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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕はもう、空気なんか読まない。

作者: 平野十一郎

閲覧ありがとうございます!

 『空気』というものが、人と人の間には存在する。


 それはたぶん、暗黙の了解の(かたまり)みたいなもので。


 そのくせして、やたら壊れやすいゼリーみたいなやつで。


 それを壊すと、空気の読めないやつ、と異端(いたん)扱い。


 人の集団というのは、とても怖いもので、群れの『空気』から外れる奴に対しては、何をしても許されるという『空気』になる。


 『空気』から外れたやつを、攻撃するようになる。


 人間は、ひとりひとりの時は普通の人でも、集団になった途端、なぜか簡単に残酷になれる。


 簡単に人を傷つけるようになる。


 それもきっと、『空気』とやらの仕業だ。


 あいつもやってるから。


 私だけじゃない。


 俺もやらないと、次は俺が……。


 そういった『空気』が、まるで免罪符であるかのように。




 だから僕は、自分の身を守るため、空気を読むのに必死だった。




 僕は、決してイケメンという訳ではない。

 だけど、髪型から、高校の制服の着こなしまで、全身に細心の注意を払い、いわゆる雰囲気イケメンとは呼ばれるようになっていた。


 バランスが大事。

 ブレザーの薄い灰色に合うように、少し茶色く染めた髪は、ちょっとだけ長めに伸ばしてある。

 制服を着る時も、カッチリすぎず、だらしなさすぎず。

 清潔感は最重要。


 つまらなさ過ぎても陰キャと呼ばれ。

 くずし過ぎてもチャラ()と呼ばれ。


 バランスが大事。

 まるで毎日が綱渡りだ。


 でも僕、深山(みやま)光太郎(こうたろう)は空気が読める男。

 何も問題なく、学園生活を謳歌(おうか)してみせる。

 僕ならきっと、できるはず。




 深山(みやま)光太郎(こうたろう)は、高校二年生であった。

 中間テストの勉強に四苦八苦している秋口。

 この間まで灼熱のように暑かった気温も、いつの間にか肌寒くなっていた。


 昼休みでは、教室で仲間内の男子達と、いつものように中身のないお喋り。

 「……のアイドルが……」

 「女優の……が、不倫だって」

 「隣のクラスの……かわいくね?」


 光太郎には、まったく興味のない会話。

 それでも、何とか食らいついていかねば。

 置いて行かれるわけにはいかないのだ。

 そう、僕ならきっと、できるはず。

 僕は空気の読める男、深山光太郎だ。







 下校時の下駄箱で、光太郎は靴を履き替えていた。

 今日は、家に帰ってテスト勉強をする。

 そして仲間内では「僕も勉強やってねぇ!やべえ!」と皆に同調するのだ。

 そのためには、遊びの誘いが来る前に、さっさと帰らねばならない。

 一旦遊びの誘いが来ると、断るわけにはいかないからだ。

 (はた)から見たら余裕な感じで。

 でも、急いで。

 靴を履き替え、校舎から出ていく。

 すると校門の所で、声をかけられた。


 「よっ!深山(みやま)っち、これから帰り~?」


 振り向くと、同じクラスの石井(いしい)(まり)がいた。

 こいつは、空気が読めない女だ。

 胸まで伸びた髪をベージュに染めて。

 両耳にはピンクのガラスのピアス。

 化粧もマスカラばっちりの。

 ギャルだった。


 光太郎は、少し安堵する。

 石井(いしい)(まり)が相手ならば、空気を読む必要なんてない。

 なにせ、こいつは空気が読めない女。

 クラスの中でも浮いていて。

 女子達からも倦厭(けんえん)されるほど。

 細心(さいしん)の注意なんて払う必要はなかった。


 「お、石井か。僕はこれから帰って勉強」


 「かぁ~っ!このマジメ君がぁ!深山っちって、マジメなんだかマジメじゃないんだか、わかんないよね」


 「そこは、ちょうど真ん中になるように、バランス取ってるから」


