例えば、顔の見えない恋から始まる 〜ニセ彼氏と過ごす半年間、先輩と私の一風変わった恋愛治療法
登場人物
牧瀬葵(26) 会社員
野田大翔(29) 葵の先輩
友人(29) 野田の友人
課長(50) 葵と野田の上司
配達員(24)
葵の隣の社員(30)
女子社員(26)
〇会社・休憩室(夕)
自動販売機の横にあるソファに座る葵、スマホを見ている。
大きな窓からは夕陽が映り、遠くの景色が見える。ビルの一角にある場所。
スマホに目を落とし落ち込んでいる様子の葵と、傍に立っている野田。
他にだれもいない、葵のスマホには元カレとの会話画面。
野田「俺が代わってやる」
野田を見上げる葵、目には涙。
野田「元カレに連絡したい内容を俺に送って来い。俺が代わりになってやるから」
葵M「彼氏と別れて一ヶ月、会社の先輩がそう言った。返信が来ないと泣く私に、そいつにはもう送るな、と」
野田、自分のスマホを葵に向ける。
葵、涙を拭って立ち上がり、恐る恐るというふうに野田のスマホに自分のスマホを近づける。
野田、葵を見るが虚な表情でスマホのほうを見ていて、目は合わない。手のひらを握り、決意の表情でスマホのほうに目を向ける野田。
夕陽を背景に、二つのスマホが近づく。
〇アパート・葵の部屋(夜)
風呂上りの葵、髪を拭きながら反対の手でスマホを見る。
メッセージアプリ、元カレとの会話画面。
『お風呂あがったよー、なにしてる?』と打ち込むがはっとして消去。
ソファに座る葵、スマホを持っているとと反対の手で涙を拭い、野田との会話画面を開く。『お風呂あが』まで打ち込み、消去。
『好き』と打ち込んで勢いに任せたように送信する。
すぐにメッセージの受信音がして慌ててスマホを見る葵。
野田からのメッセージ『わかった』
葵 「……わかった?」
葵、『わかったってなにがですか?』と打込むが、悩んでスマホの画面を切る。
葵 「好きって言ったら、俺もって返ってきてたな……わかってないなぁ、先輩……いや、なにこれ?」
ため息を吐き、スマホをテーブルの上に置く葵。
立ち上がって冷蔵庫の飲み物を飲みに行く。
テーブルに残された葵のスマホの画面に、野田からのメッセージ。『悪い、間違えた』『俺も好き』『って言うか、この場合?』
連続で送られてくるが、少しして全て画面から消える。
葵、戻ってきてスマホを開く。野田との会話画面。『野田大翔がメッセージを消去しました』の通知が三つある。
葵 「なんだろ……」
首を傾げる葵、寝転がって元カレとの会話画面を開く。
葵 「無理でしょ、代わりなんて……顔が見えないからって代わりになんてなれるわけないのに……」
涙目になった葵、スマホを胸の上に置いて目を閉じる。
葵Ⅿ「つまりメッセージアプリ上、顔の見えない文字だけの彼氏を先輩が演じてくれるというのだ。私がいつも彼氏に送ってたメッセージを、そっくりそのまま先輩に送れと。そこで私は、疑似恋愛をする。彼氏の代わり、ニセ彼氏に……」
葵 「変な話……お風呂入ろ」
葵、スマホを置いて立ち上がる。
去っていく葵の後ろ姿。
葵M「いつまで続くかなんて、考えもしなかった。私たちの関係はここから、顔の見えない偽物の恋人関係から始まった」
タイトル「顔の見えない恋から始まる」
〇会社・休憩室
弁当を広げている葵の傍に女性社員がいる。葵が弁当を指さして頭を下げると、女性社員は納得したように休憩室を出ていく。
葵、スマホで弁当の写真を撮る。
元カレとの会話画面に弁当の画像を送信。
しかしすぐにはっとして、送信取り消しをする。
寂しそうにうつむく葵、思いついたように野田との会話画面を開く
葵 「(メッセージアプリで※以降お弁当作った。けど、そんな日に限って同期にランチ誘われた。ランチ行けばよかったかな?お弁当無駄になるけど」
葵、スマホを膝に置く。
すぐにメッセージの受信音がし、慌ててスマホを落とす葵。
スマホを広げ上げると、画面には野田からのメッセージ通知。
野田のメッセ「行きたいなら行けばいい。今の時期なら腐らないから、夜に食っても大丈夫だろ。会社の冷蔵庫使っていいし」
葵 「……あ、お弁当のことか。(メッセで)冷蔵庫あるんですか?」
野田のメッセ「あ、知らないのか。部長のデスクの横にあるやつ。部内のやつなら自由に使っていい」
葵 「えぇー……(メッセで)使いづらいです、それ」
野田のメッセ「原さんに言えばいい。あの人そういうの平気だから、みんな頼んでる」
葵がメッセージを読んでいる間に、野田から新しいメッセージ。
野田のメッセ「ごめん、勘違いしてたかも。これ、誰宛だった?」
葵、スマホから顔を上げて遠くを見る。
少しして、返信を打つ。
葵のメッセ「最初のやつは彼氏宛だったけど、途中から先輩と会話してました」
