第八話:鍋
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山で採れた山菜と叔父の持つ畑で採れた白菜、それに肉と豆腐たっぷりの鍋は家も体も温めてくれた。祖母の家庭菜園は雪に埋もれて見えなくなっていた。
初は涼子の叔父に誘われて畑に向かい、収穫を手伝った。畑の土の上、麻紐で葉を押さえるように包まれていた白菜は凍っていて冷たかったがその分畑でそのまま保管でき、糖度が増して美味しいのだと、初は鉈を渡されながら説明を受けた。切り方を教わり鉈を不器用に叩き込み、どうにか収穫はできた。はじめてにしちゃ上出来だ、と肩を叩かれ、こういった触れ合いも久しぶりだった。
少しぎこちなくも男の子が家にいることが嬉しいのか、叔父は初におかわりを何度も勧め、初も汗をかきながらお椀を何度も空にした。締めに雑炊を作って出汁の一滴まで美味しくいただいて、後片付けは若者が引き受けた。
体が温まったからか、初の顔色が初めて良く見えた。
「たくさん食べてたね、お口にあったようでなによりです」
「嶋貫さんが作ったわけじゃないだろ」
責める口調ではなく呆れたような声に、そうだけど、と返せばきゅっと湯が止まった。洗い物が終わり拭くのも手伝いながら、初はぽつりと呟いた。
「誰かと鍋つつくの久々だった」
「ご家族とは食べない?」
「……兄貴がいた時はたまに」
それ以上は踏み込んでほしくないとでもいうかのように初が目を逸らす。興味はあるものの、ここに好奇心で踏み込んでいいものかがわからず、お茶を淹れよう、と涼子は電気ポットの湯量を確かめた。
「この家、良い意味で古い日本家屋なのに結構手が入ってるよな。見た目そのままに便利なもの、いろいろ入れるの大変だったと思うけど」
「みたい。それなりにお金も掛かってるって前にお母さんが話してた。でもおばあちゃんがいい年だったから、必要だし、今後のためにもなるしって、やったみたい。一番うれしいのはお風呂周りとトイレが綺麗になったことだよね。小さい頃は薪で沸かしてた気がする」
ふぅん、と言いながら初の視線はあちこちを見る。猫があらぬ方向を見る恐怖感のようなものを感じ、思わず腕を掴む。
「なに見えてるの……?」
「いや、ただ、外装から想像してた以上に綺麗にリノベされてるなって」
ややこしい。緑茶を淹れて居間に運べば熱燗を楽しむ大人二人が笑い合っていた。
「温暖化が進んでるって言ったって、ここみたいな田舎は、雪は変わらず降るんですよ。だからまぁ、便利になるのはいいことで」
「おばあさまはこちらで看取られたんですよね、大変なご苦労があったとお察しします」
「病院が遠いんでこの辺りじゃ普通ですよ。本当なら病院で死んでくれた方が、手続きはしやすかったんですがね……。いやぁ、でも、母は本当にぽっくりで。一週間前くらいからよく眠れない、とは言ってましたが……老人っていうのは睡眠時間も減るものだしなぁ、と。もう少し気に掛けておけばよかったですよ」
ちびり、と叔父が熱燗を啜り、哀愁が漂う。緑茶を置けば酒はそろそろ、と叔父は手放し、春日は御猪口に残った酒を取り上げられる前にぐいっと飲んだ。
「そうだ、涼子ちゃんも見たことないかもしれないな、おばあちゃんの昔の写真見るかい」
「あるの?」
笑いながら叔父が立ち上がり、書斎として使っている部屋へ向かう。その間に少しだけ密談をした。
「おばあちゃんの写真があるなんて知らなかった」
「ハイカラな方だったらしいからねぇ、写真館などに行って撮影したこともあるだろう。でも不思議だねぇ」
緑茶を啜り、春日はにんまりと笑った。
「写真一枚、写真館で、となると、当時はお安いものではなかったはずだよ。これだけの日本家屋をリノベーションするだけの資産も、リョウコくんの家系は資産家なのだねぇ」
「そんなことないと思いますよ。確かに母方は古い家系でもありますけど、うちは普通の一般家庭ですし」