 「それはやっぱりマジメ君だよ」


 石井とは、降りる駅は違うものの、途中まで電車は一緒だった。

 たまに、共に帰る程度には、仲が良かった。


 「深山っち。一緒に帰ろ」


 「いいよ」


 「電車の中でムラムラしても、私に痴漢しちゃダメだよ」


 「しない」


 「私にムラムラする?」


 「しない!」


 こいつは本当に空気が読めない。

 というか、何を考えているのかわからない。

 話が突拍子(とっぴょうし)も無さすぎるのだ。

 でも光太郎は、少しだけ、この空気を読まなくていい会話が楽しくもあった。


 帰りの電車の中。

 もうすぐ光太郎の降りる駅が近づいてくる。


 「ねぇねぇ、深山(みやま)っち。恋、できた?」

 「いや、まだ」


 そう、深山光太郎は、生まれてこの方、一度も恋をしたことが無かった。

 だから、友人達とのコイバナについていくのが、本当に大変だ。


 「石井はどうなの」

 「ナイショ」


 石井は、唇に人差し指を当てた。

 石井はいつも、光太郎の事は根掘(ねほ)葉掘(はほ)り聞いてくるくせに、自分の事は秘密主義だ。

 そして、光太郎の最寄り駅に到着し、光太郎は電車から降りてゆく。


 「深山っち、またね~」

 「おう、またな」


 閉まる電車のドアの、ガラスの窓から、石井が手を振る。

 そして、電車は出発し、線路の向こうへ消えてゆく。


 「変な女」


 光太郎は、駅のホームで一人で呟いた。







 翌日。

 休み時間、光太郎と男子達は、いつものように駄弁(だべ)っていた。

 男子グループの中に、黒髪短髪の真面目そうな男子がひとり。

 光太郎とも仲のいい、(つかさ)だった。


 (つかさ)は腕を組んで、言う。

 「俺、今回の物理のテスト、ヤバいかも」


 みんなは言う。

 「まあまあ、司はいつもそうやって、結構いい点取るから」

 「なにげにマジメだもんな」

 「マジメなのは割と見たまんまだと思うぞ」


 光太郎は、抜群のタイミングで相槌を打っていた。

 細心の注意を払って。

 これもいつもの、会話の綱渡り。

 だいじょうぶ。僕は空気の読める男。

 空気を壊したりはしない。


 そこで、ふと深山(みやま)光太郎(こうたろう)石井(いしい)(まり)を見た。


 こちらのグループを見つめる石井。


 その視線を追っていくと。


 司が居た。


 そうか。石井の恋の相手は。


 光太郎は、司を見る。


 (ほうほう。司もなかなかモテるじゃないか)


 恋をしたことがない光太郎は、石井の気持ちに寄りそうことはできないけれど。

 少なくとも、石井の手助けくらいは、どこかでしてやってもいいかなと思った。







 そして何日か経ち、テストも無事に終わり、みんなが一息つけた頃に。


 ひとつの噂が立った。


 - 石井鞠は、身体を売っている -


 どこから始まったのか。その噂は、あっという間にクラスに広まった。


 みんな、遠目で石井を見るばかり。


 もともと、クラスの中でも浮いていた石井。

 女子からも倦厭(けんえん)されていた。

 きっと、女子の誰かが、言い出したのだろう。


 石井の周りには、もう人が誰も寄り付かなかった。


 (あいつは空気が読めないからなぁ)


 深山光太郎は、心の中で呟く。

 光太郎は、石井が身体を売っているなんて、思っていなかった。


 真実は分からない。

 もし実際に売っていたとしても、それはそれでしょうがない。

 なにせ、世の中にはそういう職業もあるくらいだ。


 でも、少なくとも、石井は売っていないだろうな、と思ってはいた。


 (まぁ、このままってのも、後味悪いし、僕が話しかけてみるかな)


 孤立した石井を放っておくのも良くない。


 光太郎は、石井に話しかけるため、自席を立とうとした。


 だが……


 クラスのみんなの視線が刺さる。


 - 余計なことはするなよ -


 まるで、そう光太郎の心に釘を刺すかのように。


 (なんだ、この『空気』)


