終る世界
私はぼんやりと目を開けていた。そこに広がるのは真っ青な空。雲一つない。緩慢な動作で身体を起こせばそこには何もない荒野が広がっていた。誰もいない。だけれど、空気も、臭いもすべて私は知っていた。邸であった筈の『何か』は朽ちて地面に横たわっている。視線を巡らせば、今にも簡単に石が積み上げられた墓。その前には小さな花が飾られていた。
私の近くに置かれていた杖を拾い上げて、もはや動くこととが苦痛になった身体を引き摺る様にして墓の前に立った。
墓と言うには余りにも小さく、ただ石が積み上げられているだけのそれ。作った本人しか分から無いだろうに。
私は小さな花を拾い上げた。よく見れば少しの水でさえ芽吹く雑草。だけれど花は白く可憐で美しかった。
「悪いな。この辺りには花なんてそれぐらいしかなかった」
振り向くと乾いた風に白い髪が巻き上がる。少しはにかんだ表情を浮かべ包帯に巻かれた手には私が持っている白い花が握られていた。
「沙羅、様」
サクサクと歩いて、墓標の前に軽く屈んで沙羅は花を置いた。整った横顔はどこか悲し気に見える。
「姫様に聞いて」
連れてきてくれたのだろうか。どうして。そんな顔をして見つめれば軽く拗ねたような笑顔を浮かべて見せた。
「だって、君。家族大好きだったろ? 俺よりも。君が死ぬ前にここに来たいと思うのは当たり前だろ?」
「まあ、そうかも」
「そこは否定してほしいね。少なくとも俺の墓の前では死のうとしないだろ?」
見透かされてているようでぎくりとした。死ぬ前に来たいと言うわけではなく、『ここ』で死にたいとそう思っていたから。
ちなみに沙羅――倫陽の墓はあるにはある。けれどそこに倫陽の遺体が眠っていると言えば別で――ここに倫陽がいるからという理由ではなく――基本的に皇帝は死ぬと死体ごと消えてなくなってしまうと言うのが理由だった。
「……沙羅様」
「陽でいいよ」
ゆっくりと沙羅――倫陽は立ち上がって私わ見つめる。もうその双眸は瑠璃などではなく、暗闇を映す深い黒。
不思議そうに見てみれば陽倫は白い髪を一房持ち上げた。
「――元々俺の加護はほぼ譲雨に預けてたんだ。まぁそのことすら途中まで忘れてたんたけど……でも。うん。もうすぐかな?」
髪から手を放すと空を見上げる。
「何が?」
「全権譲渡」
あっさりとした言葉にどくりと心臓が一度大きく鳴った。その言葉が指す言葉は――きっとおめでたい事。この国の新たな門出になるだろうとは思う。思うけれど。
それは倫陽の死を意味していた。それは避けることなどできない皇帝の最後。分かっているけれど少しだけ声が震える。『そう』としか言えなかった。
出来れば死んでほしくはいと思うのはきっとエゴである。私は死んでしまうのに。
少しの沈黙。風が吹き抜けていく。その間、祈る様な姿勢で倫陽は墓を見つめていた。その下で小さな白い花が揺れている。
「雪花――いや。月」
姿勢も変わらず倫陽は言葉を静かに紡ぐ。その声はすぐ風に乗って消え入るようであった。
「……」
「俺は何もできなかったな」
「……」
「守ることも、思い出すことも、それどころか誰一人助けることも出来なかった。俺は皇帝だったのに。あまつさえ月を傷を付けてばかりだ――護ると昔誓ったのにな」
遠い昔。結婚した日にそう誓った気がする。今では遠い幼い日。
こちらを振り向きもしないどこか小さく見える背中に私はふるふると首を振った。見えてもいないのに。
「譲雨を助けたよ。陽は記憶が無くても私を助けてくれた」
それに。春山亭はかつての陽倫が建てたものだと聞いている。元々こんな事態を予想していたわけではないが官民の大粛清から逃れた人が沢山逃げ込んていた。
「雑用?」
少し不貞腐れ君にこちらを見た。子供かな。でも、助かったのは事実だし。ははは。と笑う。
「……姫様も助けてくれたでしょう?」
言葉に少し考えて空を仰いでから漸く視線は私をとらえていた。少し考えるようにした跡とで静かに口を開く。
「歌を――」
「詩?」
え。嫌だ。なんて突っ込んだけれどよく考えれば違うと言うことはすぐに分かった。よく歌っていたあの日々が懐かしく脳裏に掠める。
「詩を歌ってくれる?」
静かな世界に美しい声が響く。決して上手いとは言えない歌。それを見てい居る青年は満足そうに笑い、女性は楽しそうに歌った。
雲が流れる。
日は傾く。
いつしか静寂だけが世界を支配していた。