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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第九話:たにはら さん

いつもご覧いただきありがとうございます。


 朝食は簡単に済ませた。初が味噌汁を作り、叔父が干物を焼いて米と海苔といただいた。思ったよりも手際のいい初に驚き、料理をするのかと問えば、たまに、と返ってきた。自炊は意外と金がかかる、買った方が安いものも今は多い、と主婦のようなことを言うので、一人暮らしなのだろうと思った。兄の話は出れど他の家族の話がないことを不思議に思いながら、涼子は緑茶を淹れた。そんな会話をしていれば、叔父に横から、祖母の話はもういいのかと尋ねられ、学生二人は春日を見た。


「いやぁ、なかなか気になりまして。もしお宿などがあればご紹介いただけないでしょうか? さすがに連日お世話にはなれませんからね、突然押しかけておいて今更ですが」

「いやいや、部屋は余ってますんで構いませんよ。しかしそんなに面白いものですかね」

「民俗学者からしてみれば面白いですよ」


 そういうもんですかね、と叔父が笑い、追加で二、三日の滞在許可を得た。涼子は実家に電話し、数日、遺品整理を手伝うと伝えた。あまり気負わないように、時間ができたらお母さんが行くから、と電話口の声にうん、と頷いて返した。先ほど同様に疑問に思った。昨日今日、初は家族に連絡をしていないが大丈夫なのだろうか。それとも、知らないところでしているのだろうか。男子はそんなものなのかな、と思い、くるりと振り返った。門の外、たばこを楽しむ春日の横で、初は寒さに体を上下に揺らしながら涼子の合流を待っている。一先ず靴を履いて駆け寄った。


「お待たせ、行こうか。春日先生もすみません」

「私はじっくり吸えるから全然待っていないよ」


 春日はゆったりと歩きたばこで進み始めた。びゅうっと吹く山間の風は痛いほどに頬を冷やす。コートの首回りに防寒具のない初は、防げない寒風に肩をぎゅうっと縮ませた。二軒先も徒歩だと少し距離がある。見えてはいるが、その距離と寒さを誤魔化すように春日は話題を提供した。


「ハジメくん、昨夜の寝心地はいかがかね。私は快眠だったよ」

「現実と夢の境がわからなくて困惑した」


 どういうことかと問えば、初は起きた時に確認したことも含め見たものを話した。思わず足を止めた女性陣に初が小さく震えながら首を傾げた。


「嶋貫さん、坪庭に何か埋めてあったとか、聞いてる? このへん、どっかに神社あんの?」


 初が歩き始めたのでその後をついていきながら、涼子は寒さにくすんと鼻を鳴らして答えた。


「坪庭に埋めてあるとかは聞いたことないかも。神社も山一つ向こうになるよ、このへんに神社とかあればお盆とか年末年始帰ってきても、なにかイベントあると思うし。でも私が帰ってきても家族総出で行くこととかはなかったなぁ」

「ほう、こうした山間の村では珍しいね。土地神、山神、そういったものを大事にしていなければ山の事故に怯え震えることになる。山に近い人々というのは信仰を大事にしているはずなんだが」


 ふむ、と春日が短くなったたばこをぎゅっと携帯灰皿に収めた。


「血縁かどうか不明な写真、それもハジメくんに守ってくれと依頼する女。夢は神社を示し、巫女が死んで埋められた場所にミズキくんは誘われた……。さて、ハジメくんの見たものはいったいなんなのか」

「あの、本当、この後いろいろ勉強しますけど、そんなに夢って重要なんですか?」


 勉強の姿勢を見せた涼子に春日は嬉しそうに近寄って新しいたばこに火を点けた。


「夢というのは、ノンレム睡眠、レム睡眠と分けたり、夢占いによって自身の深層心理を紐解くこともできるというが、夢は死との境界線とも言われている。ほら、ろくろ首を思い出したまえ。寝言に対して返事をするな、と言われたことはないかな? 幽体離脱など聞いたことはないかね?」

「あります。ふわーっと魂が家出するんですよね」

「優しい表現だ、好ましい。ある人によれば夢というのは次元を越えられるのだそうだ。現在、過去、未来、様々な情景を実は見ることができる、とね。デジャヴなどの経験は?」

