しあわせのかたち
「チミチミ、あの二人の友達になりんしゃい」
放課後、小柄で白髪の老人が声をかけてきた。黒縁眼鏡をかけており、仙人のような雰囲気がある。これでも定年退職前の60代だ。
名前は野沢雅彦。物理の教師である。あだ名はそのまんま仙人と呼ばれており、他の教師たちとは見えない壁があった。
私は平光琢海といい、藤子高校の2年生だ。地味な黒髪に三つ網で、クラスメイトから地味で暗いと無視されている。担当教師も派手で美形の生徒にしか興味がなく、私など必要以上に話しかけることはなかった。
野沢先生が手の平を差し出したのは、窓際の席でおしゃべりしている二人組だ。
黒髪ロングで目が鋭いのは郷田瑞穂。
金髪でツインテール、日焼けした子が赤星晃だ。私の嫌いな性質の持ち主である。
不思議にこのクラスのボス猿、大野智子と縁がない。家が金持ちで、傲慢な性格で、女王様のような人間だ。正直私は関わり合いになりたくないし、卒業まで我慢すればいいからだ。
私は母子家庭だ。父親は幼少時、交通事故で亡くなった。年金があるが母は毎日夜遅くまで働いている。私も放課後はコンビニのバイトで稼いでいた。母は自分の小遣いにしなさいと受け取ってくれないが。
「あの野沢先生。なんで私にそんなことを言うのですか?」
「チミはこの世で自分だけが不幸とおもっちょるだろう? 自分は悲劇のヒロインで、他の人間はモブと見下しとるじゃろう? チミは井の中の蛙大海を知らずじゃ。そして空が広いことは知っておる。何事も経験じゃよ」
そう言って野沢先生は私の左腕を掴んだ。まるで万力のような力だ。
私は二人の前に突き出された。今日はバイトが休みなので、先生の戯言に付き合おうと思った。
「ん~、先生、あたしらになんか用?」
「つ~か、うちらに声かけんの先生だけだよね~」
赤星さんは机の上に突っ伏して、スマホをいじりながらけらけら笑っていた。
この二人もあまり他のクラスメイトと話している姿を見たことがなかったな。
「チミたち。平光くんに自分たちの話をするといい。彼女は母子家庭でね。生活は苦しいがスマホ代は稼げる環境にあるよ」
先生は私の背中をポンと押して去っていった。なんなんだろう。
「へぇ、平光さんね~。あたしらと話すのは初めてじゃね?」
「というか初めて見たわ~。こんなのいたんだね~、あはははは!!」
郷田さんは棒付きキャンディをなめながら、赤星さんは何がおかしいのかげらげら笑っている。
本当に不愉快だ。なんで私は彼女たちと話をしているのだろうか。
「母子家庭っていうけど、ママとは仲がいいわけ?」
郷田さんが訊ねた。興味津々といった感じだ。
「そうだよ。お母さんは毎日夜遅くまで働いているし、今日は休みだけど私もバイトに行っている。朝ごはんと晩御飯はきっちりふたりと一緒に取っているよ」
私は一気にしゃべった。早く話して去りたいと思ったのだ。すると郷田さんは感心していた。
「うらやまし~、なんて理想的な家庭じゃないの!!」
「え?」
「うちは両親いるけど、もう毒親もいいところよ。あたしが言うこと聞かないと殴る蹴るわの大惨事!!
中学時代は恥さらしだと言って監禁されて、餓死しかけたね。で親戚のおじさんたちに助けてもらったわけよ。生みの親は刑務所に入って早く出たけど、親戚からつまはじきにされて、行方不明になったってさ。ざまぁないわね~」
郷田さんは喜劇を見たように笑っていた。両親が子供を虐待するなんて信じられない。しかも子供を殺しかけるなんて。それでも郷田さんは明るくふるまっている。つらい過去を忘れたいためなのだろうか。
「まあ、うちはみずほほどじゃないけどね~。何せうちは男だもん」
「は?」
私は唖然となった。赤星さんは美少女と呼ばれてもおかしくない。男なんて嘘でしょう?
