第三話:赤と青の運命
このトゥールの儀式――「契りの儀」において、「王」は二人の後継者を指し示す。一人は赤、もう一人は青。赤は激情と粛清、虚構と邪悪の焼却をあらわし、青は静謐と調和、秩序と聖性の導きをあらわす。二つの色は巡礼の始まりであり、ただ唯一の紫は巡礼の終わり。
かつて、人王国の最初の王オラドは、七つの翼ある竜フアトの導きにより、世界の四方を旅した。王は四つの聖域にて分かたれた古き聖性とまみえ、試練の果てに契りの楔を打ち込み、それが人王国の境界となった。人王国の民ならば誰もが知る、建国の物語である。
そして、その最後の舞台こそが、このトゥール。
かつて、王には偉大な兄がいた。力と知恵に満ち、寛容と公正を讃えられたその人族の頭領は、フアトにもよく認められた赤い瞳の持ち主であった。兄は三つの巡礼において、その武勇と勇気でもって弟を助けた。この兄の存在なくして、弟の旅は何も成しえはしなかった。
ゆえに、時の人々は誰もが兄こそ王に相応しいと考えた。兄に比べれば、弟は非力であり、その青い瞳にしても、散り散りとなった人族を再びまとめ上げるにはあまりにも軟弱な色のように思われた。王は、少なくともその旅においては決して王ではなかった。物語の多くの時において、その玉座の前に立っていたのは、紛れもなく兄の赤い瞳であった。
しかし、それでもフアトは兄を選ばなかった。全知の聖性である竜は知っていた。いかに赤々と燃え上がろうとも、その赤は決して紫にはなりえないのだと。フアトが楔を与え、王へと導いたのは、弟の青であった。
そして巡礼の終わり――トゥールにて、不幸な役者は破滅の時を迎える。最後の聖性を前に、トゥールの悪霊に敗れた兄は、その永遠の冬の闇へと連れ去られた。力も、知恵も、その永らえ続ける恐怖の前では何の役にも立たなかったのだ。悪霊を追放する唯一のものは、水底のように潜む静かな心と、そしてほんの少しの勇気であった。
始まりに二人、終わりに一人。赤と青、そして唯一の紫。契りの儀とは、すなわちトゥールにおける王の物語の再現――冬の悪霊を永遠の眠りに閉じ込め、北辺の聖性に自らの資格を示す儀式である。ゆえに、その紫衣とは王オラドに続くトゥールの巡礼者――先代の「お役目」の子が、悪霊の追放ととも聖性に認められた証の姿。
後継者を選ぶその一日、お役目の子は王となる。それは幾千の善行にも勝る栄誉であり、それを終えた暁には、彼とその家族――そして哀れな赤の遺族たちは、その一生の安泰をフアトの名のもとに保証される。
ゆえに、栄誉や生活の糧を求めて、この役を引き受けたい者は少なからずいた。貧しい者ならなおさらで、特に強い野心を持つ者は、事前に祭祀官どもに口添えを頼むことなどもありふれた話であった。
だが、お役目は子どもしか受けることはできない。それはトゥールを訪れた王オラドが当時少年であったことが理由であり、ゆえに、それを望んでいるのがそこに立つ子ども本人とは限らないというのもまた、ありふれた話であった。
先に広場に集まっていた子どもたちのいくらかは、実にそういう背景の子どもたちであろう。しかし、そういう欲深な者どもは、その代償に魂に永遠の罪過を抱き続けることにもなる。
始まりに二人、終わりに一人。残るのは、一人なのだ。
物語は実によくなぞられる。
最初の王から続くトゥールの巡礼は、必ず一人の犠牲者を出して終わる。それが赤か、青か。どちらを連れてゆくかは、悪霊と、そして導きの竜フアトしか知らない。始まりに祭祀長から与えられる護りの剣は、その持ち主の心までを表しはしないのだ。赤となるか青となるか、それはお役目の中で子どもたち自身が定める。
そして、不幸にも赤となり、悪霊に連れて行かれた子どもたちは、永遠にこの世に戻ってくることはない。フアトの祭祀官たちは語る。彼らは、悪霊の住む終わらない冬の闇の中で、魂の循環から呪われて、死ぬことも許されずこの世の終わりまで永劫に苦しむのだと。
