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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第六話:ほんもの

いつもご覧いただきありがとうございます。


「誰も知らない赤いブローチとはまた興味深い。おばあさまの時代で持ったものだとしたら八十年ほど前、それより以前だとすればざっと昭和初期から大正にかかっていてもおかしくはない。果たしてその赤いブローチはどこから流れ着いたのか」


 春日は涼子の隣で何度も頷いた。しっかりと鞄で胸を守るのは変わらず、涼子はふむふむ言いながら焦点の合わなくなった春日に困惑して初を見た。そちらではヘッドフォンから音漏れをさせながら目を瞑っていて孤立無援状態に帰りたくなった。


「そもそも、春日先生の専門、怪異、ってなんなんですか?」


 春日はそうだねぇ、と生返事を返した後、アイパッドを取ってきた。


「妖怪を例に用いよう。たとえば、リョウコくんはろくろ首をご存じかな?」

「首の長い妖怪ですか?」

「そう、妖怪も私たち民俗学者からすれば楽しい分野だ。ろくろ首はなぜ首が長いのか、首が飛ぶのか?」


 質問に即座に答えられず、涼子は少しの間を置いて、そういう妖怪だから、と答えた。春日はふふふ、と得意げに笑い、アイパッドでろくろ首を検索して渡してきた。それを見ながら講釈を聞く。


「まぁそうなのだがね。一応説明をすると、ろくろ首は首に赤い斑点や筋がつき、夜な夜な飛び回り、書物によっては虫を食べ人の生き血を啜る、と書かれたものもある。それを、私のように怪異に惹かれた者の観点で説明すると、人の魂が抜けかけている、または抜けている状態、かつ、その状態に名をつけるために表されたもの、と変わるのさ」

「状態に名をつける?」

「いいところに食いついてくれたね。かつて人は異界と、怪異現象と常に接していたのだろうと私は考えているとも言った。昔、餓死もあれば凍死もあった。昨日元気に笑っていたはずの人が栄養失調で翌日には死んでいるなんてこともざらにあった。死が今以上に身近なものだったのさ。そうしてただ眠るだけのはずが死に瀕し、魂が抜けていく。浮かび上がる魂、それが首に見えたのだろうか。ろくろ首、あるいは飛頭蛮。人は現象に名をつけねば恐怖を感じ、受け止められない生きものでもあるからね」


 涼子はわかったような、わからないような、不思議な心地で頷いた。


「そうして現代で妖怪と呼ばれているものの多くは、過去の厳しい環境下で人が見た不可解な現象に対して名をつけられたものもあれば、教訓が学びとなって現代に生きているものもある。意外と誤解されやすいのだが、民俗学は一つの物事や事象、対象に対し変化を追い、現在に至るまでの経緯を紐解いていく学問なのだ」


 はい、と涼子は頷く。


「さて、ではなぜ、私の専門が怪異か。答えは単純、私には絶対に触れられない分野だからだ。憧れているのだね」

「それは、その、やる意味があるんですか?」

「……なかなか辛辣じゃないか。私の授業を取っていたら単位を取り上げるところだ。たとえばカッパ。こちらも各地で伝承が残っている。その本意は水辺は危険だから近寄るな、という教訓でもあるだろう。だが不思議とカッパに助けられた、カッパにお供え物をした、カッパに会った、という伝承も多く、今でも祀られている地域がある。果たしてそれはただの夢か、思い込みか。私は実際にそれにお目見えしたいと願わずにはいられない」


 少し混乱してきた。ともかく、民俗学では妖怪というものも、その存在の大本の成り立ちと現代へ生き残った変化の軌跡を辿っていくものなのだと言いたいのはわかった。春日は悔しそうに拳を握った。


「だがしかし、私にはそれを見る力がないんだ。私の目の前に広がるのは物質の世界だけ、そこにある霞を掴むことすら難しい。しかしながら、今私のそばには聞くことのできる青年と、怪異を持ってきた女子がいる!」