少しの間があって、受信音。
野田のメッセ「悪い。普通に返してた」
葵 「あ、いえ……」
会話画面に『大丈夫です』と打つ葵だが、送信する前に野田からメッセージが入る。
野田のメッセ「弁当豪華だな、うまそう」
葵 「……(メッセで)ありがとうございます」
間髪入れず『グッド』みたいなスタンプ(可愛いもの)
葵 「……かわいい」
野田のメッセ「今みたいな感じでいい。元カレに連絡したくなった時は俺を頼れ」
葵、『了解です』のスタンプを探すが、送らずに文字で『了解です。』と打って送る。
既読を確認してスマホをテーブルに置き、遠くを見つめ少し微笑む。
窓の外、青空が広がっている。
〇街中・道路(日替わり・土曜)
青空が広がっている。
道路を歩く葵、ビル前のスペースなど脇に避けて立ち止まり、スマホを取りだす。
野田との会話画面を開いて文字を打つ。
葵のメッセ「寒いけど日差しが熱い、紫外線が」
十秒くらい空いて既読。
一分くらい間があって野田から返信。
野田のメッセ「日本語おかしくないか?」
野田のメッセ(連投)「悪い。これ俺に送ったわけじゃないよな。元カレ宛?」
葵のメッセ「すみません、元カレ宛です」
野田のメッセ「牧瀬が謝ることじゃない」
野田のメッセ(連投)「寒いけど熱いって、日本語おかしくないか?」
葵、小さく笑って。
葵のメッセ「紫外線が熱いって意味です」
野田のメッセ「日本語おかしいぞ。つーかもう十二月だぞ、紫外線ってあんの?」
葵のメッセ「紫外線は一年中ありますよ。女子の大敵です」
野田のメッセ「へぇ、冬に紫外線感じたことないけどな。あと、二十六歳は女子って年齢じゃない」
葵、こらえきれず吹き出し、口元を押さえる。
葵のメッセ「女子会って言うでしょ?」
野田のメッセ「日本語おかしいよな、あれ」
野田のメッセ(連投)「つーか今どこいんの」
葵のメッセ「買い物中です」
野田のメッセ「いやいや、場所。どこいる?」
葵 「どこって……」
葵、顔を上げて辺りを見渡す。
同じビルの前に野田の姿。
野田、葵と目が合うと視線をスマホに落とす。
野田のメッセ「やっぱり」
葵、驚いてスマホと野田を見比べる。
葵のメッセ「なにしてるんですか?」
野田のメッセ「買い物」
葵のメッセ「いやいや、今!」
葵のメッセ「(連投)いつからいました?」
野田のメッセ「最初から? 返信しようと思ってここ来たら、隣に牧瀬いた」
葵のメッセ「声かけてくださいよ」
野田のメッセ「服違うから、いつもと。牧瀬じゃないかもって思った」
葵のメッセ「会社には清楚系で行ってるので」
野田のメッセ「清楚系なんだ、あれ」
葵のメッセ「失礼ですよ、私が思う精一杯の綺麗な格好です」
野田「馬鹿にしたわけじゃない。清楚系ってあぁいうのを言うんだと思って。綺麗だとは思ってる」
葵 「……」
葵、ちらっと野田を見て返信。
葵のメッセ「先輩は私服ですか?」
野田のメッセ「スーツに見えるか?」
葵のメッセ「見えません。私服初めて見ました」
野田のメッセ「俺も。私服はかわいい系なんだな」
葵 「かわいい……」
顔を上げて横を見る葵。
スマホに文字を打ち込む。
友人の声「野田じゃん、なにしてんの?」
顔を上げる野田、友人を見て。
野田「あ、あぁ……」
友人「一人?」
野田「いや……(スマホを一瞥して)一人だけど」
友人「誰かと待ち合わせ?」
野田「そういうわけじゃない、服とか見に来てた……一人で」
友人「じゃぁ俺付き合うよ、どこいくつもりだった?」
野田「あ、えっと……」
葵、スマホを収めてその場を離れる。
野田、あっというような顔で葵の後ろ姿を見つめる。
友人「知り合い?」
野田「いや……会社の後輩」
友人「え、もしかして待ち合わせしてた?」
野田「だから違う、一人だって」
友人「でも一緒にいた……」
野田「(遮って)一緒にいたわけじゃないし、そういう関係でもない」
野田と友人の会話を背中越しに聞く葵、無表情で歩く。
葵M「そう、一緒にいたわけではないしそういう関係でもない」
野田「会社の後輩だって、ただの……」
葵M「そうですね、先輩」
野田「ただの後輩……だから」
葵M「その通りです。私たちはただの先輩後輩、それだけ。ただそれだけの……顔の見えない距離で疑似恋愛しているだけの関係」
葵、振り返る。背後には人の群れがあり、野田の姿は見えなかった。
〇会社・休憩室(日替わり・月曜)
弁当を食べている葵、野田が近づく。
葵 「お疲れさまです」
野田「あぁ、お疲れ……あのさ……土曜、ごめん」
葵 「なにがですか?」
野田「途中で帰ったから」
葵 「途中? 別に、待ち合わせしてたわけじゃないですし」
野田「あいつさ、高校の同級生。あ、あいつって昨日の、俺に声かけてきた」
