表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/25

20 手の中の起爆装置、呼ぶ声、差し込む記憶

 8回の裏にそれは起こった。

 それまでも少なからず、スタンドの観客席から聞こえてはいた。つぶやきと、問いかけのような形で、それは、ざわざわと。

 何だろう、とマーチ・ラビットは思っていた。妙にそのざわざわしたものは、彼のやや長く伸びた後ろ髪にまとわりつく。

 彼の居た三塁側ベンチの真上でも、そのざわめきは次第に大きくなってきてはいた。いや、むしろそれは、そこを中心にしておきつつあった、と言ってもおかしくはなかった。

 波は、次第に広がっていく。

 マーチ・ラビットは首をかしげつつも、マウンドに向かった。

 気にはなる。だが現在は試合中だった。試合中に気を散らしてはならない、と彼は考えていた。それが誰に言われた訳ではなく、自分の中から湧いてくるものであることを、彼は気付いていなかったのだが。

 現在、一点の優勢。その一点をどうしても守らなくてはならない。

 一度引っ込んでしまったからには、彼に変わってストンウェルが出るということはない。マーチ・ラビットは何とかして、自分がこの回を押さえなくてはならないことを心に刻む。

 ヒュ・ホイのサインを見てうなづき、彼はワインドアップから思い切り投げた。

 最初に彼が出てきた時には見送ったサンライズの打者達は、その次の回から、攻撃に出てきた。やはりある程度様子を見ていたのか、と彼は納得する。

 三振もとったが、打たせてアウトにする、というパターンも多かった。それには守備陣の力も大きい。

 スクェアは彼の背後で、派手ではないが、確実にボールを取って、安定した送球で一塁を刺したし、テディベァルは三塁側に飛んだ打球を、その持ち前の足腰で、ジャンピングキャッチの離れ業を何度もやってのけた。

 皆が皆、このサンライズと対等に戦っているのだ。自分はそれに応えなくてはならない。


「ストラック・アウト!」


 主審が手を挙げる。三球三振、だった。ふう、と彼は帽子を取り、汗をぬぐう。

 その時、だった。一つの声が、高く、球場内を飛んだ。


「D・D!」


 彼は格別、その声に気を取られることはなかった。―――その声が一つであるうちは。

 だが同じ名を呼ぶ声は、次第に増えていった。ざわめきの中にある戸惑いの、次第に膨らみつつあったものが、その一つの声を皮切りに、ついに弾けた。


「D・D!」

「D・D!」

「D・D!」


 次第にその声は、球場の中で、大合唱となる。

 彼は一体何が起きたんだ、とその大合唱の真ん中で、大きな目を見開き、この急激に変化した空気に戸惑っていた。

 首筋が、ざわざわとする。長めの髪が逆立つ思いだった。


「タイム」


 審判が手を挙げる。何だろう、と思っていたら、スクェアが、彼のそばに寄ってきた。他のメンバーも、それが合図であったかの様に、マウンドのマーチ・ラビットの元へと集合する。

 その間にも、スタンドからの声は続いていた。いや、どんどん大きくなって来る。怖いくらいに揃いつつあった。


「…何だと思う? ラビイ」


 腰に手を当てたスクェアは、落ち着いた声でマーチ・ラビットに問いかけた。


「何って」

「それとも、それでも、判らないか?」


 彼は眉を大きく寄せた。言っている意味が、理解できない。


「あれは、お前を呼んでるんだぜ」

「俺?」


 何を言ってるんだ、とマーチ・ラビットは眉を寄せる。


「嘘じゃあないさ」


 ライトからゆっくりと近づいてきたペトローネも、そう付け足した。


「スタンドを埋めている、あの観客達は、あのD・Dが、この場に復活したことを、感じてるんだ。コモドドラゴンズの、伝説の投手の男を」


 は? とマーチ・ラビットは顔を歪める。ふむ、という顔で、トマソンはうなづく。


「やっぱりそうだったのかよ。名前はともかく、どっかで見たことあるよなあ、と思ったけど」

「俺なんかちゃーんと気付いてたもんねー」


 へへへ、とテディベァルは笑う。


「けど皆さん、早のみこみはいけない。彼自身はどうなのです」


 ミュリエルはあごに手を当てると、マーチ・ラビットの方を見た。


「何だよ先生、あんたは見たことないのかよ? あんな有名人だったんだぜ?」

「そうかもしれない。だけど、他人の空似ということもあるかもしれない」

「ふうん?」


 テディベァルは口を尖らせて、くい、とマーチ・ラビットの顔をのぞきこむ。


「ちょ… ちょっと待ってくれよ」


 のぞき込まれた方は首を横に振りながら、グラブを付けた手で、球をぎゅっと握りこむ。


「さっきから、一体何のことを言ってるんだ? もしかして、俺のことを言っている、のか?」

「そうだ」


 スクェアは短く答えた。真剣な目が、自分を見据えているのを、マーチ・ラビットは感じる。その視線を受け止めているのが、ふとたまらなくなり、彼はまた目を逸らし、首を横に振る。


