1.少年の旅立ち。
ある少年は、一人の女の子に恋をした。
しかし、その恋は決して叶うことのないものだった。
第一に彼女と少年の身分は、かけ離れている。そして次に、女の子の中にはもう、他の少年の姿があったから。だから少年――クリスは決めたのだ。
「私は私にできることを。未来への懸け橋となろう」
この命を賭しても。
彼女を呪われた世界から解放し、輝ける未来へ――と。
「頼むぞ、その担い手……」
思い浮かぶのは、彼女が思いを寄せる少年の背中。
彼ならばきっと大丈夫。今回のように、その真っすぐな心と眼差しをもって、必ずや愛しい彼女を導いてくれるだろう。クリスの中には、確信があった。
何故なら彼のことを話す彼女――マリンには、その輝きを感じたから。
与える者が自分ではないのは、少しだけ悔しい。
それでも、それ以上に、何よりもマリンの笑顔が嬉しかった。彼女の笑顔を守る道を示せたのなら、少年にとっては、この上ない喜びだ。
「クリス! いま、治癒魔法を――」
「くくく。これからお嬢様を導くお前が、そんな顔をしてどうする」
「そんなこと言ったって、これじゃあ……!」
霞む視界。
クリスの身体を支えて、顔を覗き込んでいるのは未来の担い手。いまばかりは、その幼い顔を悲しみに歪めていた。こんなことがあっていいのか、と。
彼はきっと、最後の最後までクリスの命を救おうとするのだ。
そんな真っすぐな彼だから、クリスは信じられる。
お嬢様――マリンは、もう大丈夫だ、と。
「案ずるな。これで良い、誰も苦しまないで済むのだから……」
「苦しんでるじゃないか! いま、クリスが!!」
「くくく。私が……?」
「あぁ、そうだよ――」
必死な少年――クレオは、こう言った。
それは、クリスにとって思わぬ言葉。
そう、その言葉とは――。
「だって、クリスは泣いているじゃないか!」
クリスはハッとした。
そして、それと同時に理解するのだ。
「は、ははは……なるほど、なるほど。どうりで、視界が……」
――あぁ、これが悲しみか、と。
命を失うその寸前になって、彼は初めてその気持ちを知った。
今までは、マリンを救う方法を模索することに費やした時間だった。それが終わりを迎えてついに、一人の人間クリスとしての時間が始まったのだ。
あまりに短い。
身体を蝕む、不可逆な呪いによって死ぬまでの、短い人生。
「あぁ、あぁ……!」
理解した。知ってしまった。
彼は成し遂げた故に、空虚となった。
だからこそ悲しい。もう、自分の中には何もないから。
誰かに肯定され、受け入れられるには、この人生はあまりに短すぎるから。
「私は、わたし、は……!」
鉛のように重い腕を持ち上げる。
なにかにすがるように、助けを求めるようにして。
でも、それはきっと誰にも届かない。
そう、思われた時だった。
「――クリス。ここに、いたのですわね?」
あぁ、なんと心地良い。
そんな声が耳に届いたのは……。
◆◇◆
「――クリス。ここに、いたのですわね?」
何も出来ないでいるボクの隣に、マリンがやってきた。
そして、その命の灯火が消えようとしている少年の手を取って微笑むのだ。綺麗な顔をくしゃくしゃにして泣き続けるクリスの、そのあまりに幼い手を。
ボクは二人の様子を見て、なにも言葉にすることができなかった。
いいや。なにか口にすることは、はばかられたのだ。
いまはもう、この二人だけ。
クリスの終わりに必要なのは、きっとマリンだけ。
「お嬢、様……?」
「貴方には、昔からお世話になりっぱなしですわね」
「私のこと、知って……いたの、ですか?」
「とうぜんですわ――クリス。わたくしが困っていたら、そっと手を貸してくれていた、不思議な人。いつも、半人前なわたくしを支えてくれていた人」
「そん、な……」
マリンの言葉を、否定しようとするクリス。
だが、彼女はそれを許さない。
「貴方は――わたくしにとって、とても大切な人」
「…………!」
優しく、あまりに優しく。
その手を握り締めながら、マリンはクリスという少年を認めた。
彼は言葉を失い、息を呑み、喉を震わせ、唇を噛んだ。そしておもむろに、先ほどまでの奥歯を噛みしめた表情から一変する。
クリスはその綺麗な、整った顔に柔らかな微笑みを浮かべた。
とても、満ち足りた表情。
彼が残したのは、マリンの未来だけではない。
「あぁ、ありがとうございました。お嬢様」
「いいえ。こちらこそ、ですわ」
間違いない。
人間、クリスとしての足跡だった。
いま、一人の少年が旅立った。
そうきっと、苦しみに見合うだけの幸福に包まれて――。