 クラスの全員が、一丸となって、石井を排斥しようとしている。

 クラスの空気が、まるで有刺鉄線のように、光太郎にまとわりつく。

 もし変に動いたら、次はお前が傷つくぞ、と言わんばかりに。


 光太郎は、立てなかった。

 立ち上がろうとしたが、その空気の圧力に負け、また座ってしまった。

 動きたくても動けなかった。


 集団の中にいる身としては、その場の空気というのは、非常に強力だ。

 押し込まれるような圧力。

 もしその空気を破れば、次のターゲットは自分だ。


 みんなの、石井への空気は、とても鋭く尖っていた。

 あの中に入れば、光太郎の心は、石井と共にズタズタに切り裂かれるだろう。

 そして光太郎はその恐怖に抗えず。

 放課後、ひとりで帰る石井を見送るばかりであった。







 それから何日経っても。

 噂は無くならなかった。

 いや、むしろ。

 クラスの空気は酷くなるばかり。


 女子達が小声で、でもハッキリと言う。

 「ちょっとー。なんか汚い女がいるんですけどー」

 「ほんと、もう学校来んなって感じ」

 「売りとか、ありえないよね」


 何度か、いや何度も、石井に話しかけようとした。

 だが、みんなの空気が、見えない刃物付きの壁のように、それを(はば)む。

 クラスの空気は、鋭さを増していた。

 石井はひとりで、耐えているというのに。


 「光太郎。石井のことは放っておいた方がいい」


 司が言う。


 「石井には悪いが、もし関わっても、お前がターゲットになるだけだ」


 司。石井はお前の事が……


 「俺は、別に石井の事が嫌いな訳じゃない。でも光太郎。俺は、お前が傷つくのは見たくない」


 石井を助ければ、光太郎が傷つく。

 石井を助けなければ、石井が傷つく。


 どちらかしか選択肢が無い中で、司はただ、光太郎の身を案じていただけだ。


 司は、決して悪い奴じゃない。

 いや、むしろかなりいい奴だ。


 だが、僕も司も、ただの一生徒に過ぎない。


 この空気を変える力など、どこにも持っていなかった。







 とある日の昼休み。


 深山光太郎は、珍しくひとりで屋上でぼんやり過ごしていた。


 (はぁ。今のクラス、何とかなんねぇかな……)


 それは、石井に対するあの空気。


 光太郎は空を見上げる。


 すると、誰かが屋上に入ってきた。


 光太郎は、屋上の入り口を見る。


 そこには、石井鞠が立っていた。


 光太郎をみて、少しびっくりして、そのまま引き返そうとする石井。


 光太郎は手を上げる。


 「よっ!石井!」


 石井は、再びこちらを振り向いた。


 「……やぁ。深山(みやま)っち」


 「こっち座れよ」


 光太郎は、自分の隣へ、石井を誘導しようとする。


 「……深山っちも、いじめられちゃうよ」


 「今、ここには僕達しかいないから大丈夫」


 決して『いじめられても大丈夫』とは言えなかった。

 光太郎の隣へ腰かける石井。


 あらためて、石井をよく見てみると、ずいぶんと顔がやつれていた。

 これが、あの元気だった石井なのか。

 これが、あの空気を読めない石井なのか。


 光太郎は、意を決して告げる。


 「石井。僕は、お前が身体を売ってるってこと、信じてない」


 光太郎を横目で見る石井。


 「助けてあげられなくって、ごめん」


 「うん。いいよ。そう言ってくれるだけで……


  私、身体なんか売ってないのに」


 石井の目から、涙が(あふ)れていた。

 マスカラが涙で落ちていく。


 「頭、()でてあげようか」


 「……お願い」


 光太郎は、触れているのか触れていないのか分からないくらい、そっと石井鞠の頭を撫でる。


 これが、光太郎が今できる精一杯。


 でも確かに少なくとも、この昼休み、この屋上にだけは、クラスの『空気』は存在していなかった。







 秋も終わりに差し掛かる頃。

 我が校には、桜とは別に、(かえで)の樹も結構植えられていて、楓の葉が紅く染まっている。

 その葉が地面に落ちて、紅いカーペットを作り上げていた。


 その日の朝。

 石井は、上履きを履いていなかった。

 職員室から借りたであろう、スリッパを履いていた。

 たぶん、隠されたか、壊されたか。

 石井は、ひとり自席で、うつむくばかり。


 教室に、司が入ってきた。

 何だか、思いつめたような顔で。

 そして、その後ろには、数名の男女が入ってきた。

 石井へのいじめの首謀者たち。

 その男女たちは、皆、何やらニヤニヤしていた。


 (……何だ?)