 両手で手を取られ、涼子は驚いて手を引こうとした。強く握られていて叶わなかったが、春日は気にもせず視線を初に送った。


「ハジメくん、私もブローチを触って大丈夫そうかな?」


 まるで可愛い子供を撫でるように春日の手が涼子の鞄を撫でた。今まで沈黙を貫いていた初は首を振った。


「センセは止めといた方がいい。あっという間に死にそうだ」

「しかし、誰かが身代わりにならねばミズキくんが危ないのではないかな?」

「どういうことですか?」


 思わぬ話の流れに涼子は食いついたが逆に春日には驚きだったらしい。眼鏡の向こうできょとりと大きな目が瞬いた。


「嶋貫さんはオカルトとかホラー、苦手だって言ってた」

「なんと。どうりで反応が鈍いと思っていたよ! しかし、望む者は手に入れられず、望まぬ者の下へ流れ着くのはなぜなのだろうね」


 不本意そうに言い、春日は腕を組んで足も組んだ。


「君が見なくなった夢をミズキくんが見るようになった。これは何かしらの呪いのようなもの、ターゲッティングのようなものが、一時的に君から外れただけの可能性が高い。ミズキくんが耐えられなくなって死ねば、次は再び君だろうと思う」

「それって、だから身代わり……? 死ぬ……?」


 話に置いていかれて呆然としたが、春日の説明するところによると今回の場合、赤いブローチを起点にして事象が発生しており、最後に触れた者が夢を見ている。では、夢を見る者がどうかなってしまった場合、それはどこに返ってくるのか。涼子は鞄をあさった。


「それなら、私もう一度触ります! 三、四時間だけど私は寝られるし、触ったら瑞希の方にはいかないんでしょ?」

「あんたも止めといた方がいいよ」


 初が言い、涼子はどうして、と苛立たし気に尋ねた。春日は突然立ち上がると初の隣にどすんと座り、その視線を求めた。


「ハジメくんの見解を知りたいなぁ。だめだという理由がもちろんあるのだろう」


 問われた初は、ちら、と視線が誰もいない方を見て、何かを訴えるように睨んでいる。思案しているだけの顔にしては不機嫌そうだ。少しだけ言い淀んだ後、ヘッドフォンを首に掛けて言った。


「嶋貫さんの鞄から、ずっと、包丁を研いでるような音がしてる」


 包丁を研ぐ、という行為をしたことのない涼子には想像がつかなかったが、春日がアイパッドでシュリッシュリッと音を立てて包丁を研ぐ料理人の動画を見せてくれた。耳を澄ませてみても涼子には聞こえない。


「本当にそんな音がしてるの?」

「……信じなくていい、俺は俺に聞こえたまま言っただけ」


 ヘッドフォンを耳に掛け直す初に小さくごめんと謝った。噂の真偽は置いておいて、助けてくれと捕まえた側の態度としてはよくなかった。けれど、どうすればいいのだろう。最後に触った者が危険だというのなら、瑞希はどうにかなってしまうのか。そもそも赤いブローチが原因だとして、それを解消するにはどうしたらいいのか。ここに至るまでにその解を得られていない。春日は延々と講釈を述べたがり、初は沈黙を貫く。間にもう一人欲しいと思ってしまう。涼子の不安を知ってか知らでか、春日が立ち上がってコートを羽織った。


「とりあえずミズキくんに会いに行こうか。ハジメくんも今まさに、な人を前にすれば音が変わるだろう?」

「行きたくない」

「どうして、お願い」

「レポート終わってないんだよ」


 レポート、と言葉を繰り返す。試験ではなくレポート提出の講義は多い。なんとか論だとか、なんとか学とつくものはその形式が多い。初の視線がちらりと春日を見た。


「民俗学のレポート免除してくれるなら行ってもいい」

「君のレポートには大変興味があるが、致し方ない!」


 そんなことで単位の取得を約束していいのだろうか。涼子は目の前の取引に呆れてしまい、OG、OBがゼミに入ったら教員と仲良くなっておけ、と言った意味を垣間見た。春日はリュックを背負い、涼子を振り返った。


「ミズキくんに連絡をお願いできるかな?」


 涼子は促されるままにスマートフォンを取り出して瑞希にチャットを打った。間を置かずに瑞希からは返信があり、噂の男子学生はわかるが民俗学の春日が来るのはどうしてだ、と困惑を返された。電車の中、わかるよ、と同意を示してから掻い摘んで説明をすれば納得は言っていない様子だったが喫茶店で会おうとURLが送られてきた。どちらかというと社会人が打ち合わせに使うようなシックな喫茶店だった。椅子が低く、机が小さく、クラシックが流れている喫茶店に入り、待ち合わせをしているのだと伝えれば、店員がきちんとあちらのお客様でしょうか、と促してくれた。瑞希はぺこりと春日に会釈をして苦笑を浮かべた。


