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6 ウサギ、クロシャール社のトップに引きあわされる

「おいもう少し落ち着けよ」


 エッグ・ビーダーは運ばれてきた食前酒を口にしながら、斜め前に座るマーチ・ラビットに声をかけた。


「判ってるんだけどよ、この服…」


 はぁん? とビーダーは首を傾げる。


「何っかもう、肩がこって肩がこって…」

「何だあ」


 かかか、という当座の相方の笑いに、マーチ・ラビットは太い眉をしかめ、頬杖をつく。


「仕方ねーだろ、俺ここ何年も、こういう服着たことが無いんだよ」

「ふうん? 俺なんか、ここまできちんとした服なんざ、一度も着たことはないがね」

「本当かよ」

「うそ」


 再びかかか、という笑いがマーチ・ラビットの耳に飛び込み、彼の神経を逆撫でする。


「だいたいよ、ビーダー、俺がこんな所に居ること自体、場違いなんだよ」

「そうかなあ? でもまあ、今日のところは少しは我慢してくれないか? マーティ」


 仕事なんだからな、とビーダーはわざとらしく強調する。


「それにあんたの服には俺もちょっと苦労したんだぜ?」

「へいへい」


 マーチ・ラビットはため息混じりにそう答えた。周囲を見渡すと、きらきらしたクリスタルの欠片を散りばめたシャンデリアが目に映る。

 少なくとも、あの相棒が働いている店とは、値段のランクが二桁違いそうな店だった。だが彼にしてみれば、そんな店では物を食った気にはなれない、と思うような場所である。

 だいたいそういう店では、盛装が無言のルールである。食事は三度三度気楽に摂れて、それが美味ければ満足、という彼にとって、そんな高級感そのものが売りであるような店など、自分から願い下げだった。

 たとえどんなに一流の料理人が心を込めて作ろうが、その心を込めて美しくセッティングされた皿を見ただけで、彼は食欲を減退させてしまうのだ。

 それよりは、あの冬の惑星の食事の方が、よほど彼には判りやすかった。「不満分子」で左遷されて赴任していた料理長が、本星から来る少ない材料の中で、自分達政治犯のために、必要なカロリーを確保してくれた食事の方が、ずっと。

 あの惑星に居た時には、ずっと同じ労働服を着けていた訳だし、脱出してからも、動きやすい服以外身につけたことはない。形がきっかり決まった服など、肩が凝って仕方が無い。彼にしてみれば、「マヌカン」の店員のシャツとエプロン、という制服すら肩の凝るものにしか思えないのだ。

 もっともそれは彼の体型のせいもあった。一般成人男子よりは充分に大きい彼の身体には、市場に安く買えるような品は少ない。いきおい、サイズなど気にしなくてもいい服ばかりを身につけることになる。

 ―――だから今のこの状態は、マーチ・ラビットにとっては不本意以外の何ものでもなかった。

 古典的な、夜会の服。黒の上着はちゃんと彼の広い肩幅に合わせたものだ。何処でどう注文したものか、筋肉がみっしりついて太い腕もしっかりとくるみこんでくれる。中にはアイロンをしっかりかけたことが肌で判るようなシャツ。ご丁寧に、カフスボタンも後付だった。

 そして、何やりマーチ・ラビットの背中をむずむずとさせたのは、その蝶ネクタイだった。自分からは見えない位置にあって良かった、と彼は心底思う。そんなものをつけた自分の姿など、見たくもない。