葵 「大丈夫です、わかってます」
野田「あ、そうだよな……今でも時々遊んでて、結構仲よくて」
葵 「そうなんですか。偶然会えてよかったですね」
野田「……昨日、連絡して来なかったな」
葵 「連絡?」
野田「メッセ、元カレへ送ってたやつ」
葵 「毎日送ってたわけじゃないので」
野田「あ、あぁ、そうだよな……(葵の弁当を一瞥して)ごめん」
野田、休憩室を出ていく。
葵、野田の去った方向を見る。
葵 「やばい最悪……感じ悪すぎ」
自己嫌悪で項垂れる葵。
× × ×
フラッシュ
葵の弁当を一瞥する野田。
× × ×
葵、スマホを取りだして食べかけの弁当を撮影。
『卵焼き綺麗にできた、って自慢するの忘れてた』のメッセージと共に写真を送る。
すぐに既読、間を開けず受信音。
野田のメッセ「元カレへだよな、これ」
葵のメッセ「元カレへ、です。上手にできた日は時々、写真送ってました」
野田のメッセ「前の弁当も綺麗だった。すごいな」
葵 「……(メッセで)ありがとうございます」
『ありがとう』のスタンプ。
すぐに既読がつき、『グッド』のような絵のスタンプが返って来る。
スマホの画面を下に向けて置き、ため息をつく葵。
葵 「なにしてんだろ、私」
空を見上げる葵、窓に写った顔は嬉しそうに微笑んでいる。
〇会社(日替わり)
仕事をしている葵。
葵の声「今日も残業、しばらく定時で帰れないかも」
メッセージの受信音。
× × ×
スマホを見る野田。物凄い速さで文字を打ちスマホをポケットへ。
メッセージの受信音。
× × ×
葵、スマホを見る。
野田の声「仕事ができるって証拠だ。できるからみんな、牧瀬に仕事回してくる。でも無理するな、手伝えるやつは俺に振っていいから」
読み終わる前に新しいメッセージ。
野田のメッセ「ちなみにこれ、元カレへ送ったやつだよな」
葵、文字を打ってスマホを収め、仕事に戻る。
葵の声「元カレへだったけど、先輩に励まされました。ありがとうございます」
× × ×
メッセージの受信音。
スマホを見てにやける野田だが、上司に呼ばれスマホを収める。
〇会社・エレベーター(昼)
下りのエルベーターには葵一人、スマホを見ている。
葵のメッセ「今日はランチ、お出かけしてきます」
なかなか既読つかない。
エレベーターが停まり、野田が入って来る。
葵、ちょっとずつ体をずらしてエレベーターの隅にいく。
野田、三階のボタンを押して葵と反対側に立つ。葵を意識して、少し端っこに寄って距離を取る。
二人同時に、自分のスマホ画面を見る。
野田がスマホを開くと同時に葵の会話画面に既読が付く。
野田のメッセ「これ元カレへ送る予定だったやつ?」
葵のメッセ「です。元カレへ時々送ってたやつです」
野田のメッセ「ランチいいな、どこ?」
葵のメッセ「スープパスタが有名なお店です」
野田のメッセ「あそこうまいよな」
葵のメッセ「初めて行きます。オススメありますか?」
野田のメッセ「スープパスタ」
葵のメッセ「知ってます」
エレベーターが三階につき、ちらっと葵を見て降りる野田。
扉が閉まり再びスマホを見る葵。
野田から『いってらっしゃい』のスタンプ。
微笑む葵、『行ってきます』のスタンプを送る。
一階に着きエレベーターを出る葵、嬉しそうに微笑んでいる。
〇葵の部屋(夜)
ベッドに腰掛ける葵、野田との会話画面に文字を打ち込んでいる。
葵のメッセ「明日有給にした。寝だめする」
寝転ぶ葵、落ち着かない様子。
スマホを見るが既読はついておらず、放り投げる。
すぐにまたスマホを見て、既読がつくとすぐに野田からのメッセが入る。
野田のメッセ「体調悪いのか?」
葵、にやにや嬉しそうに微笑んで。
葵のメッセ「疲れたので寝だめです」
と葵が送ると同時に、野田からメッセが入る。
野田のメッセ「これ、俺へじゃないよな。元カレへだよな?」
葵のメッセ「元カレへ、でした」
野田のメッセ「悪い、普通に返してた」
野田のメッセ(連投)「寝だめか、いいな。明後日から寝れなくて死ぬくらい忙しくなるから、たくさん寝とけ」
葵のメッセ「嫌なこと言わないでください(悲)」
野田のメッセ「冗談だよ。明日は俺が二人分やっとくから、牧瀬は家でゆっくり寝とけばいい」
葵のメッセ「冗談ですよね?」
野田のメッセ「ごめん、冗談。けど、できるだけやっとくから、明日はゆっくり休め。お疲れ、また明後日」
野田から『おやすみ』のスタンプ。
葵、微笑んで『おやすみなさい』のスタンプを送る。
既読がついたことを確認して葵、スマホを下ろす。
ふとなにかに気づいた様子でスマホの会話履歴を見る。
下の方に元カレとの会話履歴。
画面を開くと、最後に送ったメッセは三ヶ月前だった。
(それまでは一週間に一度、葵が一方的に送っているが返信はない)
