埃舞う世界
どんと鈍い音がして私は地面に叩きつけられていた。脳が揺れる。感覚的に。半ば何一つ考えることなく私は蹴り上げるように立ち上がると後ろに飛んだ。
――は。
息が上がる。心臓が数倍速く跳ね上がっている。ジワリと滲んでくる汗。それでも動かなければならなかった。受け流した剣は酷く重くて手が痺れるようだ。今まで軽かった身体は酷く重くなり、もはや気合だけで動かしている。
「随分疲れているようだな? 今日は三日目だが、さすがに龍の姫だろうと無理か」
「……」
「ま。いろいろ小細工はしているようだが、誰も助けには来ないだろうよ」
「特に何も思わない」
私を助けろとは一言も言っていない。変わらず拠点に援軍を要請しただけてある。時間を指定して。であるので、私がすることと言えばただの時間稼ぎだけだ。ここにいると言う事も知らないのではないだろうか。
それに。
私はもう持たないので。帰ることが出来るなんて思っていない。姫様には、皆には申し訳ないけれど。薬を飲んだ時から決めていたことだし。
私は乱暴に乾いた口を手で拭った。拭った手は口元を噛みしめていた為か血がうっすらと付いている。
はあっと息をついてからぐっとすべてに力を込めた。その視線にさえも。
絶望をすると思ってたのだろうか。私が絶望をしたのはたった一度だけだ。皆がいなくなった世界に私だけが取り残された時。ただそれだけだと思う。それは未だに心の中を這えずって暗い影を落しているのは知っている。
すべてがどうでもいい。そう思える程には。
でも。最後は誇らしく笑いたい。私にも出来ることがあったと。何もできない、何もしなかった名ばかりの皇后であっても大切なものぐらいは守れるのだと。
かつてこの国を守ったと言われる龍は納得などしないだろうけれども。
「は。……おいおい。生言ってんじゃねえぞ。このあいだみたいに怯えた目を見せてみろよ。悲鳴を上げて見せろよ」
チリリとした記憶が身体を焼く様な痛みを蘇らせた。羞恥と怒り。ただ、そんな事など意にも返さない。そんな顔で、表情も変えることなく皇帝を見た。
欠けて歪んだ両手剣。それを改めて持ち直す。
さらりと黒い髪が巻き上げられた。
「悲鳴をあげるのは、貴方です。あれくらいで私の心が折れるとでも? 呪いに負けた誇り高い総大将よ。あの世で私の夫に低頭し、地に付し謝りなさい」
――刹那。鈍い爆発音とともに怒号と悲鳴が巻き上がっていた。
お爺さんとの打ち合わせには『なにかする』とは言っていたが具体的に聞いてはいない。なるほどと考えながら私は皇帝を見つめる。
取り乱している様子は無く、面白そうに目を細めていた。恐らく知っていて、止めなかったのだろう。何をしたいのかさっぱり分から難かった。まぁ。理解しようとした所で無駄なのかも知れない。
慌て蓋める周りの中で私たちだけが時を止めた様に向き合って立っていた。火薬の臭いが辺りに充満していた。煙なのか埃なのか。辺り一面の視界が悪くなる。
ただ、私と対する黒い双眸だけが色々輝いて見える。
「さて。やるか」
「そうですね」
ざりっと第三者の押し音が聞こえる。先ほどの男だろうか。動けなくなって仲間に引き取ってもらったはずだが……だけれどそんな事は気にしていられない。
ぐっと足に力を入れたところで肩をポンと叩かれる。
さあっと黒い髪が目に入った。鮮やかな藍色の双眸が男を見つめている。あちこち汚れているというのに清潔感がある整った横顔が目に映る。
「え?」
「――ぁあ。そうだな。今度は心臓を抉りだしてやるよ? まともに死ねると思うな」
聞き覚えのある低い声。重そうな両刃の剣がギラリと輝いていた。
「沙羅?」
なんで。乾いた唇が声を出さずに唇が紡いだ。沙羅であるはずだ。その筈であるのにどうして。倫陽と、かつて夫であった少年と被るのだろうか。
その双眸も髪もすべて同じ色をしているからだろうか。
何故。
「間に合ったものだな。存外」
「は。残念だな。――月」
呼ばれるとは思っていなくて私は反射的に『はい』と強く答えていた。顔を上げれば背中しか見えない。細く頼りないそんな背中だったはずなのにその背中はなぜか大きく見えた。
「ぼんやりしてる暇は無いよ。援護を。多分。俺だけではせいぜい目を潰すくらいだ」
「う。うん? ――うん。分かった」
ともかく今は。私は皇帝に目を向けた。ざりっと土を踏みにじる。すうっと軽く息を吸っていた。
「わかったよ」
ぽつりとと呟くと倫陽の薄い口元は軽く弧を描く。いつか見た少年の様に。
「来い」
どこか余裕のある掛け声ととと共に私たちは駆け出していた。