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5 ジュラの部屋にて、猫は星系間スポーツ事情を聞く

「へえ…」


 キディはそのコンドミニアムのエントランスに入ると、まず天井を見上げた。


「何?」

「いや、高いなあ、と思って」

「ああ、そういうとこを選んだんだ」


 ジュラはそう言いながら、奥へどんどん進んでいく。

 どう見ても家賃が自分達のフラットとは1ランク違うよな、と見渡しながらキディは思う。


「どうしたんだよ、早く来いってば」


 慌てて彼は足を進めた。


 今日なら暇だし来ないか、と誘われたのは、夕方だった。

 キディはジュラには別段強い関心がある訳ではないが、ついそれにふらふらと誘われてしまった。

 ただ、自分でもどうしてそうしてしまうのか、彼にはよく判らなかった。何となく早く家に帰るのが、嫌だったのかもしれない。

 無論、相棒が「仕事」ではない時にいない日もある。だが「仕事」で居ない時は、戻っても「絶対」居ないのだ。そういう時、彼はつい部屋に戻るのが嫌になる。


「その辺に適当にしててくれよ」


 適当に、ね。キディはそうつぶやきながら、通された部屋の中をぐるりと見渡す。

 このコンドミニアムにおけるジュラのテリトリーは、だいたい三室というところだった。入ってすぐの、キッチンのついた空間と、その奥の寝室らしい部屋と、その横にある、ぴったりと扉が閉じた部屋。


「ああ、あっちとここは別に何処行ってもいいけど、ここだけは入るなよ」


とジュラは言った。キディは笑って訊ねる。


「秘密の部屋?」

「いーや、暗室」


 ああ、とキディはうなづく。それでは当然だろう。

 キッチンのついた部屋には、壁に作りつけの本棚があった。すごいなあ、とキディはそれを見て思う。まるで本屋の様だ、と。

 この時代、地域によっては、ムジカのようにデータが全て電子化され、それが喜ばれているところもあるが、このレーゲンボーゲン星域においては、紙に印刷されたものが未だに主流だった。

 それは何百年経とうが、結局変わらないものらしい。

 場合によっては、どんな情報ソフトより、人間が直接紙を開いて必要な情報を探すことが早いこともあるのだ。

 それに加えレーゲンボーゲンの場合、居住区域である大陸以外は、全てが資源用地である。北部の居住に適さない地域には、紙の資源である木材が豊富なのだ。


「それで、ジュラが写真を撮ってるってのは、ここにあるの?」

「ああ、そこの棚」


 へ、とキディは指された棚を見て、声を上げた。

 ちょっと、なんてものじゃない。

 確かに棚の一角に過ぎないかもしれない。だけど、高い天井に続くその本棚の、何段にも渡る空間を、ぎっしりと雑誌が埋め尽くしている。


「これ全部?」

「これでも結構捨てたんだがなあ」   


 これでも、とあっさりジュラは言う。とすると、一体元はどれだけあったんだ、とキディは口をゆがめた。


「見てもいい?」

「どうぞ。そのために来たんだろ?」


 言われてキディははっとする。そういえば、そうだったのだ。

 また忘れてた、と彼は唇を噛む。


 時々、記憶が飛んだり混乱する。

 それは誰にでもあることだ、と友人のドクトルKは彼に言ったことがある。ただ自分の場合、少しその度合いが強いだけだ、と。

 それほど日常生活に支障をきたす訳ではない。ただ、しまったもののありかを忘れて探しているうちに、何を探しているか忘れて、広げた物の中で呆然としてしまうことがしばしばあるだけだった。

 相棒はまたいつものことか、と今では驚きもしない。だが当初はその様子を見て、あまりいい傾向ではない、という顔をしたものだった。

 立ち並ぶ背表紙に視線を巡らせながら、キディはその中で見知った雑誌はないか、と考える。


「へー… 『キノ』にも載ってるんだ」

「ああ、それはここに来る前のかな」

「え?」

「いや、『キノ』ったって、星系ごとに違うだろ? 編集は」

「そういうもの?」


 キディの記憶の中にある雑誌「キノ」は、映画雑誌だった。

 千差万別の方法による、「動く画像」に関係する最新情報や、また古典的な映画テーマに関するエッセイだったり、映画を「あえて固定された画像に」置き換えるフォト・ストーリーなどが載せられていた。

