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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第七話:雪景色へ

いつもご覧いただきありがとうございます。


 解散した帰路、涼子は叔父に連絡をした。突然のことにもかかわらず、おいで、と言ってもらうことができ、友達を連れて三人で行くと言えばさらに驚かれたが布団を用意しておくと言ってくれた。それをグループチャットで伝えれば簡潔にわかった、集合場所指定して、と返事があった。既読が三つ、瑞希は足を挫いているので行けないことを悔やみ、春日はしっかりとついてくるらしい。

 喫茶店を出て解散間際、初が今日はゆっくり寝れると思う、と瑞希に言っていた。代わりに初が眠れなくなるのだろうと心配を言葉にすれば、どうにかする、と答えてさっさと帰っていってしまった。陽が落ちるのも早い。あの格好では寒かったのだろう。


 翌日、指定駅の改札前で待ち合わせをした。涼子が行けばまだ誰もおらず、数分して初が来た。昨日よりは厚手のインナーにコート、暖かそうな格好だが、やはり寒そうに見える。通学時と変わらないリュックにも首を傾げた。


「初くん、寒そうだね? 寒がり? これから行くところ、雪が積もってるんだけど大丈夫?」


 雪が染みそうなスニーカーに不安げに問えば、初はむっすりと答えた。


「万年金欠なんだよ。今回のことも解決したら依頼料取るからな」

「え!? お金とるの!?」

「当然だろ。危険を冒して協力してやってんのにタダで生き残ろうなんてうまい話があるかよ。このせいで俺はバイトだって行けないんだ、それも代わりに払ってもらうからな」

「お待たせしたね。若者は早くて感心感心」


 春日がフィールドワーク可能な動きやすい装備で合流し、涼子は金額を聞き損ねた。春日はリュックを背負い、山登りに適したポケットの多いジャケット、撥水加工のされている靴など、そういう専門の店で買ったのだろう。春日が切符を購入し初が、うす、と小さく首を揺らしてそれを受けとるのを涼子は見ていた。そういえば依頼料が高いと言っていたことを思い出す。これが本当に依頼なのだということをひしひしと感じ、電車移動の中、霊能者、依頼料、で検索をしたがピンキリで相場がわからなかった。契約書もないしどうなのだろうと考えたが、足首を掴んだあの感触が忘れられず震えてしまった。解決したら、と言われたので本当に大丈夫になってから、相談させてもらえたらいいな、と少しずるいことを考えた。相変わらず初のヘッドフォンからは音漏れがしていた。音量を指摘すれば初はむっすりとした顔で音を下げるが、さらにしっかりと耳を覆ってしまい会話ができない。電車を乗換え人が少なくなってくれば音も多少は許される。人から離れたところに三人で座り、揺れに体を任せた。車両の中には涼子たちを含め十人程度だ。涼子は少し声を潜めて尋ねた。


「そういえば、聞いていいかな。お兄さんが隣にいるって、今も?」


 昨日初がここ、と指していた場所を覗き込めばふぅ、とため息が聞こえた。


「あんた、オバケ苦手なんじゃないのかよ」

「苦手だけど、それよりも好奇心が勝っちゃって」

「いいことだ、学問も怪異も恋も、全て好奇心から始まるものだからね」


 んふふ、と春日は寂しそうな顔で言った。春日にもなにかあるのかと問えば、私はたばこが切れると悲しくなって泣いてしまうんだ、としょんぼりした顔で言った。降りるまで我慢してください、涼子はそれしか言えなかった。

 それで、どう、と涼子が問えば、初は椅子に深く座り込んで言葉を選んだ。


「今は俺の向かいに座って、にやにやしてる」

「声は聞こえるの?」

「俺はね。嶋貫さんとかセンセの声も兄貴には聞こえてる。ただ、兄貴の声があんたらに届かないだけ」

「どんなふうに見えてるの?」


 気になることが止まらず、涼子がまくしたてる。初はそれに押されながらゆっくりと話してくれた。兄とは普通に話すようにしてコミュニケーションが取れること。ポルターガイストよろしくおかしな動きで最近はお茶を淹れられるようになったこと。握り飯を置いておくと腹が満たされるような気がする、と兄が言っていること。初にはただ普通の人のように見えていて、会話ができる。初がヘッドフォンをしながらぼそぼそ話しているのは、何も歌を口ずさんでいるのではなく、兄との会話のためで、ヘッドフォンはそうした誤魔化しにも役立っているのだ。常にいるのは気疲れするだろうが、ことにより大学ではかなり有利ではないかと涼子は思った。その姿が誰にも見えないのならば、初が兄からテストの答えを教わることもできるのだ。そう言えば春日が笑った。


