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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第十五話:はじまりの怪異のおわりとはじまり


 春は突然やってくる。人にも、季節にも、求めるものにも求めないものにも、なにかしら平等にやってくる。もはや恒例となった早咲きの桜が咲いて、新しい学期が始まる。

 大変な目にも遭ったが、二、三日寝て起きればあっという間に日常に戻った。レポート提出、テスト、成績を確認、履修内容も予定通り。この学期から早ければ三年の間に内定をもらう人もいるので本格的に将来について考えなくてはならない。そんな現実と向き合いながら涼子は新しくおろしたスプリングコートを羽織ってご機嫌だった。若葉色のコートは春の気候と合っている気がしてよい買い物をしたと思う。


「こういうコートには、ぽんっと出すのに、人間って本当、無形のものに出し渋るものなんだなぁ」


 あの電車の中、報酬を支払うことに少しの間悩んでしまったことを申し訳なく思いながら、涼子は大学の最寄り駅に降り立った。二年の最後の学期も無事に単位が取れ、今年は通学する時間がもっと減る。その分を就職活動に回すか、もう少しバイトをするか、悩ましいところだ。現実逃避をしたくなり、大学に来る日は友人との語らいとお茶を大事にしたいと思いつつ、いつものカフェテリアに行けば、こっち、と手を振る人がいた。ベリーショートの髪型はそのまま、パッチリメイクの女子が笑う。既に時間は十時半、こう挨拶するのも微妙な時間だが、つい言ってしまう。


「瑞希、おはよう!」

「おはよぉ涼子、そのコート、良い色じゃん!」


 でしょ、と笑い、コートを脱いだ。就職活動も視野に入ってきたのでコートの畳み方などをネットで調べ、実際に畳んで背もたれに置けば、できる女子、と揶揄われて笑った。

 あの後、瑞希は一週間様子を見てから退院した。医者は高熱の原因をわからないと言い、その後の回復にも首を傾げた。足を捻挫したり、高熱で倒れたり、両親は随分心配していたようだが本人はけろりとしたものだった。入院している間に試験が一つあったため、単位は一つ落としてしまったが、それは今期でも取り返せる程度だ。

 支払いについて連携をすれば瑞希は直接渡す、話す、と息巻いて、春休み中に初と再会し、支払った。涼子が共有したこと以外にもオカルト好きとしては聞きたいことが多かったようで質問が多く、初は金を受け取ってさっさと帰らせてくれとはっきりと言葉にもしていた。瑞希は気にした風もなく、頬杖をついて初を眺めて言った。


「だめだ、って腕を掴んでくれた夢を見たんだよ、かっこよかったなぁ。その後はぎゅっと腕に抱いててくれてさ、あれ初くんでしょ?」


 好きんなっちゃうよ、と瑞希が指を寄せれば、初は呆れた様子で首を振った。


「それ、谷原さん」


 誰、と尋ねる瑞希に、叔父さんの家の二軒隣のおじさん、と答えれば大笑いして、夢ってすげー、と楽しそうな様子に涼子も釣られて笑い、初は真顔でそれを見ていた。その視線に冷ややかなものを感じ、尻すぼみに笑いは収まった。説明の上手くない初の話だけでも、危険だったことはわかっていたのに申し訳なくなって謝れば、小さくため息を吐かれた。涼子と瑞希は気をつけようね、と頷き合った。

 初に謝礼の三万を払ったところで瑞希の突発旅行の計画に支障はなかった。涼子と行った旅行だけではなく、気の向くまま弾丸旅行をし、土産を買ってくるバイタリティをみせた。毎回初に土産を渡す口実で会いに行っては変なものが憑いていないか確認をする姿に、瑞希も怖かったのだろう、と涼子は思った。初は俺を利用するなと言い大丈夫かどうかも答えなかったが、青くなったり冷や汗をかいていなかったりでなんとなくわかる。その判断基準をもって初を利用していると知っているだろうに、それでも会ってくれるのだから根は優しいのだ。手の中で護符の焼き切れていくのを感じた涼子としては、なにかないとわかるだけでとても有難かった。

 個人チャットでやり取りをせず、春日を含めたグループでチャットをするので、涼子も呼ばれ土産と話を聞けて、それはそれで楽しかった。初は慣れない関係に戸惑いながらも少しずつ話すようになった。春日は私も混ざりたいと言いながら、来期の準備に追われていて参加できなかった。