「御足労いただいてすみません、春日先生。あたしの部屋狭いし散らかってるんで」

「問題ないですよ、足を挫いているのにごめんなさいね。早速ですけれど、お話を伺ってもいいですか?」


 涼子は目を瞬かせて春日を見た。ちゃんと会話ができる人だったのだ。確認するように初を見れば真っ青な顔で女性陣から一歩離れている。道中寒かったのかもしれないが伏せられた目が虚ろにすら思えた。


「初くん大丈夫?」

「大丈夫じゃない……帰っていいか」

「だめですよ、君だってこの件は渡りに船でしょう」


 きりっとした春日に呼ばれ、全員が座る。春日は好きなものを頼みなさいと言い、涼子と瑞希はメニューを開いた。寝不足の瑞希はブラック、春日と涼子はカフェラテ、初は紅茶を選んだ。飲み物が並んで、春日はさて、と眼鏡を直した。


「突然私が来たことで困惑もあるでしょうから、さくりとお話しましょう。瑞希さん、どんな夢を見るんですか?」


 本当にさくりと本題、と瑞希は呟き、涼子が話して聞かせた内容と同じことを話す。眠ると鉈を持った老婆に追われること、徐々に近づいてくるので恐ろしくて堪らないこと。ホラーやオカルト好きゆえに最初はワクワクしたが、眠れないのは辛いこと。足首を掴まれた気がして、まずいかもしれないと思ったこと。春日は身を乗り出して親身に相槌を打った。

 一頻り話が終わると春日は隣の席の初を振り返った。


「それで、境くんはどうです?」

「本当に幽霊の声とか聞こえるの?」


 瑞希も興味津々で問えば、青い顔をした初が言った。


「鉈を持ったババァに追われるなんて嘘だろ。大勢の村人みたいな、たいまつを持った、山狩り、叫ぶ声がして、寺の床下に隠れた。誰かに手を引かれて、もっと奥に」


 涼子が首を傾げる横で、次は瑞希が顔色を失って膝の上で手を握り締めた。


「嶋貫さんは元がそれなりに強いから鉈を持ったババァっていう象徴を創りだしてある程度逃げられる。でも、あんたは元が弱いから、引き込まれる。どこまで踏み込んだ?」

「……真下まで」

「センセ、手を引いた方がいい」


 リュックを背負いながら立ち上がり、初は呟いた。


「好奇心は猫をも殺すってやつ。心霊スポットに肝試しに行って本当に呪われる馬鹿と一緒。怖いもの見たさで見られたならよかっただろ」

「こんなことになるだなんて思わなかったんだよ!」


 ガタン、と立ち上がって叫んだ瑞希の声は店中の視線を集めた。座って、と春日が促し、周囲へ会釈をする。初もパーカーを引かれて仕方なく座り直した。


「瑞希、見たものが違うの? どうして正直に言ってくれなかったの?」

「……ホラーとかオカルト好きだけど、自分がその立場になるのはちょっと違ったっていうか。なんとなく原因それじゃないかなって思いつつ、内容が違ったら助けてもらえないと思ったっていうか」


 違うのが怖かったから、と呟く言葉に涼子は理解を示した。涼子自身こういったことに巻き込まれるのは初めてで、知識はあっても瑞希も初めての経験に怯えるだろうと想像ができた。目の前で女子二人がお互いの傷を慰め合っていれば、春日がたばこを取り出した。


「吸っていいかな? そろそろ泣きそう」

「どうぞ」


 ニコチンが切れると悲しくなる方でね、と春日はたばこを銜えライターで火をつけた。じり、と先が燃えて口の端からふか、と煙が零れる。すぅっと深く吸い込んで軽く息を吐く。じっくりと味わうようにして二回ほど楽しみ、春日は目を開いた。


「さて、どうしようかな。鉈を持った老婆ではなく山狩り、それも追う者と逃げる者があって、加えて逃げた先で誰かに引き込まれるときた。うーん、確かに首を突っ込まず、犠牲者二名で済ませた方がいいかもしれない」


