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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界が変わるゼンマイ屋

作者: 須原綺奈子

 深夜に知らない街を散歩するのは新鮮味があって癖になる。寝られない夜は度々外に出て未開拓の地を散策する。その店を見つけたのはそんな夜だった。入り口前に置かれた看板には手書きであろう拙い字で「ぜんまい屋」と書かれており、それを照らす一つのライトだけが店構えを完成させていた。不気味で怪しい雰囲気から妙な好奇心が湧いてきて、気づけば足は入り口を跨いでいた。店内は六畳ほどの広さで壁一面にぜんまいが飾られており、奥にあるショーケースの中にも大小様々なぜんまいが陳列してあった。

「いらっしゃい。どんな巻き鍵をお探しで?」

 奥の暖簾から姿を現したのは、眼鏡を掛けた三〇前後の男だった。その男はぜんまいを拭きながら私を見るや否やこう言った。

「お客さん巻き鍵手にしたことないでしょ。ほら持ってみなさい。世界が変わるよ」

 どうやらぜんまいと呼んでいた蝶型のアレは巻き鍵というらしい。男は持っていた巻き鍵を半ば強引に押し付け、私の手に乗せた。しかし何も変化はなく、ただ鉄の重みを感じている時間が過ぎていた。

「外に出てみると分かるよ。そうだ、ついでにその巻き鍵で街の不具合も直してきてほしい。やり方は簡単、刺して回して離すだけ」

 街の不具合という聞きなれない言葉に戸惑い、釈然としない顔をしていたのだろう。そんな私を見て彼は話を続けた。

「私はぜんまい屋の傍らこの街の不具合を治しているんだ。街の医者といってもいいだろう。是非ドクターと呼んでくれ」

 説明ができていない彼の捕捉で理解が追い付かない私をよそに、彼はさらに補足した。

「くれぐれも不具合のない物には使わないでくれよ。生き物なんてもってのほかだからね。それじゃあ頼んだよ」

 説明しきったつもりでいる彼は私を外へ追い出し、働けと言わんばかりに親指を立て店内から私を見送った。


 彼の言葉に疑念を抱き、巻き鍵を見つめながら渋々店を出た。しかしその疑念は、視線を上げ街を見渡した瞬間確信に変わった。電柱やマンホール、信号機などいたる所に直径三センチ程の穴が空いている。その穴は手に持っている巻き鍵が丁度入るくらいの大きさで、直感的に巻き鍵を入れる穴だと理解した。つまりあのドクター曰く、街中で壊れているものを見つけたら穴に巻き鍵を刺して修理しろ、ということだろう。とんだ人使いの荒い街の医者だ。だが、私も散歩していた暇な人間なので仕方なく彼に頼まれることにした。とは言ってもそう簡単に壊れているものが見つかるはずもなく、しばらくは知らない街を散歩しているだけのいつもと同じような夜になっていた。違うのはそこら中に小さな穴が空いているということだけだ。


 そうして三十分ほど歩くと、巻き鍵の出番が訪れた。小さな公園を明るく照らしているはずの街灯が、今にも消えそうな光で不規則に点滅していた。ようやく巻き鍵を使えると少し興奮した私は、小走りで薄暗い公園に入り街灯の下へと向かった。その時の私は傍から見ると、一刻も早く公園の遊具で遊びたくてはしゃぐ子供のようだっただろう。少し息の上がった私は、街灯に空いている今は見慣れた小さな穴に巻き鍵を刺し込んだ。そして思い切って右に回すと癖になる機械音がカチカチと公園中に響き渡った。回しているときの感触は、感じたことのない硬さと滑らかさがありいつまでも回していたくなるほどであった。右に回し切り、回らなくなった巻き鍵から手を離すと、それは再び機械音を奏でながらゆっくりと逆回転し始めた。それと同時にすばやく点滅していた明かりは徐々に周期を遅め、巻き鍵が戻りきる頃には公園中を明るく照らしていた。どうやら直し方はこれで合っているらしい。要領を掴んだ私はすぐに次の不具合を探しに明るくなった公園を出た。


 しかし当然のことながら、一時間歩いても壊れているものは見つからない。街にそんなものがいくつもあること自体おかしいのだ。諦めて店に戻ろう、そう思った私には小さな欲求が芽生えていた。また巻き鍵を回したい。回しているときの感触がなぜか忘れられずにいたのだ。鳴り響く機械音や、硬すぎず柔らかすぎない回し心地、定期的なひっかかり。巻き鍵を回している時にしか味わえない感触に完全に虜になっていた。しかしドクターには不具合のないものには使うなと釘を刺されている。巻き鍵を刺せる穴がそこら中に空いているのに回せないもどかしさと、今すぐにでも回したい葛藤で頭が一杯になっていた。そんな時私の視界に入った公衆電話の受話器には、見慣れた穴が空いていた。電話ボックスへと足が吸い込まれた私は、甘い考えをするようになっていた。回した後、すぐに巻き鍵を抜けば大丈夫だろう。それは回したいが為の理由付けに過ぎなかった。恐る恐る巻き鍵を穴に差し込み、狂ったように回し始めた。電話ボックス中に機械音が鳴り響き、その奥では微かにベルの音も聞こえてきた。癖になる感触を堪能しながら限界まで巻き鍵を回し抜こうとした瞬間、着信音が煩く鳴り響いた。それは携帯からの着信だったが、手を離してはいけないと気を張っていた私には、激しく応えるものだった。驚いて携帯を手に取り着信を切った私の手は、巻き鍵から離れていた。逆回転をし始めたばかりの巻き鍵をすぐに抜くことは出来たのだが、私はただそれを眺めていた。人間とは強欲な生き物で、一つ欲を満たすとまた一つ新たな欲が出てくる。するなと言われるとしたくなる人の性と、好奇心に抗う事をしなくなっていた。正常に動いていたであろう公衆電話に刺さった巻き鍵は、機械音とベル音を奏でながらゆっくりと左回転をしている。巻き鍵が半周した頃、公衆電話に異変が表れた。ボタンは数を増やし、受話器は赤く変色していった。規則的に鳴っていた機械音とベル音も不協和音を奏で、うめき声のような人の声も混ざっているように聞こえた。やがて受話器からは茶色く粘り気のある液体が零れ出し、原形を留めなくなっていった。怖くなった私は巻き鍵を抜き取り電話ボックスを飛び出した。ここまでのことが起こるとは思ってもいなかった。少しボタンが押しづらくなるくらいだろう、と甘く見ていたのは間違いだった。