 土産や履修の話を会う口実にしていれば、ひょんなことから初のバイト先も突き止め、女子二人で食事に行ったりもした。炭火焼き鳥の店で、がやがやと賑わい、うるさく、会話するのに声を張らなければならないが、これならヘッドフォンを着けなくても大丈夫だろう。こうした店で食べる焼き鳥が美味しいのは新発見だった。ハマってしまい、準常連くらいにはなった。


「あたしね、今期、民俗学を取ったんだ」


 瑞希の会話に炭火の香りがする思い出から戻ってきて、涼子は奇遇だね、と笑った。


「私も取った、春日先生の」


 ふふっと笑い合い、買ったばかりの指定参考書を見せ合う。


「わからないところあったら初くんに聞こ!」

「教えてくれるかなぁ」

「そこはほら、怪異経験仲間ってやつで」


 やだなぁそれ、と涼子が笑い、瑞希も笑う。


「噂をすれば、おーい、初くん!」


 大きく手を振る瑞希の視線の先を追って振り返れば、ヘッドフォンをしっかりと耳に当てた初がいた。使い込んだリュックと履き古したスニーカー。相変わらずのパーカーで、髪型だけがさっぱりとしたツーブロック。新学期前に髪を切りに行って、薄っすらバームで整えている髪は今日はあちらこちらに向いていない。元々の髪質が柔らかいからか、節約なのか、量は使わないようにしているとちらりと聞いた。

 隣に誰もいないのに、誰かが教えてくれたようにこちらを向いて、少し悩んでから歩み寄ってきた。ジャカジャカという音漏れはいつものこと、護に呼ばれているぞ、と教えられたのだろうと思い、涼子は初の横に視線をやって小さく手を振った。初はヘッドフォンを首に掛け直した。


「逆、そっちじゃない」


 初は逆側に視線をやり、こっち、と示し、涼子はそこに向かってどうも、と会釈をした。じっと黙って涼子と瑞希を見て、特に会話がないならと立ち去ろうとした初を慌てて椅子に座らせた。


「雑談くらいしていきなよ、ねぇ?」

「……次の教室が遠いんだよ」

「私たち今期、民俗学取ったんだよ」

「……センセの授業、あれでレポート採点、かなり辛いぞ」


 ぎょっとして顔を見合わせ、教えて、助けて、と女子に縋られて初は心底面倒そうにした。普通女子に頼られたら頑張るもんでしょ。瑞希が言えば、初は忙しい、とにべもなく言った。


「初くん、次の授業なんなの? 教室遠いってどの授業だろう」

「……刑法総論」

「あんたマジで法学部なんだ……」


 っち、と舌打ちをする態度の悪さを指摘することもなく、涼子と瑞希は刑法総論がなにを勉強する授業なのかを調べ始めた。教科書ないの、と言えば、忙しいと文句を零しながらもリュックから出して付き合ってくれた。一頻り刑法総論で盛り上がった後、涼子はふと尋ねてみた。


「谷原のおじさんと連絡取ってる?」


 前後の繋がりが全くない話題にさすがに眉を顰め、初は教科書を回収しながら首を傾げた。ほら、いろいろ話してたから、気になって、と付け加えればちらりと瑞希を見てから初が視線を戻した。


「この間こっち来てた。土日」

「聞いてないよ」


 言う必要があるのか、と初が再び眉を顰め、女子二人は身を乗り出した。涼子は教えてくれたら私も会ったのに、と文句を言い、瑞希は私を腕に抱いてくれた人だよ、会いたいじゃん、と懇願し、初は困惑した様子でリュックを閉めた。


「谷原さんだって、また叔父さんに怒鳴られちゃ困るだろ」

「バレなきゃいいんじゃないかな。それに私、なんだかんだでちゃんと、お礼、言えてない」

「あー護符? お守りだっけ。やっぱりあたしも会ってみたいなぁ!」

「遊んでたわけじゃないっつの……」


 女子二人に連絡しろ、次は呼べ、と迫られて初は立ち上がった。もう一度、遊んでいたわけじゃないと言い張ったが、片方はオカルト好き、片方は遠慮をなくしていて歯止めが効かなかった。いい加減うるさいと言いながら時計を確認、目を見開いてリュックを背負った。教室が遠いからショートカットしようと思ってここを通ったんだ、と初が歩き出したところで、涼子が呼び止めた。


