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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第十三話:ハジメテノキョウカイ

いつもご覧いただきありがとうございます。


 ざく、ざく、と昨日登ったのと同じ階段を上がっていく。谷原が先頭で雪を払い、潰し、足元を作ってくれ、初はその後をついていった。昨日はすぐに場に入ってしまったが、今日は瞬きに気をつけ、繋がらないように心がけた。朽ちた鳥居、拝殿、本殿、と昨日踏み抜いて壊した階段もそのままだ。

 朝の鈍い灰色の混じる白の中、まるで冷水に入れられたかのような体の冷え方をして歯ががちがちと音を立てた。息が凍るようで、マフラーに鼻先まで埋める。少しの間呼吸を整え、初は震える声で言った。


「……繋ぎます」


 頷く谷原と、初の背中に手を添える護と、確認をしてから水晶を握り締めた。この四年、護からもっといろいろ聞いておけばよかったと後悔が浮かんではそれどころではない、と自分の声が叫ぶ。両手が塞がってしまうので護符を銜え、水晶を片手に先ほど涼子の叔父の家でやったことを繰り返した。

 波長を合わせようとすれば顔を逸らしてしまうほどのキィンという高い音や、何かの悲鳴のような、叫びが耳元で聞こえ、頭が痛い。初は耐えながら音の位置を探り、ふっと無音になった場所をみつけた。両手で開くようにするのではなく、水晶を持った手をぐっと前に突き出した。ぶわっとそこから世界が境界を失い、繋がっていく。

 榊を手にした巫女が祈りを捧げていた。初は今まさにその光景を見ているのだとわかった。三方に載せられたお供え物の奥、台座に真っ赤な石が鎮座していた。銜えていた護符を持ち直し、確かめるように呟いた。


「……テニスボールの大きさだ」

「あれが、本来の」


 初はブローチを取り出し、その大きさの差に愕然とした。これで本当に、同じことができるのだろうか。ぐぅっと足場が揺らいだ。護が初の背を支えて水晶を持つ手に手を重ねた。


「ブローチが反応してる、集中だ、初。境界を崩して繋げるんだ」

「どうやって」

「今までにもやってきただろ、その場所にすんなり入ってたじゃないか」


 境界を崩すということを、初は今まで自分が意識せずに霊場に入り込んでいたことだと理解した。祈りを捧げ続ける巫女の背中、ざざ、と視界が歪んで、台座から石が消えた。盗られた。巫女は慌てふためき、探し、見つからず、次の祈りでその身そのものを楔にして穴を塞いだ。まだ小さな穴だった、巫女の体は赤い紐でくくられるような形でそこを塞いだのだ。

 なぜそこまでしてここを守ろうとするのか、初にはわからなかった。逃げればいいだろう、誰かが盗んだのだから仕方ない、その責任は盗人にあるのであって、巫女のせいではない。


「どうして、逃げなかった?」


 思わず問いかければ、穴の中から巫女がゆるりと顔を上げた。目と目が合い、お互いが誰かを問うこともなく巫女は答えた。


「私の責務だからです」


 ばごん、と音を立て、穴が大きくなる度に巫女が増え、赤い紐が増えてゆく。初が足を引き、その穴から距離を取る中で一か所だけ、赤い紐のない場所があった。あれは殺された巫女の場所だとなぜかわかった。そこから何かを吸い込むような風の流れを感じ、これが呪いとなっているのかもしれないと思えた。大地の穴は赤い紐のないところから、ぼろ、ぼろ、と崩れては大きくなり、その度にうねる様な音が地響きのようになった。穴へ引き込まれる空気が何かを求めて鳴いた。女性が、男性が、子供が吸い込まれ、青年たちが悲鳴を上げながら吸い込まれていく。老婆が吸われ、次に流れてきたものに思わず手を伸ばし、掴んだ。逆の手に握りしめていた護符はざりっとした砂のような感触を一瞬だけ残し、消えた。


「だめだ!」


 それは涼子の友人、瑞希だった。寄越せと言いたげに穴からの力が増していく。初の腰を谷原が掴み、護は初の腕を掴んだ。


「初! 巻き込まれる!」

「だめだ、だめだ! あそこに入ったら死ぬだろ!」

「頼む、もってくれ!」


 谷原がハンドバッグを放り投げ、空中に散らばった護符が少しだけ時間を稼いでくれた。バシン、バチッ、と弾くような音と共に、吸引力が弱まり、僅かな時間が与えられた。護は初の腕を掴んだまま、言った。