「男だよ。うちはジェンダーフリーだから、気づきにくいかもね。水泳もだぶついた水着だから体型がわかりづらいしね」
言われてみれば確かにそうだ。私も体型がぴっちりとわかる水着は嫌いだった。
「まあ、大野のやつはうちを目の敵にしているからね~。男のくせに男にモテるのがむかつくみたいだし~。つ~か男に襲われてまじビビったわ!!」
「あたしも弱い者いじめ嫌いなんだよね。注意したら村八分だよ。あっきーと一緒にね!!」
二人とも豪快に笑っていた。なんて強い人なのだろう。
私とはえらい違いだ。
「すごいな、二人とも。私は何にもないよ。お父さんが死んだときは悲しかったけど、親戚の人はたまに食べ物とか持ってきてくれて協力してくれてるのよ」
「別にいんじゃね? 人生は楽ありゃ苦もあるさっていうでしょ? 別にあたしらは不幸自慢なんかしたくないしね」
「そうそう、うちはみずほがいたからなんとかなったんだよねー、でなければ自己解決してたわ!!」
なんとも重い発言をしている。でも私は吹っ切れた気がした。自分だけが特別だと思い込んでいたのが恥ずかしい。野沢先生の言う通りだ。
幸せなんて自分自身以外わからない。他人には幸せに見えても、本人は悩んでいるかもしれないからだ。
以後、私たちは三人でつるむようになった。昼休みに一緒に食事したり、バイトがない日は二人と遊んだりしていた。実は二人ともなんちゃってギャルで、実際は真面目な性格だった。二人ともバイトで小遣いを稼ぎ、派手なファッションで身を守っていたのだ。私も二人の指導を受け、小遣いの範囲でおしゃれをするようになった。
クラスの大野さんは露骨に私たちを無視し始めた。他のクラスメイトにも私たちを無視しろと命令しているらしい。教師たちも露骨ではないが、関わり合いになろうとしなかった。
とてもつらい。でも私たち三人がいればなんとかできる。卒業まで我慢すればいいと思っていた。
☆
数か月後、うちの学校の校長と担任教師、そして教育委員会の人が逮捕されたらしい。
理由は生徒を勝手に退学処分にして、学校の責任を回避しようとしたためだとか。
大野さんはコンビニで万引きをしたら、逮捕されたという。
でも学校側としては生徒が犯罪者になり、学校の名に瑕がつくことをものすごく恐れた。
そして逮捕される一週間前に自主退学したように、書類を偽造したという。
もちろん大野さんの両親に知られ、激怒し、訴えたのである。
「意外な展開でしたね」
私は美容院に行って髪を切り、すっきりした顔立ちになっていた。お母さんも私がおしゃれをしたことで、喜んでいた。ちなみに休日には瑞穂と晃がうちにきて、手料理をふるまったりしている。
「出世欲に目がくらみ、人としての一線を越えてしまったのじゃよ。例え刑務所から早く出られても、失った信頼は戻らんじゃろな。家族や親せき、友人は離れていくじゃろう。大野さんも少年院に送致されたしのう」
野沢先生が言った。大野さんは万引きの罪で、1年近く少年院に収容されるらしい。成人と違い執行猶予や罰金がないのが、少年法の欠点だと先生は言っていた。
「けど、意外だよね。大野のやつが消えた途端、クラスの連中は普通に接するようになったわ。調子よすぎだわ」
「つーか、大野に逆らえなかったみたいだね。逆らったやつは全治何か月って子もいたらしいし、大野の親がもみ消していたみたいだね」
瑞穂と晃が言った。大野さんの親は娘の不祥事をもみ消していたが、それがばれてしまい、社会的地位を抹消されたらしい。すべては自業自得と言えた。
「わしは独身で出世はできなかったが、不幸とは思っておらん。わしには教職の他に、趣味もあったからのう。しかし出世欲は人の体を安易に蝕むわ。校長ももみ消すより、傷口を広がらないように配慮するべきじゃったのに……」
野沢先生は首を横に振った。自分の現状に満足せず、さらなる幸福を求める。その結果他者を顧みない傲慢な性格になってしまったのだろう。
とても悲しいことであった。
私たちが三年生になったとき、野沢先生は退職した。教育委員会を敵に回したので、日本にはいられなくなったそうだ。インドに渡り、趣味の囲碁を現地の住民に教えているらしい。
さらに一年後はインドでマハラジャのような生活を送り、奥さんとともにたくさんの赤ちゃんが写った写真を見た時は三人とも驚いたものだ。
平光琢海:怪物ランドの平光琢也。
郷田瑞穂:怪物ランドの郷田ほづみ。
赤星晃:怪物ランドの赤星昇一郎。
野沢雅彦:声優の野沢雅子。
大野智子:俳優の大野智。
なんとなく藤子不二雄A先生の怪物くんを意識しました。
野沢さんは二代目で、大野さんは実写ドラマで出演してました。