「待って、ごめん、これだけ聞かせて。あのさ、気になってたんだ。初くん、どうしてこの大学の七不思議のひとつなの? 最初の切っ掛けって、なんだったの?」


 あの教室には自殺した学生がいまだにいる。

 この木の下で告白をすれば結婚ができる。

 裏の門から夕五時ぴったりに出ると財布を落とす。

 そんなよくある七不思議からホラーまで、大学での噂話はいくつかあるが、どれも場所や時間と物にかかわるものだ。あれから、ホラーやオカルトが苦手ながら少しは触れた。そうすると元々あった七不思議や怪談とは、初の噂は毛色が違うような気がしていた。明確に、幽霊と話せるやばい奴がいる、などとおかしいではないか。傾向を考えるならば、どこそこの場所で、何時になにかをすると幽霊と話せる、などの方がよっぽどそれらしい。そこまで聞いて初は、あぁ、と質問内容に納得をして、リュックを背負い直した。


「それ、春日センセに聞いた方がいい。マジで時間やばい、話し過ぎた」


 じゃあな、と初が小走りでカフェテリアを出ていき、残された二人は顔を見合わせ、言われた通りにしてみることにした。涼子たちの受ける授業は次の次なので時間には余裕がある。

 教員棟は相変わらず薄暗い。春だというのに少し冷えていて太陽光の有難みを感じる。民俗学の授業はこの時間にはなく、春日がどこかに出向いていない限りはここにいるはずだ。民俗学、准教授、春日冴と書かれた扉をノックし、中からの反応を待った。暫く待ったが返事がなく、もう一度叩く。そうすると、あれ、と間の抜けた声の後に人の動く気配がしてすりガラスに人が映った。がちゃりと開いて顔を見せてくれたのは痩せっぽちの春日だ。部屋の中からむわりと煙の滲んだ空気が出てきて、涼子は中に入るとすぐに窓を開けに行った。


「先生、たばこ吸い過ぎです」

「考えをまとめるのに必要なエネルギーなんだよぉ、リョウコくん。んもう、閉めておくれ」


 数分換気をして窓を閉め、初がやっていたようにケトルに水を入れて湯を準備する、それが済むと湯が沸くまでソファに腰掛けた。瑞希は初対面の時とは違う様子の春日に呆気にとられながら涼子の隣に座り、居心地悪そうにしていた。春日は早速新しいたばこに火を点けながらくぐもった声で言った。


「珍しいね、女子二人の来客なんて。ハジメくんかと思って出なかったんだ」

「初くんは刑法総論の授業受けに行ってます」

「あぁ、そんな授業、あったね」


 それで、と話しながら口元から煙が零れる春日は自分の椅子に座り女子を眺めた。


「なんの用だい? 新しい怪異なら大歓迎だけれど、ハジメくんがいないと話にならないんだよねぇ」

「うちの大学の七不思議の話を聞きに来たんです。初くん、幽霊と話せるやばい奴、で特定されてるじゃないですか」


 あぁ、とまたくぐもった声で返し、春日はゆらゆらと頷いた。


「そうそう、その噂回りだしてあたしが知ったの、二年になってからで、おかげで助けてもらったけど、なんか、ねぇ?」

「噂の種類がちょっとおかしいなって」


 そうそう、と女子二人がじゃれ合うように話しているのを春日は眩しそうに眺め、すー、っぱ、とたばこを吸って鼻から吹いた。


「それを知ってどうするというんだい?」

「気になったんです。初くんに聞いたら、それは春日先生に聞いてって言ったので」


 なるほど、と春日は銜えたばこで資料を持つとそれをサイドテーブルに置いた。一応仕事をしていたとわかり、相手の都合を考えていなかったことを反省した。危ない目に遭ったことで距離を近く感じていたが、それは涼子の感覚の話だ。コトコトと小さな体を揺らしてケトルが温度感を知らせてきた。


「リョウコくん、私は濃いめのブラックでよろしく。君たちはそのへんにあるものを自由に飲みなさい、紙コップはそこの引き出しだよ」


 滞在が許された。涼子は素直にはいと答え春日の差し出すコップを受け取った。このコップで既にコーヒーを飲んだ形跡があり、ふと思い出した言葉を繰り返した。


「カフェイン中毒になりません?」

「同じ布団で寝た仲だろう?」


 寝てません、と返しながら面倒になって薄めのブラックコーヒーにした。礼を言いながら一口飲んで、その味に不満そうに唸りながらも春日はまぁいい、と背もたれに寄り掛かった。それで、ハジメくんの噂の件だったね、とたばこを味わう。


