24 打ち上げパーティ―――新たな場への誘い
「ご苦労さま」
紺色の缶を手に、ヒノデ夫人はマーチ・ラビットに声を賭けた。
球場が、そのまま打ち上げ会場となった。予定では、他の場所に移動して行うことになっていたが、球場の周りに殺到するスポーツ系マスコミに、皆足止めされている状態だったのだ。
だったらいっそ、と食品産業クロシャール社にとっては簡単なことである。
球場の中で、セミナーを行う様な部屋を二つ三つ壁を解放して、料理と飲み物を運び込んで、パーティ会場に変身させたのだ。
パーティの名目は色々だった。
まず、試合の終了とともに、ヒノデ夫人の元に、全星系統合スポーツ連盟から、加入許可の連絡が入った。無名の招待チームが勝ってしまったことで湧いているグラウンドが、その知らせで更に驚喜した。爆発があったことなど、既に彼らの頭からは失せているようだった。
そして、招待チームにとっては、プロのベースボール・チームへの加入が認められたことが。
特にヒュ・ホイとテディベァルに関しては、文字通り、跳ねまくって喜びあっていた。ベンチの外で待っていたのは家族だろうか。小柄なヒュ・ホイには、更に小柄な家族が待っていた。
「本当に、家族もちだったんだなあ」
ビーダーは呆れた様に言う。
「あ、悔しいですか?」
言われた側は、苦笑いするだけだった。着替えもせずに、彼らはそのまま、「パーティ会場」へと移動することになった。
「会場」には先客が居た。
今の今まで、対戦していたサンライズのメンバーである。自分達同様、フィールドを駆け回って砂ぼこりにまみれている。
そんな彼らは、招待チームが入室した途端、帽子を投げ、よく振ったビールの栓を抜いた。うひゃあ、とトマソンの声がその場に響いた。
さっきまでの敵は今の友、とまでは行かないにせよ、試合が終わってしまえば、同じベースボール好き同士、という訳だった。
特に、ファインプレーを続出させたテディベァルや、何度も快音を球場に響かせたトマソン、冷静に試合を進めてきたヒュ・ホイのところには人が群がっていた。
そんな彼らを見ながら、マーチ・ラビットは、ほんやりと紺色の缶を手に、壁の花と化していた。
「よ、もっと食ったら?」
ビーダーは料理を色々山盛りにした皿を二つ持っていたが、片方をマーチ・ラビットに押しつける様にして渡した。彼は肩をすくめたが、苦笑しつつもそれを受け取る。
「気分はどぉ? 勝利投手」
「いい気分だね、と言いたいが」
ビーダーはふうん? と両の眉を上げ、マーチ・ラビットの隣の壁に背をついた。
「何」
「うまくはめられた、って感じはあまり嬉しくはないね」
「いいんじゃないの? 結果良ければ、俺はそれでよしだと思うけどさ」
「お前はそう言うがな、ストンウェル」
「そうやって、いつの間にか俺を呼ぶんだよな、あんた」
喋りながら、口に入れたセロリがばり、と音を立てる。
「まあね。確かに、俺ははめたんだよ。あんたを。はまって欲しかった、というのが、本当のとこ」
「どの時点から?」
マーチ・ラビットは訊ねる。
「偶然。本当にたまたま、俺はニュースで、あんた等の騒動を見てたんだ。ここからずいぶん離れた星系で、だぜ?」
あのクーデターの時の報道は、確かにずいぶん大規模に流れたのだろう。
後になって彼も思ったものだった。クーデター自体に、放送の力は大きく関わっていたのだ。
「球場か何処かでか?」
「いや、俺もうずっと、投げてなかったぜ」
「そうなのか?」
「824年だったかな。負け続けるチームが、体質改善とばかりに、旧メンバー陣を一斉解雇、その上でテスト・再契約、という形をとったんだ。俺はもう、その時にはコモドドラゴンズに居る理由が無かったから、あっさりおさらばしたって訳」
「理由?」
「あんたが居なかったから」
あっさりと言う、この男に、マーチ・ラビットは思わずフォークを取り落としそうになった。
「と言うか、D・Dが居るチームに、俺はそもそも入ったんだから、D・Dが居ないチームに居る義理も無かったの」
「……すごく恥ずかしいことを、言ってないか? お前」
「本当のことだから、別に」
二つ目のセロリがしゃり、と音を立てる。
「ほら、見てみろよ。向こうの連中。ちらちらと、やっぱりあんたに視線送ってる。すごく気にしてる」
「…」
「でも、本当にあんたがあのD・Dなのか、って確かめられもしないから、近寄りたいけど、近づけない。そんな感じだぜ?」
正直、そんな気はしていた。
勝利投手に対して、ここまで距離を置くだろうか。
サンライズの選手達は、彼に対しては距離を――― 話すチャンスを狙い、そのタイミングを掴みかねていた。
「俺は違うよ」
「そうだなマーティ。確かに今のあんたは、昔のあんたとは違う」
「どういう意味だ?」
「あんた、最後の回、楽しんでたろ?」
ふふん、とストンウェルは笑った。皿を置いて、マーチ・ラビットはビール缶を再び手に取る。
「楽しんでちゃ、おかしいのか?」
「おかしいね、俺の知ってるD・Dは、最後の回なんて、いつも死にそうな顔していたもの」
そうだったろうか?
