4.マリンとゴウン。
『いいか、マリン。分かっているな?』
『はい、お父様……』
幼いマリンは周囲を大人に囲まれ、小さくなっている。
父であるカオン・シンデリウスは特に厳しく、常に叱責するように、少女に接していた。マリンの中にあるカオンへの気持ちは、恐怖以外になにもない。
逆らってはいけない存在。
逆らっては、自身の命にかかわるかもしれない。
『お前は賢いからね。あの愚かなゴウンのようにはならないだろう?』
『はい……』
そんな父であるカオンが、何度も口にしたのは伯父の名前。
もっともすでに廃嫡されて、シンデリウス家とはもはや縁がないと聞かされていた。だがそれでも、カオンや親族たちは、ゴウンの行いのすべてを一族の汚点と捉えているらしい。事ある毎に、今のシンデリウス家の苦境はゴウンのせいだ、と。
その場にはいない、伯父の名前を貶すのだった。
『マリン――あぁ、愛しき私の娘。お前は、私の言う通りに動けばいい』
一転して、優しさを装った声で話すカオン。
そんな彼に寒気を覚えながらも、マリンは静かに頷くのだ。
そして、またも同じ言葉を繰り返す。
『はい、お父様』――と。
◆
「あの方が、伯父様――ゴウン・オルザール」
客室で一人、ベッドに身を横たえながらマリンは呟いた。
まさかマキの父親が、子供の頃から話に聞いていた伯父であるとは、思いもしなかった。反応を見る限り、どうやら彼の方もマリンの素性には気付いているらしい。その上で平静を装って過ごし、今に至っていた。
「話に聞いていたような、横柄な方ではない……けど」
身を起こし、窓の外の月を見る。
浮かんでいるのは満月。それはまるで、今のゴウンを表すようであった。
そして、ふっとマリンが息をつこうとした時――。
「すまない。いま、少しだけ話いいか?」
「え……っ!」
ドア越しに、彼の声が聞こえた。
どこか緊張したようなそれに、しかしマリンもまた身を固くする。脳裏によぎるのは、親族が口々に発していた罵詈雑言の数々。
油断してはならない。
マリンは、唾を呑み込みそう考えた。
「えぇ、部屋の中には入れませんけれども」
「はは……。それでもいいさ、ありがとうな」
そのため、最大限の警戒を持って返す。
するとゴウンは意外なことに、小さく笑ってから感謝を口にした。
「…………なんの、用ですの?」
そのことに違和感を抱きながら、マリンは訊ねる。
その問いを聞いたゴウンは、自嘲気味にこう言うのだった。
「いや、な……。お前さんにはきっと、苦労をかけただろうから、それを謝りたかったんだ。カオンは融通の利かない野郎だっただろ?」
「………………」
それは、しかし同時に温かな色を感じさせる。
言い方はそうでもないが、どこかマリンへの気遣いもあった。それを受けた少女はしばし黙って、彼を試すように意地悪な答えを口にする。
「えぇ、とても。わたくしが、どれだけ苦しかったか……」
「そうか。それは、本当に済まなかった」
するとゴウンは、心の底から落ち込んだようにそう漏らした。
だが、すぐに切り替えたように言うのだ。
「マキと、友達になってくれて――――ありがとう、な」
それを聞いて、マリンは息を呑んだ。
この人はもしかしたら、本当は自分の思うような人ではないのでは、と。
そのことを確かめようとした――が、それより先にゴウンはこう言って去った。
「それじゃ、今日はもう遅い。また明日な」
「え、あの……!」
呼び止める間もない。
マリンが立ち上がる頃には、もうその気配は消えていた。
「…………なん、なんですの」
一人残された彼女は、うつむいて拳を震わせる。
しかし、その日の出来事は深く胸に刻まれたのだった。