「初くんが噂の元になった事象がなにか、だったね? 詳細は置いておいて、あの噂を流したのは私だよ」


 目を見開き、ぎょっとして隣同士顔を見合わせた。たばこの灰色が揺蕩いながら春日の表情を隠したように思えた。一歩間違えれば人の在り方やかかわり方を変えてしまうだけの噂だ。瑞希が個人を特定できたように、初の特徴と、特性を噂に流す。そのおかげで、と何度か辿り着いた答えも思いながら、涼子は困惑を示した。


「なんで噂を流したんですか? その、初くんが、言い方悪いですけど、いじめられるかもしれないのに」

「知りたければ知ろうとすることだね」


 春日はにんまりと笑い、灰皿にとん、とその灰を落とした。言われて逡巡、涼子はスマートフォンを取り出して調べ始めた。自分で調べなさいと指摘されてから様々なことが重なってすっかり忘れていたが、初の兄のことは調べられると教えてもらっていた。瑞希は不思議そうに涼子の挙動を見守りながらほうじ茶のティーパックの入った紙コップに息を吹きかけていた。

 境、という文字は多くの検索がヒットする。文字の意味から事例まで、目的のものは見つからない。さかえ、まもる、というひらがなで検索をし直し、ネットの新聞記事が一つ引っ掛かった。たった三行あるかないかのものだ。

 資料館へ行き、行方不明に。兄への嫉妬、弟による完全犯罪か。弟は容疑を否認。

 完全犯罪と書かれているので遺体も見つかっていないのだろう。だが、初はその隣に兄がいると言い、谷原もそちらへ向かって話していたことから嘘だとは思えない。初と、見えない兄の関係性は悪くないようにも感じていた。

 次にさかえ、はじめ、で検索をかけてみた。個人名の出ている記事などあるわけもないと思っていたが、こちらもまた小さな記事がヒットした。少しガラの悪い週刊誌のようなものだ。

 弟、優秀な兄を殺害? 見出しからして悪い内容であることはわかる。そこには予想と想像の織り交ぜられた内容が書き連ねてあり、文字を読み進めていくたびに苛立ちを覚えた。優秀な兄を妬む弟の構図は好む読者も多いのだろう。近所にインタビューをしたのか、憶測で書いたのかは知らないが、幼い頃から奇行が多く、両親から問題児として扱われていたことや、他人に怪我をさせたことなどマイナスな話が書かれていた。逆に、兄、護については美談が多い。もしこれが本当ならば、息子と向き合わなかった両親が非難されそうなものを、弟を引き取り見捨てなかった護を英雄視することでその影を薄くしていた。記事を書いた記者は明確に初を敵視しているように感じた。

 記者は護が行方不明になったという資料館にも赴き、当時の状況を警備員にも尋ねていた。閉館時間後も隠れていたことから、もしかしたらなにか盗みを働くつもりだったのかもしれない、発見が早くてよかった、などと書かれていた。初の心証は悪くなるばかりだ。これを先に見ていたら、涼子もかかわるのを控えたかもしれない。インタビューを受けた資料館の名前を見て、ハッと息を吸った。


「……守谷資料館?」

「マモルくんが行方不明になった資料館だよ、県境にあるんだ。私もいつか行ってみようと思っていたが、マモルくんの件で閉じてしまってねぇ」


 春日の言葉は涼子の耳を滑っていった。守谷資料館を検索し、当館は閉館いたしました、の文字を見て住所を確認した。


「知ってます、ここ」


 涼子は震える声で言い、顔を上げた。


「守谷さん……、資料館が閉館して、残った展示品に困ってるって、母が」

「まさか、知り合いかい?」

「知り合いというか、あの、祖母の、叔父さんの家の隣、谷原さんとの間の家、あったじゃないですか。あそこが守谷さんちです。随分前に兄弟喧嘩して、片方家を出ていった、なんて聞いた覚えがあります」


 春日は眼鏡の奥で目を細め、たばこを吸い切ると灰皿に置いた。


「展示品、物々交換されたマレビトの品もあるのかな? 曰く付きの品、兄弟喧嘩、黄泉比良坂……。これはまた研究しがいのあるテーマが見つかったようだねぇ。それに、人の縁を感じるよ」


 新しくたばこを銜えマッチを擦って、独特な火薬のにおいを薄っすら漂わせ、春日は初を思い浮かべた。


「かわいそうに、にげられないね」


 そう囁く口元は愉悦に弧を描き、恍惚とした眼差しが煙を追いかけた。



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