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雨上ノ詩  作者: stenn


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20/32

 ――蝶が飛んでいる。そう思ったのは自身がもはやどこにいるか分からない程に狂っているからだろうか。



 いつものように分厚い雲が空を覆っている。雨は降り出しそうで降らない。一時前まで降っていた為か足元はぬかるんで水たまりを作っている。尤も――それが乾くことは無いのだが。


 山水を小さく模した庭に美しい雨傘の花弁が開いている。庭から続く開け放たれた離宮には数人の楽師が美しい音楽を奏でていた。風など無いというのに、風が踊っているような軽やかな音が庭を駆け巡っていた。鳥は歌い、世界は美しい。そう思わせる様な曲。


 それはあまりにも現実と乖離している気がしてどこか物悲しい。


 庭の中央にある四阿に目を向ければ、美しい女性たちが談笑している。まるで天女が集うような、一枚の絵画のように見えた。太陽も無いのにそこだけ輝いているというのはこういう事をいうのかと思うほどに。


「へぇ……揃うとやっぱり荘厳だな」


 庭から離れているが、それでも庭を見ることができる暗い、暗くてかび臭い炊事場。皿を布で磨きながらそう呟いたのは沙羅であった。


 何をしているんだろう。酒を持っていないだけマシなのだろうか。そんなことを考えつつ私も皿を拭いている。


 ここは庭に続く離宮の炊事場。その奥にある第三くらいの炊事場だろうか。第一、第二炊事場は大慌てでごたついているのが聞こえてくるが、ここは至って平和だ。なぜなら私と沙羅。そして大量の皿が詰まれているだけだ。


 簡単に言えば体よく追い出されただけの気がする。


 漸く迎えたお茶会。結局衣装は咲耶が貸してくれた。……低価格で。低価格と言っても、働いた金額はすべて飛んでいったのだけれど。生地や装飾は良いものなので仕方ないだろうか。ちなみに時々働きに出ているのは姫様には内緒だ。


 それは置いておいて。姫様を送り出した私はさすがに忙しそうな同僚を手伝おうとしたわけである。いや、誰だって廊下を全速力で右往左往している同僚を見れば手伝うだろう。私が変なのだろうか。


 その仕打ちがこれである。


 そこまで。と思ったが――姫様が見ることが出来るのでまあ良しとすることにした。沙羅曰く『寛大』と笑っていたがいちいち怒ってもここでは疲れるだけなので。


 にしてもこの大量の皿はどうするのだろうか。


 ――まぁ。いか。と思考停止。私は顔を上げていた。


「揺籃様を除く妃賓の方々がいらっしゃっているんですよね?」


 第一妃は逝去されているため第二妃――喜妃。第三妃――漣推妃。そして第五妃――水華妃。私の姫様が一番幼く、一番かわいかった。子供らしさを失っていない姫様は他の妃に囲まれて弄ばれている。可愛い。という声が聞こえてきそうなほど和気あいあいとしていた。


 馴染めたようで嬉しい。と心がほっこりするが、それと同時に揺籃の姿が無いことに胸がチクリと痛んだ。


「あの、揺籃様の具合はとうですか?」


「ん。本人はピンピンして、ヘラヘラしてたから大丈夫。本当は来るって聞かなかったらしいけど、さすがに咲耶たちが止めたらしいよ」


「そう――」


 皇帝が揺籃の元に『渡った』のはつい一週間前のこと。それは余りにも突然で後宮が騒然とするほどだった。気まぐれか狂気か――。


 手酷く扱われた揺籃の身体は何処から取り出したのか刃物の傷もあったという。死ななかったのが不思議なほどだ。そんな噂が広まっていた。


 酷い。その言葉しか出てこない。けれど本人が何も言わない。もちろん悲痛だとは思っていない。だから私から何かを言うことは出来ない。


 私は皿に視線を落していた。白い大きな皿。布で磨けば小さく音が鳴った。


「……咲耶様は?」


「あぁ。こっちも元気に仕事してる。内心は知らないけど、怒っているのは怒っていると思う――だからと言って何を出来るわけでもないけどね。見ているだけしかできない。俺たちはそんな人間なんだよな。所詮逆らったら殺されるし。アイツが揺籃の側に居る為には『なにもしない』ということが一番なんだろうな。でも、恐らく」


 ――それが一番辛い。


 付け加えて沙羅は庭に視線を向けた。未だ皇帝は来ていないらしい。いないからこそ和やかなのかも知れない。


 さあっと湿った風が駆け抜けて、雨がぽつりと降り出していた。それと同時にぱたぱたと走ってくる人の足音。


 それと同時に黒い衣服を来た青年がこの炊事場を覗き込んでいた。また綺麗な青年で、白い肌に黒い髪が映える。


 彼はずかずか大股で入ってくると沙羅の前に立った。沙羅の方が些か背が高く、その体躯も確りとしているように見える。


「おい。沙羅。てめぇ、糞忙しいのに、こんなところに居たのかよ」


「おう。奉呂」


 ヘラリと笑ってから手をぱっと開いた。あいさつする様に。その手をぱちりと青年――奉呂ははたく。


「『おう』じゃねぇよ――交代の番だろ? 静伸がイライラしてたぞ」


 言うと沙羅は子供の様に口を尖らせている。


「え――。いいじゃん。もう少し」


「あのなぁ。良くねぇんだよ。つたく。あ。雪花だっけ? これ借りていい?」


 奉呂が私の名を知って言ことに驚いた。下女の名前など驚くほどに覚えてもらうことはないし、私だって知ることは早々無い。


 沙羅が何かを吹き込んでいるのだろうか。何を風潮しているのかものすごく気になる。


 ……ともかく、咳払い一つ。もちろん。とそう言えば『売るの』と悲し気な表情を浮かべている沙羅。いや、売るも何も。仕事は仕事なので行かなければならないだろう。ここで私にどうしろというのだろうか。私は冷たく沙羅を見返していた。


 仕事は大事なので。後で私が咲耶に怒られても嫌だ。


 ありがと。奉呂は満足げに笑ってがっちりと沙羅の首根っこを掴んでいた。どうやら力は強いらしく、少しだけ目を白黒しているのは首を軽く絞められているからだろうか。死なない程度に。


「じゃあね。後で返すから」


 ずるずると引っ張られて連れ去られていく沙羅は最後まで『あああああ』とよくわからない悲鳴を上げていた。


 暫くして、しんと冷たさと暗さを炊事場は取り戻していく。溜息一つ。気付かなかったが空気が冷たいためか、息が白い。


 そう思うと指先から冷えていく気がした。かたんと皿の置く音が酷く冷たげに耳に響く。


「これは、これは。賑やかだな?」


 かつり。乾いた音と共に現れたのは大きな体躯の男だった。見覚えのある――いや、記憶にあるよりは些か年を重ねているだろうか。その衣装は記憶にあるより華やかで。本来そんな衣装など好まなかったはずだ。その衣装に似つかわしくない腰に下げた武骨な大剣が動くたびにかちりと揺れた。


 別人というには――似すぎている。


「……伸将軍?」


 それは言うべきことではなかったのかも知れない。いや。言ってはいけなかったのたろう。きっと。驚いて私を見返した男はにたりと笑う。それは不気味で狂気じみていた。こくりと私は思わず喉を鳴らす。


 ――ミツケタ。


 その声は激しさを増した雨音に溶けて消えた。


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