 教壇の前で止まる司。


 だが、固まったように動かない。


 一人の男子が司を(つつ)く。


 それに反応し、その男子をちらりと見る司。


 そして司は、大声を張り上げた。


 「い、石井!


  俺、お前が好きだ!


  付き合ってくれ!」


 ぽかんとした表情の石井。

 司の顔は青白く、とても愛の告白をしたばかりには見えず。


 だが、石井の表情は、徐々に喜びに染まる。

 石井の口が開く。


 「え、えっと……。


  つ、司君。


  私、嬉しい。


  私も、司君がいいなって思ってたから……」


 司の周りの男女たちは、今もずっとニヤニヤしている。


 ちがう。ちがうぞ、石井。

 お前は、相変わらず空気が読めない。

 たぶん、これは……


 司が、吠える。




 「ごめん!石井!これ、嘘だ!


  お前の事は、なんとも思ってない!」




 喜びに満ちていたはずの、石井鞠の顔から、赤みが抜け落ちる。


 クスクスと笑うクラスメイト達。


 光太郎は、動けずにいた。


 (……司!お前!


  お前だけはそういうことをしないと思ってたのに!)


 光太郎の頭には、軽蔑と無念さがぐるぐる回っていた。


 なぜ。なぜだ。司。


 光太郎は、席に座ったまま司を睨む。


 そこには、相変わらず青白い顔の司。


 そうか、きっと司も、あいつらに言われて。


 断れる空気なんて、一切なかったんだろう。


 だけど、それでも……




 ふと、光太郎は気付く。


 空気に飲まれて、多数の言いなりになっていたのは、自分も同じではないのかと。


 結局のところ、石井を助けに動けなかったのは、光太郎も一緒なのだ。


 司を攻める資格なんてない。


 (何が、何が悪かったんだ)


 なぜこんなことになっているのだろう。


 クラスの空気に抑圧されていた光太郎。


 クラスの空気に無理やり背中を押された司。


 クラスの空気に盛り上がり、石井をいじめるクラスメイト達。


 このクラスの空気が、分厚い壁となって、石井の周りを囲み、石井を助けようとする意志を(はば)む。


 このクラスの空気が。




 - この空気か -




 光太郎は、空気が読める男。


 集団の空気というのは、とてつもなく勢いのある流れのようで。


 流れに逆らえば、とたんに溺れてしまう。


 そして、一旦できあがってしまった空気を変えることは、容易(たやす)くはない。


 だが、それでも……




 光太郎は、学校の屋上で、泣いていた石井を思い出す。


 涙でマスカラが落ちていて。


 そして、そっと撫でた、ベージュの髪の毛の感触を。




 光太郎は、立とうとする。


 石井の無念を晴らそうと。


 だが、腰を浮かしたところで、まるで上からすごい圧力がかかったよう。


 クラス全体が、石井を笑いものにしようとしている、この空気が。


 この空気に逆らうと、どうなってしまうのか。


 きっと、その瞬間、クラス全員が光太郎を敵と見なすだろう。


 光太郎は、怖かった。


 想像してしまった。


 その恐怖に押しつぶされ、再び腰を下ろそうとする。


 だが、そこで目に入ったのは。


 石井の、ピンクのガラスのピアス。

 