 なのにこの仮の相棒は、彼に向かってこんなことを言うのだ。それも実に楽しそうに笑いながら。


「でもあんた、結構似合うぜ?」


 思わず彼は、顔を片手で覆う。


「やめてくれ…」

「いいじゃん、俺ほめてるのよ?」

「お前にほめられても俺は嬉しくない」

「まあそう言いなさんなって。別にあんたに愛想ふりまけって訳じゃないんだし」

「愛想なぞ振りまいてたまるか」


 腕組をして、彼は椅子にふんぞり返った。あまりにも勢いが良すぎて、細かい細工が背に施してある椅子がぎし、ときしんだ。ビーダーはそれを見て苦笑する。


「とにかくせっかくの料理は味わうのが一番さあ。ほら呑んで呑んで」

「商談じゃないのか?」

「商談は商談だけど、今回は向こうのお誘いなんでねえ」

「お誘い?」


 それは初耳だった。


「お前そんなこと言ってなかったじゃないか」

「そうだったっけ?」


 ビーダーはそらとぼける。その明後日の方向に向いた顔が、あ、と視線を向こう側に飛ばした。


「待ち人来る、だよ」


 ビーダーはふっと立ち上がり、片手を上げた。マーチ・ラビットはその視線の先をたどる。そこには上品そうな中年の婦人が居た。

 似合わない、と彼は思った。「ビールの横流し」の相談と、「ベースボール」と「上品な婦人」。どうにもつながらない。

 混乱していると、婦人はふわりとした身のこなしで、彼らのテーブルまで近づいて来た。ボーイに椅子を引かれるのにも当然、と言った仕草は、明らかに育ちの良さを伺わせる。

 歳の頃は、上等の化粧ではっきりは判らない。だが自分よりは十歳は上だろう、と彼は踏んでいた。美しい手は隠すことなくテーブルの上に重ねられている。しかしいくら美しいとは言え、年齢はその上には確実に現れるのだ。


「遠路はるばる、ご苦労様でした」


 そしてその声もまた、優雅だった。


「いえこちらこそ、わざわざのご足労、ありがとうございます。ヒノデ夫人」


 するり、とビーダーの口からそんな言葉が流れ出す。慣れた口調だ。


「ようやくそちらのチームと対戦するに当たって、ふさわしいメンバーが揃いましたので、ご報告と」


 俺かい! とマーチ・ラビットは内心叫んだ。太い眉が勢いよく飛び上がる。


「まあ。ずいぶんとたくましい方ですのね」

「ええ」

「ポジションは何ですの?」

「彼ですか?」


 ちら、とビーダーは斜め横の相方を見る。マーチ・ラビットはこの訳の分からない展開に頭をかきむしりたい気分だった。もっとも仕事仕事、と釘を刺すその視線に、何も言えなかったのは確かだが。

 そんな彼の葛藤など、何処の空、という晴れやかな顔で、ビーダーはこう続けた。


「彼は、投手ですよ」

「まあ」


 ヒノデ夫人はぱっと花が咲くような笑みを浮かべ、頬に両手を当てた。


「さぞグラウンドでこの姿は映えることでしょうね」

「全くです」


 話を合わせている相方に、マーチ・ラビットは思わず殴りたくなるような衝動を覚えた。

 やがて食事が運ばれてきて、彼はあれ、と目をむいた。

 こんな席だというのに、その料理はきちんとした「目から楽しむ」ものではなかった。むしろ、大皿料理に近い煮込みである。

 そして揚げた肉饅頭に、串に刺した肉。甘い香りの紅茶。


「お持ち致しました。本日のコースはサイトマリン風でございます」


 ボーイは説明する。


「お茶とお酒のお代わりが必要な時に呼びます」


 ヒノデ夫人は下がる様にボーイに指示した。

 かしこまりました、と一礼するとボーイは下がる。


「どうぞ自由に取り分けて」


 夫人はマーチ・ラビットに向かって言った。は、と彼はやや恐縮しながらも、皿にまず煮込みと揚げ饅頭を取り分けた。赤い色の煮込み料理は、何処か懐かしい味がした。


「豆、ですね」

「ええ。大豆を柔らかくなるまで煮たものよ」


 トマトに人参、じゃがいもに大豆。塊の肉がごろごろとしている。およそ洗練とは無縁の煮込みだった。


「う… わ」


 半分に割った揚げ饅頭は、まだ中身が非常に熱かった。挽肉と玉葱をよく炒めて、パン生地にくるんで揚げてある。軽い塩味しかついてはいなかったが、舌の上でとろりととろけた。