彼は自分に問いかける。苦しかったのは判る。が、それが顔に出ていたのだろうか。
「初めはそうでもなかったさ。俺がまだ客としてゲームを見ていた頃はね。でも俺が入った頃からさ、何かどうしても勝ちたいから、っていうのじゃなくて、これを投げてしまえば、今日はもう終わる、解放される、って感じでさ」
それは、あったかもしれない。
ビールに口をつけながら彼は思う。
勝つためにチームに買われた訳であり、勝たなくては、チームに居る意味はない、と思っていた。思いこむ様になっていた。
気付かなかった。顔に出ていたなど当時は。
「なあマーティ、あんた、今は幸せなんだろ?」
「今は?」
「昔が、幸せだったと言えるのかい?」
それは言えない。
彼は思う。
いや、幸せの意味も知らなかった。
いつでも、代償を払え、と誰もが迫ってくる様な気がしていた。だから精一杯やっていた。
なのに、その精一杯を、それ以上に、と周囲は求めた。少なくとも、彼にはそう感じられた。
そんな気持ちでやっていては、いくら大好きなベースボールでも、次第に色あせてくる。
そんな、自分の気持ちで、彼はその時、手一杯だった。だから。
だから当時、この目の前の男が、ひどく露骨に好意をぶつけて来た時には、訳が分からなかったのだ。
ストンウェルという名の男を、「泡立て器」と呼んだのは、彼自身だったのだ。訳も分からないままに、気分を動揺させるこの幾つか年下の男を。
「あんたが、逃げ出したのは、俺のせい?」
ストンウェルは苦笑まじりに問いかける。いや、とマーチ・ラビットは首を横に振る。原因の一つではあったかもしれない。だがそれだけではない。
マスコミがあおり立てる自分の姿や、期待される姿や、幾ら支払っても支払っても取り立てを迫ってくる様な周囲や…
結局は、今その時点にある自分自身から、逃げ出したかったのだ。
そのためなら、どうなってもいい、と思っていた。
死ななければ、どうにでもなる。それ以外どうでもよかった。
ただもうひたすら、自分のことなど誰も知らない、自分自身も、自分のことを忘れられるようなよ、そんな場所に、逃げたかったのだ。
幸か不幸か、彼が送られたライという冬の惑星は、そういう所だったのだ。
しかも送られた原因は、―――彼の相棒だったのだ。
顔は、知っていた。
コモドドラゴンズが招待された歓迎パーティの席で、居心地悪そうにしていた、スポンサーの一つであるクロシャール社の跡取り息子。
向こうは向こうで、知っていたのだろう。ベースボール好きの少年。
パーティではただ「見た」だけだったが、あんな場所で出会ったら、それどころではない。手を掴む、あの必死な目。
俺は、覚えていたんだな。
口に出さずに彼はつぶやく。
「ご苦労様」
思考が堂々巡りを始めた、と思ったところへ、ヒノデ夫人が紺の缶の「サンライズ」ビールを手に現れた。
じゃあまたな、とストンウェルは壁から背を離して、サンライズのメンバーに取り巻かれているヒュ・ホイの方へと向かった。
「俺に、話があるということでしたね、ヒノデ夫人」
「ええ」
「それは、あなたの息子さんのことですか?」
「それは半分。だから先にもう半分のことを言っておきましょうかしらね」
「半分?」
「新しくリーグ戦に加わる新生『サンライズ』に、戦力の一人として加わってほしいの。マーティ・ラビイさん」
「マーティ・ラビイに、ですか?」
「無論よ」
彼女は一言で片付ける。
「私は、あなたの過去には別に興味は無いの。あなたはあの試合でいいピッチングをした。それだけよ。私は旧コモドドラゴンズのメンバーに、今回の人選をさせた。それが何処の誰であっても良かったわ。たまたまそれが元D・Dという名の何処かのチームの花形投手であったとしても、そんなことはどうだって良かったわ。だから腕試しを兼ねて試合をしたのでしょうに」
「明快ですね」
「私はあいにく、商売人なのよ」
くすくす、と彼女は笑い、自社のビールを口に含む。
