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彼岸のクロニスタ  作者: 御御
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第十八話:公国の吸血鬼②

 「この匹夫どもが! このようなくだらぬ手管に、騙されるでないわ!」


 それは、槍を振り上げる一人の老人であった。

 トゥールを支配する十三人会、その最も古く、最も頑なな純血の宿老は、守り人の証たる黝方石交わる黒隕鉄の槍をその男に突きつけ、思わず硬直する人々の群れに向かって、獣の如き凄まじい音声を叩きつける。


 「見よ、この男のおぞましい目を! 夜を招き寄せる不吉の瞳孔、()()の目……此奴は……この男は《吸血鬼》ぞ!!!」


 老人はその男を指差し、わなわなと怒りの声を上げる。

 人々の目が、一斉にその男へと向く。

 ――一体、どうして今まで気づかなかったのだろう。その男の両目は、人のそれというのには明らかに異質な色彩を帯びていた。

 死者のような青白い瞼、艶のない白濁した白目、瞬き一つしない漆黒の瞳、そして、その内側で月光のように揺らめく、茫洋とした白銀の「環」――。只中には、何よりも深い夜の底がその深淵の口を覗かせていた。

 その異様な眼窩から放たれる恐ろしい印象に、人々は思わず我に帰る。


 「吸血鬼だ!」

 「公国の吸血鬼……!」

 「恐ろしい……なぜ誰も気づかなかったのだ!?」

 「我らは騙されていたのだ!」


 人々は口々に狼狽の声を上げる。

 その象徴は、彼らの恐怖を掻き立てるのにこれ以上ないものであった。公国の吸血鬼――。その呼び名を聞いて、恐れない人族はいない。それは千年前に与えられた悍ましい惨劇の証であり、《王国》という領域に住む人々にとって、決して忘れることのできない暗闇の恐怖そのものであった。


 「そうだ、お前たちは騙されていたのだ。よく思い出すがよい、此奴が弄びしは、始まりの王をも惑わせし蝙蝠の声。一声聞けば心を失い、二声聞けば魂を蝕まれる。此奴の声は、まさしく、我らを欺く物の怪の声なのだ!」


 その老人――老セオスは言った。



 建国の王オラドは、その歴史が示すところにおいては、何者にも屈さぬ強大な王であった。王は数多の土地を征服し、まつろわぬ土着の者どもをその剣の元に調伏しては、一方で寛大なる慈悲の心でもってその王笏の定めるところに従えていった。


 すべては、賢明なる王とその臣下の治むるところにあれ。


 導きの竜フアトは、力ある王に世界の支配者たるを望んだ。

 王の征行は、世界を瞬く間に人の世へと塗り替えた。豊かな平原も、荒涼たる荒れ地も、波打つ丘陵も、獣どもの山嶺も、皆等しく人の一族の根ざすところとなり、かつて蛮族と呼ばれた者どもは、みな竜の導きによって、その偉大な一族の末席に加わっていった。

 王の軍勢は四方を平らげ、後に《王国》と呼ばれる領域をわずか十数年のうちに併呑した。南の《帝国》は砕かれ、東の《グラディア》は投降し、謎めいた《メンダシア》の森に巣食う祈祷師どもはその因習とともに滅ぼされた。

 三つの大領の降伏は、新たな時代の始まりであった。王の軍勢は無敗の軍として民衆の伝説となり、当時を生きる誰もが、《始祖》の楽園の再来を――邪悪な神々の呪いにより滅ぼされた、永遠を生きる最初の人々の時代の再来を――その唄に、その夢の中に謡うほどであった。

 後の歴史家は、やや抗弁的に主張する。王は、確かに世界の玉座にその手をかけていたのだと。

 しかし、その伝説的とも言える無敗の覇業は突如としてその終焉を迎える。

 始まりは、導きの竜フアトが示した一つの凶兆であった。


 「王よ、正しき道を望むなら、我が声に従うがよい。汝は西より北辺へ往き、守り人どもとともに白き原野を平らげよ。西より往かば、汝は大いなる石の導きのもと、人の世にさらなる繁栄をもたらすであろう。……ああ王よ、我が王よ、決して、決して東の道へは往かれなさるな。東より往かば、汝の臣は皆尽く死に絶え、汝はその永遠の命を失うであろう。運命は汝の味方に非ず。北辺の東、闇に覆われし《ワルトワ》の山嶺は、我が導きも届かぬ不吉なる地。邪悪な神々とその《魔女》の潜み住みしそこは、悍ましき魂の成れの果て、恐るべき狼の落とし子の領土なれば、そこにいかな悪意の待ち受けんことか。先は、この我にもわからぬのだ」

