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紅玉の君

作者: 壱音カルマ

「お美しいご令嬢様。僕と一曲踊って頂けませんか?」

皇室主催の夜会にて、シャンパングラスを片手に壁の花に徹していた亜麻色の髪を最低限の品位を感じさせる程度に結い上げ、蒼穹のように青い露出の少ない簡素なドレスを纏った少女は、自分にかけられた声に気づかぬふりをしてやり過ごそうと思っていたが、辺りを見回して自分以外に着飾った女性がいないことに気づくと、うんざりと声の主へと視線を動かす。

(子供…?)

彼女に声をかけてきたのは、まだまだ社交デビューするには年齢が足りていないように見える少年だった。艶のある黒髪に瞳は燃えるように赤い。仕立ての良いスーツを着ているが、見た目で判断するなら今年で18になる彼女の半分くらいではなかろうか?

(男性にしては妙に声が高いと思ったけれど…)

大方、親についてきた子供が大人の真似事をしているのだろうと予測を立てた彼女は微笑みを浮かべて少年に向き直る。

「お誘いいただきましてありがとうございます。申し訳ないのですが、私は左足を痛めているので歩くのはともかく踊れないのです」

もちろんこれは嘘だ。こういったパーティーで踊ること自体あまり好きでは無い彼女は基本的にダンスの誘いは真っ向から断っている。ただ、子供に対してまで厳しく拒絶をするのはどうかと思う。だから、少し遠回りな言い回しでやんわりと断った。彼女の言葉を正しく理解した少年は、少し寂しそうな表情を浮かべた後にそれを隠すような微笑みを浮かべる。

「…そうですか。とても残念です。…では、次にお会いできた時にはお願い出来ますか?」

そんな少年を見て少し心を痛めたが、元々の身長も彼女の胸元までしか無い彼ではうまくリードすることも難しいだろう。出来たとしても、格好がつかないように思える。まだ幼い彼にコンプレックスを抱かせるわけにもいかないと自分に言い聞かせて返事をする。

「そうですね。では、次にお会いできましたらよろしくお願いいたします」

それを聞いた少年は嬉しそうに表情を和らげる。それを微笑ましく思った彼女は自分の右手を差し出す。彼は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐにその手を取って甲に軽い口づけを落とす。手から離れた少年の頬に赤みが出ており、年相応に照れていることが窺える。

「またお会いできる日を楽しみにしております。亜麻色の君」

「まあ…」

「お名前はその時にお教えください」

なんとませた少年だろう。話し方もはっきりとしていて、目を閉じて聞けば声の高い成人男性と間違えそうな程だ。子供らしさが欠落していて、今は違和感が目立つが成長すれば社交界を席巻する紳士となるだろう。そう思っても彼女の心は大して動かなかったが。

「私もその日を楽しみにしております。紅玉の君」

彼女の言葉を聞いて晴れやかな笑顔を見せる少年。それに彼女は心の中で詫びる。

(ごめんなさい。貴方とはもう会うことはないわ)

今宵の宴は彼女にとって最後の夜。少年がこの先いくら社交パーティーに出ようと彼女と会うことはない。名前を教え合わなくて良かったと彼女は思う。名が分からなければ探しようがないからだ。

「では、私はこれで失礼致します。そろそろ迎えが着いている頃合いですので」

今度は本当のことを言う。

「はい、おやすみなさい。亜麻色の君」

「おやすみなさい。紅玉の君」

足を痛めていると言った手前、いつもよりゆったりとした足取りで会場を後にする。そんな彼女の後ろ姿を彼は見えなくなるまで見つめ続けた。


会場に使われた公民館の正面玄関前の馬車の乗り降りのために設けられた広場に到着すると誰もいないことを確認して肩を落として大きく息を吐き出す。曲がりなりにもお嬢様と呼ばれる立場。人目は気にするのだ。

(ただの商家の娘だけれど)

