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4 猫は同僚の写真に興味を持ち、ウサギは野球に誘われる

「あれ、今日はジュラさんお休みですか?」


 カウンターで、今日使うジョッキの整頓をしていたキディはその声にはっとする。奥からシィズンが出てくるところだった。


「あ、シィズン来てたの?」

「来てたの、なんてひどいわ。私今日の非番、変わったのよ? せっかくのお休みだったのに。まあ約束とか無かったから良かったけど」

「あれ、どうして?」

「知らないわ。今朝いきなりマスターから『今日出られる?』って連絡があったんだから」

「ああ…」


 何となくふくれ気味な彼女を見て、キディは納得したようにうなづく。


「あのさあ、たぶんそれ、ジュラが居ないからだよ」

「あら、どうして?」

「今日はあっちの仕事が忙しいらしいから」

「あっちの仕事?」

「うん何か、写真。それでビリアーまで出かけてるらしいんだ」

「写真なの」


 ふうん、とやや皮肉気に彼女はうなづく。


「いいわね。そうやって幾つも幾つもできることあるだから」

「…嫌い? そういうのは」


 彼女の口調に、キディは毒の様なものを感じた。


「嫌いって言うか。何か、私、わりとこうゆう仕事でないと、着くことができないんですよねえ。ほら、中等出ただけだし。なのに、そういうちゃんとした仕事持ちながら、それでもこっちでもあっちでもこなしてる人って見ると、何となく、しゃくに触るじゃあないの」

 ああ、とキディはうなづいた。

 それは自分にも言えることだった。自分が一体何を過去にしてきたか判らないから、とりあえず、食うための仕事として、こういうことしか思いつかない。

 あのクーデターの頃だったら、まだ何か、彼自身がこの店に居る理由が他にもあった。

 だがクーデターは終わり、この店の裏の顔である組織「赤」とは直接的関係を切ってしまった彼としては、何となく、ここでこうやって勤めていていいのか、という気もする。

 店長ウトホフトは、小回りの利く彼を、案外重宝しているようで、組織と関係した仕事から手を引いた以後も、できるだけ居てほしい、とキディに言ってはいた。

 だが。


「…でもまあ、それって、結局私次第なんだけどね」

「シィズンはそう思うの? 何かしたいことがある?」

「ううん私には特にはないわ。私は別に、毎日を楽しく、私なりに平和に過ごせればいいなあと思うだけだもの」

「ふうん。それもいいね」

「あら、含みのある言い方」

「別に無いよ」


 少なくとも、彼女の言葉よりは無い、と思う。キディは本当に、それでもいい、と思っていたのだ。

 今の生活は彼は好きだった。悪くはない仕事に毎日通い、部屋に帰れば相棒が居る。


 …まあ今日のように、居ない日もあるけれど。


 相棒が出かけたのは昨日からだった。

 戻ってくるのが、数日だか一週間二週間だか、それは判らない。それが組織絡みの仕事だろうことは彼も知っていたが、それ以上ことは知らない。相棒も言わなかったし、彼も聞かなかった。自分はもう手を引いている。下手に聞くことで、相棒に迷惑がかかってもいけない。