「言われてみれば、あるような」


 たばこの火口がゆらゆらと揺れて雪の中にチェシャ猫の口のような軌跡を描いた。


「力ある者は、その世界を覗く力のある者は、ハジメくんのように夢で見ることができる。まぁ、ただ、本人の望まないところでもあるらしいけれどね。人によりそれを追体験とも言うらしい」


 追体験、と気になる単語をスマートフォンで調べた。他人の経験を自分の経験として捉えること、作品などからの経験もそう言えるらしい。聞いているとそれは超能力の世界のような気もするが、どうなのだろうか。


「ハジメくん曰く、霊が見せてくる、らしいが、私には正しいことはわからない。こういうのは見る本人がどう捉えているか、というのも大きいのだろう」


 たばこを愛おしげに唇で愛撫しながら春日がぼやき、足を止めた。


「ところで、一つ気になっていたのだがね、リョウコくんが強いとはどういう意味だい?」

「喫茶店で言ってた件ですね」


 うむ、と春日は口端から煙を零しながら頷く。初は寒さにカタカタと震えていてその場での会話を拒否し、一軒目を目指してざくざくと足を進めた。それを追いながら温かい格好をしている女性陣が質問を投げかける。


「鉈を持ったおばあさんが象徴を創りだしてとか言ってたよね」

「ハジメくんはいつも私を怪異に触れさせてくれないんだ」

「あのさ」


 非常に苛立った様子で初が振り返り、歯をカチカチ鳴らしながら震え声で言った。


「頼むから早く行きたいんだよ、マジで寒いんだって。ここでそんな立ち話する内容でもないだろ」

「初くんどうしてそんな薄着なの?」

「万年金欠だっつってんだろ! いい加減にしろよ本当寒いんだってば」


 あの家だよな、と初は一軒目を通り越し、歩く速さを上げてザクザクと道を進んでいった。涼子は小さく首を傾げ呟いた。


「万年金欠なのはどうして……?」

「あの子はお兄さんの死後、お兄さんと暮らしていたマンションに一人暮らしなのだがね」


 ぎゅっと携帯灰皿に吸い殻を入れ、春日が少し声を潜めた。苛立ちを雪面にぶつける初の後ろ姿に春日が何かを重ねて目を細め、それから歩き直しながら新しいたばこを摘まんだ指で涼子を呼んだ。


「お兄さんの遺言でハジメくんが大学に入学した場合、マンションの家賃は支払ってやってくれと書いていたものでね。家賃だけは支払ってくれているものの、水道光熱費や食費は自己負担、学費は奨学金という借金なのだよ。やぁ、この国は若者に優しくないねぇ」

「学費を親御さんが出してくれなかったってことですか?」


 小さな頃から学資保険などが積み立てられ、今現在も学費を甘えている身分である涼子には想像もできない負担に思えた。ライターではなくマッチを取り出してシュッと火を点け、大事にたばこに移しながら春日は濁った声で肯定した。マッチは雪に一度つけて完全に消火してからそれもまた携帯灰皿に捨てられた。ぽつりと空いた黒い穴はさっと蹴られて消えた。たばこに火を点ける方法だけでも多いのだと知った。すー、っぱ、と独特の音をさせて春日は目を細めた。


「お兄さんが死んだというのも、まぁいろいろあるようでね。これは調べればわかることだ、ハジメくんに直接聞くよりも、調べるという方法で君も知ろうとするといい」


 私から聞いたと言わないでくれよ、と春日は最後に付け加えた。調べられるということは、事件だったということだろうか。遺言という単語もあったのでもしかしたら、可能性はある。だとすれば確かにそれを尋ねるにはまだ初のことをよく知らない。遠目でもわかるくらい震えている姿に、流石に小走りで追いついた。

 遅い、と文句を言われながら生垣の途切れた場所に立った。こちらは日本家屋ではなく近代的な二階建て、窓も二重であったりと防寒も備えられている。インターフォンなのもまた、この雪景色の中では新しく思えた。表札はなかった。一応知り合いということで涼子がインターフォンを鳴らせば、暫くしてガチャリと受話器を持つような音と、男性の声がした。


