第十四話:雪景色へ別れを
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翌朝、初はまた谷原と茶漬けを食べて朝食を済ませた。毎朝茶漬けなのかと問えば、楽なんだ、と返ってきて気持ちはわかりますと頷いた。ただ、ずっと茶漬けだと栄養価が偏るので漬物とか、魚とか一品ある方がいいっすよ、と言えば、気をつける、と谷原は笑った。こういう笑い方をする時、人は改善する気がないのだと初は知っている。
春日が襲来すればゆっくりと話す暇もないだろうということで、まだ二人と幽霊一人の間に連絡先も交換した。幸い、谷原はスマートフォンだったのでSNSで連絡が取れるようにした。古い人間なので、一応、と住所も連絡先に登録し、初は自分のスマートフォンに入った連絡先が物珍しいなにかに思えた。初のアドレス帳には、もう動くことのない護の連絡先と、押し付けられた護の友人たちの連絡先しかなかったのだ。初めて自分が関わりたいと踏み出した相手がそれを教えてくれることが、こんなに嬉しいことだとは知らなかった。
「本当なら、修行なりなんなり、近くで見ていた方がいいんだけれどね。危なくないものから、母に教わったことを少しずつ君に伝えていこうと思う」
「……お願いします」
「最初は慣れないだろうけど、都市部に帰っても前よりはましなはずだ」
無意識に繋いでいたものを、瞬きに気をつけて、スイッチに気をつけて繋がないようにする。そうしたことから力の使い方に慣れていくのだと言われ、初は頷いた。護がそれを教えてくれなかったことを、初はいつ尋ねればいいのかわからないまま、朝食の食器を片付けたところでインターフォンが鳴った。出れば春日と涼子で、涼子の叔父が車でじっと待っていた。谷原の家で話すつもりでいたが、これはすぐに帰らなければならないだろう。涼子は申し訳なさそうに呟いた。
「駅まで送るって、譲らないの」
「……コート着てくる」
初はコートを羽織り、マフラーを着けようとしてやめ、それをできるだけ綺麗に畳んだ。リュックを背負い玄関に戻ると谷原にそれを差し出す。ぺこ、と首を揺らせばマフラーが持ち上げられ、とん、と初の肩に置かれた。
「持っていきなさい。寒そうだ」
また首を揺らして、初はそれを受けとると首に巻いた。
「連絡するよ、君からも連絡してくれ。おじさんの寂しい独居なんでね」
「……はい」
ありがとうございました、と初が頭を下げ、春日もお邪魔しました、と会釈、涼子は手を振って叔父の車に乗り込んだ。玄関から出てはこなかったが、谷原は車が見えなくなるまでそこに居てくれた。
涼子の叔父から話は聞けたのか、レポートにはできそうか、など会話に気を遣われながら駅までの時間を過ごした。面白いレポートが書けそうっす、と初は返事をして、車を降りる前に千鶴子の写真を取り出し、叔父に渡した。
「あれ、いいのかい? 美人写真」
「はい、やっぱり、あの家にあった方がいいと思って。……きっと、誰かの美人だから」
「初くん、ロマンチストだねぇ。涼子ちゃんもそういうの好きだと思うよ、頑張れ」
だから違うって、と涼子が少し怒った声で言った。照れてるんだ、と叔父が揶揄い、もっと怒られる前に、気をつけて帰るんだよ、と三人を駅へ促した。涼子は行きの履歴が残っているためICカードが使えず、発券機で白い紙を持った。磁気もない、駅名の記載されただけの紙に困惑すれば、春日がそれを揺らしながら下車駅の駅員に清算してもらうんだ、と言った。定刻通り電車が来たので叔父にそれぞれ挨拶をしながら乗り込み、雪にさよならを告げた。
暖房の入った電車の中は今は心地良いがいずれ暑くなる。初はマフラーをリュックに入れて、ヘッドフォンを耳に掛けて音楽を鳴らそうとし、少し悩んで首に戻した。
「先生、昨日いろいろ考えていたみたいですけど、結局なんだったんですか?」
春日、初、涼子の並びで座っているので初の前に涼子が体を乗り出して声を潜めた。挟むな、と文句を言えば、セクハラされるからいやだ、と涼子が拒否した。さみしいなぁと心にもないことを言ってから、春日はそうだね、と眼鏡を直した。
「ハジメくんから聞いた話をオカルト好きの私が勝手に推察したものだ。そんなものかなぁと思ってほしいのだが、黄泉比良坂は本当にそれそのものだったのかもしれないね」