 キディはその中の一冊をぺらぺらとめくる。そしてへえ、と声を上げた。


「どう?」


 軽い煙草に火を点けながら、ジュラは訪問者に向かって自分の写真の感想を訊ねる。

 キディは雑誌から眼を離さずにうなづく。


「うん、何か、すごい…」


 基本的にはモノクロームなのだろうか。そこにわざとらしい程の着色が後で加えられたような。

 しかも画面はいつも何処かぶれている。いや、ぶれている、のではなく、動いている光そのものをとらえている、と言ってもいい。

 写真の風景は主に夜だった。


「それはさ、六年前の。知ってるかい? 『空には月 分ける太陽』」

「六年前?」


 キディは頭の中で計算する。六年前、自分は…


「あ、俺その映画、知らない」

「知らないかなあ? かなり有名だよ? 製作はハリゴジャ星系だったけど、帝都付近のそのテの雑誌にも結構取り上げられたし、キネマハウスでも上映されたし」

「んー、でも俺、あまりキョーミなかったかもしれないから」


 わざと軽く、キディは返してみる。六年前では、自分には縁がなかったろう。冬の惑星にいたのだ。その六年前から、彼の記憶は始まっているのだし。

 その時今の相棒が既にそこに居たのかどうかは判らない。

 それからの六年は、良くも悪くも、自分が周囲の中で「子供」で「子猫」だった。生きてくために。それだけ。

 映画のことなど、考える余裕も無かった。


「今見られるものなら、たくさんの映画を見たいなあ」

「映画だけ?」

「え?」


 ジュラはその問いには答えずに、落ちてくる前髪をかきあげると、くわえ煙草のまま、キッチンの方へ歩き出した。ばこん、と冷蔵庫を開ける音がする。


「何か呑む? それとも、何か食う?」

「あ、別に俺は」

「泊まってくんだろ?」


 あっさりと言われて、キディは戸惑った。だがそのつもりであったことは間違いない。一人になる部屋には帰りたくないから、誘いに乗ったのだ。キディはうなづいた。


「何があるの?」

「まあ色々。ビールにワインに林檎酒に。ミルクやコーヒーも出せるよ」

「色々…」


 ぱたん、と雑誌を閉じて足元に置くと、彼はキッチンへと近づいていく。

 部屋の一角に作られたそこは、男の一人暮らしにしては、ずいぶんと片づいていた。几帳面な性格なのか、それとも普段きちんとしておく誰かが居るのか、それは判らない。

 ただ冷蔵庫から出したミルクの日付は新しかった。


「カフェオレ、もらえる?」

「ミルクでなくていいの?」


 くく、と相手は笑う。


「真っ黒なコーヒー呑めるほど俺は歳くってないの」


 ぬかせ、とジュラは今度は本格的に笑った。



「映画関係を撮っていたのは、十年前から、その六年前あたりかな」


 ミルクの泡の立つカップを手にしながら、今度は何冊も一度に広げられた雑誌を前に、キディはジュラのする話にいちいちうなづいていた。


「これは?」


 そのうちの一冊をキディは指さす。それは先ほどのものとは違い、ドキュメンタリーに近いものだった。


「ああそうそう、俺、この仕事で、しばらくスポーツ選手を追いかけ回していたんだよなあ」

「スポーツ選手?」

「うん。まあ盛んな星系と、そうでない星系があるんだけどさ、ここはまあ普通?」

「なのかなあ。俺あまりスポーツって観ないし」

「たまには観てみるといいんじゃないか? あれは面白いぜ」

「そうかなあ… 時々、中央放送局がスタジアムでのサッカーの試合とか流すの、相棒が良く観てるんだけど、俺どーしても、その面白さって奴が良く判らなくて」

「そいつは単に、サッカーって競技が判らないだけなんじゃないの」

「かなあ? でも、バスケットボールでもハンドボールでも駄目だし」

「ふうん? もしかしてキディ、キミ、プレイヤーをばらばらに人間として観てないのと違う?」

「え?」


 ぽん、と頭の中で何かが弾けた。言われてみればそうかもしれない、と彼は思う。


「図星?」

「んー…… でも、だって、皆あんな、TVの画面の中で、ばらばらになってしまうじゃない」

「何のために背番号があるんだよ」

「俺、注意力散漫だって、相棒によく言われるもん」

「相棒、ねえ」


 ジュラは肩をすくめた。そして手にしていたカップを床のソーサーに置くと、よっ、と声と手を立てて少しだけ場所を移動した。

 どうしてそこまで気を許したのだろう、というのは、後で思うことだ。耳元でこう言われるまで、それが危険距離だということは。


「どういう相棒?」


 耳元で、低い声が囁く。

 キディは反射的にぱっと身体を離した。そしてすぐに、その行動が不自然であったことに気付く。

 だけど顔は、懸命に反撃の色を示そうとする。


「どういう意味だよ?」

「別に。相棒、ったって、色々居るだろう?」

「相棒は、相棒だよ。別にそれ以上でもそれ以下でもないさ」

「ふうん。この星系にしちゃ珍しいタイプかなあ、と俺は期待したんだけど」

「期待?」


