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彼岸のクロニスタ  作者: 御御
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第六話:竜の訪い

 蠟燭の火が、眉を顰めるように揺れた。

 扉が閉まる。窓のない湿った暗がりがわずかに震え、そこにぽつぽつと灯るいくつかの目が、覗き込むように彼の姿をとらえる。

 闇には、何人かの男たちが潜んでいた。それらは暗がりのただ中に置かれた一つの円卓を取り囲んで、その中央に置かれた何かを、待ち焦がれるかのように見続けていた。


 「遅い」


 男が一人、そう呟く。

 彼は跪いた。片膝を堅い石畳の上に押し、深々と頭を下げる。椅子が擦れる音がして、一対の足音が甲高く闇に響く。


 「何を見ていた」


 ゆっくりと、足音が近づいてくる。

 頭越しに降ったその言葉に、彼は何の言い訳も返さなかった。ただぐっと沈黙したまま、さらに頭を深く下げ、その影を見ないように、その色を見ないように、鼠のように、じっと身を縮めて静かに待ち続ける。耳の奥が、キンと鳴った。いつものことだった。


 「頭を上げろ」


 足音が止み、声がかかった。

 言われるがまま、頭を上げる。

 そこには、彼の()の姿があった。銀糸に飾られた薄紫色の法衣をまとったその男は、その両目に尊き純血の証である鮮やかな緑色をもっていて――いや、やめよう。その男は、どう思ったところで父などではないのだ。記憶の中にある本当のそいつは、銀糸の縫い物になど縁もなければ、聖職者の色になど触れたことすらなかった。緑目の純血とはまるで及びもつかぬ、ありふれた卑しい目――病んで濁った黒ずんだ緋色――それこそが、その言葉にはふさわしい景色だった。


 「はい、父上」


 ゆえに、その言葉は嘘であった。

 だが、それでよかった。そうでなければ、彼は今ここにはいなかったのだから。祭祀長アンゲロス――この国で最も名高い聖職者であるその男は、偽りにすぎぬとて、少なくとも彼にとっては、そうあるほうがよい()に違いはなかった。


 「座れ」


 その男は一瞬不審げな視線を落とすと、おもむろに背を向け、円卓の方へ足を帰す。円卓には白い法衣を着た老齢の祭祀官たちがおり、その一番奥の席に、その男――祭祀長がゆっくりと腰を落とす。

 視線を感じる。見れば、円卓の一番手前の席が、ぽつんと一つ空けられていた。

 恐る恐る、体を起こした。身にまとわりつく鎧の感覚を感じながら、彼はそこへ向けてしずしずと歩き出す。背もたれに、鎧の硬さが音を立てた。静かに息をつく。見渡せば、祭祀官たちはもう彼に何の関心も向けてはいなかった。

 円卓には、一つの台座が設られていた。この場の全員の視線が集まる円の中心、その大樹の幹を思わせる一本足の支えの真上に見えるそれは、古の象徴に象られた荘厳な白磁の器であり、四方に垂れる貝染めの聖布に敷かれたそのただ中には、唯一の、あるべき美しき真球の宝玉がはめ込まれていた。


 竜の聖座、あるいはフアトの「写しの眼」――。


 そう呼ばれたその宝玉は、けれども、何の色も持ってはいなかった。向かいから向かいを、そちらからこちらを、一切の濁りなく透き通すそれは、潔癖なまでの無色透明であり、その大きさとあつらえの妙を除けば、一見、石ころ商どもの扱うくだらない水晶と何も違いはなかった。

 色のない石は、力のない石である。それらは導きから見捨てられた象徴であり、魂なき被造物、ぬけがらの心、盲目の精神――すなわち無価値な生命の暗示である。

 ゆえに、それは不可解な組み合わせであった。導きの竜フアトは世界の色彩――すなわち魂あるすべての生命の擁護者なのである。色とは、フアトの導きのもとにある証。フアトのしもべたる祭祀官が、色のない石を祀るなど到底考えられぬことなのである。

 では、それは何を示すというのか。


 「お方々、誓われよ」


 祭祀長が言った。

 それを合図に、祭祀官たちが一斉に目を閉じる。両肘を円卓の上に立て、その握りしめた左拳を右の手の平で包んで、正しい誓いの所作を組む。


 「かくあれかし。永遠の導きよ。七つの翼。魂の色彩を司りたる至上の聖性よ。フアトよ。王は我らと共にあり。祖は我らと共にあり。我らはここに永らえり。希う。示したまえ。顕したまえ。しもべたる我ら、今再び汝に誓わん」


 祝詞が上がった。それは服従の言葉であった。

 末席より、一人一節。文字通りに輪を描いて、一人、また一人と流れるように祈りが上がる。それは円卓そのものを導きの竜フアトの眼になぞらえて行う、「眼呼び」と呼ばれる古い儀式。数多の祭祀官たちの中でも、特に高位の者にしか明かされない、色なき宝玉に魂を呼び込む秘術であった。

 彼は唱える、声にもならぬような声で。聞けば、一際響く輪唱の裏側では、そこから外れた多くの声が、祈りを思わせる秘めやかな音調でもって、伴奏の如き神秘的な合唱を響かせていた。

 誓い手は長を、祈り手は一族を。二つの役回りは人王国の――いや、それよりも古い、いつかの失われた人々のあり方そのものを暗に表していた。

 

 「誓いは成れり!」


 祭祀長が告げる。

 結局、彼にそれは回ってこなかった。すぐ隣で結ばれるその言葉を前に、彼はゆっくりと瞼を開ける。ふと、目が合った。その男は、きっとわかっていたのだろう。胸を上下する複雑な思いをじわりと感じながら、彼は静かに視線をそらす。


 考える。

 はたして――誓えただろうか?


 わかりなどしないのだ。

 しかし、それでも導きはもたらされる。

 火が、揺れた。蝋燭が色を失う。夜よりも深い闇があたりをふっと包み込み、何もかもが――か細い一点の光さえ――無限の黒に塗りつぶされる。ざわりと、背筋が震えた。誰かがいる。さっきまではいなかった、誰かが。その直感とともに、どことも知れぬ暗黒のただ中から、こちら側を見つめる何かが――視線が、大いなる「眼」の印象とともに飛び込んでくる。

 ぴちゃぴちゃ。水の音がした。


 「竜の訪いである」


 その直後、目の前に炎が吹き上がった。

 闇が引き裂かれる。耳を軋ませる鳥のような甲高い声が上がり、オーロラのように無数に折り重なる色彩の奔流が、花びらのような形をもってあたり一面に解き放たれる。

 燭台が、かたんと床に落ちた。部屋全体が揺れていた。だが、それは恐ろしいものではなかった。波を立てる奥歯、胸を打ちつける鼓動、何度も明滅を繰り返す混沌とした頭――それらさえ、けれどもその訪いに歓喜の歪みをたたえていた。全身に、温かさが満ちた。熱ではない。それは生命の温かさであった。

 かたかたと震える円卓を片手につかみながら、彼はそこに到来する聖性の顕現に思わず息を飲む。

 色彩は歌い、血と精神は世界の美しきを賛美する。


 導きの竜、フアト。


 誓約は成された。

 不滅の存在が、導きとともに現世へと舞い戻った。

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