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境怪異譚<さかえかいいたん>  作者: きりしま
一章:はじまりの怪異
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第十話:目を開いて


 春日の手をぱっと振り払って涼子はそちらへ苦笑いを返した。手、すべすべだね、と追い打ちをかけながら春日はたばこに戻った。そんな春日と涼子を放っておいて、初はブローチの箱を叩いた。


「ブローチがどうして嶋貫さんちにあったのかは知らないけど、これがなんなのかは知りたい。谷原さんは、こういうの鑑定する家系だったんすよね?」

「なにか霊的なものが憑いているのはわかるけどね、私はどちらかというと防ぐ方で、見るのは得意じゃないんだ。見るのは、君の方が得意だろう?」


 初はぐっとテーブルの上で手を握り締めた。小さな声で、まだよく見えないんです、と答え、谷原の視線はその隣を向いた。谷原の視界には護が見え、兄だというそれは肩を竦めた。ふむ、と腕を組んだ谷原は少しの間護と会話をしていたらしく、何度か頷き、しかし、そうか、でも、それなら、と相槌も返した。傍から見ればひとり芝居をしているようで、初が常にヘッドフォンをつけているのがよくわかった。独り言を言うように見えるより、口ずさんでいるように見える方が、気持ち悪くない。


「あまり危ない目にも遭わせたくはないんだが、その方が早いのかもしれないな」

「方針はお決まりで?」


 いつの間にか灰皿には八本目の吸い殻が置かれ、部屋中にたばこの煙を感じた。猫を確認すればこちらもいつの間にか部屋から姿を消していた。初は許可を得た上で窓を少しだけ開けた。冷たい風が入り込むが新鮮な空気は美味しくて、冷気が顔に当たると思わず深呼吸してしまった。涼子は隣で、あぁ、たばこの香りが薄れる、などと言っている人のことは気にしないことにした。


「初くんの力は大したものだが、使わないようにしてきたせいか、使い方を知らないんだな。中途半端に使えているような感じでね。封印の手伝いをしてもらおうと考えていたのですが、どうにも」

「……さっせん」

「いや、こういうのは周りに理解者がいないと厳しいのは私もよく知っている」


 涼子は自分の知らない世界に何度も首を傾げてしまう。神社や寺で働く者以外に霊能力者というものが修行できる場所などあるのか、と問えば、普通の主婦が高位の霊能力者であることなんてざらにある、と谷原は笑った。春日はふふん、と存在をアピールしながら語りだした。


「昔は陰陽師を見ればわかるように、霊能力者もまた職業の一つだった。それは先日私が語ったように、死と生、人と怪異がとても身近だったからだろう。やがて人が忙しさに追われ、そういう器官が失われていけば遭遇する、気づく確率も減る。そうすれば仕事がなくなっていくことはわかるだろう?」

「ニーズと、需要の減少ってことですね」

「そのとおり! けれど、その世界に近い人というのはいつの時代も存在するものだ。姿かたち、在り方を変えてね」


 眼鏡の奥から視線が男二人を眺めた。ただのおじさんと、ただの大学生が涼子の前に居た。さらに視線が動いて朽ちた小さな木のお札と、ブローチを眺めた。谷原はそろそろ窓を閉めてくれ、と言い、ただの大学生は素直に閉めて炬燵に戻ってきた。なにやらすごいらしいことだけはわかり、涼子はまた膝をぱきりと鳴らした。


「初くんと、お兄さんと跡地に行ってこようと思います」

「ご一緒しても?」

「本職ではありませんので、責任はとれません」


 谷原からこの場で初めて厳しい声が出た。春日はふむ、とたばこを灰皿に置いて身を乗り出した。


「どういった経緯でその神社が取り潰されることになったのか、学者としては興味があります。本来寺社の移転にはいろいろとやるべきことがあるでしょうに、話や記録が残っていないというのは大変に興味深い。移転先にはあるかもしれませんが、ね」