人知れず封じられたものはこの世に数知れず、そっと胸に秘めてその責務を果たさんとする者もいるだろう。巫女たちは大穴に呼ばれ、それを封じるために命を賭した。なんとも悲劇的じゃないか。春日はたばこが我慢できず、たばこに見立てた駄菓子を銜えた。ぼりぼりと齧りながら話す姿はシュールだ。
「私の足首を掴んだのはなんだったんですかね、なんで、だました、とか、ゆるさない、とか」
「それは恐らく、元ブローチの軌跡にかかわることではないかな。物は元の場所に戻ってくる、というのは実は私の体験談なのだがね。幼い頃お気に入りの人形があって、それをどこかで失くしてしまって」
「それ必要ですか?」
「ハジメくん、この子段々容赦なくなってきているんだが」
俺を挟んで話すな、と初が席を立って変わろうとすれば、涼子がしっかりと掴んで座り直させた。確かに遠慮がなくなってきているなと思い、諦めて窓に後頭部をつけた。まあいい、と春日は二本目の駄菓子を銜えながら続けた。
「神事にかかわる道具というのは、それ相応の力を持つから神事に使われる。ブローチになったのだから、宝石の原石だと触れ込み売ったのだろうが、それを加工した者に罰が当たらないとは限らない。タニハラさんの言葉を借りるなら、ハジメくんはその人の霊を見て、リョウコくんがそれを感じた、とかではないかな。私には見えないだけに羨ましい恐怖体験だ」
春日の恨み言を華麗にスルーして涼子はなるほど、と頷いた。ハジメくぅん、と春日が猫なで声で駄々をこね、初はヘッドフォンを着けた。対面の席で護が笑っている声はきちんと聞こえている。
涼子はいろいろと気になるらしく、様々なことをこれはなにか、どうか、と尋ねてきた。
たとえば、床下まで引き込まれるのはその巫女の埋められた場所だから、というのはわかる。ただ、初の見た夢や、結局そこから這い出ていたことを考えると、なぜそこに引き込まれるのかがわからないという。
「だって、巫女の人は助けてくれたんでしょ? そもそもなんで追われてたのかわからないけど……、先生わかりますか?」
「さぁて、わかりません」
「先生、拗ねないでください」
「いやいや、これは素直にわからないのだよ」
駄菓子を差し出され一本もらい銜えてみる。硬いラムネ菓子のようだ。初めて食べるが不思議と懐かしい。初も勧められいらないと断っていたが、無理矢理口に突っ込まれて仕方なく銜えた。少しの間ぽりぽり、ちゅっちゅ、と駄菓子を味わい、春日はふぅむと唸った。
「リョウコくんの叔父さんの家で、ハジメくんは巫女を見た。そこで言っていた見つけて、だの、罰当たり、だの、巫女はブローチになったあの石が、あの家にあることはわかっていたのではないかな」
「だから居たんですね? 探しにきてて、でも、見つからなかった?」
「そう、そしてここからは本当に憶測になる。当時の年代が不明だが、奉公に来ていたり、女中だったりがもしいたとして、巫女に会っていて、探し物がどこにあるかを知っていたとしたら。リョウコくんならどうする?」
問われ、前提をもう一度繰り返した後、涼子はぽきっと駄菓子を折って口をもごつかせながら言った。
「私なら、届けるかもしれません」
「だろう? 他の人たちに見つかって、それでも巫女に届けようとしたならば、私はそこに筋の通るストーリーを感じるのだよ」
ただ、と春日は悔しそうな顔をした。
「結局のところ憶測でしかないんだよ。答え合わせをしようにも、私は見えない、聞こえない、触れられないんだ」
「……初くんは、どう思う? お兄さんなにか言ってない?」
問われ、対面の兄を見る。護はゆっくり近寄ってきて、つり革に手を通し、だらりとぶら下がりながら初に顔を寄せた。
「幽霊っていうのは自分のことしか考えられないものなんだよ。それに、その場のなにかに引きずられることだってよくある。俺だって答えはわからないけど、巫女のどうにかしなくちゃって思いと、殺された無念と、石を届けようとした子供の安否への懸念と、あの大穴と、全部がぐちゃぐちゃに混ざってた可能性だってある。あいつらには時間も関係ないしな」
俺だってこのままだし、おかげでどこだかわからないし、と護が笑い、初の頭を撫でるふりをした。ひんやりとした冷気だけが一瞬抜けていき、初は視線を逸らした。
「初くん?」
「……なんでも。兄貴は、死者ってのはいろいろ記憶と感情が混ざるから、とか言ってる」
「わからなくなっちゃうんだ、それはちょっと悲しいね」