 そして、よく見ると。


 石井の目の、マスカラの間から、きらりと光る何かが。


 それはたぶん、虫眼鏡で見ないと分からないくらい、小さな涙。


 それを見た光太郎は。




 光太郎は、思いっきり席を立ちあがる。


 クラスの何人かが、怪訝(けげん)な顔で光太郎を見ていた。


 いとも簡単に立ち上がれた光太郎は、自分でも驚いていた。


 空気なんて、所詮はこんなものかと。


 読もうとすれば、とてつもなく重く大きく。


 読もうとしなければ、羽毛のように軽く。


 もちろん、その空気に逆らった異端者は、現実として、集団から重いペナルティを背負わされるだろう。


 今回の場合は、いじめの対象になるだろう。


 だけど、光太郎は怒っていた。


 石井をいじめるクラスメイトに。


 それに従い、嘘告白をした司に。


 何もできなかった自分自身に。




 そして光太郎は動き出す。


 司に向かって。


 クラスの空気が変わる。


 でも、光太郎は気にしない。


 一度(はら)さえ決めてしまえば……


 空気に流されないなんて、とても簡単なことだったんだ。


 最初からこうしていれば、石井をこんなに傷つけずに済んだのに。


 くだらない自分にならずに済んだのに。


 そう思うと、過去の自分を(わら)った。




 そう、光太郎はもう。




 僕は、もう。







 僕はもう、空気なんか読まない。







 光太郎の足は、自由に動く。


 (まと)わりつく空気を引きちぎって。


 クラス全員が、光太郎を見る。


 その視線を、振り払って。


 途中で机にぶつかり、その席に座っていた女子が非難の声を上げる。


 ざわつくクラス。


 その声なんて、聞いてやらない。


 進む光太郎。 


 目の前には、青い顔をした司。


 そして光太郎は。







 司を、思いっきり殴った。







 人を殴ったことなんて、生まれて初めてだった。


 拳が痛かった。


 教壇に倒れこむ司。


 教室中で悲鳴が上がる。


 入り口を見ると、いじめの首謀者の男女たち。


 (お前らは、逃がさない)


 光太郎は走る。首謀者どもに向かって。


 はじめは、先頭の男子を殴った。


 次に、隣に居た女子を殴った。


 もう男女なんて関係あるものか。


 僕はもう、空気なんか読まない。


 その後ろの男子が叫ぶ。


 「お前、何してんだ!」


 その男子も殴った。


 別の男子から、殴られる光太郎。


 そして、光太郎も殴り返す。


 光太郎を中心とした、大乱闘が始まっていた。


 だが、多勢に無勢。


 光太郎は、殴られ、引っ張られ、(つか)まれ。


 クラスメイト達に鎮圧されていた。


 そこに、急ぎ足で駆けつけてきた担任の中年男性教師。


 既に、状況は聞いているのだろうか、全員に速やかに席に戻るよう、伝えていた。


 光太郎は、石井鞠に肩を借り、保健室に連れられていた。







 「あー、痛え」


 大乱闘の翌日。

 深山(みやま)光太郎(こうたろう)は、石井(いしい)(まり)と一緒に、屋上に座っていた。

 紅くなった(かえで)の葉が、風に舞う。

 光太郎の顔面も、楓の葉のように真っ赤だ。

 ところどころ青くもなって、腫れあがっている。


 あの後、教室には一回も行けていなかった。

 担任の中年男性教師は、意外と話が分かるためか、事情は全て()んでくれた。

 今日は、石井と一緒に登校した後、一旦保健室で傷を()てもらい、そのまま二人で屋上に来た。

 熱くなった顔面に、秋の風が気持ちいい。


 「深山っち、すごい顔。ウケる」


 「誰のせいだと思ってんだ」


 相変わらず、石井は空気が読めない。

 でも、それもまた良し、と光太郎は一人で納得していた。


 すると、屋上の入り口から、一人の男子生徒が。


 (つかさ)だ。


 司も、光太郎が一発殴ったせいで、(ほお)が少し膨れている。


 司は、光太郎たち二人を見ると、こちらへやってきた。


 そして、頭を下げる。


 「すまん。石井。光太郎。


  俺が悪かった」


 やっぱり、こいつはいい奴だ。


 悪かったのは、クラスの空気と、それを作った奴ら。


 でも、それに逆らえず嘘告白をしたのだから、一発殴られるくらいは大目に見てほしいと、()れまくった顔で、光太郎は思う。


 司は顔を上げ、続ける。


 「職員会議の結果が出た。


  光太郎は一週間停学。


  俺も一週間停学。


  首謀者のあいつらは、一番タチが悪かったから、三週間の停学だ。


  あいつらには、場合により、刑事事件にも発展させるらしい。


  石井の持ち物を壊したりしたみたいだからな」


 うちの担任は話が分かる。

 上履きが無くなった石井に、スリッパを貸したのも担任。

 その時点で、いじめを何とかしようと思っていたらしい。

 そこに来て、光太郎の大乱闘。

 全員から証言を取り、職員会議では、首謀者どもを一番重い罪に持って行ったそうだ。

 かっこいいじゃないか、担任。


 司は、まだ話を続ける。


 「それで、石井。昨日の告白は、嘘で……


  本当にすまん!」


 再び頭を下げる司。

 応じる石井。


 「司君。もうだいじょうぶよ。私、他に好きな人ができたから」


 えっ

 たった一日しか経っていないのに?