「ではその移転先は春日さんと涼子ちゃんにお任せするのはいかがでしょう?」


 私といるのがわかるとおじさんもいい顔をしないだろう、と谷原は苦笑交じりに涼子を見た。わざわざ谷原に会うなと声を掛けるくらいには気にしているらしいので、それもそうかもしれない。涼子が説明をすればわかってくれそうではあるが、昨日今日で態度が急に変われば、違う意味で怪しまれそうだ。初はじっと春日を見て、言った。


「センセ、守りが強いのはなにがだ、って言ったよな。その、谷原さんの言葉を借りるなら守護のための、霊能力って意味。嶋貫さんは本人無意識の潜在能力が強いから、ある程度防げる。センセはそれがないから、ブローチに触れば一晩で持ってかれる。……霊場になってる場所にも、来ない方がいい」

「心配してくれているんだね、優しいなぁハジメくん!」

「金づるに死なれちゃ困る」


 世知辛い、と春日はまたたばこに火を点けた。初の視線は涼子にも向いた。


「俺、今日から解決まで谷原さんちで世話になる」

「え!? どうして?」

「初くんのお兄さん、護くんとも今()()()いたんだが、初くんに力の使い方を教えようと思ってね。力の高め方や、扱い方を」


 うっす、と初が首を揺らし、谷原が頷きを返した。たばこのにおいが薄れたからか、チリンと音を立てて猫が戻ってきた。のすりと谷原の膝の上、炬燵布団のふかふかを占拠してぐるぐると喉を鳴らすのを見守った。春日はたばこを吸い切り、新しいたばこをと紙箱を振って空であることに絶望の表情を浮かべた。


「泣きそうだ……」

「申し訳ないが、灰皿は弟用で私は吸わないんですよ」

「さいですか」


 携帯灰皿に溜まったたばこをついでに灰皿に移しながら、春日は急に大人しくなった。人んちにごみを捨てるな、と初に注意されても唇を尖らせて悪びれず、春日は涼子を下から、甘えるように見遣った。


「リョウコくん、一度おじさんのおうちに戻らないかい? あそこに私の鞄があってね、そこにね、たばこがあるんだよ」

「わかりましたよ! だからその手つきやめてください!」


 つつ、と春日の手が涼子の手を撫でて、指を一本一本握り締めて恋人繋ぎのように絡められていく。ぞわりとしてしまい涼子は炬燵から逃げ出した。谷原は少しだけ気まずそうに初を見遣り、初は通常運転です、と返した。


「こっちもいろいろ調べてくるから、夜にでも通話しようぜ。言っておくけど、これなんだろう、で下手に触ってくるなよな」

「気をつける。先生、立ってください」


 たばこ、たばこ、と鳴き声をあげる春日を引っ張って起こし、涼子は谷原に挨拶をして玄関に向かった。先生自分で歩いてください、と涼子はすっかり遠慮をなくし、春日はぶつぶつ言いながら靴を履き始めた。


「涼子ちゃん、これを一応、持っていきなさい。肌身離さず、こういう時の肌身離さず、は、本当に肌に触れるように持っていることを指すよ」

「ありがとう、おじさん」


 ポストイットほどの小さな木にお札を貼ったものを四枚渡され、春日と等分で持った。しかし肌に触れるように持つというのは難しい。ぎゅっと握り締めておくくらいしか浮かばず、困った顔で初を見た。


「ポケットに入れて必ず握り締めておくとか、そういう感じで大丈夫。でも、落とさないようにしろよ」

「わかった。じゃあ、叔父さんにお願いして向こうの神社見てくる」

「うん」


 また夜に、と谷原の家を出て、入った時と同様に初の足跡を踏んで道へ戻った。春日はクシャ、クシャ、とたばこの空箱を握ったり開いたりしているので腕を掴んで引っ張る羽目になった。たばこがないだけで人間こんなにだめになるものなのだろうか。