両親共働きなので確かに余裕はあると思う。学費も甘えている状態で、自分のバイト代は旅行費に消える。祖母と叔父の二人暮らし、どのような稼ぎがあるのかは確かに知らない。酔いの心地良い雰囲気で叔父が何冊かの写真本と四角い缶を持ってきた。
「お待たせ、ほら、これだよ。よく撮ったなぁと思う」
さらさらした触り心地の台紙、本のように開いてみれば、古めかしい写真があった。縁は茶色がかり時代を感じさせる。今の写真とは違ってのっぺりとした顔に写るのは、技術なのか時代の顔なのか。上に髪を結いあげてすまし顔で、膝に両手をつっと載せている祖母の若い姿に笑顔が浮かぶ。
「わぁ、こうして見るとお母さんと似てる」
「だなぁ、姉ちゃんも年取ったからな」
叔父さん、言いつけるよ、と涼子が揶揄い、叔父が笑う。とてもいい関係性だということが感じられ、羨ましい気持ちを抱きながら初は缶に入った写真をめくっていく。ふと指が止まった。一枚を手に取り、じっと眺めた。耳元で護も、これは、と呟いた。
梅の木の下、耳のところにウェーブをつけた耳隠しの髪型、帯のところで三つ指を摘まんで姿勢よく立っている女性の着物は、遠目ながら桜だろう。茶色く変色した写真では色まではわからないが、この帯にあるブローチはもしや。初はそっとその写真を叔父に差し出した。
「この人、誰ですか?」
「うん? あぁ、これは、誰だったか……。昔はこう、写真の裏にメモを……ほら」
酒の入った頭でははっきりしないのだろう、叔父はううむと唸って写真の裏を見た。
「千鶴子さん、らしい。こんな写真あったのか」
「この人のこと、知ってる人とかいませんか」
「いやぁ、どうだろうな。村の中で聞いてみればもしかしたら。なんだい、美人だから気になるか」
「……そっすね」
初が目をじっと細めて写真を見ていて、叔父は笑って肩を叩いた。酔いに任せた勢いなのだろうが、持っていっていいぞと言われ、初はぺこりと首を揺らした。暫く写真で盛り上がった後、叔父は寝る、と言い部屋へ戻り、居間に三人が残された。涼子と春日の温度感は違うが、どちらも身を乗り出して初を問い詰めた。
「どういうことかねハジメくん、こういった女性がお好みかい?」
「なにが気になったの、この人のなにが気になったの!」
うるせ、と初はうっとおしそうに眉間に皺を寄せてから写真を三人の中央に置いた。
「さっき、部屋でこの人に会った。お守りくださいって、なにをとは言わなかった」
「この家にいたということは、血縁かな? でも叔父さんは知らなそうだったね」
「幽霊がいるってこと……!?」
ぶるりと震えた涼子に春日がバァッと両腕を広げて脅かし、怒られる。春日は楽しそうに笑った。
「そもそもだよリョウコくん。君は既にホラーだのオカルトだのに巻き込まれているのだから、幽霊の一人や二人、もはやあるものと捉えておく方が君のためだよ。ミズキくんがハジメくんをぽんと思い浮かべたように、何かしらの前知識というものは発想の取っ掛かりになるのだよ」
「ちょっと調べてみようとは思ってますけど、どうやってその前知識を得ればいいんですか? 私ホラー映画とか本当にだめなんですよ」
「書物はどうだね? ホラーにオカルト怪異譚、今時たくさんあるだろう。君の好きな英語圏で言えば、イギリスは幽霊と上手に付き合っている国だろう。座ったら絶対に死ぬ椅子とか、バーの幽霊指定席とか、妖精も多いねぇ」
「怖いものは怖いんです……」
「だからこそ知るんじゃないか」
春日はポケットからたばこを取り出し、初に睨まれた。許可は得ている、と勝ち誇った顔で火を点け、まだ鍋の湿気で温かい室内にもわりと煙が滲む。
「知らないからこそ、わからないからこそ人はそこに名をつけ、事象を解明しようとするんだ。知ろうとしなければいつまでも君はわけのわからないものに怯えて過ごすことになるだろうね。まぁ、知ったところで怖いものは怖いけれど」
厳しい口調で咎められ、涼子は畳の目を眺めた。