 

 最後の遠征を前に、導きの竜は王にそう忠告した。

 世界の北東、オルトゥス山脈に閉ざされたその未開の一帯には、《ワルトワ》と呼ばれる奇怪な一族が隠れ住んでいた。それらは人の一族の継承を自称しながら、人ならざる亜人の者どもと友誼を結び、人の敵たる《魔女》を信仰し、往古より続く悍ましい()()()の因習を倣い伝える異端の者どもであった。


 《狼》に近づくなかれ。

 其は人を狩り立てる闇、古より与えられし(ラダタ)の獄吏にして、魂を貪る不死の主なり。


 古の人々は、そう言ってその一族を恐れた。

 ワルトワには、不死の怪物が付き従っているのだと言われていた。それはワルトワの命令によって夜の闇を這いまわり、奇怪な鳴き声を立て、その館に近づかんとする者どもを捕らえては、永遠に夜明けの訪れない地の底の監獄に連れてゆくのだと言い伝えられていた。

 人々は狼の声に恐怖する。捕まった者は、二度と戻ってくることはないのだと。それは狼の牙の鎖に繋がれ、その魂が枯れ果てるまで、肉を削がれ心を責め苛まれるのだ。

 ワルトワの存在は、人々にとっては恐怖の象徴であった。

 しかしながら、王はこの一族を長らく許し続けてきた。それは導きの竜フアトの意思でもあり、近く災いとならぬのであれば、あえて吉凶を試してまで兵を用いるには及ばぬとの考えからであった。

 実際、ワルトワとその配下どもは、鬱蒼とした北東の山嶺から降りてくることはほとんどなかった。それらはまれに、いかにも人間然とした姿で近隣の人々のもとへ訪れ、多少の品々を買い求めることはあったが、その先に広がる人の世のことについてはまるで意に返すこともなく、元来た道を引き返し、再び鬱蒼とした山嶺の闇の中へ消えてゆくというのが常であった。

 ゆえに、その日のことについても、王はあえて関わらぬものと誰もが考えていた。王の遠征において、導きの竜フアトの意志は絶対。その正しい導きに逆らって、あえて危うき道を進むはずもあるまいというのが、多くの者たちの思うところの共通項だったのである。

 しかし――、


 「おお竜よ、ここに来て、なんと気弱なことを申されるか。我は汝の導きに従い、四方を平定せしめた。帝国は砕かれ、グラディアは屈服し、メンダシアの祈祷師どもは我が剣の錆となった。今や人の世を、無辜なる我が人族の子らを脅かすものは、この期に及んではワルトワの異端者どもの他におらぬのだ。見よ、我が精強にして無敗の軍隊を。我らは今や大地の尽くを征し、世界の果てをも……失われし始祖の楽園さえもこの手に収めんとしている。我は汝が選びし王、世界の支配者なれば、たかが北東の物の怪如き、何程のことがあろう。一人一匹残らず捕らえ、我が治世の先触れとしてくれる。……おお竜よ、そのように見るでない。見えぬ土地ゆえ、汝が渋るのもわかるが、西より続くは馬草も貧しき極寒の地。道は険しく行き先もわからぬとならば、トゥールの者どもも食い扶持を手放そうとはせぬであろう。なれば、ここは東より往くが吉。目先の道は近隣の商人どもが知悉し、その先においても、ワルトワの者どもが拓いた馬車道が我らを導いてくれる。それに北東は北西と比べて暖かく、食料はかの者どもが蓄えておるであろうゆえ、恭順さば金貨にて、さもあらねば剣にて、我らの求むるところを充足させればよかろう。我らは《魔女》のくびきよりワルトワの者どもを解放し、白き原野にて汝の導きの正しきを知る。竜よ、これは我が意である。汝が見えぬと、わからぬと申すなら、我が意に首肯し、恩寵を垂れ給う。我は王、人の主にして汝の王なれば、我らは必ずや勝利するであろう!」


 王は、初めて竜の導きに逆らった。

 それがどうしてなのか、王はその普段の様子からは信じられないほど雄弁に反駁したが、その理由を知る者は、王自身と、それに平伏する導きの竜フアトの他には誰もいなかった。

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