 しかしキディにしてみれば、どうして相棒が、マーチ・ラビットが、きっちりとした職に就かず、相変わらず組織の仕事に手を染めているのか、不思議だった。

 あの相棒は何かと役に立つ人材だろう。少なくとも自分よりは。


 ジュラがピリアーから戻って来たのは、その翌日だった。

 いやあまたごめん、と明るく言いながら、彼はやはり明るい色の長い髪を後ろに流してまとめる。

 そんな同僚に対し、皆、またか、という顔をしながらも、そういうものだ、という顔をしている。

 当の本人は、きょろきょろとフロアーを見ながら、気楽そうな顔でキディに問いかけた。


「ねえねえキディ、シィズンは?」

「今日はお休み」

「え? でも彼女、今日は番と違うんじゃないか?」

「あんたが急に休むから、彼女が代わりで出たんだよ。だから今日はその代休」

「あらら」


 ジュラは口の前で長い指を交差させる。


「そーかあ。そりゃ悪いことしちまったなあ」

「そうだよ。後で謝っておけよぉ」


 イリジャもどう聞きつけたのか、そう声を飛ばした。へいへい、とジュラは生返事をする。

 奥でクリーニングの車が来た合図が鳴った。キディはそれを聞きつけると、いち早く通路へと飛び出す。その後からジュラが着いてきた。


「手伝うよ」

「俺一人でも平気だってば」

「何言ってんのキディ君。いつも重そうじゃない。腕でも悪いの?」


 う、とキディは思わず声を立て、時々痛んだりだるくなる左の二の腕を押さえる。


「悪い、って程じゃないけど…」


 困る程度ではない。一応、毎日毎日ジョッキや料理の盆を幾つも幾つもひっきりなしに運んでいるのだ。ただ、無理はさせないだけで。


「ちょっとね、昔ケガしたとこが、時々響くから」

「ありゃそれは大変。医者には診てもらったのかい?」

「それはまあ」


 友人のドクトルKに診てもらったことは、ある。彼に言わせると、日常生活には支障はない程度のことらしい。ただ、戦場の古傷同様、気圧や体調に関係して痛むことはあるから、気を付けたほうがいい、とは言われている。


「若いのに大変だよな。何か事故?」

「そういうこと、聞く?」


 わざとしかめっ面をしてキディは問いをはぐらかした。答えられないのだから。彼自身にも。

 あの冬の惑星で転がされ、意識を取り戻した時、そこには包帯が巻かれていたような気がする。

 はっきりとは覚えていない。もしかしたら、雪の白さと包帯の白さが頭の中でごちゃごちゃになっているのかもしれない。

 何かしら、逮捕された時の行動が関連しているとは思う。だがそれが何なのかは判らない。知りたくもなかった。


「ああ、悪い悪い… 俺結構、軽はずみかなあ」

「あんたは充分軽はずみだよ、ジュラ。代わりに俺から聞いてもいい?」

「何?」

「あんたの写真って、今度どんな雑誌に載るの?」


 裏口から出て、そこに置かれていた伝票をチェックし、専用の引き出しに入れる。カートンには、洗濯されたクロスやエプロン、制服や台拭きがぎっしりと詰められている。


「俺の? あれ、珍しい。君がキョーミ持ってくれるとは思わなかったけど」

「キョーミ無いけどさ。でも、こうよく『用事』があるってことは、結構あんた売れてるんじゃない?」

「…ああ。と言っても今はねえ」

「今は?」

「いーや、別に… ああ、ここに越して来る前の写真雑誌だったら、ウチに来ればまだ何冊かあるけど、見に来る?」

「え?」

「どうせ今はヒマだし」

「…あ、うん」


 あっさりとそう言われたことに、キディは驚いた。特別、写真に興味がある訳ではないのだ。

 そしてまた、ジュラ本人に格別な興味がある訳でもないのだ。



 指定された街は、エレカの高速線に乗ってもおよそ五時間かかる。マーチ・ラビットは午後の光の中、中央44号線を飛ばしていた。

 この惑星の、エレカ専用高速線には、ことごとくナンバーが付けられている。中央44号線は、東へ向かう道だった。

 カーステレオからは、中央放送局のラジオ部門が音楽を流している。そういえば、あのクーデターの時に協力したのも、中央放送局だった、と彼は思い出す。

 中央放送局は、クーデターの後も、記憶と籍を消された彼ら元政治犯の身元調査の協力を続けている。「尋ね人の時間」という番組がそれである。

 調べて欲しい者だけが、自分の顔写真を放送で流してもらう番組で、結構な数の仲間達が、記憶はともかく、身元が判明している。

 だがしかし、探す者を好まない者も居る。キディはそのいい例だった。

 一方マーチ・ラビットはそうではなかった。

 積極的ではないが、ある程度身元がはっきりすることをこの男は望んでいた。もしかしたら、あのリーダー的存在だった奴のように、家庭があったのかもしれない。

 会ったからと言って、それで何が変わるという訳ではない。ただ、自分が何者であったか知ることで、何となく、この頼りない足元がしっかりとするような気がしていたのだ。

 キディを連れ回して、あちこちに組織の仕事で動いていた時はいい。だがその必要が無くなった時。彼は正直言って、あの忙しない時間を懐かしがっている自分に気付いている。

 平和なのに越したことはない。だが、平和だけに耐えられる性格でもない、と。あの冬の惑星で同じ房に居た、自分を倒した唯一の男が、今では辺境でのんびりと相棒と暮らしている、というのに。

