度、似ていくその姿は姉さんが何物にも縛られない人生を送ったとして生まれるはずだった、屈託のない笑顔で、こんな姿を見たかったのに。と見当違いな後悔の念を向けていた。
「お兄ちゃん?どうかしたの?」
「・・いや、何でもない。行こう」
「そっか・・、今日は、お兄ちゃんの好きな照り焼きだよ!だから元気出して!」
ねっ!、と首を傾げて笑いかける。
俺はそれにあいまいな返事をし、春が引く手に従ってリビングへと戻った。アイツは俺の言いかけた言葉について言及することはなかった、ただ黙って、俺の後ろに続いた。
「ごちそうさまでした!」
声を合わせて響く言葉に、俺は頬を緩めながら照り焼きをほおばる。いい感じに絡まった垂れと焼きめがついてカリカリな皮、どれをとっても美味い。麗子はこんなに料理が上手かったのか、新たな発見だ。
「ええー、もう?春陽、ちゃんと噛んで食べたの?」
「食べたよ〜?お姉ちゃんのご飯美味しくってどんどん食べちゃうの!だからもうお腹いっぱい」
「そう、良かった。アンタラも早く食べなさいよ?明日も学校だし」
「お前は俺等の母親かよ、食べるスピードくらい自由にさせろ」
「でも、早くしないと電車がなくなるぞ」
「かー!不便だわぁ、帰宅制度のせいで電車もゆうて9時までしか走ってねぇとか、まじありえねぇ」
そう言ってもともと早かったご飯を食べる速度が格段に上がったのを見ると、早めに戻って怨嗟と遭遇でもしたいのだろう。
それにしても、ほんとに美味いな。麗子のご飯は。偏食気味な凪沙にここまで食わせるとは。
「そういえば、あんな喧嘩したくせに無傷の凪沙はなんでよ、ドつくどころか命刈り取られるくらいの勢いだったのに」
「っ!」
おい麗子、わざわざ触れないでやったのになぜ自分からオオカミの口の中に、!
「別に、姉さんには関係ない」
「男同士の秘密だよ」
「ふ〜ん、まぁいいけど」
なんだ、もしかして仲直りしたのか。というか、あれは一方的に凪沙のほうが悪いのだけれど。話し合いで解決するとは、拓馬くんも大人だな。もし、俺と凪沙だったら速攻殴り合いに発展しそうだ。コイツはガキだし、麗子が言うに俺も意地っ張りだからそう簡単に決着がつかない。
去年の大喧嘩はさすがにやばかったなぁ。家にある道場の柱にヒビが入るくらいだった。
「っさました〜」
「最初から言え、何言ってるかわからん」
「はーい、どう?美味かったでしょ?」
「あぁ?普通だわ」
そうそっけなく返す凪沙に、思い通りの反応だったのかさらに意見を求めることはない。それよりも俺には気になることがある。
「なぁ、麗子、なんでごちそうさまっていったら、はーいって返事するんだ?」
普通しないだろ?と付け加えて言えば、それを聞かれるとは思ってなかったと、机がガタンと揺れた。
「くっ、癖なのよ。小さい頃からそんな感じだったから、その名残で・・忘れてよ」
何気ない行動だったのだろう。体験のない俺としては少し新鮮だった。今度からそうしてみようか。最初は違和感がありそうだが、慣れたら次一緒に食べるときは恥ずかしくない。
「おい、心吾。はやく食べろよ、あと電車が2本だと」
「マジか、すぐ食べる」
もうそんな時間か、麗子はこっちに泊まるらしいし俺たちもそろそろお暇しなくては。
もったいないと思いながらも取り皿に残った自分の食材たちを急いで流し込み、身支度を整えてスクールバッグを持つ。
「長居して悪かったな、麗子」
「いいのいいの、私が呼んだんだし」
「飯、今度も作っとけよ。次は揚げ物がいい」
「相変わらずアンタは厚かましいわねホント、気が向いたら作ってやるから」
「じゃあね〜お兄ちゃんたち〜!」
大きく手を振る春陽に苦笑しながらも麗子が遠慮がちに手を振る。性格は違くてもにた者同士の姉妹に俺たちも手を振りながらエレベーターホールまで向かう。
「人の家でご飯を食べるっていうのも、案外楽しかったな」
「はぁ?ただおもりを押し付けられただけだろ、何が楽しいんだかぁ」
「とか言ってお前も麗子の料理また食べたいって言ってただろうが」
「違いますぅ〜、揚げ物が食べたかったのに照り焼きにしやがったから俺の空気読めって言っただけですぅ」
「どれだけ横暴なんだよお前は」
「まぁ?最近はコンビニ弁当が夕飯だったし?不味くはなかったわ」
全く、コイツも素直になれば良いものを。コンビニ弁当続きだったのは任務が立て込んで、なかなか自炊できなかったのもあるし、もしかしたら俺たちの健康を思って招待したのだろうか。そういえば凪沙が大声で愚痴って俺とケンカしたのを麗子は近くで見ていたな。そう思えば、ただの自惚れではなくなってくる。
「それにしても」
「あ?」
「あぁいう、普通の家族っていうのは、やっぱりいいな。なんだか落ち着く」
俺も、あんな家族に囲まれて生活してたい。
「・・普通、か。どうだか」
「どういうことだよ」
俺の一足先を歩いていた凪沙が足を止め、俺の方へと振り返る。
「俺たちの普通と、麗子の普通は違うんじゃね?」
「?」
「まぁ、俺はよくわかんねぇけど」
俺たちの普通と、麗子の普通?
そりゃ暮らしてきた環境も全然違うから多少違いはあれど世間一般的なものは一緒なのではなかろうか。そして、俺はその世間一般的な家族とやらに麗子たちを当てはめてみた。やっぱり、相違はない。凪沙が言っている意味がまだよく分からない。
「なぁ凪沙・・」
「あー!肩痛てぇ!」
「・・そりゃ、全部ぬいぐるみとフィギュアだからな」
「あーあ、ちゃんと考えて取ればよかった」
先ほどまで虚ろっていた瞳はいつものぶどう色に戻っていてめんどくさそうに眉をひそめている。さっきのあれはなんだったんだ?
よくわからないまま、俺たちは最終電車までの道のりをいつもの調子で帰った。