 ザクザクと遠のいていく音を聞き、初は谷原を振り返った。


「なにすればいいっすか」

「一先ず、暖かい格好をして現地に行ってみようか。弟嫁から貰ったマフラーでよければ君にあげるよ」


 寒そうだ、と首元を指差され、申し訳なく思いまた首を揺らした。ヒーターを止め暖房に切り替え、猫が暖を取れるようにして谷原はすぐに準備をして玄関に戻り、初に紺色のマフラーを差し出した。ありがとうございます、と言いながら首に巻けば新品らしい多少のごわごわ感のあと、じわりと熱の籠る感覚がした。耳当て代わりにヘッドフォンを掛け直せば行きよりも暖かい。谷原はジャケットのジッパーをジャッと上げて車のキーを見せた。雪道用にスタッドレス、この家は本当に最新の必要装備が整っているらしい。車庫で乗り込み暖房がきくまで少しだけその場に留まった。


「君にいろいろ教えるのは構わないんだが、今まではどうしていたんだい」

「……聞こえないように、ヘッドフォンをするくらいでなにも。親は俺のことを気味悪がって、いないものとして扱ったんで」

「それもあって、初を引き取ったんですよ」


 後部座席から身を乗り出して護が言い、谷原は肩越しに見遣りながら眉を顰めた。


「君は力の使い方を知っていたのに教えなかったのか?」

「守れている気でいたんです。俺が守ってるんだって、優越感があったことは認めますよ」

「……兄貴は確かに守ってくれてた、それは、事実だ」


 初の小さな呟きに谷原は複雑そうな表情を浮かべ、ギアをドライブに変えた。雪を踏みながらゆっくりと進み、道に出れば他の車輪で踏まれた凸凹に車体が揺らされる。崖の近くは通らないから安心してくれと言われ、また短く頷いた。


「君は、その力とどうなりたいんだい? どうしたいんだい?」


 どうって、と初は返す言葉に困った。どうなりたいかなどと考えたことはなく、見えるから、聞こえるから絡まれる。それを見えない聞こえないと誤魔化して生きることだけに必死だった。谷原の近くは澄んだ音がしていて、雑音に困らされないのが助かる。考えごとがしやすかった。


「わからないです」

「たとえば、君がそれを持て余しているのなら、力を封じてしまえば巻き込まれないんだよ。誤魔化すのではなく、真実にしてしまうんだ」

「できるんすか」

「探せばできる人もいるさ。その場合、そこにいるお兄さんとはもう話せなくなるけれどね」


 初が後部座席を見れば護は少しだけ寂しそうな顔をして笑った。視線を前に戻し、初はぎゅっと音を立てて手袋を握り締めた。


「見つけるまでは、それはできないです」


 見つけてくれよ、と言った護の顔や、最後に触れたあの体温が忘れられなかった。突き飛ばされたのは一瞬、だが、どこに行ったのかわからないままだ。生かされたのだとわかるからこそ、見つけたかった。


「だから、どうなりたいか、って言われたら、対処できるようになりたいっす」


 あの日そっと傍に置かれていた石を服の中から取り出して指の中で軽く回した。護の繋がりで初を気に掛けてくれている一人が、無くさないようにとペンダントにしてくれた。後になってそれが水晶なのだと知ったのだが、今は初にとってはお守りだ。そうだ、これだって護はどう手に入れたのだろう。兄貴、と声を掛けようとしたところで車が止まった。


「車ではここまでだ。ここから先は歩くことになる、君はスニーカーだからね、私の後ろをついてくるといいだろう」

「っす」

「はい、だ」


 長靴に履き替えながら谷原が言った。


「はい、にしておきなさい。返事がそうあるだけで、眉を顰める人は減るだろうさ」

「……はい」


 よろしい、と笑い、谷原は山を見上げた。


 ざく、ざく、と谷原が雪を踏み、歩けるようにしてくれなかったらどうなっていたのだろうか。人通りのない古い道は脛あたりまで深い雪が積もっていて、道を作ってもらっていても初のズボンは濡れ、そこから体温が奪われていく。つま先はすでにじんじんとした痛みを超えていて動いているのか感覚がない。谷原は一度戻って初の服を整えてからと提案もしてくれたが、昨夜見た夢の近さに初が首を振った。