 マーチ・ラビットに関する情報は入って来なかった。不思議な程に入って来なかった。大概の、自分捜索願を出した者は、それでも全く情報がゼロということはない。その家族自身が拒んでいたとしても、昔の友人だの、仕事仲間だの、知っている誰かしらが、少しでも情報を中央放送局に送ってくるものだった。

 だが彼に関しては、ゼロだった。

 さすがにそれには、彼も少なからず、ショックを受けていた。

 政府の協力を得て、既に写真の存在しない逮捕者リストと、情報をつきあわせて、個人を特定する。しかしリストは、身元判明を求めない者のものも混じっている。中には、捕まった時点で偽名だった者も居る。

 彼は、そこで自分の正体に関しては手詰まりになった。

 記憶を取り戻す、という手もあったが、それは、誰かしらの中に、強く残っている情景があった場合だ。それを手かがりにして、連鎖的に記憶を引き出すという方法である。

 ところがこの男には、それすら無かったのだ。

 手がかり、といえば、誰もが自分に最初に会った時、「何処のスポーツ選手かと思った」この身体しかない。しかしこの星系内のスポーツ選手を洗い出しても、彼に相当する人物はいない。少なくとも、プロの選手としては。

 足元は、まだ浮いている。

 いっそキディのように、思い出せない記憶は自分にとって嫌なものだったとして、切り捨ててしまえばいいのかもしれない、と思うこともある。

 だけど。


「よぉ」


とその男は彼に向かって手を挙げた。

 中央44号線を途中で南部分岐5号に乗り換えて、やって来た街は、コアンファンと言った。

 約束の場所である、海沿いの、その場所に向かうと、その男が居た。近くには、レンガ作りの倉庫が幾つも立ち並んでいる。

 コアンファンは、他の大陸で生産された農作物の玄関である。海沿いにはそんな都市があちこちにある。ここで主に取引されるのは、穀物と果実だった。

 そして、「サンライズ」ビールの生産工場がある街でもある。


「煙草を持ってるかい?」

「プリンス・チャーミングで良ければ」


 そう言って、マーチ・ラビットはポケットからその銘柄の煙草を取り出す。封は開けていない。それを見ると、目深にかぶっている鳥打ち帽のつばをひょいと持ち上げ、にやりと相手は笑った。


「あんたが、『三月ウサギ』かい?」

「身体に似合わんと言われてるがね。『泡立てエッグ・ビーダー』さん」


 そんな呼び名だ、と彼は代表ウトホフトから聞いていた。

 黒い短い硬そうな髪に、同じ色の瞳。ぱっと見では優しげな顔立ちではある。やや口元の薄ら笑いが気にはなるが。

 モノクロームのシンプルな服を着た男は、厚い肩を少しだけ上げた。


「何でこういう名なのかはさっぱり判らないがね」

「それは俺も同じだ」


 何処でも同じだな、と彼は奇妙に納得する。しかし「泡立て器」何をかき回すのだろう、という疑問は残ったのだが。

 彼の名に関しては、つけた奴の気まぐれ、としかマーチ・ラビットには考えられない。その男は当時しばしば直感で誰かしらの名をつけていた。その名が性質を何処か示していたのか、名が元々持っていた性質を呼び覚ましたのか、いつの間にかその呼び名は定着していった。

 相棒の名は、「子猫」と「子供」をかけているのだ、と聞いたことがある。

 当時は房が違ったから、細かい状況を彼は知らない。ただ、実際キディは房どころか、当時逮捕投獄されていた中でも最年少だったから、子供と言われても、子猫の様に扱われても、仕方ないところがあった。

 そして実際、そう扱われていたらしい。

 あの惑星で、反乱を起こして、自由になった時に、初めてマーチ・ラビットはのちに相棒になる青年の存在を知ったのだが、少しばかり、端で見ていて苛々するほど、キディは当時、おどおどしていた。

 周囲を見渡し、安全だということが判ってようやく動きだす。そして抵抗という言葉とは無縁だった。

 目についた。苛立った。だが他の房のことなので、無視してようか、とも思った。


 だが。


 あの時、思わず手が出てしまったのだ。

 冬の惑星から、このアルクへ戻る宇宙船から降り立った時、あの、自分の目の前に居た「子供」は、足元をふらつかせた。目眩がしたかの様に、ぐらり、とその場にバランスを崩して、倒れそうになったのだ。