画面が暗くなり、スマホを持つ手を下ろしてカレンダーを見る葵。
再びスマホを見て野田との会話画面、『ありがとうございます』というスタンプを送って、部屋の電気を消す。
〇カフェ・店内(夜)
ビルの一階にある、ロビーから中が見えるオープンな雰囲気の店内。
二人がけの席に一人で座る葵。コーヒーとケーキの写真を撮り、写真を野田に送る。
葵の声「ちょっと早く帰れた、自分へのご褒美」
コーヒーのカップに口をつける葵。
メッセージの受信音がして、すぐにスマホに目を戻す。
野田のメッセ「元カレへだよな? お疲れ。いいな、ケーキ」
葵のメッセ「元カレへ、ですね。元カレへいつも送ってた内容です」
野田のメッセ「甘い物の写真見ると元気になる。食べた気になって頑張れそう」
野田から『ありがとう』のスタンプ。
微笑む葵、少し考えて文字を打つ。
葵のメッセ「もしかしてまだ会社ですか?」
野田のメッセ「もうすぐ終わるか終わらないかくらい」
葵のメッセ「すみません」
野田のメッセ「なんで謝った?」
葵のメッセ「先帰っちゃったので」
野田のメッセ「がんばった成果だろ。早めに帰れるほどがんばったんだ、偉いよ牧瀬は」
葵、スマホをもって考えごと。
少しして、文字を打つ。
葵のメッセ「もうすぐ終わりますか?」
〇会社・営業課(夜)
暗いフロアに野田一人、野田のいる場所だけ電気がついている。
メッセージの受信音。
野田、パソコンを打つ手を止めてスマホに返信。
送り終えて再びパソコン操作。
野田のメッセ「あと十分くらい」
メッセージの受信音。
野田、仕事をしながらスマホをチラ見する。
葵の声「それ終わったら、ご飯食べに行きません?」
野田「……は? え? あっ……」
野田、動揺しておかしな文字を打ち込んでしまう。
手を止め、スマホを握りしめる。
野田「ご飯? えっ?」
メッセージの受信音。
葵のメッセ「すみません、嫌だったら大丈夫なので」
野田「嫌……嫌じゃ……」
〇カフェ・店内(夜)
コーヒーを飲んでいる葵。
メッセージの受信音がし、スマホを見る。
野田のメッセ「嫌じゃない!」
葵、ふっと微笑む。
返信を打とうとするが、すぐに野田からの連投。
野田のメッセ「今どこにいる?」
返信をする葵。
葵のメッセ「ビルの一階にあるカフェです」
野田のメッセ「わかった。すぐいく」
葵のメッセ「仕事は?」
野田のメッセ「終わらせた」
葵のメッセ「終わらせた? 切り上げたんですか?」
野田のメッセ(葵のメッセとほぼ同時)「なに食いたい? どっか行きたい店とかある? 好きなものは?」
葵、スマホを下ろして考える。
『パスタとか』と打ち込むが、悩んで文字を全て消す。
『先輩はなにが好きですか?』と打ち込み送信。
葵の真後ろで受信音が鳴り、振り返る。
葵の背後、野田がスマホを見ている。(店の外、壁が低いから互いの顔が見える位置)
野田、顔を上げる。
野田「パスタ」
葵 「……え?」
野田「パスタ好き、俺。牧瀬は?」
葵 「私も……パスタが好きって、送ろうとしてました」
野田「送ろうとしてた?」
葵 「あ、いえ、最初のメッセージで」
野田「最初? あぁ、元カレへか」
葵 「え? あ、違う、そうじゃなくて」
野田「いい店知ってる?」
葵 「あ、いえ、たいしたところは」
野田「俺セレクトでいいか? いいとこ知ってるから」
野田、テーブルのケーキに気づいて、
野田「あっ、ケーキ食ってたんだったな。あー……俺の知ってるところ、結構量あるんだけど」
葵 「……ご一緒します?」
葵、対面の席に置いていた鞄を避ける。
葵 「ここ、パスタのメニューもあるんで」
店内を見渡し、レジ周りにあるメニュー看板に目を向ける野田。
野田「注文してくる。牧瀬は?」
葵 「あ、とりあえずこれ食べてから」
野田「じゃぁとりあえず、コーヒーだけ頼んでくる」
入口を探して店内に入る野田。
葵、はっとして頭を抱える。
レジで注文をしている野田を一瞥し、スマホを取りだして会話画面を開く。
葵が文字を打っている間に、野田が席に来る。
野田「ここ、いいか?(葵の向かい席をさして)」
葵 「(スマホに目を落としたまま)待って、ちょっと待ってください!」
野田「?」
葵がメッセージを送る。
野田のスマホ、受信音が鳴る。
葵 「あ、すみません。座ってください。座ってからどうぞ」
野田「あ、あぁ……」
野田、椅子に座りスマホのメッセージを確認。
葵のメッセ「先輩セレクトのお店行きたいです。今日はケーキでお腹いっぱいになっちゃいそうなので、また今度連れて行ってください」
野田、ちらっと葵を見るが顔を背け、腕で顔を隠して返信。
葵のスマホ、受信音。
野田のメッセ「普通に言えよ、目の前にいるんだから」