「そういえば、昨日は驚かせてすまなかったね。ひっくり返ってしまったから、布団には入れなおしたんだが」

「知らなかった、ありがとうございます」


 いやいや、と谷原は笑った。暫くそのまま進むとなんとなく石階段があるような気がしてきた。段差が感じられ、初はその上を覗き込んだ。

 鳥居があった。雪の積もったくすんだ赤。それを越えて見えたのは夢の中にあった拝殿と本殿だ。巫女が立っていてさっさ、と箒で木の葉を集めている。ざぁぁ、と吹いた風が雪と木の葉をずりずりとずらしていくので寒そうにそれを追いかけていく。髪結いで結ばれた黒髪がやり直さなくてはならない状況に落ち込んだ様子で項垂れる。

 初は声を掛けようとして護に腕を()()()()


「初、入ってる」


 ハッと息を吸ってぱちりと瞬きをした。目の前には手入れをされなくなり、廃屋と化した拝殿と本殿があった。扉は蝶番が壊れ傾き、色の塗り直しも、補修もされていないそれは、一瞬前まで見ていたものとは()()が違う。ぐっと谷原の手が初の肩を掴んだ。


「なるほど、君はその場所を見ると同時、異界に引き込まれてしまうんだな。その中なら、お兄さんが生前と変わらない力もあるんだね」

「久々に初を掴みました」


 谷原はとんとん、と初の肩を叩き、手をそのままに、いいかい、と声を掛けた。

 まず、瞬きの回数に気をつけること。瞼が切り替えるスイッチになっていることが多く、少しでも違和感を感じたら立ち止まり、しっかりと両目を閉じ、開くことを意識する。これは入る時も、出る時も自分の力を意識しておくことで違うという。やってごらん、と言われ、初は見る、と意識して瞬きをし、目を開いた。


「……なるほど、君の力は強いんだな」


 谷原は今初が見ているのと同じ光景を口頭で繰り返した。廃屋ではない、田舎によくあるそれなりに手入れされた拝殿、その奥に本殿。巫女が一人指先を真っ赤にしながら箒を手に雪と格闘している姿。はい、と初は同じものを見ていることを伝えれば、谷原は肩からそうっと手を離した。


「うん、まだ見えている。君は周囲をそのまま引きずって連れ込むらしい。喫茶店でブローチを触った時、みんな巻き込んだんじゃないか?」

「らしいです。嶋貫さんは足首を掴まれたって言ってた。……あの人は、こういうのできないんすかね」

「力の在り方も千差万別。私らのようにそれを扱える者も居れば、あの子のように、どう足掻いても思い通りにならない子もいるのさ。ただ、君と違い、あの子は誰かを巻き込むような力じゃない」


 ホラーや怖いものが苦手なのも、強いゆえの防衛本能だろうね、と谷原に揶揄うような、咎めるような難しい声で言われ、初は目を逸らした。谷原はごめん、と苦笑交じりに謝り、初がどこまでできるのか、この状況のまま質問を重ねてきた。

 繋がり、見えた先でどの程度干渉ができるのか。初は怖くて物を触ったことはないと答えた。人に対しては声を掛けるがいつも階層が違うような違和感を得て、聞こえはしても、向こうに自分の声は届かない。

 今までに異界との繋がりを切る時はどうしていたのか。初はやってみせていいですか、と許可をえた上で両手を打ち合わせた。パァンッ、と響いた音の後、ばさばさと鳥の飛び立つ音、それに揺られて雪の落ちる音がした。谷原は目の前に朽ちた神社跡がある、と伝え、世界が戻ったことを伝えた。


拍手(かしわで)か。一瞬で神おろしができるような力があるのに、それしか知らされていないのは困ったものだな」


 初の向こう、護に対し眉を顰め、谷原は眉毛を掻いた。初は弾く程度の認識でいたが、ある程度使い方を知る者にはそう捉えられると知り、へぇ、と情けない声を出した。またぽんぽん、と背中を叩かれ、初は谷原と共に朽ちた拝殿に歩み寄った。