「実際、ハジメ君はうちの大学に入るのにその手を使ったんだよねぇ」

「それ、いいんですか?」

「幽霊が答えを教えてくれました。なんて誰が信じる? 私はあとでそれを聞いて笑ってしまったよ」


 教務課に言わなかったのかと言えば、それを言ったところで変人扱いされるのは春日の方だ、と耳を掻かれた。ふぅん、と唸った後、涼子はまた初を覗き込んだ。


「他の大学も行けたんじゃないの? なのに、その、うちなんだ?」

「大学がでかいから講義も選べるし、今住んでる場所から行くのにも利便性がいいし、なにより、兄貴の行ってた大学なんだ」

「そうだったんだ」


 もう少し聞こうとしたところで目的の駅に着くアナウンスが流れた。少し訛りのある節の利いた駅員の声はくぐもって聞こえた。

 都市線で各駅停車に乗って乗換駅へ、そこからローカル線で一時間半。さらに二両という短い単線に乗り換え、ようやく涼子の祖母の家がある駅に着く。いつも誰かの運転で来ていたので電車で来るのは初めてだった。駅員は週に三日しかおらず、今日は誰もいない。簡易改札機もないので入場記録をつけたICカードをどうすればいいのだろう。民俗学者としてフィールドワーク経験のある春日は切符を購入し、初もそれを渡されている。備え付けの切符を入れる箱に慣れた手つきで放り込むのを見て、涼子は寂しそうな顔をした。先に言ってほしかった。ここから帰る際、駅員のいる改札に行く必要があるだろう。ふぅ、と白い息を零して駅の外を振り返った。


 雪山というものはどうしてこうも悲しくなるのだろう。しんしんと冷えた空気は鼻の中が痛くなり、吐いた息は上に昇り切らずに消えていく。空気自体が重いのか、それとも含まれた水分の問題なのかはわからない。少し道を行って住居が増えればそうでもないのに、駅周辺には取り残された過去の空気が残っているような気がした。

 今は雪も止んでいるが、山を緩やかに上ってきたのでしっかりと積もっている。春日がリュックから手袋を取り出し、初に渡した。


「相変わらず君は防寒具が無いね。恵んであげよう」

「……どーも」


 値札は外されていてわからないが、紳士ものなので初のために用意したのだろう。やはりこの二人の関係性は教授と学生ではない気がした。けれど、何が正解かも不明だ。駅で十分も待ったところで車のクラクションが鳴った。叔父の迎えだ。並んでいる面子に驚いたらしく、挨拶より先に質問が出てきた。


「涼子ちゃん、友達って、彼氏か?」

「違うよ、大学の……友達と、先生」

「突然のことで申し訳ありません。民俗学の教鞭を執っております、春日と申します。ちょっとしたご縁がありまして、涼子さんのおばあさまのことをお伺いしたく、こうして来てしまいました。こちらは境くんです、私の教え子兼助手という感じでして」


 にこっと笑って愛想よく挨拶する春日の後ろで初がぺこりと首を揺らした。呆気に取られている叔父は生返事を返し、とりあえず全員を車に促した。涼子は助手席に座った。

 道中軽く事情を説明した。とはいえ、オカルト的な話ではなく、祖母のブローチを着けて大学に行ったところ、民俗学者の春日が気に入ってしまい、そのブローチの軌跡を辿ってみたい、という研究意欲からだと言った。その流れで春日は叔父にいくつか質問を投げかけていた。


「では、おばあさまが購入したものではないのですね? おじいさまからの贈りものでもなく?」

「そうですねぇ、もし買っていたり、贈られていたら、それを着けていたはずですからね。こんなド田舎ですが、母はハイカラでしてね。着物も着ていましたが、洋服もここでは誰よりも早く着てましたよ」