「初、誰を呼べばいいかわかるな? あの死んだ巫女だ、元気な方の姿で!」

「わかる、わかるけど! どう呼べばいいんだよ!」

「境を壊せ!」


 できるから、と護の確信を持った声に頷き、目の虚ろな瑞希を谷原に預けた。

 あの日、ここで死んだ巫女、その前の姿。それは涼子の家で見ている。探していたものはここにある。水晶からも、ブローチからも手を離し、初は大きく腕を開いた。


「来い、頼む、来てくれ!」


 巫女を思い浮かべ、ここにあるぞ、気づいてくれと願いを込めて、拍手(かしわで)を打った。パァンッ、と音が弾け、初は瞬きをした。巫女が立っていて、手を差し出していた。


「早う」


 初はブローチを巫女に差し出した。時間も、境界も壊れたからか、巫女の手に渡ったそれは本来の姿を取り戻し、真っ赤な石は大事に両手で抱えられた。まさかそんなことが起こるとは思わず、初は声を掛けることもできないまま巫女の歩みを見守ってしまった。巫女は躊躇せずその身を穴に投じ、赤い紐が大地の割れ目を掴み、結び、あっという間に大口を開いていたものが消えた。


拍手(かしわで)!」


 護の声に反射で両手を打ち鳴らし、再びぶわっと圧が駆け抜けた。しんとした朽ちた神社、黒い穴もブローチどこにもなく、自分たち以外の足跡もない。呆然としながら初は周囲を見渡し、谷原を振り返った。その腕に瑞希の姿もない。


「どこに!?」

「……戻ったんだと思う、彼女のあるべきところに。吸い込まれる前だったからね」


 間に合ったかどうかはわからない、と谷原の声に現実を突きつけられ、頷いた。助けられたのかどうか、それは涼子から確認をしてもらう方がいいだろう。初は釈然としないまま大穴の開いていた場所をもう一度振り返った。そこに巫女の姿もなければ呻くような声も、いつも耳元を騒がせている雑音もなかった。雪に音を吸われた静寂が広がっており、首に掛けたヘッドフォンから音を鳴らしたくて堪らなかった。



 よろよろと、長時間マラソンをしたような体で()()は車の下へ引き返した。谷原のハンドバッグもそのまま飲み込まれ行方不明、初は冷たくなった指先で水晶を撫でた。これがどの程度役に立ったのかいまいち実感はない。使い方があるのだろう、それを護から学ばなければただのパワーストーンなのだ。車に乗り込み座ると、突然ぶるりと寒気が来た。気づけば前回同様ズボンはびしょ濡れ、靴は雪で凍り、尻もちをついたところもびっしょりだった。座席を濡らしてしまったことを詫びようとすれば谷原も同じ状態で苦笑を浮かべていた。


「さっさと帰って風呂を沸かそう。それまで、炬燵で手足を温めようか」

「はい」


 いろいろと疑問はあったものの、温かい湯は今一番欲しいものだった。谷原に運転を任せたまま初はポケットをまさぐりスマートフォンを取り出す。着信とメッセージの嵐に眉を顰め、春日に電話をかけようとしたところで向こうから連絡がきた。


「ハジメくん、無事かい? 今どこにいるんだい?」

「これから谷原さんちに帰るとこ」

「今先ほど大きめの地震があったんだが、怪我はないかい?」


 地震、と繰り返せば後部座席から余波があったんだ、と護が言った。大穴を閉じた世界がどういった世界なのか初にはわからない。現実でないことだけは確かだが、それの及ぼす影響力は大きかったということか。


「こっちは怪我はないけど、雪まみれで寒くて仕方ないから、谷原さんちに戻る」

「もしかして、ことが済んだ後かい?」

「そう」


 初が答えれば春日は酷いじゃないか、私もその場に立ち会いたかった、と叫んだ。悲痛な様子で叫ぶ春日に涼子が向こうで落ち着いてくださいと宥めている声が聞こえた。


「どんなふうだったのか、聞かせてもらうからね! リョウコくん、タニハラさんのおうちへ行こうじゃないか!」

「叔父さんにまた心配かけちゃいますから、電話、電話にしましょう!?」


 どちらも必死に話しているのが良い雑音で、初は谷原と少しだけ笑った。


「涼子ちゃん、お友達のご家族に電話してもらえるかな。どうなったのか気になるからね」


 谷原が言えば、涼子は困惑した声を出した後、春日から少し離れたのだろう、声がしなくなった。春日はいまだに私が一番見たいものは見られない、と悔しそうに文句を続けていて、面倒になって通話を切った。所在も安否も知らせたので一先ずはいいだろうと助手席でずるりと沈み、ハッとして座り直した。ひんやりとした護の腕が後ろから伸びてきて、首を抱かれ体温が急激に下がる気がした。やめろよ、と振り払えば、あはは、と笑う声がした。


