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雨上ノ詩  作者: stenn


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「大変、大変。大変ですぅ」


 大声を上げてけたたましい音を立てながら門を抜けて走ってきたのは姫様だった。小雨の降る中。薄墨色の衣服を濡らして、姫様は箒を持って掃いていた私の前に息を付きながら立った。


 ……ん?


 あれ。おかしい。この時間は自習時間だったような。


 私の仕事のこともあるので、定期的に数時間ほど自習で勉学に励んで頂いている。課題も出しているはずで。もうすぐ昼なのでご飯を持っていこうかと考えていた所だった。


 ……ん?


 なぜ、私の服――下女の服――を来て向こうから走ってきたのだろうか。しかも薄汚れている様な気がするのではあるが。


という事はどう言う事なのだろうか?


「えっと?」


 何度目かの疑問符を浮かべながら私は姫様に目を向けた。訝し気な視線に姫様はバツが悪そうに視線を逸らしてから『いや、だって』と謎の言い訳をしている。


 大方抜け出して、下女の真似事をしていたのだろうけど。いや、良家の出である筈であるのに下女の仕事が出来るのはどうなのだろう。


 わざとらしい私の溜息に姫様は肩をびくつかせた。


「お立場、分かってらっしゃいます?」


「ご……ごめんなさいぃ。暇――いや。あの。でっ、でもそんなことより大変なんですよぅ。雪花」


 暇……。課題を増やした方が良いのだろうか。と考えたが……いつも出来ていなかったと思い立つ。出来ていないのではなく、していないことに頭が痛いが。


 ともかく頑張って作ったのにと内心いじけながら姫様を見つめた。


「はぁ。なんですか? 何が大変なんです?」


 大体、姫様の『大変』は大変で無いことが多い。例えば庭の隅で子猫が生まれた――それも大変なことだけれども――髪に枝毛が沢山あるとか。そんな些細なことで。この前は大きな雲を見つけて泣いてたなぁ。私も半べそで半日掛かって睨み合った挙句、沙羅が五分も経過せずに対峙したのだけれど。


「あ。――そうだった。あのっ。昨日漣推様の誕生日だったんですよぅ」


 漣推妃。漣推宮に住まう后妃の事だった。第三后妃で齢二十五だったと思う。現皇帝が即位した頃に『緑』という地の所から来た姫だった。


 後宮というものは姫様を含め美姫が多いがこの漣推妃は絶世と言われる程に際立っていると聞いている。実際綿は目にしたことは無いのではあるが。


 故にこの漣推妃が皇帝の寵妃と言われているし、二人の間に皇女が一人生まれていた。


「あぁ。連妃様の下女に紛れていたんですか?」


 確か私の記憶が正しければ姫様も――と続けて見せるとあからさまに視線を逸らし、所在なく指を動かている。


 ちなみに姫様は第五后妃の立場である。


 ……何かがおかしい。


「えっと。そのことについては後で何度でも謝るので……ともかくとしてですねぇ。私もお手伝いに行っていたんですよ」


「はぁ」


 祝賀会でも開く予定だったのだろうか。姫様にも毎回してあげたかったがこの水華宮にはそんな余裕が無かった。実家からお祝いの品が送られてくる。ただそけれだけだ。


「で、ですねぇ。そこで姉さまたちに聞いんですど揺籃様が倒れられたようで、ここ一週間意識が戻らないと聞きました」


 お姉様。お姉様……。いやそこは置いておいて。揺籃妃。第四后妃。齢十八で姫様の一年前に『推』地方より後宮に入った人物だ。


 愛らしく、柔らかい感覚の女性だったように記憶している。苛烈さが無いとというか。のんびりというか嫋やかな雰囲気を纏っていた。年齢の割には大人びていたように思う。


 それこそ私よりは。


 私は眉を直接軽く寄せる。面識は無いけれど、それでも痛ましい。良くなって欲しい。と思うのは本心だった。私とそれほど年齢は変わらないのだし。


 そう言えばほとんどの妃は私とそれほど゛年齢は変わらない事を思い出す。


「それは。確かに大変ですね? 揺籃様が……御病気ですか?」


「それが……毒を仰いだとか、青が無かったとか。詳しい事はよく分からないんですぅ」


「え」


 毒――。ぐらりと頭が揺れる気がした。


 後宮に入るならば誰もが言われることであるし、知っている事であるが『後宮は政略渦巻くところである』と。端的に言えば『下手をすれば死ぬ』だ。


 まぁ。死にかけた人物が私なんだけれども。それは置いておくとして。


 いま、ここで。そんなことが起こるとは思わなかった。比較的現在の後宮は安定しているからだ。皇帝の渡りは少なく、御子も多くは無い。よく覚えていないが――確か皇后に二人。第二后妃に一人。第三后妃に一人だったか。皇后の子供を除いて幼く女児のため殺し合いをするほどギスギスしている訳でもなかったように思う。


 もちろん後宮である以上多少……はある。私は関わりたくない。そして姫様にも関わって欲しくはない。それは頭の痛い問題だが――ともかくとして。


「なぜだろう?」


 疑問を呟くとぐっと姫様は口元を真一文字に結ぶ。その視線は地面に落されている。まるで恐怖から目を逸らすかのようだった。


「姫様?」


「一説によれば……天子様が無理やり飲ませたとか」


 天子。つまり皇帝が――。


 いやいや。それは無いだろう。と言い切ることも出来なかった。何をしてもおかしくはない。ということが今の状況だったから。


 新人の文官を無意味に斬り殺したというのは沙羅の談で記憶に新しい。もう、どこまで狂っているのだろうか。


 ぱっと姫様は泣きそうな顔で私を見上げている。薄い唇が震える声を紡いだ。その手はきゅうと私の裾を掴む。それはもはや幼子の様にも見えた。


「……どうしましょう。あのぅ私も殺されるのかなぁ? 雪花」


 私はその手を拾い上げて握りしめる。その手は少しだけひんやりとしていた。


 もしかしたらそんなこともあるかも知れない。見境なく皇帝は巣経てを殺しつくしてしまうかも知れない。


 だけれど。


「そんな事はさせないです。私は姫様を護るためだけにここにいるんですよ。姫様にも、旦那様にも奥様にも誓いました。私はそのために生きているのですから」


 姫様を護るためだけに。


 私はふわりと笑って見せると姫様は目を見開いた。少しだけ痛ましげに顔にクシャリと皺が寄る意味が私には分からない。


 もしかしたら信じてもらえていないのだろうか。うーん。と肩を竦めて見せる。


「死んだって護りますよ。せっかく救ってもらった命です。貴方たちの為に使うんですよ。私」


 それで死ねたら本望だ。本気でそう思う。私ごときでは役にも立たないかも知れないが、少しなら何とかなればいいと思っているのだ。


「あのですね、私は、そんな事は望んでいないんです。……雪花」


 どこか焦ったように、伝わらないことに苛立ちを含んだ声音だ。だけれど姫様が望んでいようと望んでいないと関係ないのである。


 そう後宮に来た時決めた。


「私の望みなんですよ――さ。雨が少し強くなって来ましたね? 午後から沙羅が来て教えてくれるんでしょう? なら」


「なら?」


 未だに泣きそうな姫様は訝し気に私を見た。その視線ににっこりと笑顔を返す。それに嫌な予感がしたのか、先ほどの恐怖や不安を忘れたかのように引きつった顔を姫様は浮かべた。


 その予感はおおむね当たりだ。私の満足げな笑みに気づいているだろうか。


「課題を終わらせてくださいね?」


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