葵 「あ、すみませ……」
遮るようにメッセージの受信音。
野田のメッセ「今度行こう、また今度」
野田のメッセ(連投)「今日はどうする? ここのパスタでいいか?」
葵、顔を上げて。
葵「はい!」
野田、笑って。
野田「その『はい』はどっちに対する返事だよ」
葵 「?」
野田「また今度パスタの店に行こうに対する『はい』か、今日はここのパスタでいいかに対する『はい』か」
葵 「あっ、両方……両方はいです、イエスです! はいとはいです!」
野田、笑っている。
野田「じゃぁ俺も、コーヒーゆっくり飲む」
ゆったりとした動作でコーヒーを飲む野田。
葵、慌ててケーキを食べる。
野田「ゆっくりでいいから」
と笑う野田。
穏やかな雰囲気の二人。
〇葵の部屋(夜)
ベッドに寝転ぶ葵。
天井を見つめていたが、意を決したように起き上がる。
テーブルの上にあったスマホを掴み、野田との会話画面を開く。
葵のメッセ「今日で五周年です」
葵、カレンダーの日付を見る。
葵のメッセ(連投)「元カレへ送る予定だった内容です。今日、この時間に送るはずでした」
既読、少し間があって野田からの返信。
野田のメッセ「送るつもりだった?」
葵のメッセ「でした、過去系です」
野田のメッセ「じゃなくて、会う予定は?」
葵のメッセ「遠距離だったので」
野田のメッセ「電話は?」
葵のメッセ「たぶんしてなかったです。カレ、電話好きじゃなかったので」
野田のメッセ「俺なら電話するけどな」
葵、野田のメッセージを見つめる。
メッセージの受信音。
野田のメッセ(連投)「悪い、今の忘れて」
葵、少し考えて文字を打つ。
勢いに任せるように文字を打って、送信。
葵のメッセ「私もです」
葵のメッセ(連投)「私も電話したい派です。私も電話します」
すぐに既読がつく。
葵、はっとしてスマホの画面を閉じる。
葵 「あぁあ……なに言ってんだろ」
自己嫌悪で頭を抱える葵。
スマホから電話の着信音が流れ、画面を見ると野田からの着信。
葵、恐る恐る電話に出る。
葵 「はい……あ、えっと、もしもし……あ、はい、牧瀬です」
スマホの向こう、野田の声、笑っている。
葵 「あ、なんかすみません」
野田の声「いや、悪い。面白くて」
葵 「いえ、私のほうが、変なこと言ったので」
野田の声「いや、俺が急にかけたから。ごめん、今大丈夫か?」
葵 「はい、暇です」
スマホの向こう、野田の笑い声。
野田の声「暇って(笑)」
葵 「あ、えっと……」
野田の声「暇ならさ、窓の外見てみろ」
葵 「窓の外?」
野田の声「あ、牧瀬のアパートって空見える?」
葵 「見えますけど」
葵、通話をスピーカーにして、カーテンを開ける。
雲がちらほらある空の中に、綺麗な満月が浮いている。
野田の声「じゃぁ月は? 見える?」
葵 「あ、はい、見えます。今見てます」
野田の声「満月だな」
葵 「ですね、満月です」
野田の声「満月ってフルムーンっていうんだけど、知ってる?」
葵 「知ってますよ。馬鹿にしてるんですか?(微笑)」
野田の声「(微笑)冗談だよ。月さぁ、どんな形してる?」
葵 「? まん丸です」
野田の声「俺も。まん丸な月が見える。あと、うさぎが餅ついてる」
葵 「あ、私もです。私のところから見える月も、うさぎが餅つきしてます」
野田の声「同じだな」
葵 「同じですね」
野田の声「同じ月だ」
葵 「同じ月……」
葵、月を見つめる。
葵 「同じ月を見てる……こんな距離にいるのに、同じ月を見れてる」
葵、小声で、
葵 「会いたい……」
野田の声「牧瀬?」
葵 「え、あ! すみません、見惚れちゃってました……月に! 月が綺麗すぎて、惚れてました! 月に!」
野田の声「何回言うんだよ、わかったから。月が大好きなの」
葵 「いや、えっと……月が好きってわけじゃ……」
野田の声「会いたいなら、電話かけろ」
葵 「え?」
野田の声「無視されてもいいから、電話してみればいいと思う。メッセももう一回送ってみて、それで無視されるならもう、そういうことだ。諦めろ」
葵 「え、電話してますよ?」
野田の声「? あぁ、違う。元カレ」
葵 「え?」
野田の声「会いたいって言っただろ、今」
葵、はっとした表情になる。(さっきの声が聞こえてると思ってなかった)
葵 「いえ、言いましたけど……」
野田の声「まだ未練があるなら電話……いや、会いにいけばいいと思う。一度ちゃんと、話したほうがいいと思う」
葵 「はい……あ、いや違うくて」
野田の声「無視されても俺がいるから。また俺に連絡すればいい。全部俺に送ってくればいいから」
葵 「……はい」
野田の声「ごめんな、電話して」
葵 「あっ、いえ、大丈夫です」
野田の声「明日寒いみたいだから、暖かいかっこうで来いよ」