「どちら様……、涼子ちゃんか。おはよう」

「おはようございます、突然すみません。あの、実は」

「お入り、一緒にいる方々も。今日は特に寒いだろう」


 返事をする前にガチャンと切れたやり取り、少しして玄関が開いてセーター姿の壮年の男が軽く手招いた。二の足を踏む涼子を置いて先に初が小さく会釈しながら雪を踏んで玄関へ行き、その足跡をよちよち踏んで春日が続いた。途中振り返った春日にたばこを持った手で呼ばれ、涼子も足跡を踏んで行った。そのたばこは入る前に吸い切られ、携帯灰皿に入れられた。

 中は綺麗だった。無駄なものがなく、床暖房とヒーターでしっかりと温められていて、なんということか、炬燵まであった。広々としたリビングのど真ん中に鎮座する炬燵は液晶テレビもよく見える位置だ。叔父の家よりも実家に近く、快適そうな空間につい見渡してしまった。にゃあ、と猫の鳴き声がして探せば、壁にキャットウォークがついていてその上からこちらを見下ろしていた。雑種だろうか、機嫌の悪そうな顔が可愛かった。


「猫アレルギーは大丈夫?」

「大丈夫です」


 涼子が頷き、春日も、初も同じように首を揺らす。ハイネックのセーターに薄手のカーディガンを羽織った男性は野良仕事をしている時とは違い品がいい。涼子はこの姿を初めて見た。

 緑茶しかなくてね、と言いながら置かれた湯呑は()()。炬燵テーブルの上に置かれた茶菓子は煎餅とマドレーヌの小袋だった。驚くことばかりだ、ここは涼子にとって街と変わらない対応がされている。女性陣はソファに座り炬燵に足を入れ、初はカーペットに座って足を入れた。男性は初の向かい側に座り、誰もいないところにそっと座布団を置いた。涼子でも流石にわかる、そこに護がいるのだ。


「見えてるんすね」

「君もそうだな。こちらは?」

「……兄貴です」

「憑りつかれているわけじゃなさそうだ」


 初は涼子と出会ってから初めて音楽を完全に止め、そういうんじゃないっす、と呟いた。男同士、茶を飲んでそのまま指先を温める。僅かばかり気まずい沈黙が下りて、春日がえへん、と喉を鳴らした。


「たばこは吸ってもよろしいでしょうか?」

「あぁ、灰皿を持ってきますよ」


 よっと立ち上がりガラスの重そうな灰皿を春日の近くに置き、再び炬燵に入って男性は涼子を見た。滲むような微笑は昔よく遊んでくれたお兄さんだった。


「昔怖がらせてしまってから、目も合わせてくれなくなって。あの時はごめんね」

「あ、いえ、その、なんのことかわからなくて困惑しただけというか」

「この人のことを聞きたくて来ました」


 初がさっと写真を取り出し、テーブルの上に置いた。男性は老眼鏡をかけてその写真を眺め、ゆっくりと息を吸った。


「たった一日で千鶴子さんに辿り着いたのか」

「たまたまです。本人にも会った。お守りください、って、なにを守るっていうのかがわからなくて困ってる。それから、このブローチ」


 リュックから取り出した桐箱を男性はじろりと睨みつけた。初はズッとテーブルを滑らせて桐箱を男性に寄せた。じっと男連中が黙り込んだので春日が喉を鳴らして視線を集めた。


「民俗学の教鞭を執っております、春日と申します。こちらは助手のハジメくん。このブローチがどういう経緯でこの場所にやってきたのか、少々気になりましてね。土地のことと合わせて調査をしているところなんです。涼子さんの叔父さんはあまりご存じないようでしたので、失礼とは思いながら……」

「前置きはいりませんよ、危険だとわかったからここまで来たんでしょう」


 男性は軽く手を振って春日の挨拶を遮り、初とその横に何度か視線をやった。


「悪いものではなさそうだけどな、守護霊扱いなのか」

「守護霊だってさ、初」

「……兄貴が幻じゃないってわかったことだけでもちょっと安心した」


 初がぽつりと零した一言に眉を顰めながら男性は指を組み、名を谷原だと名乗った。初も名を名乗り、春日は会話を眺めながらたばこを吸い始めた。


「坪庭を掘ってたのは谷原さんだな、あそこに何が?」

「護符を一つ、たった数日で使い物にならなくなった」


 待っていてくれ、とまた立ち上がり、神棚から持ち出してきたのはこちらも掌サイズの箱だ。蓋の上に札が貼ってあり、差し出されたのでぱこっと音を立てて開いた。初はそこから腐臭を感じ、涼子と春日は土のにおいを感じた。いくつもの小さな木に貼り付けられた札は何十年も土の下にあったかのように朽ちて、札である部分は半分以上が焼き切れて読めなくなっていた。護が覗き込んで眼鏡を直した。