だから、少なからずはいても、多くはいない。その仮面と紫衣と、そして何よりその悪霊にとらわれた闇の目を前にして、心変わりを思わずにいられる者などまずいないのだ。
しかし、それでも、自らや自らの子の魂を差し出す者はいる。そしてそういう者の口添えをしばしば頼まれるたび、フアトの祭祀官どもは軽蔑をもってこう笑うのだった。
なんと勇気のある! あれはきっと赤だろう。
あぶく銭は、祭祀官どもにとってよい小遣い稼ぎである。
けれども、フアトのしもべは腐敗していない。金を受け取りはしても、約束することなどないのだ。「フアトの導きを願う」とは、祭祀官どもの常とう句である。なに、浅ましい魂の告白など、誰にできるはずもあるまい。一年、また一年と延び続けて、そして最後の包みを受け取ったら、見事な出来損ないに育った馬鹿でかい餓鬼にたっぷりと祝福をくれて、悠々トゥールを去ってゆくというのが、正しく公正な祭祀官のふるまいというものであった。
「どうした、早く選べ。誰でもよい。今残っている者どもは皆好き好きだ。私の子は指せて、他の子は指せぬというのか?」
必死に走る少年の耳に、ふと祭祀長の囁く声が流れた。
「黙れ。それはお前の子ではなかろうが」
仮面の穴に銀色の光が宿る。
じろりと向けるその目には、引きつった憎悪が隠れることなく燃え上がっていた。
しかし、祭祀長アンゲロスは動じなかった。眉一つ動かすことなく、ふんと鼻を小さく鳴らしたかと思うと、耳打ちの姿勢から一歩後ろへと下がり、そして静かにこう返す。
「血筋の話か? 世界は美しいのだよ、ミリアム。くだらぬことを言って惑わせようとするでない。そなたは護った。そしてこれからもだ。フアトの導きはすでにくだった、運命は決まっているのだよ。わかるだろう?」
その声には、呆れとも諦めともつかない、低く沈んだ響きがあった。
そのやり取りが何の意味を持つのか、無知な少年には何もわからなかった。しかし、ふと目に入ったその指先は、今は、かたかたと小刻みに震えていた。
一体、何をしているのだろう。彼は人混みをすり抜けながら、二つの視線が分かれるのを目にする。
仮面から、銀色の光が失われた。それは何秒であったか。わずかに覗く閉ざされたまぶたの脇には、ほんの一瞬、深いしわが見えたような気がした。
来る――。
直後、頭の奥で何かが走った。
ほんのひと時、ほんのひと時でありながら、その仮面はもはやかつての闇を閉じ込めてはいなかった。
かっと見開かれる目。何かを宿したその目が、これまでにない鮮烈なる感情でもって、群衆を真っすぐに打ち据える。指が持ち上がる。不意に訪れたその変化、それは一瞬の出来事であった。台座の上に生じたその光に、人々は誰も気づいていなかった。
ああ、またこの感覚だ。彼は音もなく形を失う時の姿に、ドクンと心臓を跳ねあがらせる。色彩が消える。まるで自分だけがそこに生きているかのような、灰色となった人々のシルエットに、紫色の目がわずかに震える。
「赤だ。ああ赤だ……。アル、許してくれ。何もないんだ。おれには何もない。そうなのに……そうであったのに、おれはまた……またそうしてしまうんだ……」
頭の中に、どこからともなく声が響いた。
色彩を失っていないものが、ただ一つあった。銀色の目――その色褪せた仮面の内側で、星のようにちらちらと光を瞬かせるそれだけが、水面のような時の中で一人静かに泣いていた。
時のまぼろしは、どんな色にも従いはしない。そこに映る景色、そこに響く声、それらがすべて偽りであり、頭に憑りついたある種の病によるものであることは、彼自身よく理解していた。理解はしていた、はずであった。
足が、色のない人々を追い越した。
「おれが、いきます――!」
彼は、思わず叫んだ。
その瞬間、世界は色彩を取り戻した。