「たいざいにん 弍 」
暖かい家庭で、それはそれは健やかに育った普通の人間。どこにでも居る普通の男。父親はいないけれど、母親はいつも優しく見守ってくれていて、二人の妹もかわいいやつだった。
もちろん、僕の生涯に関わった人間は家族だけじゃない。数こそ少ないけれど、何だかんだで僕の隣にいてくれて、共に笑い、共に泣き、分かち合えた友だっていた。
──そういえば創、あいつは……時々僕を困ったように見る時があった。いや、困ったように笑った顔で、僕を見つめる時があった。あの表情は、どこかで見た事があるような気がする……
何にせよ、僕の愛おしい人間としての生涯は幕を下ろした。
『人間を辞める』
それは、恐ろしく残酷なことだと、僕は後に知ることになる。今の僕は、再び蘇り、みんなを一刻も早く救いたいという感情に支配されていた。
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「人間、辞めますよ。だから早く行かせてください。」
「ああ、わかった。」
赤髪の女性はあっさり返答した。予想外といえば予想外の反応に僕は少し驚いたが、今も黒川さんたちが苦しんでいることを考えると、とても気が気でなかった。
「なら……!」
「……ベル。」
「おう。」
蘇れる、と思って気を緩めた僕に、電光石火の速さで男が迫り、次の瞬間にはもう、僕の腹部に強烈な一撃を入れていた。
「ぐおっ!ぉ おお……!!」
ないぞうがあふれるないぞうがあふれるないぞうがあふれるふれるれる
「悪いが、今のお前が復活したところでまたここに逆戻りだろうよ。」
「がほっ!……ごほっ!」
……確かにそのとおりだ。無力なままであいつの前に立っても、また死ぬ。死ぬのはもう嫌だ。だって、冷たくて、寒くて、誰もいない。あんな寂しいのはもう嫌だ。
「決まりだな。」
「そうだね。私も異論はないよ。」
蘇る話は、取り消しとかいうオチだろうか。一瞬でも期待した僕が愚かだった。こんなことになるなら、あの時、黒川さんの傍にいれば良かっただろうか。少し後悔している。
思いは伝えたけれど、死んでしまったらもう終わりなのだから。
「おい、お前は……強くなりたいか?」
赤髪の女性が問いかける。
当たり前だ。無力な自分が許せない。強くなって、弱さも不安も、あいつも……全部ぶっ飛ばしたい。
守るための、力が欲しい。欲しかった。
「当然だ……僕は、強くなりたい……!強くなって、全部、凌駕したい!守れるだけの力が……欲しい……」
叫びたい気持ちでいっぱいだった。ただ、無力だった。
心の奥底でマグマが煮えたぎるような感覚に襲われ、またそれは喉に針が渦巻いているような感覚でもあった。
しかし、それらの不安は、赤髪の女性の発言で全て消し飛ばされることになった。
「……そうか、なら、ここで修行を積め。私が、強者では収まらぬ、最強の男にしてやる。」
空が、開けたような心持ちだった。
快闊とした大地に、眩い光が差し込み、新しい物語が始まる予感がした。
とにかく、不安が一気に晴れたのだ。
それ程までに女性は頼もしい笑顔をみせた。本当に、どこまでも強くなれる気がした。
僕は心底安心した。涙を流してしまうまでに。
「ありがとう……ございます……!」
「強くなりたいのなら顔をあげよ!……我が名は!カース・ラグナロク・ミスト・アンリ!無間地獄を統括する、真紅の女王である!女王の前に頭を垂れることはない!顔を上げよ!前を向け!いかなる悪逆非道の罪も、この女王が受け入れて進ぜよう!」
カース・ラグナロク・ミスト・アンリ。それぞれ頭文字をとってカラミア。彼女は雷鳴のように轟く声で名乗った。鼓膜が裂けそうだったが、同時に思わず平伏してしまいそうな、凄まじい威厳と偉大さを感じずにはいられなかった。
「ベル、こいつは疲れている。ひとまず地下にでも放り込んでおけ。」
「チッ……本気で蘇らせるつもりかよ……」
男が不機嫌そうに目をそらし、舌打ちをする。また殴られるのではないかと少し身構えたが、この『ベル』と呼ばれている男も、レミアという女も、カラミアの部下であるようなので、恐らく彼女が直接命令しない限りは動かないだろうと推察した。
「早くしろ。後が詰まる。」