 石井に一体何があったのだろう。


 なんだか納得したような顔の司。


 「二人とも、保健室登校に切り替えた方がいい」


 うちの学校の保健室は無駄にデカい。

 そのため既に、他の学年やクラスで、いじめにあっていた生徒が数名、保健室登校をしていた。


 「深山(みやま)っち、私たち、そうした方がいいと思う」

 「だな」


 正直、もうあのクラスには戻れないと思っている。

 保健室で、同じ境遇の生徒と、勉強していた方が絶対にいい。


 そして司は去っていった。

 教室の机の荷物などは、司が持ってきてくれるそうだ。

 あいつは本当にいい奴だ。


 司が去ったあと、特に何を話すわけでもなく、ただ黙っている深山光太郎と石井鞠。

 こんな空気も悪くない。

 空に舞う、紅くなった楓の葉を、ふたりで見ていた。


 「ねえ、深山っち」

 「うん?」

 「まだ恋できてない?」

 「うん」


 光太郎は、恋を(いま)だにしたことが無い。


 すると。


 「ん!」


 かけ声と共に、光太郎の(ほお)に、ぶちゅっとキスをする石井。


 ロマンの欠片(かけら)も無い、吸盤のようなキス。


 「痛えっ!」


 ()れていた顔に吸い付かれたものだから、激痛が走る。


 「あっ、ご、ごめん!


  でも、私のファーストキスだから!」


 まるで意味がわからない。


 やっぱりこいつは、空気が読めない。


 「ね、ね、ねぇ、深山っち。


  もし、もしまだ好きな人いないんならさぁ、


  わ、私とかどうよ?」


 楓の葉と同じくらい、紅葉(こうよう)した石井鞠の顔。

 あれ?さっき言ってた、石井の新しい好きな人って……


 「ええっ!?


  僕!?」


 「そ、そうだよ!今キスしたじゃん!」


 「うーん、正直、どうしたらいいか、わからん!


  恋なんてしたことないからなぁ」


 「じゃあさ!お試し!お試しで!」


 「だってお前、昨日まで司が好きだったんじゃないの?」


 「ほら、女の好きな人は、上書き保存って言うじゃん?


  今はもう、その、こここここ光太郎に変わっちゃったわけで……


  だって、私のために、あんなこと……


  そんなの、絶対好きになっちゃうじゃん……」


 (うつむ)きながら、目をすごいキョロキョロさせる石井鞠。


 どうしようか。


 「じゃあ、お試しで。


  他に好きな人できたら、そっち行っていいから」


 「や、やった!


  だいじょうぶ!


  私が光太郎に恋を教えるから!」


 飛び跳ねて喜ぶ石井鞠。

 ベージュに染めた髪も跳ねる。

 ピンクのガラスのピアスも跳ねる。


 僕は、これから恋を知れるのかな?


 甘い空気なら、ぜひ読んでみたい。


 石井鞠が、深山光太郎に、手を差し出す。


 「行こ!光太郎!」


 光太郎は、鞠の手を取る。


 立ち上がる光太郎。


 そして、ふたりの影は、そのまま校舎の中に消えてゆく。








 空には、紅くなった楓の葉が、秋の終わりの風に舞っていた。







お読み頂きありがとうございました!


もしお気に召して頂けましたら、同時期に掲載したもう一つの作品

『もうすぐ死ぬ僕らは、最期まであと一か月

~残り少ない命の僕らが、ただイチャイチャするだけのお話~』

https://ncode.syosetu.com/n7973he/

こちらも、ご覧になって頂けると、嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
自分も誰かをイジメる外道になるくらいなら空気なんか読まねぇ!って性格なので、光太郎に滅茶苦茶感情移入してしまいました。 この話を読んでいると、学生時代、周りの同調圧力を押し退けてイジメられていたあの…
格好いいね光太郎。 いざその状況になって動ける人間がこの世にどれだけ存在しているか。 強い同調圧力に対して何をするか。非常に重要なテーマだと思う。 あんなクソみてぇなクラスには二度と行かんでいい!! …
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