「巻き込まれたくて、こうなったわけじゃ」
「それはハジメくんも同じだとは思わないかね」
うっ、と言葉に詰まる。横の会話を無視して初は写真をめくっては気になるものがないかを探している。涼子もそれを手伝い、箱の中から取り出して写真を見やすいように並べ、春日がそれをのんびりと鑑賞していた。全ての写真を確認した後、初は頭痛を訴えるように眉を揉んだ。
「千鶴子さん、が気になる。直接声を掛けられたこともあるけど、何を守ってくれってことなんだろ。ここの家の血縁者が知らないんじゃ、外部の人を守ってってことでもあるかもしれないし」
「お母さんに写真、送って聞いてみる」
スマートフォンでカシャリと撮って、送った。そう間を置かずに涼子は母からの返信を受け取った。誰だかは知らないけれど、写真を撮った場所は二軒先の家じゃないか。庭にこんな梅の木があった気がする。二軒先、それは涼子に逃げられないぞ、と言ったあの男の家だ。経緯を含めて話せば、初は千鶴子の写真を除き、他の写真を片付け始めた。
「嶋貫さん、明日その二軒先の家に案内してほしい」
「……私も一緒にいく」
涼子は缶をぱこんと閉めながら言い、そっと持ち上げた。
「巻き込んだの、私だから。私も知りたい」
おやすみ、と居間を出ていくその背に春日が煙をぷかりと浮かべて笑った。
「センセ、俺が話してる間になに言った?」
「至極真っ当なことを言っただけだよ。お兄さんはなにか?」
「千鶴子さんの関係性は探ってみないとわからないだろうけど、この家の資産の理由は、センセはもう思いついてるんじゃないか? って。何が理由なんだ?」
「さすがは私の元教え子、良い勘しているよねぇ。うん、そういうものか、程度のスタンスで聞いてほしい。そもそもリョウコ君の叔父がどの程度の土地を所有しているか不明だが、まずは土地の運用、林業への貸し出しなどが収入としては考えられる。もちろん、デイトレーダーとして稼いでいる可能性も、山を下りて市街地で仕事をしている可能性もあるがね。ただ、民俗学の観点で言うならば、マレビト、ってやつなら面白い」
携帯灰皿にぎゅっとたばこを入れ、さらにもう一本取り出しながら春日は胡坐をかいた。
マレビト、金品のみならず資産、知識、様々な幸運をその土地にもたらすもの。眉唾な話も多いが、と前置きを置いてタバコの煙が春日の息を染める。
「これもまた伝承の一つ、明治頃まであったと言われている話だ。旅人や行商、多くは一人旅の者を狙ったようだけれど、温かく歓迎し一夜の宿を提供し、眠った頃合いを見て殺害、金品、積み荷を奪う。中には本当に仏の使いなどもあったことから、マレビト、ざっくりと外界の存在を指してそう呼ぶことが多いね」
「嶋貫さんの家がそれをやってた?」
「さぁ、どうだか。けれどいつからあるのかわからないもの、というのは様々な憶測を考えさせるものだろう。それを私は辿るのが好きなわけだが。お兄さんは他になにか?」
「楽しそうににやけて黙ってるよ」
んふふ、とたばこを吸って春日は笑う。すー、っぱ、と独特のリズムでたばこを楽しみ、鼻から煙をふかしながら尋ねた。
「君の見える世界はどうだい」
毎回、こういったことに巻き込まれると春日は必ずこう尋ねてくる。初は説明が難しそうに表情を曇らせる。彼は毎回そうだな、と春日も思う。
初はゆっくりと周囲を見渡した。この家、外観と中身の差が激しい。便利になっていることではなく、時代が違うと初は感じていた。女中がいて、村の者たちからの陳情がきていて、それを取りまとめる老人がいる。何かの儀式か、巫女服のような、神職に就いているだろう女が見える。さん、さん、と榊を振るう音が少しだけここの雑音を減らしているので、力ある巫女なのだろう。力を借りられないだろうか、じっと見ているのだが、どうしてもチャンネルが合わない。そうこうしているうちにざぁっと世代が変わり、涼子の祖母の洋装のハイカラな姿が、子供を生み、孫を膝に乗せるまでが見える。これは残影か。霊の残滓か。