「わーったよ。」
そういえば僕のあとにも罪人の行列は続いていた。わりかし早く進んでいた列も、僕だけでここまで時間がかかれば効率が悪いだろう。
「お願いします。」
僕は男に少し畏怖を抱きながらも、我ながら律儀に一礼をした。
「……こっちだ、ここの地下は広いからな。迷うんじゃねぇぞ。」
「え、あ、はい……」
カラミアの座る玉座の後ろに地下へと続いているであろう階段があった。目に見えるのは最初の五段程度で、そこから先はもう真っ暗である。特に音もなく、もちろん灯りもなく、しかしなぜだか気味の悪いような印象は受けなかった。
「突っ立ってねぇでいくぞ。」
「あ、はいっ。」
僕達は黙々と階段を下っていった。本当に真っ暗だ。躓きそうだが、なんとなく感覚で階段を一段一段下っていけば、特に躓く危険もないように思えた。さっきから僕はなぜこんなにも安心しているのだろう。蘇生の糸口を掴んだことによる安堵だろうか。
「あの、ベルさん……は、カラミアさんみたいに長い名前はないんですか?」
ふと気になったので聞いてみた。階段はまだ続くようだし、無言で下り続けるのもなんというか、つまらなかったから。
「……気になるか?」
そういうと男は、手のひらから小さな火を出した。辺りは一気に明るくなった。最初から出してくれれば良かったのに。
するともちろん、男の顔がよく見えたのだが、これが意外だった。さっきまで不機嫌極まりないオーラを放っていた男が、僕の質問に笑っていたからである。といっても、和やかな表情ではなく、これもまたなにか企んでる様な所謂不敵な笑みというやつに近い感じであったが……兎に角、男は笑ったのである。
「気になりますよ。というかそもそも、カラミアさん達って何者なんですか?」
どちらかというと、こっちの質問の方が重要だ。行列を整理していたのはどこからどう見ても紛れもない鬼であったが、カラミアさん達は限りなく人間に近い容姿だった。というかもう人間だった。
「そうだな……後の質問なら今すぐにでも答えてやる。俺達はここにいる以上、もちろん死んでるぜ。」
「そう……なんですか。」
「三人とも生前は普通の人間だ。まぁ今は一人残らず神様みてぇなもんだが。」
「神?」
神。妖怪でも鬼でもない、神だというのか。あの三人一人残らず。
「まぁ、限りなく悪魔には近いだろうが、神だ。俺は戦の神。レミアが癒しの神。カラミアは死神そのものだな。」
「そうなんですか……でも、悪魔に近いってどういう事ですか?」
ベルさんは急に足を止めた。僕も立ち止まる。なんだか、急に空気が重くなったような気がする。
「まぁ……要するに偽物なんだ。人間はどう足掻いたって死ぬ。しかしそれを受け入れられずに、神の素質みてぇなのを盗んで無理矢理人間の体に埋め込んだのが俺達だ。」
まるで意味が分からなかった。死を受け入れることが出来なかった人間が、神になるのか?
「まぁここら辺は難しい話さ。簡単に言えば、それはバカみてぇに重い罪なわけで、本当は到底許されることじゃねぇんだが、俺達も俺達で素質があったみてぇでな。ここの管理役を罪償いでやらせてもらってんだよ。」
「え……それは、誰にですか?」
「本物の神。」
本物の神。それが何なのか、僕はまだ知らない。それはまた、別のお話。
「ついたぞ。」
いつの間にか階段を下り終えて、地下の広い随分簡素な部屋に出た。
「当分この部屋がお前の居場所だ。」
「本当に、ありがとうございます……」
「おう、じゃあな。」
そういうとベルさんは淡々と、スタスタと帰って行く。だがまだ僕には、一番聞きたいことがあった。
「あのっ……!」
「なんだ。」
鼓動が急ぐ。破裂しそうな胸を押さえつけ、緊張を飲み込んだ。
「僕はいったい、何なんですか……?」
あらゆる臓器が口から出てきてしまいそうだった。さっきベルさんやカラミアさんが僕を酷く避けた理由を僕はまだ知らない。どうしてもこれは気になる、というか、知らなければならない事だと感じた。
「………………」
ベルさんは僕を鋭く睨みながら黙った。そしてゆっくり口を開けて、
「……知りたいか?」
こう言ってまた、不敵な笑みをうかべたのであった。
おくれました。多分次も盛大におくれます。