 その犠牲者というのが涼子と瑞希なのは言うまでもない。瑞希が机に手を突いて身を乗り出した。


「きみ、境くん、霊能者なんでしょ? どうにかしてよ」

「無茶言うなよ。除霊とか浄霊とか、いわゆるお祓い的な専門的なことはやってないんだ」

「どういうこと?」


 んん、と春日がギリギリまで吸ったたばこを灰皿に置いた。


「私もこれは境くんに聞いて初めて知ったことなのだけれど。声が聞こえる、姿が見えるからと、付随してお祓いの力を持つわけではないのですよ」

「じゃあハズレってことですか。どうしよう」

「そう結論を急がないで。これは受け売りですけどね、突如発生する呪いや心霊現象はないんですって。だから、今に至るまでの軌跡を辿れば、どこかで解決の方法がある、らしいですよ」

「……変化した軌跡を辿る、赤いブローチの軌跡を辿るんですね?」


 そのとおり、と春日が二本目に指を掛けた。


「それを私は物質の世界から、こちらの境くんが霊的な世界からするわけです。赤いブローチを出してもらえますか?」

「センセ、あんたも弱い方なんだぞ」


 目の前のやり取りを見ながら涼子は恐る恐る桐箱を取り出して机に置いた。


「私が触れれば私が鮮明にその事象を見ることができる。日頃経験したくともできないことをできるんだ、喜んで呪われよう」

「……収入減に死なれちゃ困る」


 桐箱に手を伸ばした春日より先に、それを初が掴む。ぶわっと一気に冷や汗をかいて震え始めた姿に声を掛けようとしたが、深呼吸をしてそれを収め、初は箱を開いた。桐箱の中でブローチが美しく輝いていた。その磨かれた赤に指を置いて、ぎゅっと目を瞑った。

 涼子はその瞬間、ギシリと何かが軋む音を聞いた。喫茶店のクラシックが止んで、椅子とテーブルとティーカップ、座っている四人が真っ暗闇に突然追いやられたような感覚がした。えっ、と声を上げることもできず、ひたり、ひたり、と足音を感じた。体が動かない。振り返ることもできない。ただ音だけが聞こえる。

 どうして、と誰かの声がした。ずり、と土の上で体を引きずるような音が響く。背後から、徐々に近づいてついには足元で。ざらりとした感触が足首を掴んだ。その手は地面を掻いていたからか擦り剥け、土が入り、じっとりとした冷たい濡れた感触と共に砂を残す。

 なんで、だました。何の話かわからなかった。耳元で恨みを込めた声が響く。

 絶対に、許さない。

 ぱんっ、と手が打ち合わされ音が響き、その衝撃で息を吸う。クラシックが戻ってきていた。思わず足首を確認したが、濡れたものも、砂も何もついていなかった。体温が下がっていて、暖房の利いた店内でぶるりと震えた。手を打ち合わせたのは初だった。両手を合わせた姿で三人を見渡して安堵の息を吐いていた。


「今の、なに?」

「もっと深いところの声。あれが俺に聞こえていたもの。あんた、家族構成は? このブローチはどっちの親の祖母の形見?」

「両親と、母方の叔父と、父方の兄弟家族。ブローチは母方の祖母のもの」

「その母方の叔父ってのはどこにいんの」

「今も実家、母の故郷。祖母が亡くなって今は一人でいるよ」

「そこ、明日行ける? とりあえず連絡先教えるから行けるかどうか、わかったら教えてほしい。早い方が助かる」


 明日? と困惑しながら、先ほど自分の身に降りかかった何かが急がねばならないという気にさせた。わかった、叔父に連絡する、と連絡先を登録しながら答えれば初が桐箱をリュックに入れた。


「これ、俺が預かる。もしかしたらあんたの手に戻らないかもしれないけど、いい?」

「……はい。でも、どうするのかは知りたいんだけど」

「どうなるのかは俺にもわからない。ただ、もう少し静かな場所で相談したい。外はどうしてもうるさいから」

「相談なら一緒に行った方がいいよね、どこに行くの?」

「あぁ、いや、あんたじゃなくて。俺の兄貴に相談するんだ」


 意図がわからずに首を傾げれば、視線を泳がせてから覚悟を決め、初が言った。


「……死んだ兄貴が隣にいるんだ。俺より、専門家だった」


 ここ、と指差された場所を見ても誰もいない。けれど、もう嘘だとは思わなかった。



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