「でもそれは、昔の私には無かったことだわ」
「昔の」
「息子が死んだと思ってから、ね」
それは、と彼は言葉を接ごうとする。だが彼女はそれをビールを持たない方の手で制す。
「あの子は死んだのよ。もう名前も籍も、残っていない。あのひとがそうしたのだけど、私の中でも、そうしない訳には、いかなかったわ」
「それは、社のためですか?」
相棒の記憶は、つなぎ合わせた時に、「捨てられた子供」の図を表していた。
「社のために、奴の存在を消したのですか?」
「声を荒げないで、ラビイさん。私達の様な、そういう階級に生まれた者には、それなりに、立場とか、覚悟というものが必要なのはご存じかしら?」
「立場――― 覚悟?」
前者だけだったら、そんなもの判らない、と言ってしまうのはたやすい。だが覚悟、ときた。
「経済的に何不自由ない生活、人より裕福で贅沢なことができる様な階級に生まれるってことは、その地位や周囲の生活を支えてくれる人々に対し、責任と覚悟を持つってことなのよ。私とその家族の肩には、クロシャール社が、その社員の暮らしが掛かっているの。その跡取りが、テロ行為などしてはいけないのよ」
「それは…」
「あなたの言いたいことも、判るわ。だって私は母親だったのよ?」
彼女はやや好戦的に、彼に詰め寄る。
「だから、夫とは別れたのよ。あのひとが、あの子を見殺しにしたのだから。ええ、私ができないからやってくれたのは判る。だけど、許せなかった。その代わり、私が今度は社を背負うことにしたのよ」
「それは、重いでしょうね」
「ええ重いわ」
きっぱりと言う。
「だけど、それは、私の義務よ。そして大切なものだわ。それに」
「それに?」
「あの子は、見つけられたくなかったのでしょう?」
うって変わって、今までの好戦的な表情が泣きそうに歪む。マーチ・ラビットはうなづく。それは確かに事実だった。
「あの子は、そういうことに合わなかった。向いていなかった。なのに、私たちは、それが当然だと、育ててきた。そういう子じゃなかったのにね。だから、ええ、私はあの子を、探さないことにしたの」
相棒は、「尋ね人の時間」に決して依頼を出そうとしなかった。
「では、この先も、ずっと?」
「向こうが、会いたいと思わない限り」
彼は苦笑する。だがそれはそれで、いいのかもしれない、とも思える。それはもう、自分の口を出すべき問題ではないのだ。
「で、最初の話に戻るけれど、マーティ・ラビイさん。私たちのサンライズに、入ってくれないかしら?」
彼はちら、と向こう側で和んでいるメンバーを見る。まだサンライズのメンバーは、こちらを伺っている様だった。
そんな視線は願い下げ、と言ってしまうのはたやすい。断って、また気楽に生活に舞い戻ってしまうのもいい。ふらっと、そんな気持ちが彼の中をかすめる。
だけど。
こちらの視線に気付いたヒュ・ホイがにっこりと笑った。
ああ、と彼もまた笑い返す。あのゲームは、楽しかった。自分は、ベースボールが好きなのだ。思い知らされたのだ。
「結局、誰が入るんですか?」
「元々がスカウトの様なものだから、ラゴーンとスクェアとペトローネ以外は皆、そうね」
「ラゴーンも、ですか?」
「彼は、ね」
くす、と彼女は笑った。そしてこれは内緒よ、と付け足す。
「彼は、ちょっとばかり、別の畑から借りてきたのよ」
え、と彼は目をむく。
「絶対に、全星系統合スポーツ連盟は、何か悪さをして、こっちを試すと思っていたわ。だから、いざという時の人員だったの。そのスジから、ちょっと貸してもらったのよ」
つまりは、対テロ要員だったって訳か、と彼は納得する。
「旧コモドドラゴンズの中でも、あの二人はもう、別の職についていて、それをずっと続けたい、って言ってるわ。ストンウェルは―――」
彼女は言葉を切る。
「ストンウェルは、あなた次第だ、と言っていたけど」
呆れた、とマーチ・ラビットは肩をすくめた。