涼子の素直な感想に、聞こえないとわかっていても、そうだね、と護が返した。春日が、私は気になることが一つある、と初の太腿に手を置いた。汚物を退けるように摘まんで退ければ、次はもっと内側に入って来たのでさすがに席を立った。あんたいい加減にしろよ、とつり革を掴めば春日は涼子の方に席を詰めた。反省の色は皆無だ。初は文句を言うのも疲れて隣のつり革で笑う護からも視線を外して、窓の外を眺めた。
「リョウコくんの叔父さんの家で、ハジメくんにお守りください、と懇願した千鶴子さんはなんだったんだろうね」
「……婚約者の家だから、だろ」
女性二人からきょとんと見上げられ、初はぽつりと呟いた。
「兄貴が言ってたとおり、幽霊ってのは自分のことしか考えられない。婚約者のこと、ちゃんと好きだったんじゃねぇの? だから、叔父さんは守られてた」
「……なるほど! リョウコくんの家系の男性、イコール、愛しのあの人、ということか! であれば女系が守られなかったのも私は納得だ」
「あれだけ細々曰く付きの物がある家で平然と暮らしてんだから、そうだと思う」
なるほどぉ、と女性二人納得の頷きをして、ふふっと笑みが浮かべられた。眉を顰めれば春日が言った。
「君は生きている人の機微よりも、幽霊の機微に聡いねぇ」
「違います、ロマンチストなんです」
涼子が否定し、そうかな? と春日は駄菓子をぼりぼり噛んだ。初はため息を吐いて遠くなっていく雪山を眺め、スマートフォンを何とはなしに手にした。珍しい通知を開けばいつも利用している、兄の友人の美容師から、そろそろ髪切りにこい、スタッフの練習台だからタダだぞ、とメッセージが入っていた。兄の繋げてくれた縁が、兄を失って四年経っても初を支えてくれている。甘えたくはないがその手を振り払うほどの勇気もなく、初は近々お邪魔します、と端的な返事を打った。既読がつき、変なスタンプが連続で返された。確かに髪は伸びてきているので申し出は有難い。三か月に一度、生存確認をするように呼び出され、同じ髪型にしてもらう。身の回りのことにそう金も使えないため、サンプル、と言いながら貰うバームも大事に使い、もうなくなるところだった。いや、甘えてはいけない、次こそは金を払おう、と初は顔を上げ、涼子を見た。
「そうだ、報酬、話さないとな」
ひゅっと息を吸って涼子が笑顔のまま固まった。春日はそうだねぇ、と新しい駄菓子をもう一本銜え、片手と指を二本を上げた。
「私は来期の講義のネタも仕入れられたし、七万払おうと思うが、少ないかい? もう三万はタニハラさんに現金書留しようと思うのだがね」
「まぁセンセには交通費も出してもらってるし、手袋も貰ったし、それでいい」
七万、と涼子は視線を彷徨わせた。そういえば行きの電車の中で調べた時、ピンキリで価格にかなりの差があった。実際、初は本物だった。谷原の指導もあり、涼子自身が不可思議な現象に巻き込まれたこともあって文句を言うつもりはない。バイトだってしているし、旅行資金も貯めている。出せと言われれば出せない金額ではないが、七万はそれなりに良い旅行のできる金額だ。とはいえ、巻き込み、助けてもらったのは事実。覚悟を決めた、払えと言われたら支払う気で顔を上げれば、初はじっと涼子を見ていた。どきりとして姿勢を正せば、少しだけ初の目が細められた。
「あの、初くん?」
「嶋貫さんとあいつ、それぞれ三万でいいよ」
「ハジメくん、安すぎないかい?」
春日が眼鏡を直し唇を尖らせる。
「もう少しとってもいいんじゃないか?」
「いや、たぶん……また来るだろうから。新学期までに用意してくれよ、後期の支払いに足すから」
首を傾げる涼子に初は目を逸らした。また来るってどういうこと、ねぇ、と初のコートを引っ張る涼子に春日は憐憫を含んだ眼差しを向け、その肩を叩いた。
「怪異が降りかかった場合は、是非私とハジメくんに声をかけておくれよ、リョウコくん」
「いやです、だから、私ホラーだめなんですってば! 今回だってすごく怖かったんですから!」
「そうだねぇ、春日先生、一緒のお布団で寝てもいいですか……? なんて、可愛かったよ」
「言ってません! 私そんなこと一言も言ってません! 初くん信じないでね!」
電車内に人がいなくてよかったな、と初は乗換駅まで目を瞑った。
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