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雨上ノ詩  作者: stenn
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月夜

 珍しくその日は満月が空に見えていた。屋根瓦の上に座るのは一人の少年。夜闇に溶ける様な黒い髪。水を溶かしたような碧眼は月の光を写し取って輝くようだ。この国ではほぼ見ない色を纏った少年の身体は栄養不足のように細く、後宮に似つかわしくないほどみすぼらしい様に見えた。よくよく見れば髪は整えられては居らず、衣服もどこか汚れた――着古したものを纏っている。ただ、その横顔は可愛らしいと美しいが混在するようで、将来どちらに転んでもおかしくないように思えた。


 カタン。と小さな音にピクリと少年は反応し、些か警戒するるようにその目を向けた。


「……譲雨様こんな処にいらっしゃったのですか?」


 困ったように眉を下げるのは、沙羅その人だ。少年とは非対称。白い髪が世界に浮き立つように靡く。どこにでも居そうな、人の良い笑顔。そんなものを浮かべつつ、沙羅は少年――譲雨の横に『よいしょ』と小さく呟きながら腰をかけた。


 その手に持つものは――酒で。譲雨は呆れたように沙羅を見た。


「ぼくを探していたんじゃないの?」


「あ――良い月っすらね。滅多にお目に掛かるものではないし。酒の肴に丁度良くて。これを飲もうと思ってここに来たら譲雨様が居た感じですね」


 言いながら沙羅は空を仰いだ。こんと傾ける酒はとてもおいしそうに譲雨には映って見える。


「ぼくも飲める?」


「あぁ。ガキ――未成年は飲めませんよ。――あ。そうだ。良かったっすね。揺籃様が起きたそうですよ」


 ガキ。そう言われて少し顔を不快そうに顰めて見せたがその後に続く言葉にパッと顔を上げてから申し訳なさそうに視線を落した。


「……あの揺籃さまには申し訳ない事をしたと思う……。咲耶は怒ってた?」


「なんで、譲雨様に怒るんすか?」


「だってぼくが貰った飴を揺籃さまにあげたから」


 泣きそうに顔をクシャリと譲雨は拝めて見せた。握りしめた拳は震えている。


 譲雨はこの後宮で『見えない』存在だった。いわば透明人間の様な。ただ物理的に見えない。というわけではなく、誰も気にしない。気にしてはいけない子供である。


 この後宮の片隅で孤独に暮らしてきた彼に取って、『誰か』から何かを貰うことはとても嬉しい事であった。


 それを『友達』に分けて何が悪い事であろうか。ただ、嬉しさを分け合いたかっただけ。それだけの事であったのに。


 まさかこんな事になるとは思っても見なかったのだ。


「ぼくが食べても大丈夫だったの。だから……」


 きゅうと悔しそうに唇を結んでいた。


「譲雨様も俺も。毒が効きにくい体質だからなぁ。これで味が普通だったら分かりはしないしなぁ」


 効きにくいというか。効かない。そんな特殊な体質であった。自嘲気味に『は』と笑いを浮かべて沙羅は酒を仰ぐ。


「困ったことに、俺なんて酒すら大量に飲まないと酔えないし?」


「でも」


 怒られること――罰でも望んでいるのか。食い下がる譲雨に沙羅ははあっと小さく息をついて空を見上げた。


 微かに雲か増えているだろうか。残念と軽く眉を寄せる。


「譲雨様の所為では無いでしょ? 問題は誰がその飴を渡したかで。誰が渡したんすか? 知らないやつから物を貰うなんて、いったい何歳なんすか? アンタ」


「……ごめんなさい。ぼくの乳女の友達だったっていうおばさんが……服的には下女のものだったんだけど」


 乳女――乳母ともいう。母の変わりに乳母に譲雨は育てられた。その乳母も一昨年に亡くなったが。譲雨がこれほど素直に真っ直ぐに育ったのは、本人の資質もあるが乳母のおかげとも言えるだろう。


 ただ。年齢より幾ばくか幼く見えるし、その言動も幼いままなのはいかがなものかと思う。


 実年齢は沙羅がよく通う水華宮の姫とそう変わることはないし、そろそろ後宮にいることが出来ない年齢に入り掛かっている。しかしながら未だここに居るのは許可されていない。ということもあろうが本人に行く当てが無いからであった。


 それにと沙羅は考える。連れ出したところで何が出来るとは思えない。譲雨もまたここから出ることとができない者の一人だろうか。


「へぇ。乳女の――」


「ごめんなさい」


「謝るのは俺ではないですよ――ま。次回からは知らない人間からものを貰うとか止めた方がいいっすね」


 とんっと軽い音を立てて瓦の上に酒瓶を置いて軽く伸びをする。ふわりと白い髪が風に揺れた。


 刹那――。


 鈍い音を立てて何かが屋根に躍り出る。そのどれも(・・・)が銀色の刃を握っているのが分かった。殺気が満ちるこの場で、にこりと一人沙羅は笑って見せる。


 その状況が余裕であるかのように。


「つ……沙羅」


「そして。一人で出歩かないでくださいよ。俺。これでも宦官なんすから」


 だんっと瓦を蹴ったのが合図で。沙羅は低く駆け出していた。にたっと笑う口元には狂気が乗った様に見えるのは気のせいだろうか。こくり。影の喉が軽く動く。恐怖と自分の行く末を感じ取ったかのように。



 ――今日は機嫌がいい。腕一本までで見逃してやるよ。


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