 そしてその時、マーチ・ラビットの手は「子猫」の背を掴んでいたのだ。


 どうしてそうしてしまったのか、彼にも判らなかった。

 それからずっと、一緒に居る。

 だが、そこに特別な感情があるか、というと、「無い」と答えるしかない。

 少なくとも、キディをどうこうしていた同じ房の男達のように、相棒を抱きたい、とかそういうことを考えたことも、感じたこともなかった。

 仲間の中には、冬の惑星に居る時の関係をそのまま続けている者もいた。元々素質はあったのだろう。

 それはそれで構わない、と彼は思う。だが彼自身は、何はともあれ、男に欲情する人種ではなかったのである。

 相棒がどうか、は彼も知らない。もしかしたら、故意に自分が目を塞いでいる可能性はある。ただ目を塞いでおけるものなら、塞いでおきたい、という気持ちが彼にはあった。


「それで」


 マーチ・ラビットはエッグ・ビーダーに問いかける。


「問題のモノは、何処にあるんだい?」

「まあそう焦るなって」


 ぺりぺり、と渡された「プリンス・チャーミング」という煙草のパッケージを剥くと、エッグ・ビーダーは一本取り出して口にくわえた。


「この煙草、甘いんだよなあ」


 そう言いながら、それでもふう、と大きく煙をふかす。そして吸うか? とマーチ・ラビットに訊ねる。いや、と彼は手を振る。


「へえ、やらないんだ」

「ああ」


 全く吸ったことが無い訳ではないが、どうもそれを美味いと思わない自分が、彼の中にはあった。

 時々この身体感覚という奴が、不思議に感じられることはある。

 それは基礎体力であったり、体内時計であったり、筋肉の付き方、というものでもある。

 身体に染みついた軍時代の行動を、記憶を取り戻す取りかかりにしていた者も、仲間の中には居た。それと同じ様なものが自分にもあるのだろうか、と彼は思う。

 エッグ・ビーダーは、やや眼を細めながら、ほれ、と立ち並ぶレンガ倉庫群を指さす。


「あの中に、例のモノはあんだがね」

「あの中か?」


 そのレンガ倉庫群のファサードには、クロシャール社のシンボルマークが丸い輪の中が描かれていた。それは古風な絵柄で、酒瓶を持って浮かれる浮浪者の絵柄だった。

 無論マーチ・ラビットもそのマークの意味を知っていた。


「…ってこれ、当の会社の倉庫じゃないか」

「そうさ」


 あっさりとエッグ・ビーダーはうなづき、薄く開けた口からふっと煙を吐き出す。


「つまり、まだ、それは横流しされていない、ってことか?」

「いやあ、それ以前さあ」


 マーチ・ラビットは眉をひそめた。段取りはできていない、ということか。

 まあそういうことは、彼が何かと関わった組織の活動の中では何かとあったことだった。だから彼も驚く、というよりは、「またか」という気持ちの方が強かった。


「それじゃあ、あんた等は俺にここで何をして欲しい訳?」

「あー」


 ポケットに手を突っ込み、エッグ・ビーダーは空を仰ぐ。その様子は、何やらひどく言いにくそうだった。


「何だよ」    

「いやあ、試合をね」

「試合?」


 彼は再び眉をひそめた。


「今回は横流し、って言うよりは、割と正当な取引でね」

「正当、ねえ」


 まあそういうこともあるだろう、と彼も思う。別に非合法なことを組織も好きこのんでやっている訳ではないのだ。それに今回は、どちらかというと、組織と言うよりは、「マヌカン」の仕事と言ってもいい。


「オーケイ。そのに正当な取引とやらの正体を言ってくれよ」

「引き受けてくれるのかい?」


 エッグ・ビーダーは肩をすくめる。


「何の試合、だか知らないが、試してみてできそうだったら、仕事だし、するしかなかろう?」

「仕事ね」

「何か文句があるのか?」

「や、あんた等のボスは、あんたならできる、って俺達には言ったんだよ」


 代表ウトホフトが? と彼は口の中でつぶやく。そしてふうん、と今度は聞こえる声でうなづく。


「それで、何の試合なんだ?」


 マーチ・ラビットは腰に手を当てる。ふふん、とエッグ・ビーダーは口元に笑いを浮かべた。


「ベースボールさ」

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