4.クレオは絶望しない。
呪術の力の根源が、憎しみや劣等感――いわゆる負の感情とされるのなら、カオン・シンデリウスの右に出る者はいないのかもしれない。
生まれからこれまでの人生において、彼という人物を構成する上で、負の感情というものはなければならない重要なピースだった。つまりは彼そのものであり、カオンは言うなれば呪術を扱うために生まれてきたと、そう言っても過言ではない。
「だけど、その負の感情を他者にぶつけるなんて、間違っている……!」
ボクはカオンの生涯の一端に触れて、それでも許すことは出来なかった。
人はそれぞれに願いを持って、自分の意思で生きている。それを捻じ曲げることも、自分の考えを押し付けることも許されないのだ。
しかし、それを彼は理解しているのか。
黒き波紋を回避しながら、霞む視界でボクはカオンを捉えた。
「あぁ、いや――」
そこでよぎった考えを、押し殺す。
もしかしたらカオンにも善意というものがあるのかもしれない。そんな考えは、ただの甘ったれに違いない。この男はきっと、純粋培養の呪いそのもの。
少しでも気を緩めれば、彼の呪いに一気に飲み込まれるだろう。
「でも、一つ訊きたいことがある」
屈めていた身を起こしながら、ボクはそう口にした。
「ふむ。楽しいショーの最中に、なにを?」
「カオン・シンデリウス――」
するとカオンは、手を止めて目を細める。
そんな彼に、ボクは問いを投げた。
「お前は、そのやり方で後悔しないのか」――と。
彼が憎しみに駆られるには、なにか理由があったはずだ。
劣等感に駆られるのも、根本にはきっと挫折があるはずだった。それはそれは、大きな挫折が。望んでも手に入れられなかった、大きな喪失感が。
そうでなければ、そもそも誰かと比べたり、憎しみなんて――。
「……うるさい」
「カオン……?」
そう考えた時だ。
明らかに、カオンの表情が忌々しげに歪んだ。
「お前に、なにが分かるというのだ。私があの日に誓ったことなど、お前が知ったところでどうしようもない。なにが後悔だ、『母のためなら』私は――」
剣を構える。
「私は鬼にも悪魔にもなると、そう誓ったのだ……!」
そして、今までよりも強力な波紋を繰り出した。
「くっ……!?」
ボクはそれを回避しながら考える。
やはり、彼にもあったのだ。負の感情に駆られるだけの理由が。しかしそれは、月日を経て歪んで、カオンという人間を再構築していった。
許される行いではない。
それでも、ボクにはもう彼を憎むことは出来なかった。
「なんだ、その目はァ!?」
そんなこちらを見て、カオンは叫んだ。
「私を憐れむのか! お前ごとき、廃嫡された出来損ないが!?」
「……………………」
――あぁ、そうだった。
あまりにも、このカオンという男は、憐れだった。
そも呪術の使い手は、心に傷を負った者が多い。カオンもその例に漏れず――いいや、きっと彼はその最たる例であって、誰よりも救いがない。
だとすれば、ボクに出来ることは――。
「カオン、終わりにしよう」
彼の悪夢を終わらせてあげること。
その命を絶って、この憎しみの坩堝から救い出してあげることだった。
「な、に……?」
ボクは短剣を構えて、駆け出す。
一気に距離を詰めてから、カオンの腕を切り落とした。
「なにィ……!?」
驚きに目を見開く彼を見た。
たしかに、彼の呪術は恐ろしい。
それでもボクには効かない。何故なら――。
「ごめんなさい、ボクは絶望なんてしないって決めたんだ」
そう、好き勝手に生きるのだと決めた時から。
ボクの人生は光に満ちた。それを、ボクは知っているから。
「ま、て……!」
「さようなら、カオン・シンデリウス」
尻餅をついた彼に、短剣を振りかざす。
そして、一息にそれを突き立てようとした、その時だった。
「待て、クレオ・ファーシード」
「クリス……?」
足を引きずりながら、美しい少年が姿を現したのは……。