彼女の迎えはまだ着いていないようだ。同行人も来ていないようだし、少し待てば来るだろうとそのまま夜空を見上げる。もうすぐ日付が変わる頃合いのために丸い月が高い位置にある。その月の周りで輝く星々を何を考えるわけでもなく眺めていると後ろから声をかけられる。

「あ、桜花姉さん。先に来てたのね」

振り向けば3人の女性が近づいてくるところだ。この場に第三者がいたならば、驚きに目を見開いただろう。彼女たち4人は同じ亜麻色の髪に灰色の瞳。まるでドッペルゲンガーのようにそっくりな容姿をしていたからだ。着ているドレスこそ色デザイン違うものだが、事前に聞いていなければ同一人物と間違えてもおかしくないほどに。青いドレスの桜花が長女で、鮮やかな朱色のドレスを着ているのが桜花の双子の妹で双葉という。柔らかな黄色のドレスを着ているのが2つ下の胡桃。艶やかな深緑のドレスを着ているのが椎奈。胡桃とは双子である。双子と双子の四姉妹なのだ。

「3人とも一緒だったのね」

「私と椎奈はずっと一緒だったけど、双葉姉さんとはついさっき合流したばかりよ」

3人ともそれぞれ晩餐会を楽しんできたようだ。

「それにしても、迎えはまだ来ていないの?矢人は何をしているのかしらね」

「馬車の車輪でも外れたかしら?」

「ちょっとそれは笑えないわね。数白の醜聞になってしまうわ」

「『数白商会、馬車の整備怠る』新聞の経済面の一角を飾るには十分なスキャンダルね」

同じ顔、同じ声で話すものだから、大きな独り言のように聞こえる。それから程なくして馬の蹄と車輪が転がる音が聞こえてくる。件の迎えが到着したようだ。4頭引きの馬車が緩やかに減速して彼女たちの前で止まる。馭者台に座っていた小柄な男が帽子を脱いで会釈を送る。

「お嬢様方、お待たせして申し訳ない」

「翔琉?何で貴方が馭者をしているの?」

「矢人になんかあったの?」

「東郷のお嬢様のお相手はどうしたの?」

「お酒呑んだでしょ?酔っぱらいがそこに座っちゃダメよ」

「ちょっとは小芝居に付き合ってよ〜。矢人は腹壊したから、先に送ってった。劉霞お嬢様は東郷のおじ様と先にお帰りになられたよ。お酒は呑んでないから大丈夫」

間髪入れずに投げ掛けられた質問に順序よく答える少年は彼女たちの弟で15歳。数白商会の会長の跡取り息子として恥ずかしくない立ち振る舞いを身につけているが、年相応の愛嬌もあって老若男女問わず人気がある。

「馭者台はお調子者が座っていい場所じゃないのよ」

「私たちの命を預かるんだからそれ相応の覚悟を持ってもらわないと」

「ふざけるなとは言わないけど、時と場所をわきまえなさい」

「じゃなきゃ、私が手綱を握るわ」

「ごめんってば、ちゃんと真面目にやるから乗って。ドレスの馭者なんてそれこそふざけてると思われちゃうよ」

姉たちからの叱責を軽口を交えながら受け止めて馬車の扉を開けて乗るように促す。段差で転ばないように手を添えることはもちろん忘れない。全員が乗ったことを確認して扉をしっかりと閉めて馬車の周囲の安全を確認した後に馭者台へ移動する。小窓から彼女達に声をかけてから軽く鞭を振るって馬車を発進させる。石畳の広場からつい最近になって採用されたアスファルトの道路へと移ったところで、四姉妹はお喋りに興じる。

「胡桃、明野ヶ原のご長男とはどうなったの」

「どうもしません。数白の娘を娶って拍を付けようって魂胆が見え見えだもの。身を引いていただいたわ」

「しつこく食い下がる蒼白い髑髏顔にソースポッドを投げつけて血色をよくして差し上げたのよね」

数白商会の会長を務める彼女達の父は商会ギルドの理事も務めており、皇都では大臣や将軍に並ぶ権力を持っている。その恩恵に授かりたいという輩は掃いて捨てるほどいる。

「あら、人前でなんてお行儀の悪い」

「投げつけてなんていないわ。何処からともなく飛んで来たナイフがポッドのソーサーに当たって、思い切りよくはねてしまったポッドがたまたまそこに置かれていた骨格標本に当たってしまったのよ」