どこかで名を呼ばれた気がして、ぱちんと目の前で猫だましのように手を叩かれ、ハッと息を吸う。
「食事の席だからとヘッドフォンを置いてきたのは、そろそろまずそうだね。立てるかい」
「……大丈夫」
「湯呑くらいは片付けておくから、君も休みなさい」
「片付けられんの?」
こら、と春日は銜えたばこでお盆に湯呑を載せ、立ち上がった。初は壁に手をついて体を支えながら涼子の祖母の部屋に戻り、ヘッドフォンをつけ、乱雑に布団を敷くとその中に頭まで潜った。
しんと寝静まった頃、ざく、ざく、と土を掘る音がした。障子の向こう、坪庭の方からだ。布団から顔を出し、そうっと抜け出して障子に指を掛ける。音を立てないように隙間をつくり覗き込めば、暗がりの中薄っすらと男の影が見え、不審に思い慎重に覗き込んだ。大きな音にならないよう、男がゆっくりと坪庭の地面を掘り返していた。そう深くは掘っていない。横顔は月明かりだけではよく見えないが、涼子の叔父ではない。恐る恐る手が伸びて、地面から何かを取り出した。男で影になりそれもわかりにくかったが、掌に乗るサイズの箱のようだ。もっとよく見ようと身を乗り出し、背後でかたりと物音がした。ぐるんと男がこちらを向いてざかざかと近づいてくる。まずい、隠れるところを、と振り返れば外だった。裸足で走った。雪の冷たさを微塵も感じず、とにかく逃げなくてはと思った。男は凄まじい速度で木々の間を走り、待て、待て、と叫ぶ。体中が痛かった。冷たい空気に晒されて枝にぶつかり草に足を痛めつけられ、いつの間にか増えた松明が取り囲むように広がっていく。
「こちらへ、早う」
女の声がした。呼ばれた方へ必死に駆けていけば、鳥居が出迎え、小さな神社があった。おいで、と巫女が手を振り、開けてあった拝殿の扉の中に転がり込み、ガタガタと震えた。その背後でぎしりと扉が閉まり、声を出さないように、と言われ、ただ頷いた。
しばらくして足音が響いた。大人の声がざわざわと響き、いたか、いない、と誰かを探す声がした。何事ですか、神聖な場所ですよ、と先ほどの巫女の声がした。何かを言い争い、男が突き飛ばし、本殿への階段に頭を叩きつけ、簡単に動かなくなった。
松明の燃える音だけが響いた。隠さなくては。誰かが言った。本殿の下でまたざく、ざく、と土を掘る音が聞こえ、埋められるのだとわかった。
本殿への階段が軋む音がした。来ないでくれ、やめろ、違うこれは、夢だ。
初! 誰かが叫んだ。
ッパン、と打ち合わせた音がして目を覚ました。自分の両腕が打ち合わせた形で止まっていて、それを開いて眺め、はー、と深い息を吐いた。どさりと落ちた手はばさりと布団を叩いた。昨日は平気だったというのに、たった一日、縁の深い場所に来たせいか急に呼ばれるようになった。寝て休んだ気もしないが時間は六時、天気も悪いのかまだ薄暗く、障子の向こうに明かりはない。スマートフォンのディスプレイの明かりに助けられながら障子を開き、廊下に出て坪庭を見渡す。女性陣の部屋はまだ眠っているらしくすーすーと寝息の音が聞こえ、初の隣の部屋は既に起きているのか人の気配がない。夢が気になって置いてあった草履を履き、初は狭い坪庭の中に立った。
小さな庭園、以前は手入れをされていたのだろうが、今は少しだけ寂れたように思う。蠟燭を立てれば灯篭になる小さな像の下を覗き込んで息を飲んだ。
掘り返されている。いつ、何が埋まっていた? 掌に載る程度の大きさ、あの男は夢ではなかった? ふるりと頭を振って廊下に戻り、部屋に入る。あの時、何が音を立てた。
もう一度布団から障子へ四つ這いで進み、障子に指をかけ、その時の体勢を再現する。音がしたのは左から。確認をするように見遣れば、昨日は整然と積み上がっていた箱が傾いていた。
「あの男は夢じゃない」
初は喉の渇きを覚えていた。
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