 自分のした間違いから目を背けようと一目散にその場を離れ、街灯を直した公園まで戻ってきた。自分が直したお陰で明るくなっている公園に行けば、少しは気が和らぐだろうと安らぎを求めたのかもしれない。正しいことをしたと思い込みたかったのだ。そうして変わらず明るいままの公園に着くと、さっきはいなかった飲み屋帰りのサラリーマンがベンチに座り、眠っていた。点滅していた街灯のままでは心地よく眠れなかっただろうと、改めて自分が直したことに誇りを持てた。公衆電話で起きたことに上書きをするように、街灯を直した記憶に浸りながらそのサラリーマンの後ろを通り過ぎようとした、その時だった。サラリーマンの右肩に穴が空いているのが目に入ってしまった。これを見たのが巻き鍵を回す前なら、絶対に差し込んでいなかっただろう。完全に巻き鍵の虜になっていた私は、人間に回すときの感触を知りたいという好奇心に勝てなかった。少しだけならバレないし大丈夫、と無理な理由付けで巻き鍵を男の肩に差し込み、すかさず右に回した。カコカコと機械音とは言い難い音と共に、微かではあるが生物の独特な水気を巻き鍵を伝って感じることができた。もうひと回ししようとしたその瞬間男が立ち上がり振り返った。

「何するんですか急に!?」

 後ろから肩に何かを差し込まれたのだから当然の反応である。しかしその時の私はバレたことの後ろめたさより、手から巻き鍵が離れてしまったことに対しての恐怖が勝っていた。忘れようとしていた公衆電話での記憶が蘇り、男に刺さっている巻き鍵を回収しようと手を伸ばしていた。だが、その手も形だけの行動だった。心の片隅でこの男がどうなるのかを見たいと思っていたのだ。すると、私の期待に応えるように男の右肩は不自然に肥大化していった。腕からは細い根っこのようなものがいくつも生え、指は何本にも枝分かれしている。完全に巻き鍵を回していなかったにも関わらずこれほどの変化が現れたことに驚いたと同時に、事の重大さに気付き始めた。流石にまずいと思った私は、肩に取り込まれそうになっていた巻き鍵を抜き急いで店に向かった。これは私が手にしていいものではないと思えるほど、少しではあるが冷静さを取り戻していた。


 店に向かう途中でも穴はいたる所にあり、視界に入る度回したい欲求が牙を剥いていた。その欲求に必死に抗いながら穴だらけの街を駆け抜けていった。やっとの思いで店に駆け込んだ私は、ドクターに巻き鍵を差し出した。

「もう飽きたのかい?なら仕方ない」

 そう言って巻き鍵を受け取ろうと伸ばしたドクターの右手には、嫌というほど見てきた穴が空いていた。店に来るまで我慢してきた欲求を抑えるのはここが限界だった。穴を目の前にした私は咄嗟に巻き鍵を差し、ドクターの手を抑えながら右に回した。悶えるドクターを差し置いて限界まで回し巻き鍵から手を離した。巻き鍵の刺さったドクターの手はスライムのように溶け始め、爪だったものからは蛙の卵のようなものが湧き出てきた。店内に機械音と叫声が響き渡る中、私はドクターの手をじっと観察していた。そんな時ショーケースにうっすらと映った自分が目に入った。そこに映っていた私の額には少し大きな穴が空いていた。この時の私は理性が完全に飛んでいただろう。ショーケースを叩き割り、大きめの巻き鍵を手に取るとそれを自分の額に差し込んだ。遠くなっていく意識の中、巻き鍵の感触だけはしっかりと堪能していた。


 目を開けると白い天井が見えた。カーテンで囲まれたベッドで横たわり、病院特有の匂いが漂っている。

「気分はどうですか~?」

 カーテンを開け姿を現したのは白衣を着たぜんまい屋のドクターだった。彼の話によると、私は重度の精神病で数か月間に渡りその治療をしていたらしい。その治療が終わり私の担当していた彼が様子を見に来たのだ。

「ここ数日の間は結構暴れてましてね、ほんとどうなるかと思いましたよ。治ってよかったです」

 一瞬目に入った右手の傷を、カルテで隠すようにペンを進めていた。私がどんな症状で、どんな治療を施したのかは定かではないが、このドクターのおかげで治ったのは確かだった。

 退院して吸った外の空気のおいしさは、私がどれほどの間入院していたのかを物語っていた。もちろん辺りを見渡しても巻き鍵の入る穴はどこにも見当たらない。正常に戻れたのだと安心した。


 退院してからしばらく経った今日まで精神が安定しているのは、私の額に刺さった巻き鍵は今も回り続けているということなのだろう。

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