葵 「そうなんですか?」
野田の声「天気予報で言ってた、今日と5℃違うって」
葵 「違いすぎる……」
野田の声「じゃぁ、また明日な」
葵 「あっ、先輩……」
葵、言葉に詰まって少しの間ができる。
野田の声「なに?」
葵 「あ、いえ……先輩も、暖かくして来てください」
野田の声「ありがとう。おやすみ」
葵 「おやすみなさい」
通話が切れ、スマホを見つめる葵。
野田との会話画面に『会いたい』と打ち込むが、すぐに消す。
『先輩へです』と打ち込んだ時、画面に涙が落ちる。
葵M「わかってた。ずっと前からもう」
文字を消す葵、スマホを枕元に置き、手のひらで顔を覆って泣き出す。
葵M「元カレへ連絡しようなんて思ってない。返事が返って来るなんて思ってない。返ってくるはずないって、思ってたのに」
葵、スマホを開いて元カレとの会話履歴を削除。
野田との会話画面を開き『好きです』と打ち込んで消す。
『会いたい』と打ち込んで消して、『先輩へです』と打ち込んでスマホを下ろす。
葵M「宛先が間違ってる……会いたいって言ったのは元カレへじゃない、先輩に向けて言った言葉です……先輩へです」
『先輩へです』という文字、消えていく。
〇会社・営業課
少し騒がしい室内。立ち話をしている人や、電話をしている人が多くてざわざわしている。
デスクに座る葵、首を伸ばして野田の席を見るが、誰もいない。
葵、資料を整えて立ち上がり、課長席へ。
葵 「課長、少しいいですか?」
課長「あぁ、いいよ。できた?」
葵 「私なりにまとめました。確認してもらっていですか?」
課長「いいよ、置いといて」
葵 「ありがとうございます……今日って、野田さんお休みですか?」
課長「野田さん? あぁ、風邪ひいたって。あれ? 牧瀬さん、野田さんと一緒の仕事してたっけ?」
葵 「今は重なってませんけど、時々……すみません、なんでもないです。仕事に戻ります」
そそくさと自席に戻る葵。
課長、何かを察したような表情をするが追求せず、手元にある資料に目を戻す。
自席に戻った葵、机の下でスマホを操作して野田に『大丈夫ですか?』とメッセを送る。
スマホを鞄に片付け、仕事をする葵。
× × ×
昼休憩、葵の隣の社員は机の上にサンドイッチなどを広げている。
葵、スマホを見るが野田に送ったメッセに既読はついていない。
隣の社員「牧瀬さん、今日お昼は?」
葵 「あ、お弁当です。すみません、行ってきます」
葵、荷物をまとめて席を立つ。
〇同・休憩室
弁当を食べつつ、スマホを気にする葵。
既読はつかない。
葵 「寝てる……だけかな」
葵、元気ない様子で弁当を食べる。
〇同・営業課
せわしく働く葵。
× × ×
別の人の席で指導する葵。
× × ×
スマホを見る葵、野田へ送ったメッセージに既読はついていない。
葵、課長に呼ばれて席を立つ。
〇同・会議室(夕)
ぞろぞろと出ていく社員たち。
最後に残った葵、部屋を出る前にスマホを確認する。
野田からのメッセージがあり、急いで画面を開く。
メッセージを読み終えた葵、顔を上げて電気を切り、会議室を出る。
〇野田のアパート・寝室(夕)
ベッドで寝ている野田。
インターフォンのベルが鳴る。
無視するが、ベルが連打され面倒くさそうに起き上がって玄関に向かう。
〇同・玄関(夕)
ドアが開き、ぼさぼさ髪に乱れた服装の野田が出てくる。
野田「はい……」
爽やか笑顔の配達員が、段ボールを抱えている。
配達員「お荷物です。野田大翔さんで間違いない……」
野田「っす。そこ置いといてください」
配達員「印鑑かサインは……」
野田「いいんで、置いといてください」
配達員「あ、じゃあ」
野田「置いといていいんで。すみません、風邪ひいてるんで」
配達員「風邪ひいてるんですか? 大丈夫ですか、飲み物あります?」
野田「大丈夫じゃないんで、おいといてください。つーか寝たいんでマジで、置いといてください。
配達員「じゃぁ置いときますね! お大事に!」
ダンボールを玄関前に置いて去る配達員
野田、段ボールをチラ見するがそのままにしてドアを閉める。
〇同・寝室(夕)
ベッドに倒れ込む野田。
枕元のスマホを手にとり、葵との会話画面を開く。
野田「……好きだ(小声)」
野田、指で画面をスライドさせ葵との過去のやり取りを眺める。
メッセージの受信音がして、スマホを持ったまま起き上がりベッドに座る。
スクロールして、最新の会話を表示。
葵のメッセ「大丈夫ですか?」
野田、少し悩んで返信を打つ。
野田のメッセ「なにが?」
葵のメッセ「会社休んでますよね?」
野田のメッセ「バレたか」
野田のメッセ(連投)「課長公認のズル休み」
葵のメッセ「風邪ひいてるって聞きましたけど」
葵のメッセ(連投)「課長から」