「まずは現代から調べるとしようか。霊場としては、後でもう一度見よう」

「っす、……はい」


 初は夢で見たことを話しながら、どう逃げ込んだのかを()()()鳥居のところから再現してみせた。拝殿に上がる階段も腐っており、一枚足が抜けて本気で汗をかいた。手をついて事なきを得たが、積もった雪と腐った木の臭いに手を払っても気持ち悪さが残った。触れば落ちてしまいそうだと思っていた拝殿の扉は、ギィと悲鳴を上げて中途半端に開き、その隙間を入った。カビの臭いがして、うっと息が止まった。流石に座り込む気にもなれずスマートフォンのライトでこの辺に座り込みました、と場所を示した。


「それから、外で争う声がして、巫女が階段に頭を叩きつけて」

「……埋められた、か」


 谷原が拝殿の下の隙間をライトで照らし、暗い土を照らした。


「谷原さんはなにか、感じるんですか」

「私は防ぐ方だからね、自分が狙われたり、誰かを明確に狙っている時くらいしかぴんとこないんだ」


 つまり、今は大丈夫というわけだ。初も拝殿を出て床下を覗き込んだ。


「今もあるんすかね、死体」

「掘り返してみるかい?」

「……いやです」

「私もだ」


 かち、とライトが消され、谷原はごそりと例のお札を差し出してきた。受け取り、ぎゅっと握り締める。


「異界へ繋げてもらえるかな、危ないと思ったらすぐに拍手だ」

「はい」


 すぅ、と深呼吸、初は目を瞑り、ゆっくりと開いた。ぶわっ、と体を叩いて抜けた夜風にぶるりと震えた。先ほどまでの白い明るさは消え、暗い雪雲に覆われた灰色の夜が広がっていた。周囲を見渡していれば、谷原が初の肩を叩き、視線を求めた。正気かどうかを確かめられ頷く。


「君の見えている世界の話をしておこう。これは、亡くなった人の一番強い思いの世界だろう。幸せか、苦痛か、もしくは続くと信じていた日常か、そういうところだと思う」

「霊障の発端となる場所、ですね」


 護の補足に谷原は頷き、見事だよ、と呟く。


「こういう世界に繋げるために、霊能力者はいくつかの手順や呪具を必要とするはずなんだ。カメラのシャッターを切るように、瞬き一つでこうも見えてしまうとは……君は本当に苦労しただろうね」


 初は唇を噛んで俯いた。そう言ってもらえることの嬉しさが目を熱くさせた。もっと早く出会っていたかった。目が乾いたのだと誤魔化すように目頭を掻いてマフラーの中で鼻を温め、初は少しの間を置いて顔を上げた。


「兄貴は、居てくれたんで」


 谷原の視線は護に対し少しだけ冷たい。会話を続ける前に、ずる、と物音がした。三人で拝殿を振り返った。ごそ、ごそ、と物音がして浅く短い呼吸が空気を揺らしてこちらまで聞こえた。うっ、く、と苦しげな息にこちらも呼吸を忘れてしまい、じり、と近寄り、覗き込んだ。腕がバシンッと地面を叩き、土に汚れた爪が大地を引っ掻いた。ずる、ずる、と湿った土で汚れた巫女服が重く、思うように進めないのだろう、口からも土を吐いて凄まじい形相の女が雪明りの下に姿を現した。頭から滴るどろりとしたものは、血だろう。

 口がぱく、と鯉のように動いた。踏み荒らされた雪の上に辿り着くと、その体の泥を白の中に描きながら巫女はまだ進んだ。なにかを言い、少しだけ顔を上げ、初は目が合ったような気がした。巫女は息も絶え絶えに悲痛な声で言った。


「……だめ、このまま、じゃ」


 思わず、あの、と声を掛けようとしたのを谷原の手がマフラーを掴んで止めさせた。


「霊媒師のような真似をしてはならない。素人の君が誰かの代わりをしてはならない」


 はい、と答えればマフラーから手が離された。巫女の瞳孔がゆっくりと開き、ことりと落ちて、そこから地面が地中に引き込まれるように崩れた。拍手、と護の声に反射で手を叩き、初と谷原はどさりと雪に尻もちをついた。

 お互いに雪の感触を確かめ、一瞬見えた黒い穴があった場所を見遣り、二人は息を切らせて暫くの間沈黙を守った。

 握り締めていた護符は消し炭のようになって白い雪の上に黒い色を落としていた。



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