「丁寧に力を込めて作られたんですね」

「目を逸らせないかと思ったんだが、もう限界のようだ」

「どのくらい持ったんですか? 初にも作れるかな」

「あの、すみません、初くんのお兄さん? と、谷原のおじさん、なにを話しているのかさっぱり」


 講義中質問をするように涼子が手を挙げて言えば、ごめんね、と何度目かの謝罪を口にしながら谷原が説明を担ってくれた。

 千鶴子は体が弱く、療養に来ていた谷原の家の遠縁だった。あの写真は体の弱い千鶴子が亡くなる前にと金を積んで当時は珍しい写真機を運んできて撮ったものだという。どんな人物だったのか詳細は不明だが、涼子の家の誰かが見初め、求婚した。だが、それが叶う前に亡くなったのだ。もしかしたらどこかで縁続きだったのかもしれないと思うと、不思議なものを感じながら涼子は湯呑を両手で握り締めた。

 次に初が元々ここに来た経緯を話した。涼子がブローチに触れて見た夢、瑞希が触れて見た夢、そして初の見た夢を話せば、谷原は腕を組んで唸った。君は見る力が強いんだな、そう零して千鶴子の写真を指差した。


「千鶴子さんのこの着物は、形見分けで婚約者だった涼子ちゃんの家系に渡ったんだ」

「これ、淡い緑の色なんですね? ……私が形見分けを受けているんですけど、返した方がいいですか?」

「いや、それはいい。うちは男兄弟で、戻されても着れる人がいないしね」


 涼子は少し浮かせた腰をソファに戻し、炬燵の中で足を伸ばし膝の違和感をぱきりと鳴らして誤魔化してから頷いた。


「このブローチも一緒に渡った、ってこと?」


 初が写真の帯を指差して問えば谷原はゆるゆると首を振った。ブローチは撮影の際、可愛いアクセントになるだろうということで、誰かが貸してくれたと聞いているそうだ。では誰が貸したのかが問題だ。涼子の家の者は知らず、谷原も少し聞いたことがあるだけ。結局出所が不明なのだ。初が桐箱を開けて、包丁を研ぐような音がするんです、と言った。谷原はじっと目を瞑り、首を振った。


「違う、これは榊を振るう音じゃないか?」


 榊、と言葉を繰り返して初は顔を上げた。


「巫女さんを見ました。嶋貫さんの叔父さんの家でも、夢でも」

「巫女さんか、神職、それなら榊も辻褄が合う。だとしたらなぜその音がこのブローチからするのか」


 ううむ、と唸り、谷原は茶を啜った。涼子はすっかり置いていかれていたが口を挟む余裕はなかった。知っていたはずの男性の違う姿にも困惑していたし、初が時々誰もいない方を見て堂々話していることにも驚いていた。この場所は初にとって聞こえることを誤魔化さなくていい場所なのだ。

 春日がぎゅっとたばこを潰しながら尋ねた。


「近くに神社やお寺はないんですか? 昔は流れの巫女なども多かったと聞きます。そうして人身御供や怪異にされた逸話も多いですよね」

「この辺りで人身御供は聞いたこともないが、隠されていたらわからないですね。見ての通りここは山、隠す場所は多い。神社も山一つ向こうだが……あるとしたら、一つだけ思いつく場所が」


 あるの? と涼子は驚いて目を見開いた。谷原はここから車で二十分、さらにそこから徒歩で登った先に古い神社跡があるという。曰く、山一つ向こうの神社は移転先なのだそうだ。祖父母から罰が当たるから行ってはいけないと言いつけられた場所が浮かぶらしい。実際、幼い頃そこに肝試しに行った友人や、どこから聞きつけるのかやってくる冷やかし目的の大学生など、体調を崩したことは知っていると谷原は話した。友人は回復した者、死んだ者が半々、大学生たちはその後来ないので知らないと付け加えた。死んだという言葉に涼子はゾッとした。