「それはお洒落でしたでしょうねぇ。では曾祖母、高祖母といったさらに先々代の方々なのでしょうか」

「さぁて、どうだったか……。まだまだ片付けが終わってないんで、もしかしたら何か出るかもしれませんけどねぇ」

「なるほど。そんなお忙しいところに申し訳ありません」


 いえいえ、と笑う叔父に春日は一度引いた。車の車輪で轍のできた道を行く。田舎ではあるが村民は多め、家も建て直されて便利になっている家もある。祖母の家にも床暖房のある部屋があったりする。景観を損なわずに入れるのは高かった、と前に叔父がぼやいていたことがある。文化財になりそうな日本家屋を高い修繕費を使いながらそこに残していることの重要さを、涼子はわかっていながらもジレンマを覚えた。

 途中数少ない小さなスーパーに寄って食材を買い足し、祖母の家、今は叔父の家に着いた。


「はぁー、これは立派なものですねぇ」


 門があって、その奥に日本家屋がある。車を片付けてきますんで、と叔父が裏に回り、角を曲がったところで春日がいつもの様子になった。


「ハジメ君、あの叔父さんはどうかな?」

「……普通に良い人なんじゃねぇの」

「白というわけか……」

「私の目の前で叔父を変に疑うのやめてください、というかそれなんの白黒なんですか?」


 失礼、と春日は悪びれずに言い、そわそわとポケットに手を突っ込んでたばこを取り出した。ここまで電車を乗り継ぎ、駅に着いてからも一本だけしか吸っていない。足りないのだろう。吹きすさぶ冷たい風からライターの火を守ってぱふ、ぱふ、と口の端から煙をくゆらせる。ふぅーと息を吹くタイプではないらしい。深く吸って、普通の呼吸で煙が白い息に混ざって体から出ていく。


「あぁ、雪景色を見ながらのたばこ、格別だねぇ」

「家の中で吸うなよ」

「縁側が楽しみだね」


 んっふっふ、と言いながら春日はじっくりとたばこを味わい、ざく、と雪を踏む音に振り返った。誰かいる。隠れたりもせず、ただじっとこちらを窺っている男に春日は眉を顰めた。視線に振り返った涼子は少し表情を強張らせた。かわいそうに、にげられないぞ、の声が耳に蘇る。


「あいつは?」

「ご近所さん。ちょっと苦手」

「……センセ、ちょっと行ってくる」

「ちょっと、待って、初くんどうして!?」


 苦手だと言ったのになぜ行こうとするのだと涼子は腕を掴む。初が口を開く前にぎぃと門が開いた。初の腕を掴む涼子におや、と叔父が笑いながら言った。


「お待たせしました、どうぞ入ってください」


 違うの、と言いながらも玄関に入り、家にあがる。リノベーションはされているので暖房がきいていて暖かい。スリッパどうぞと置いてもらい、板張りの廊下を進み、まずは寝る部屋に案内をされた。涼子は春日と同室の客間。初は男子なので別室だ。とはいえ日本家屋の特徴は襖で全て部屋が区切られていて、逆に言えば間切りはその一枚だけということだ。だからこそ坪庭を挟んだ向かい側に案内されたのだろう。初の横には叔父の部屋がある。

 初が通された部屋は家具や箱が積まれていて少しだけ狭く感じた。曰く付きのものをいくつか感じ、初はぎゅっとポケットで拳を握り締めた。ここは件の祖母の部屋だろう。お寺や神社で嗅いだことのある線香のにおいが部屋中に充満していた。その中に混ざる微かな鈍い酸っぱい匂い、死臭。まだ残っていることに袖で鼻を覆ってしまった。ヘッドフォンをぎゅっと耳に当て直し音を上げた。


「引き寄せられて集まったか、どの代か収集癖があったか、これは気になる家だなぁ。先生が喜ぶよ」


 初の隣で部屋中を見渡して兄、護が笑う。あの日失踪した姿のままの護、いつの間にか兄との年齢差は一つになっていた。もう死んで四年か、と初は物珍しそうに棚を見ているその姿を見遣った。見つけてくれよ、が護の体だろうことはわかる。ただ、それがどこにあるのかを初は見つけられていない。護にどこにあるのだと問い詰めてもそれはわからない、と言うのだ。

 突然失踪した護に、初はまず家族から嫌疑を掛けられた。優秀な兄を妬む弟の図が容易に浮かんだのだろう、離れて暮らす家族は兄弟がどのようにして生活していたのか詳しくはない。家族の連絡先を知らないため、初が警察を通して家族に知らせたことも疑われた理由だった。マンションに飛び込んできた父にまず殴られ、やり返した。母は兄の部屋で泣き、妹には聞き取れない声量で罵倒された。初の前に立ったのはもはや居ても意味のない幽霊の兄だけだった。父が兄をすうっと抜けてきたことに死の実感が湧いて家族の声が聞こえなくなった。もしかしたら、自分がこういう幻を望んだのではないかとも思ったが、護は机に置いてあったグラスをその腕を振って落として割った。いわゆるポルターガイストで抵抗したのだった。