 思わずキディは背を引く。


「色々、あるだろう? 我らが帝都のやんごとなき方々、なんて、噂では性別を超越した方々らしいし」

「その話かよ」


 ち、と彼は舌打ちをする。自分の考えたくない部分にどうしてこうも他人は触れてくるのだろう。


「残念ながら、そいつの間には何も無いよ。あんたの期待するようなものは」

「俺の期待するものね」


 くす、とジュラは笑う。その笑みに、キディは苛立つ自分を感じる。

 からかわれていることに、ではない。見通されていることが事実だから。その事実に満足していないから。

 だけど、からかわれているだけでは、つまらない。


「あんたこそ、俺に何をしたいんだよ」

「ふふん? それが判る程度には子供ではない、という訳かなあ?」

「あいにく、年齢はもうずっと『大人』だけどね」

「だけど参政権は?」


 う、と彼は詰まる。

 参政権は、ずっと彼の手には無かった。つい最近のことだ。彼がキディと付けられた、その呼び名を、彼は正式に登録したのは。

 参政権は、それまで無かった。参政権を手にする直前に投獄され、クーデターが成功するまでは。


「ジュラは、どうしてあの店に居る訳? 誰かの紹介?」


 キディは訊ねる。「マヌカン」に勤める人間の大半は組織絡みの人間だ。そして皆それを仕事中は口にしない。用が無い限り、口にしない。だから、相手が組織の人間であるか、ということを決定づける何かが普段はある訳ではない。

 だが支配人ウトホフトがそこで働かせている、というそれだけで、その可能性はあったのだ。彼自身がそうであるように。

 だから大半の店員は、自分の経歴を口にすることはない。ジュラは例外の方だった。

 子供だ子猫だとからかわれてきても、それなりに猛者達の中に居れば、自分で考えるだけの頭は培われてくる。ジュラはわざとそんな経歴を周囲に流している。

 だとしたら、流すだけの理由があるのではないか。キディがそう考えても不思議ではない。いやおそらく店の誰もが感じていることだろう。


「店長と知り合いなんだ」


 あっさりと答える。そしてこう付け加える。


「昔からのね」

「昔から?」

「そう。ここに来るずいぶんと前からの」

「じゃあ、もしかして、マスターを訪ねてきた?」

「とも言えるな」


 ジュラは広げられた雑誌の中から一冊を引き抜くと、それをぱらぱらと繰る。そしてそのまま、誌面から目を離さずにつぶやいた。


「俺がこの取材をしている時には、ちょうど、帝都版図全体が、いにしえのスポーツ熱に浮かされている様な時期でね。まあこのレーゲンボーゲンは、政情不安だったし、帝都本星からはずいぶん離れていたから、その熱にはそう浮かされなかったんだろうな。キミもあまりそう記憶はないだろう?」

「あまり…」


 曖昧に答える。記憶には無い。すっぱりと無い。だけど周囲がどうだったから知らない。だからそう答えるしかない。


「だからなのか、どうなのか知らないけれど、帝都にある全星域統合スポーツ連盟は、そういう政情不安にある惑星でわざわざスポーツの試合を行ったりしたんだよ。当時」

「へえ。何で?」

「そらまあ、わざわざ連盟から派遣した連中が居る時には、その星系も内紛を起こしてるヒマはないだろ」

「ヒマって問題かなあ」

「ま、とにかく、中央から派遣した連中が居るうちは、そうそうどんぱちも起こせない。そう踏んだんだよな。派遣した側は。何だかんだ言って、実状ってのはその土地に来ないと判らないものだからね」


 黙ってキディはうなづいた。初耳だけに、興味深いことだった。


「でも、そのスポーツの試合、を見に来る人が居る程度には、このアルクでもスポーツはそれなりに人気あったってことだよね」

「まあね。俺はその時はここに居た訳じゃないから、そうそう言えたものじゃないけど。キミはどうなのよ。結構おとーさんおかーさんに、ベースボールのグラブ買ってもらったり、サッカーボールを蹴ってたり、ウチにバスケのゴール作ったりしていたんじゃないの?」

「どうかな」


 その可能性は、ある。実際、時々TVで放映されるスポーツも、面白くは感じられなくても、ルールの様なものは何となくこんなものだ、と判っている自分に気付く。


「まあ、ベースボールとか、サッカーくらいはやっていたと思うけど」

「そうだよな。だいたいキミくらいの年代ってそうだものな。だから、たぶん、ちょうど彼らが来たのも、キミがまだ中等か専門の生徒だったくらいじゃない?」


 あれは、学校の最後の年だったと思う。自分があの惑星の冷たい床に悲鳴を上げたのは。だからおそらく、卒業はしていないのだろう。


「たぶんね」

「たぶんってキミ、自分のことだろうに」

「あのねジュラ、俺には、その記憶が無いの」


 ジュラは顔を上げた。そしてその顔に、追い打ちをかけるようにキディは言葉を投げた。


「さぐり合いは、よそうよ」

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