相手の外見を骨格標本と称したところで、姉妹は楽しそうに笑う。

「桜花姉さんと双葉姉さんはどうしてたの?」

「私は土御門の奥様と談話室で過ごしていたわ」

桜花より先に双葉が答える。

「土御門工房の?」

「そこ以外に土御門を名乗る人がいるならとんだ不届きものね」

「奥様はお変わりなく?」

「ええ、親方様もお元気だそうよ。納品の関係で今夜は来られなかったけど」

土御門工房は数白商会にも多くの商品を卸している取引相手だ。主に双葉がその窓口となっていて、工房主の親方とその奥方とは公私にわたって親密な関係を築いている。こういった夜会などでも、世間話をして一緒に過ごすことが多い。

「そういえば、土御門のご両人は双葉を間違えないわね」

「そうそう。4人揃っている時も双葉姉さんを一目で見つけているもの」

「自分で言うのもなんだけど、これといって大きな違いはないと思うけどね」

「なんども会ううちに私だけ見分けられるようになったみたい。職人の鑑定眼ってやつかしらね」

上機嫌に語る双葉。感覚的なところで自分たちを区別している彼女達にとって、家族以外の人間が自分を見分けてくれるのがとても嬉しいと感じる。付き合いの長い相手なら尚更だ。

「それで、姉さんは?」

双葉に話を振られて、少し間を置く桜花。

「そうね、ダンスホールでシャンパンを頂いていたわ」

「誘われなかった?」

「何回か誘われたわね。双葉と間違われて」

「姉さんは見るのは好きだけど、踊るのはあまりだものね」

「双葉姉さんは踊るの得意だものね。前に聞いたけど、双葉姉さんと踊った人は男女問わずに絶賛の嵐だったわ」

「私が踊るとしたら、双葉がパートナーの時ね」

彼女達は容姿こそ見ているが、趣味嗜好や得意分野は違う。桜花は文学と歴史探求。双葉は運動競技と武術。胡桃は算術と生物学。椎奈は芸術と音楽。といった具合に。双葉は女役だけではなく、男役のダンスもできるので男性が苦手な女性とも踊ることが多い。

「他には何かなかったの?」

「最後に可愛い紳士からダンスに誘われたわ」

「可愛い?」

先ほどの紅玉の君との話を妹達に聞かせる桜花。聞き終えて妹達は顔を見合わせる。

「ねえ、会うことはないって教えた方がよかったんじゃない?」

「私もそう思う。その子、これから先ずっと桜花姉さんを探すかもしれないよ?」

「よくはわからないけど、たぶんその子にとって桜花姉さんは『初恋』かもしれない」

妹達に言われて、自分がしたことが最終的に相手を傷つける行為だったかもしれないことに思い至る桜花。

「まあ、子供だからそんなに深く考えなくていいかもね」

「新しい恋をすぐに見つけるわよ」

「煌びやかな令嬢はいくらでもいらっしゃるし」

悔やむように黙り込んだ姉を慰める妹たち。それに頷きながらも、何故少年に本当のことを言わなかったのか頭の片隅で考え続ける。思い浮かんだのは寂しげな笑顔と晴れやかな笑顔。

(あの子の、悲しい顔を見るのが嫌だった?)

馬鹿なことを。考えついた理由にかぶりを振る。今は見ないで済んでも、後でそんな顔させてしまっていては意味がないと言うのに。それからは妹たちの話に相槌を打ちつつ、灰色の瞳を夜空に浮かぶ望月に向ける。どうかあの少年の心の傷が深いものではないようにと祈って。

はじめまして。壱音カルマです。

読んでいただきありがとうございます。

執筆活動は初めてなので色々と見苦しい点はあると思いますが、温かい目で見守っていただければ幸いです。

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