「初、早速安全地帯をつくるとしよう」


 辛く苦い記憶を思い出して心に閉じこもろうとした初を護の声が呼び戻した。小さく頷き、初はジャカジャカ音を聞きながら周囲を見渡す。高価なものは既に片付けられたか蔵か何かに移されているのだろう。こういった大きな日本家屋ではものの保全には蔵の方が向いている。けれど、どういうわけかここには触れてはならないものが多い。遺言でそう指示されていたのか、叔父の無意識か初にはわからない。じっと隙を探った。中心の二畳の周囲を指先でぐるりと指して、両手を打ち合わせた。パキン、とヘッドフォンの向こうで甲高い音がして眩暈がした。くすり、と小さく笑う声がした。


「……くそ、兄貴だったら簡単なんだろうけど、笑うな」


 ふぅ、と膝に置いた両手を離し顔を上げる。そこに、薄緑の色合いに舞い散る桜柄の着物を着た女性が立っていた。ザッとヘッドフォンの音が止んだ。女性は裾を押さえ正座をすると、三つ指をついて洗礼された動作で深々と頭を下げた。


「……誰だ、名前は?」

『お願いいたします』

「名前を、教えろ」

『お守りください』

「名前は!」

「初くん?」


 ぶわっと音が戻ってきた。自分で上げていたにもかかわらず大音量の音楽に耳が痛くなり、咄嗟にヘッドフォンを首にずらした。返事をしないことにそろりと坪庭側の障子が開き、涼子が顔を出した。


「床暖房あるから、使い方教えようと思って。……大丈夫?」


 さっと見渡したが着物の女はどこにもいない。けれど、今首を傾げる涼子から逃げるようにして消えたのはわかった。部屋に入ろうとするのを手で制し、初は小さな声で大丈夫、と答えた。


「嶋貫さん、悪いけど、ここ入らない方がいい」

「もしかして、まだ何かある?」


 初が頷けば涼子は障子からも手を離した。困惑して部屋を見渡し、最後に初を見る。


「どうしてそんなのがおばあちゃんちに……」

「まだわからない。でも、こういう程度のものであれば、三、四代続く家にはどこにでもある。変な話、あのブローチが一番強くて、ここにあるものを押さえ込んでいたのかもな」


 確かめるように初がリュックから桐箱を取り出し、開けば、確かに違和感が小さくなったような気がした。いや、そんなこと感じ取りたくもない。涼子はぶるぶると首を振って話題を変えた。


「初くんにはどういう感じで聞こえてるの?」


 気になっていたことを問えば、初は音楽の音量を少し下げた。


「常に誰かが話してる。東京とか、渋谷とか、新宿とか、まぁその場所に限定しなくても、大きな駅とかビルの中で、とにかく人の多いところを歩くと、ざわざわしてるだろ。あれが常に、この辺でうるさい」


 初が耳を押さえて話し、次にヘッドフォンを撫でた。


「だから俺にはこれが要る。聞こえないふりをするために、聞かないようにするために必要なんだ」

「聞こえちゃうと危ない?」

「ものによる。ただ、反応をすると、聞こえてるんだと向こうにバレる。そうすると面倒なことについて来られる。言ったけど、俺には除霊とか、浄霊とか、そんな高等技術はないんだ」


 わかるような、わからないような。涼子は神社を巡ったり、少しだけホラー作品を見てみようと思った。ふと思い出して涼子は両手を叩いた。


「でも、これ、あの喫茶店でやってくれたやつ、これは違うの?」

「兄貴に教わった応急処置だ。追い払うだけで、わかりやすく言うなら倒すもんじゃねぇの」

「難しいんだね」


 しみじみ呟けば初からはため息が返ってきた。


「床暖房、あんたと春日センセの部屋にもある? 仕組み同じなら教えてほしい、寒い」

「そうだね、同じだからこっちの部屋おいでよ。叔父さんが今日はお鍋にしようって言ってた」

「……いいね」


 初はブローチをリュックの奥底に仕舞い直し、涼子に案内されて反対側の部屋へ行った。



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