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肖像画の依頼

 ローニャの義理の姉、エリーゼが「秘密の庭」を訪れたのはある雨の日だった。


(お渡しした絵に何か失礼なことがあったかしら)


 突然の訪問にローニャは動揺を隠せない。数日前にエリーゼがダンスを踊っている絵が完成し、ヴィルヘルムを通してエリーゼへ贈ったのだ。その絵に何か不備があり、苦情を言いに来たのではないかとびくびくしていたのだ。


「先日は素敵な絵をありがとう」


 身体についた雨露を払うとエリーゼはにこりと微笑んだ。


「ヴィルの言う通り、素敵な絵だったわ。今日はそのお礼を言いに来たの。それと、これはアレン様から」


 エリーゼが合図をすると後ろに控えていた侍女が可愛らしい包をローニャに渡す。アレンと言うのはエリーゼの婚約者の名だ。エリーゼに渡した絵の礼を何故婚約者のアレンから贈られたのだろう。ローニャの顔にそう書いてあったのか、エリーゼは言葉を続ける。


「先日頂いた絵をアレン様に見せたの。そうしたらとても気に入られてね、離れている時に眺めたいと所望されたからお渡ししたのよ。そのジャムはそのお礼にとアレン様が仰っていたわ」

「そうだったのですか」


 ピンク色の可愛らしい布で包まれたジャムは王都で流行りの物らしい。甘酸っぱい杏のジャムで手に入れるのも一苦労なんだそうだ。


「あなた、普段からこういう絵を描いているの?」

「こういう……と申しますと?」

「人物画よ」

「……そうですね」


 チラリとローニャが視線を送った先には布で覆われた何かがある。エリーゼがその布を捲るとヴィルヘルムを描いた絵が大量に置いてあり、エリーゼは小さな悲鳴を上げた。


「ヴィル様が『いくらでも自分を描いていい』と仰るので」

「そ、そう。仲が良いのね」


 動揺を顔に出さないようにエリーゼはにこりと笑う。どんな形であれ、仲が良いのは良いことだ。


「ローニャは人物画を描くのが向いているのかもしれないわね」


 エリーゼの言葉にローニャは目を丸くする。


「そうでしょうか」

「ええ。人物の特徴をよく捉えているけれどそれだけではないわね。貴女には人を見る目があるように思えるわ」


(人を見る目があるってヴィル様にも言われたわね)


 「人を見る目が備わっている」というヴィルヘルムの言葉を思い出す。ヴィルヘルムやエリーゼの言う「人を見る目がある」というのは「本質を見抜く力がある」という意味だ。

 人の外側、つまり容貌をそっくりそのまま写し取るという意味ではローニャよりも優れた作家などいくらでもいるだろう。ローニャが優れているのはその人間が纏う雰囲気や「その人らしい部分」を嗅ぎ分ける嗅覚や見分ける目だ。


「私の絵を見た時、アレン様は『君らしい絵だ』って言ったの。私もそう思ったわ。肖像画は今まで何度も描いて貰ったけど、今までの肖像画とは違う何かを感じたの」

「……」


 他の作家とは違う何か。その極めて抽象的な言葉をローニャは上手く消化できずにいた。絵を描くのは楽しいし好きだ。しかし、先のコンテストで賞を獲るまで「ローニャの絵は特別だ」と言われたことは一度も無かった。

 何とか参加費を工面してコンテストに出しても落選の日々。自分はごく平凡な絵描きで、それは趣味の範疇に留めるべきなのだと悟ったのだ。それ故に亡き父のように絵で生計を立てずにパン屋に働きに出たのだ。


(急にそんなことを言われても……)


 それが本音である。勿論、ヴィルヘルムが絵を認めてくれたのは嬉しい。しかしながら、自分の絵に本当にそんな価値があるのだろうか。そんな思いがどうしても拭いきれない。


「アレン様の妹に婚約者が出来てね、顔合わせはまだ先みたいなんだけど……。相手の方に貴女が描いた絵を贈りたいと言っているのよ」

「……え?」


 突然の申し出にローニャはぽかんとする。


「アレン様がメラニーに私の絵を自慢したみたいで、メラニーも婚約者に自分の肖像画を贈りたいって。お願いできないかしら」


(困ったわ)


 今までの絵は全て好き勝手に描いた絵ばかりで、誰かに頼まれて描いたことなど一度も無い。その上、顔合わせをしていないということは、婚約者が初めて目にするメラニーの姿がローニャ作の肖像画ということになる。もしも気に入って貰えなかったら……。


(そんな責任重大な仕事は受けられない)


「そんなに難しく考えないで」


 余程渋い顔をしていたのだろう。エリーゼは苦笑した。


「ヴィル様に相談してから決めても宜しいでしょうか……」

「勿論。急ぎではないからゆっくり考えて」


 エリーゼが去った後、ローニャはバクバクと鳴る心臓の音に耳を傾けた。


(評価して貰えるのは嬉しい。けれど、本当に私の絵なんか欲しいのかしら……)


 雨粒が伝う窓を眺めながら、急激に変化した自身の境遇について悶々とするのだった。


 ◆


「姉上がそんなことを……」


 ローニャから相談を受けたヴィルヘルムは意外に思った。祖母の影響を色濃く受けたヴィルヘルムと比べてエリーゼは芸術にあまり興味が無い。例の絵画大会でも沢山の絵の中から選定するのを面倒くさがり適当に目についたものを選んでいたのを知っている。

 ヴィルヘルムはローニャが描いたエリーゼの肖像画をただ自慢するつもりだった。それが何故か気に入られ、「欲しい」と言われた時は「そんな馬鹿な」と思ったほどだ。それどころか知らないうちに婚約者であるアレンの手に渡り、その妹君にまで話が行っていたとは。


(やはりローニャの絵は他の絵とは違う)


 ヴィルヘルムは思わぬ事態に驚きつつも鼻高々だった。


「どうしましょう……」

「やってみればいい」


 困った様子のローニャにヴィルヘルムは言う。


「やはりローニャには人を描く才能があるのだ」

「そうでしょうか」

「そう卑屈になるな。あまり自信なさげにされると君の絵を選んだ私の目が疑われる」


 「もっと自信を持て」とヴィルヘルムは言う。ローニャの絵は賞を獲った。名前も身分も伏せた上で正当な評価を得て受賞したのだ。その実力を疑うということは、それを「素晴らしい」としたヴィルヘルムの目が曇っていると言っていることに他ならないと力説した。


「堂々としていればいい。勿論、無理強いはしない。だが、折角『ローニャの絵を贈りたい』と言っている人が居るのだ。エリーゼの顔を立ててやってはくれないだろうか」


(こんなの……断れない!)


 「無理強いはしない」と言いつつローニャに断る選択肢は無い。


(ずるい人)


 結婚を控えるエリーゼの顔を潰す訳には行かない。エリーゼもこうなることが分かっていて依頼したのだ。ずるい姉弟だとローニャはため息を吐いた。


「……分かりました。お受けすることにします」

「そうか。良かった」


 不服そうなローニャの顔を見たヴィルヘルムは「そうだ」と呟く。


「姉上の我儘を聞いてくれた礼に、今度城の宝物庫を案内しよう。飾り切れない絵画が沢山置いてあるはずだ」

「……宜しいのですか?」

「ああ。気に入るかは分からんが」


 ローニャの瞳が宝石のように輝く。金貨の詰まった革袋や美味しい流行りの菓子よりも、城に余りある蒐集物を心ゆくまで堪能できる時間の方が良いとヴィルヘルムは知っているのだ。

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