「行って、場所を確認したい」


 初が言えば谷原は首を振った。


「行ってどうするんだ。どう解決する? 今の状況になった理由もわからないまま、その場所に行くのは危険だと君ならわかるだろう」

「すみません、わかるように……話して……」


 おずおずと挙手し、涼子は恥ずかしそうに言った。谷原は苦笑を浮かべ、そうだね、と話した。


「要は、ブローチが切っ掛けだったとしても、どうしてそうなったのかわからないと、ただ目を逸らしたり、防いだり、上手くいけば封印するくらいで事態の解決にはならないんだよ。たとえば、この護符は坪庭に埋めさせてもらっていたんだが、これだって二日と持たなかった」

「それはなんのためにあったの?」


 ぽり、と谷原が頬を掻いて、涼子ちゃんが戻ってくると聞いたから、と気まずそうにした。涼子の叔父から怖がっているから会わないようにしてくれ、とわざわざ釘を刺されたため、こちらに来るのは知っていたらしい。だからこそ昨日、そっと見に来ていたのだ。

 それだけを聞くと少し引いてしまいそうな話題だが、初には意図がわかった。


「嶋貫さんを守るために埋めてくれてたんだ。たぶん、おばあさんの葬式の時からずっと、嶋貫さんが来ている時はやってくれてたんだ」

「……いや、こんなおじさんが気持ち悪いとは思うよ。ただね、気づいてしまったからにはやっておこうと思ったんだよ。あの時も、もっと言い方はあったとは思うけれど……いっそ怖がって来なくなる方が安全だと思ってね」


 かわいそうに、にげられないぞ、の言葉の裏にあった意味を知って、涼子は未だ恐怖は拭えないが、この人が昔のまま、気の優しいお兄さんなのだとわかっただけで十分だった。まさか護符を作れるような人だったとは思いもしなかった。

 何が切っ掛けで気づいたのか、と春日が問えば、谷原は困ったように首を摩った。谷原の家系は元々霊感のある者が生まれやすく、谷原自身もその血が強かった。幸い、母がそういったことに明るく、本人も扱いを心得ていたため谷原はやり方を習っていた。

 昔この集落では行商人や薬屋を重宝しており、そうした人々から手放す目的で持ち込まれる物も多かった。外を知らない村人は物々交換でよいと言えば、物珍しさに引き受けてくれる人が多いのだ。恐らく、涼子の家はそれで曰く付きの物を多く抱えているのだろう。谷原の家は代々それを鑑定するような職を担っていたわけだが、時代の変化と共にその役割は失われ、現在は街に出て仕事をしているのだ。

 だが、そうした今までに培ってきた仕事が、このお札に込められ、人知れず怪異から人を守るための防波堤になっていたのだろう。涼子の祖母もあまり眠れなくなったと言い、そのまま衰弱死した。何が原因かわからない叔父や涼子の母はただ老衰と判断し、深くは考えなかった。その実、ブローチという切っ掛けがあったことだけは誰にも知られなかったのだ。今回、涼子がその手に取って異変に気づくまでは、誰も。

 谷原は涼子が来る時だけ嫌な予感がして、小さなお守りを涼子の眠る部屋に近いところに埋め続けていた。聞けば聞くだけ気味の悪い行動ではあったが、足首を掴まれた感触を思い出し、その恐怖と比べれば些事に感じた。もはやこの数日で恐怖の感覚が狂いつつあった。

 涼子と谷原の少し気まずい沈黙が流れる横で春日は新しいたばこを吸い始めた。


「昔近くにあった神社について、調べることはできるのでしょうかね」

「知っている世代はもう、亡くなってますよ。涼子ちゃんのおばあさんが最後だったかと」

「谷原さんが聞いていたように、他に教訓や立ち入り禁止などで聞いている人もいないですか?」


 小さく首が振られた。春日はそうですか、と二度たばこを吸ってから言った。


「集落全体の結束が強かったんでしょうね。お互いを守り、監視するために」

「否めませんね。私ら世代からは街に出る者も多くなりましたが」


 涼子が息苦しいと感じた空気だ。どうしてそんなことをする必要があったのか、涼子は小さく首を傾げた。んふふ、と隣で春日が笑う。


「なぜなのか? と考えることは、いいことだ。リョウコくんも民俗学に興味を持ち始めてくれているとしたら嬉しいよ」


 春日の手がセクハラのように涼子の手を撫でた。



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