父子
眼前一杯に青い空が広がっていた。他には何もない。どこまでも澄んで高い空だ。何かを掴もうとして手を伸ばした――つもりだった。ただ。その手が既に何事に気づいて彼は苦笑を浮かべて見せた。痛みも何もない。ただ。すがすがしい気分だ。
もうじき自分自身はこの世界からいなくなるのだろうと分かっていても。
「空は昔見たものと変わらぬな」
掠れた声は小さく力はない。ひゅうと喉から空気が漏れていくそんな音がしている。乾いた唇。それを撫でるのは埃っぽい空気だけ。
「気分はどうですか?」
軽く横に事を降ろす気配がして彼は視線だけをそれに向けた。しかしながら横たえた身体はもはや動くこともなく、視界には微かな足元が見えるだけである。土と埃。そしてこびり付いた赤黒いものは血なのだろう。
それでも、彼にはそれが誰かは分かっていた。懐かしい気配に苦笑が漏れる。
「――久しいな。譲雨」
「父上」
言葉に、彼は息を漏らして見せた。
「俺は、んな大層なものじゃねえって、もうお前は知ってんだろ? それにお前はそんな事の為にここにいるわけではねえだろ?」
彼にとって譲雨は――どうでもいい存在だった。死のうが生きようがどうだっていい。興味などない存在。愛情一つ欠けたことは無かった、と思う。
大体簒奪の前後は――今まで記憶が曖昧なまま。だから確証は無いのではあるが自分のことは自分が一番欲分かっているものだ。
しかし。
「覚えていらっしゃいますか? 僕が小さな頃、父上は僕に肩車をしてくださいました。世界はいかに広くて大きいか説いてくださいました」
「……ばかな」
言葉はそれしか漏れなかった。よく記憶していない事柄。自分では無いのだろうかと問うには余りにも無粋。そんな気がしたからだ。
「今日の様な美しい空でしたよ。僕は」
何香を言おうとして口を閉ざした。その代わりにすっと布が擦れて立ち上がる音。上を向いたままの霞んだ視界。そこに記憶よりも成長した少年が――否。もはや正五年とと言ったほうがいいいいのかも知れない意。不安そうな双眸を浮かべた少年はとどこにもいなかった。
水色の双眸は空に溶けるようてある。少しだけ彼は息を飲んで口元を歪めていてた。
「龍の――」
滑稽だな。呟きは空に掻き消える。その顔立ちは自身に微塵も似てやしない――多分何処までも行こうと似ることは無いだろう。何もかも。
その光を灯した双眸は美しい人に似ている。
「父上」
静かな声に軽く瞑目した。
「ぁあ。成せ。お前はそれをしに来たのだろう? あの倫陽か俺を生かしておいたのは多分お前のためだ」
思い残すことなど何もない。そのつもりで簒奪した地位。
何のためにと言われれば今は笑えことであるし、もはや言ったところでどうだってい良いことだ。申し訳ないなんて言ったところで無意味。
これが結果なのであるから。そう思った。
「父上。言い残すことは?」
この後に及んでと彼は喉を鳴らす。
「無いな」
「……そう、ですか」
残念そうとと言うよりその声はどこか寂しそうに聞こえた。ぐっと喉を鳴らしてから譲雨は持ってい居たであろう剣を振り上げた。
銀色の。魔を打ち破るかのような刀身が太陽に反射して眩しく輝く。それを本やりと彼は眺めていた。瞬きすることなく。それが自分の僅かばかりの命を刈り取るのだとと知ったうえで尚目を閉じることもしなかった。
「地獄で」
は。と息が漏れた。笑いで。譲雨の様子は分からない。けれど馬鹿馬鹿しすぎると一蹴する。
「俺は一人が好きなんだよ」
最後に残った目で見た光景は何だったか。すべては闇に飲まれ、言葉は風に乗って消えた。