「ごめんな」


 囁かれた言葉に振り返れば微笑む兄の顔があった。なにが、と問う前に車が停まり、谷原がエンジンを止めた。いつの間にか車庫にいて、谷原は不思議そうに初を見た。


「どうかしたのか? 服を乾かさないと風邪をひく」

「……はい」


 谷原が護と初のやり取りに追及をしないのは、もしかしてそこだけ違う世界、空間に居たとでもいうのだろうか。笑みを浮かべるだけの護はふっと消えて、恐らく、先に中に入ったのだろう。たった数十分前の出来事が現実のこととは思えず、初は水晶を握り締めて谷原の家に入った。

 同じように服を乾かし、風呂に湯が溜まるのを待って炬燵を強にして手足を温める。男二人じっと炬燵からの熱を体に伝えているのは面白い光景だった。もこもこのパジャマが温い。谷原ははんてんを着込んでじっとしていた。また暫く無言が続いてから谷原は顔を上げた。


「君がその力を扱えるようになるまで、よければ、私も教えようと思うのだけど、どうかな」


 今回、たまたま出会っただけのおじさんからこんな提案、怖いかもしれないが、と苦笑を浮かべて言い、谷原は肩を竦めた。いえ、と初は首を振り、それからぎゅっと手を握り締めた。


「助かります、兄貴にも、聞くけど。教えてくれる人は多い方が、いいから」


 実際、生きている人間で理解者がいるのは有難かった。もう一人の生きている人間はああだからな、と春日を思い浮かべ、炬燵テーブルに突っ伏した。谷原はそうか、と頷き、心なしかホッとした様子で笑った。なーぉ、と猫が寄ってきて、炬燵と初の隙間に潜り込んでどしりと座った。勢いよくごろりと転がって体を伸ばし、堂々たるものだ。おなかを撫でようとしたらシャーと言われたので頭を掻くようにして撫でてみた。それは怒られなかった。柔らかい、温かい。ここに来て感じる、温もりというものの確かさに体が震えそうになる。兄が幽霊になってから、感じられなかったものだ。ごめんな、とまた声が聞こえた気がして猫を撫でるのに集中した。

 お風呂が沸きました、というよくある音声ガイドに促され、初は先に風呂に入らせてもらった。しっかりと体を温めて谷原と交代し、茶でも淹れておこうかと緑茶を探していれば我慢できなかった春日がインターフォンを鳴らしていた。家主に代わりそれに出て、玄関の鍵を開けに行けば春日はすぐさま中に入り込んできた。まるでなにかのセールスマンのようだ。


「ハジメくん、聞かせてもらおうじゃないか」

「電話っつったよな、谷原さん今風呂だし、あんた少しは待てないのかよ」

「気になったことや知りたいことは即座に脳に入れるべきだ」

「こんな状態で全然止まってくれなくて」


 春日の後ろから涼子がごめん、と首を揺らした。けれど、その表情は明るいので確認を頼んだ件はいい結果だったのだろう。家主が風呂で不在の間に人を招き入れるのは居心地が悪かったが、外は寒い。リビングに移動すれば春日は真っ先に灰皿を手にして持ってきた。他人の家でこれだけ我が物顔で動ける奴は他にいないだろうな、と初は呆れてそれを眺めてしまった。

 ソファに座り炬燵に足を突っ込み、たばこに火を点けたところで谷原がタオルを手に、ガシガシと髪を拭きながら戻ってきた。


「初くん、君、髪をちゃんと乾かさないと風邪をひくよ……」


 はは、と笑ってくれたのでよかったが、気難しい人だったらこうはいかなかっただろう。特に、自分の家に他人が入ることを嫌がる人や、物を触られるのを嫌がる人であればあってはならない状態だ。谷原がそういう人種でなかったことに初は胸を撫で下ろした。初は自身が自分のテリトリーに誰かをいれるのが苦手なので、そうしたおおらかさには正直驚いてもいた。そのくせ、こうして谷原の居住に居座っていることに驚いてもいた。きっと、同じような力を持っていることに安心感を得ているのだろうなと自分で納得をし、谷原に呼ばれて緑茶を淹れるのを手伝った。ぱさりと肩にかけられたタオルに照れくさくなった。炬燵に戻れば涼子が嬉しそうにあのね、と話した。


「さっき瑞希に電話したの。出たのはお母さんだったけど、瑞希が意識を取り戻したんだって! もう、大丈夫だよね?」

「たぶん」


 たぶんかぁ、と言いながら、涼子はそれでも明るく笑った。


「それより、聞かせてもらうよ、ハジメくん、タニハラさん」


 春日が身を乗り出し、説明の難しいことを求められ、戦力にならない護を交えながら神社跡であったことを話した。話し終える頃には夕方で、涼子の叔父が迎えに来て、説明するだけで終わってしまい、春日も明日は帰ります、ハジメくんは聞けるだけ話を聞いておくように、と言ってあっさりと引き上げていった。


「明日になったら先生が内容をまとめてくれていますよ」


 護が言い、初と谷原はまた茶漬けを夕食にして早めに休んだ。

 

 

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