野田、天井を見上げて考えるような仕草。
受信音がして、葵からメッセージが入る。
葵のメッセ「課長公認の風邪ですか?」
野田、ニヤつきながら文字を打つ。
野田のメッセ「なんだよ、課長公認の風邪って」
葵のメッセ「課長が認めた風邪? めちゃくちゃ強い感じの」
野田、面白いというふうに顔がニヤついている。
野田のメッセ「課長の認めた風邪は強そうだな、めちゃくちゃ」
葵のメッセ「でしょう? 課長公認の風邪なら満場一致で企画通る気がします。社長も部長も偉い人全員病欠で無投票だけど」
野田、堪えきれず吹き出す。
野田「偉い人全員欠席なら意味ねぇ。つーかたぶん、そんな企画会議は中止になる」
野田、笑いすぎて咳き込む。
スマホをベッドに置き、水を飲みに行く。
野田が水を飲んでいる間にメッセージ受信。
戻ってきたら野田、ニヤついた笑顔のままスマホを見るが、葵からのメッセージを読んで表情を消す。
葵のメッセ「ていうかすみません、もしかして私、起こしちゃいました?」
葵のメッセ(連投)「風邪、大丈夫ですか?」
野田のメッセ「起こされてたから大丈夫」
葵のメッセ「起こされてた?」
野田のメッセ「荷物きた。だから起きてた」
野田、『風邪も大丈夫、ありが』まで文字を打つが、ふとなにかにかに気づいた様子。
メッセージを消し、新しい文字を打ち込む。
野田のメッセ「ごめん、普通に返事してた」
野田のメッセ(連投)「これって俺宛でよかった? 違う? 元カレだった?」
送信ボタンを押す野田。だがすぐに、はっとしてメッセージを取り消そうとする。
野田「やべ、なに送ってんだ俺……」
メッセージが既読になり、慌てる野田。
葵からメッセージが入る。
葵のメッセ「先輩へです」
野田、ほっと息をついて文字を打ち込む。
野田が『わかった』と打ち込み送信する前に、葵から連投のメッセージが入る。
葵のメッセ(連投)「最初からずっと、先輩に送ってました」
野田「……最初から?」
ピコンと、メッセージの受信音。
野田のメッセ「最初からってなに?」
葵のメッセ(連投)「今からお見舞いに行きます」
野田「…………は?」
野田、時計を見る。
午後五時過ぎ。
野田のメッせ「仕事は?」
葵のメッセ「早退しました」
野田「早退? は?」
葵のメッセ(連投)「課長公認です、なので大丈夫です」
野田「課長公認? は、え? いやいやいや、待て待て待て」
野田のメッセ「課長公認ってなんだよ」
葵のメッセ「使い物にならないから帰れと言われました、公認早退です」
野田のメッセ「いやいやいや、それヤバいやつじゃないか?」
葵のメッセ「大丈夫です。ていうかたぶん、課長わかってます」
野田のメッセ「わかってる?」
葵のメッセ「あ、私じゃなくて先輩のほうです」
野田「はあ? なんだそれ……いやいや、つーか……」
野田のメッセ「つーか風邪うつるから。来なくていい」
葵のメッセ「大丈夫です、うつりません」
野田のメッセ「馬鹿は風邪ひかないって迷信だぞ、馬鹿は普通に風邪ひく」
葵のメッセ「馬鹿ではないし、身体も強いです」
野田「そういうことじゃなくて……」
返信をしようとしていた野田、顔を上げて手を止める。
野田、画面をスクロールして少し前、葵が送ったメッセージを見つめる。『先輩へです』『最初からずっと、先輩に送ってました』のメッセージ。
野田「最初からずっと……最初?」
野田、画面をスクロールして過去のやり取りをみる。
○会社・ビルの出口(夕)
ドアを通って外に出た葵、メッセージの受信音に気づいてスマホを見る。
野田からのメッセに『つーか、なにしに来んの?』の文字。
葵、隅の方によけて返信。
葵のメッセ「看病しにいきます」
すぐに既読がつくが返信はなく、スマホを鞄に収めて歩き出そうとした瞬間、メッセージの受信音。
スマホを開く前の画面に野田からのメッセージが表示されている。
野田のメッセ「今やりとりしてる相手、俺だってわかってる?」
スマホを開く葵だが、会話画面に先ほどのメッセージはなかった。『野田がメッセージの送信を取り消ししました』の表示。
葵、素早く文字を打ってメッセージを送る。
葵のメッセ「わかってます、好きです」
はっとして送信取り消しを押そうとする葵だが、先に既読がついて、野田からメッセージが入る。
野田のメッセ「これ、誰宛に送ったやつ?」
葵、目頭が熱くなりスマホを持つ指の力が強くなる。
素早くメッセージを打ち返信、スマホを閉じて駆け出す。
葵のメッセ「先輩宛です、先輩へ送った言葉です」
○街中(夕)
走る葵。
葵のメッセ「わかってました、ずっと。元カレじゃない、先輩とやりとりしてるってわかって、先輩に向けて送ってました」
信号で立ち止まる葵、スマホを見る。
