5.聖女の決断。
「おはようございますなのです! マリンさん!!」
「え、えぇ……おはようございますですわ、マキ」
――翌朝。
マリンがリビングに現れると、マキが笑顔で出迎えた。
「あの、伯父――ゴウンさん、は?」
「お父さんはパーティーを組んでた人たちのところを回ってるです!」
「パーティーを組んでた人……?」
マリンが首を傾げると、小さな少女は少しだけバツが悪そうに笑う。
そして、先日の出来事を手短に説明した。
「そんなことが、あったのですね……」
「はいです。だから、お父さんは定期的に昔の仲間に会いに行ってるです」
「……………………」
話を聞いた聖女は、椅子に腰かけてうつむく。
悶々とした気持ちの中で、口を突いて出てきたのはこんな問いだった。
「マキは――」
緊張した声色で。
「ゴウンさんが、怖くないの……ですか?」
自身の父が恐ろしくないのか、と。
それはきっと、至極真っ当な質問だっただろう。自分や他の者に暴力を振るっていた人物が、改心したとはいえ傍にいるという事実。
いつ気持ちが変わって、また手を挙げられるか分かったものではない。
そう思っても、不思議な話ではなかった。
「んー……時々には、思うですよ?」
その意図を汲み取ったらしい。
マキは顎に手を当てながら考え込んだ。
しかし、すぐに笑顔を浮かべてこう言うのだった。
「でも、いまは――」
明るい声色で。
「信じてみることから、始めてみようって思うのです!!」
屈託のない表情から発せられたそれに、マリンは息を呑んだ。
心を改めたのなら、信じることから始めてみる。きっと、とても大切なこと。それを理解したマリンは、だからこそうつむくのだ。
そして、こう口にした。
「わたくしも、信じてみるべきなのでしょうか……」
誰に向けた言葉なのか。
自身の父親か、あるいはゴウンに対してか。それとも、その両者ともに、か。
もしかしたらマリン自身、その答えは出ていないのかもしれなかった。それでも、心の底にある不安感と向き合うことの大切さを目の当たりにしたのだ。
逸る気持ちだけが、心に募っているのかもしれない。
その時だった。
「少しずつで、良いですよ」
「マキ……?」
親友がそっと、彼女の手に触れたのは。
「焦る必要はないのです。僕の事情とマリンさんの事情は、きっと違う。だから今は、とにかく自分のしたいことをしましょう?」
「わたくしの、したいこと……?」
「はいです! マリンさんは、今の生活が気に入ってるんですよね!」
「…………………」
そして、顔を覗き込むように笑みを向けられて。
マリンは心を掴まれたと感じた。静かに目を閉じて、頷く。
「えぇ、わたくしは――」
もしかしたら、これが聖女にとって最初の決断だったのかもしれない。
◆◇◆
ある貴族の家。
その広間で大きな椅子に腰かけ、一人の男性がふんぞり返っていた。
その者の名はカオン・シンデリウス――シンデリウス家の現当主であり、小さな眼鏡をかけた長身痩躯の男。彼はいま、一人の密偵から報告を受けていた。
「それで、マリンはゴウンの家にいる……と?」
「………………」
密偵はなにも言わない。
それは、無言の肯定とも取れる。
少なくともカオンは、そう考えて口角を吊り上げた。
「面白い。面白いことになった……!」
そして、堪えるような笑い方でそう口にする。
不気味な声が広間に響き渡った。
「ならば、それを利用させてもらうとしようか!」
カオンは立ち上がって、そう叫ぶ。
瞳に宿っていたのはひたすらに鈍い、憎しみに塗れた光だった。