 そして串に刺した肉。玉葱を半月にしたもの、ピーマンを半分に切ったものが一緒に刺してある。何のへんてつもない、ただ直火で焼いただけのもののようだった。


「この店は、お客の注文に応じて、地方料理のコースを作ってくれるの」


 夫人はにこにこと笑みを浮かべながらそう付け加える。はっとして、マーチ・ラビットは顔を上げた。


「いい食べっぷりだこと」

「すみません」

「謝らなくてもいいのよ」


 そしてその斜め前で、ビーダーがどうだ、という顔で彼を見ていた。マーチ・ラビットは肩をすくめる。


「では試合の日を本決まりにしていいのね」

「はい。お約束通り、一週間後でいかがでしょう」

「私の方は構わないわ。彼らは皆、毎日そのために練習をしているのだから」

「…あの、少し話が見えないのですが」


 話していた二人の視線がマーチ・ラビットに集中した。


「確かにベースボールをするということで、俺はかり出されたのですが、一体、何処と対戦するというのですか?」


 あら、と言う顔でヒノデ夫人は首を傾げる。結い上げた頭から、ぽろん、と一房栗色の巻き毛が落ちた。


「あなたまだ、この方に話していなかったの? ストンウェルさん」

「ええ」


 ストンウェル、とエッグ・ビーダーが名乗っていることを彼は初めて知った。それはずいぶんとまともな名前に聞こえた。少なくとも、自分の名よりは。


「マーティ・ラビイは何せ小心者ですから」

「そうはお見えにならないけれど?」

「いえいえ、オープン・ドムで、サンライズと戦う、となったら」

「何?」


 彼は思わず立ち上がっていた。


「サンライズ?」


 その名は、横流しをする当のビールの名前であり、クロシャール社の持つベースボールのチームの名前だった。その位は彼も知っていた。時々TVで、星域内リーグの対戦を見たことがある。そこは決して弱くはなかった。


「紹介するよ、マーティ。この方は、クロシャール社の現在の代表、ブランカ・ヒノデ・クロシャール夫人だ」

「だ」


 いひょう? と思わず口が叫びかけたのをかろうじて止めたのはそれでも彼の「仕事だ仕事だ」という自制心のおかげだったと言えよう。

 えーと、と座り直しながら、彼は自分の「知識」の中のクロシャール社に関する件をピックアップしてみる。

 クロシャール社は、ビールを中心とした、総合食品産業である。他の大陸において、自社所有の農園において、麦やぶどうを生産し、酒を生産する。居住する大陸以外の中で、それに適した場所を発見し、最初に占有したことが、この会社の勝利を決定づけた。

 麦やぶどうは、古典的な酒の材料であるが、他にも、この惑星でしか穫れない、美しい淡い黄緑の果実のサンフォウ、赤い宝石とうたわれるロザで作られるものもある。それらは他星系へ輸出され、この惑星の外貨獲得に一役買っている。

 創業はこの惑星への植民と同時期ということだから、かなり古い。首府の首相官邸と同じくらい古い。従って、その官邸との付き合いも、それと同じくらいに古かった。

 当初は、本当にできたばかりの首府で、輸入される酒を扱うだけの店だったらしい。それがたまたま官邸に近く位置し、御用を仰せつかったことから、運命は変わったのだという。当時の代表には、輸入する酒を選ぶ目というものがあった。そして二代目には、行動力と、良い相方が居た。

 そして数代が過ぎた時、クロシャール社は、このレーゲンボーゲン星系で最も有名な酒造業者となり、更に数代過ぎた時には、最大の食品産業となっていたのである。

 ざっとそれだけの「クロシャール社の歴史」がマーチ・ラビットの頭の中で回る。

 回りはしたが、だからどうだ、というところまでこの男はすぐには考えつかなかった。


「…だ… がしかし、代表は確か男性の…」


 ブランカ・ヒノデ夫人の夫である、トゥボエ・クロシャール氏が代表ではなかったのだろうか、とマーチ・ラビットは問いかける。


「ええ、半年前まではね」

「半年?」

「ええ。私離婚致しましたの」

「はあ…」

「元々私が先代の娘ですからね。私に味方する者が社内にも多かった。それだけのことだわ」


 あっさりと言いながら、彼女は自分の皿にも揚げ饅頭を取った。さく、という音が聞こえそうなほど、見事に彼女はナイフと、押さえつけるためのフォークだけで崩れやすいそれを二つに割る。さらに二つに割り、それを口に入れる。かみ砕き、飲み込んでから、言葉を再び発した。


「そして私、夫はあまり好きではなかったから放ったらかしにされていたベースボール団の方に、力を入れることにしましたの」

「…はあ…」


 その割には、強いチームだった様な気がするのだが。


「もっとも夫も、昔はかなり好きでしたのよ。だけど駄目ですわね。息子が亡くなってから、嫌いになってしまい」

「あ…」


 悪いことを言わせてしまったかな、と彼はふと表情を曇らせる。それに気付いたのか、彼女は顔を上げる。


「お気になさらないで。私が勝手に話しているだけなのですから。息子が、それはそれはベースボールが好きだったのですわ。中等の頃には、よくあの子も、ドムへ通ったし… そもそもあの子をうちの社のチームの試合に連れていったのは、夫なのですから」


 そしてお茶は如何かしら、と夫人は二人に訊ねる。ありがとうございます、とにこやかにビーダーはカップを彼女の手の届く方へと回した。


「俺は…」

「マーティ・ラビイさん、そう言えばあなたは、コーヒーの方がお好きだったかしら?」

「え?」

「でも今は私につきあってくださらないかしら?」


 ふふふ、と夫人は笑う。

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