既読はついているが返信はない。
葵M「いつからだろう、元カレを彼氏と言わなくなった。ちゃんと過去の人にできた。先輩がいたからだ、先輩がずっと私のそばにいてくれたから」
地図アプリを確認し、再び走る葵。
葵M「返ってくるはずのなかった私の言葉に先輩は返事をくれた。反応が遅い日はなかった、既読の後はすぐに返信をくれた。それほどまでに先輩は私に構ってくれた、時間を使ってくれた」
○住宅街(夕)
アパートが多い団地。
葵、立ち止まって鞄を漁りスマホを取り出す。
葵M「もし先輩が、例えば、顔の見えない恋からなにかを始めようとしていたのなら。先輩の思いをそのまま受け止めていい、期待していいのなら」
野田との会話画面、返信はない。
新しいメッセージを打ち込む葵。
葵M「今日から少しだけ、形を変えましょう。私が好きなのは元カレじゃない、今会いたいのは元カレじゃない。先輩、あなたです」
葵のメッセ「好きです」
葵のメッセ(連投)「先輩宛です、先輩が好きです」
すぐに既読、じっとスマホを眺める葵。
歩き出そうとした時、メッセージの受信音が鳴る。
慌ててスマホを見る葵。
野田のメッセ「わかった」
葵 「……わかった?」
首を傾げる葵、『?』のスタンプを送り、その後すぐに文字を入力。
『わかったってなにがですか?』と打ち込んで素早く送信。
すぐに既読。
野田から『ごめん』のスタンプが送られて来る。
葵 「?」
野田のメッセ「悪い、間違えた」
野田のメッセ(連投)「違う、スタンプは間違えてないんだけど間違えた」
野田のメッセ(連投)「ごめん、わけわからんこと言ってる。↑(直前に送ったメッセージを差してる)は一旦忘れてくれ」
野田のメッセ(連投)「そうじゃなくて」
物凄い速さでメッセージが来ていたが、少し間が空いて新しいメッセージの受信音。
葵、その文面をじっと見つめる。
野田のメッセ「好きだ、俺も。俺のほうがずっと好きだった」
野田のメッセ(連投)「牧瀬が好き」
葵、嬉しくて泣きそうになるが堪えて顔を上げる。
にやついた表情のまま走り出す葵。
途中ではっとしてスマホを取り出す。
葵のメッセ「もう少しで着きます」
野田のメッセ「は?」
野田のメッセ(連投)「来なくていい。つーか家知ってんの?」
葵のメッセ「昼に住所教えてくれたじゃないですか」
しばらく間が空いて、野田からのメッセージ。
野田のメッセ「教えたけど! 今日中に申請する書類に必要だって言うから!」
葵のメッセ「ただの後輩がそんなことするわけないじゃないですか」
葵のメッセ(連投)「ていうか、簡単に個人情報教えちゃだめですよ」
野田のメッセ「牧瀬が教えろって言ったから!」
葵のメッセ「騙されやすいんですね、先輩って。心配です」
野田のメッセ「違う!」
野田のメッセ(連投)「誰にでも教えてるわけじゃない、牧瀬だからいいかと思って送った!」
野田のメッセ(連投)「つーかちょっと待て、俺は悪くない!」
野田のメッセ(連投)「違う、待て。なに言ってるかわけわからんくなってきた」
葵、メッセージを見て笑う。
葵のメッセ「やっぱり看病しにいきます」
葵のメッセ(連投)「彼女なので」
すぐに既読がつくが、返信のメッセージは少し間が空いてから。
野田のメッセ「それとこれとは話が違うから、来なくていい」
葵のメッセ「違う? 私、彼女じゃないってことですか?」
野田のメッセ「違う、そこじゃない!」
葵のメッセ「なに言ってるかわけわからないのでやっぱり、看病に行きます」
すぐに既読。
少しして返信。
野田のメッセ「悪い、やっぱりさっきのノーカン」
野田のメッセ(連投)「ちゃんと顔見て言いたい」
葵 「?」
葵のメッセ「なにがですか?」
野田のメッセ「さっきの、好きってのノーカン」
野田のメッセ(連投)「顔見て言いたいから」
野田のメッセ「マスクと消毒液もってこい」
葵、嬉しそうに微笑んで。
葵のメッセ「消毒液いります?」
野田のメッセ「風邪うつしたくないから」
野田のメッセ(連投)「風邪うつしたくないけどやっぱり、今は顔が見たい」
野田のメッセ(連投)「会いたい」
笑みが抑えきれない葵、素早く返信してスキップのような足取りで走り出す。
葵の声「私もです。私も会いたい、先輩の顔が見たいです」
駆けていく葵の後ろ姿。
○野田のアパート・寝室(夕)
ベッドに腰掛けスマホを見ていた野田、はっとし慌てて辺りを見渡す。
マスクをし、スマホ片手に洗濯物を片付けていた時に玄関のベルが鳴る。
スマホを放り投げ、玄関に向かう野田。
○同・玄関(夕)
ドアを開ける野田。
扉のすぐ向こうに立っている葵。
野田M「あぁ、そうだ。ずっと……」
葵と野田、同時に照れくさそうに微笑む。
葵・野田M「この笑顔が見たかった」
(終)