「嘘だ」

「あんたが嘘だと言おうと、客は正直なんだぜ?」


 聞き覚えのある声が、彼の右の耳に届いた。


「ビーダー?」

「ほらよく聞いてみろよ。あれは、あんたを呼ぶ声なんだ」


 マーチ・ラビットはつ、と観客席を見上げた。ぐるりと彼らを囲む、小さな小さな、顔顔顔。その顔が、口々に、こう呼んでいる。D・D、と。


「それが俺の、本当の名だと言うのか?」


 ビーダーはうなづく。


「俺の、消された記憶は、そういうものだったのか?」

「そうだ」


 そして断言する。


「俺達は、あの頃、一緒に戦う仲間だったはずだぜ? 俺も、スクェア先輩も、ペトローネ先輩も…… そして」


 ビーダーは一塁ベンチの方へあごをしゃくる。


「キダー・ビリシガージャ監督も」



 キディは走り出していた。

 手の中には、時限発火装置の、コントローラー。

 その型は決して新しくはない。新しくない、と思う。少なくとも、あの組織の仕事をしていた時に、使っていた型ではない。

 いや、正直言えば、彼はこの型を見たことが無かった。意識してその類のものを扱ってきた時に、見たことは無い。

 なのに、それをシィズンから手に乗せられた瞬間、彼の何処かで、それがコントローラーだ、と叫ぶものがあった。

 確証はない。違うかもしれない。

 シィズンがからかっているだけなのかもしれない。彼女はキディに向かって、その説明を一切しなかった。考え違いかもしれない。考え違いであって欲しかった。

 カンカンカン、と階段を走り降りる音が響く。

 この球場の、全体案内図が見たかった。考え違いであって欲しかったが、考え違いではなかったら。

 その時に、取り返しのつかないことになったら。

 止めることができたのに、と後悔することになったら。

 またあの時のように。


 彼は、足を止めた。


 あの時の、ように?

 

 手の中の、コントローラーが、強く握られて、彼の手をその角で圧迫する。その鈍い痛みが、キディを刺激する。


 あの時、っていつだ?


 その時、が確かに自分にはあった。自覚が彼にはあった。

 それがいつなのか。それがよく判らない。だが確かだ。

 目を硬くつぶる。その時の記憶を、彼は、今の自分に、どうしてもつなぎたかった。

 自分は、その時このコントローラーを手にしていたのだ。

 彼の「知識」ではなく、痛みが。身体の「記憶」がそう叫んでいた。

 自分自身がそれを進んで使ったのかどうかは判らない。それでも、確実に、自分はそれを手にしていた。何かに、使っていた。何か。爆破作業。何処を。

 星形が、頭に浮かぶ。


「あ」


 全身を強烈な悪寒が走り抜けるのを感じる。空いている方の手が、自身の腕を抱え込む。星形の窓が、頭の中で、点滅する。

 新聞社。ノーザンタイムスの、新聞社。


『六年前でございます』

『なかなかこの建物の修復には時間も手間も掛かりましたことですので』


 あの店の店員の声が、響く。六年前。修復に時間がかかって移築して六年前。


 そうだよ。


 彼の中で、何かがつぶやく。


 だって、あの建物を爆破したのは、八年前なんだから。


『誰が?』


 聞き覚えのある声が、彼の中で、問いかける。懐かしい、声だ。


「俺だよ」


 キディは自分の唇が、そう言葉をつむぐのを、他人事のように、感じていた。


「そうだよ。俺がやったんだ」


 十七歳の、自分が。

 あの首府で、あの新聞社を。

 政府と、会社と、手を組んで、嘘ばかりを並べ立てる、あのニュースペーパーを。


「……駄目だ!」


 彼は一瞬目を強くつぶると、かっ、と大きく見開いた。階段を、駆け下りる。


 今は、駄目だ。


 彼は自分に言い聞かせる。そのことで、思考の海に沈んでいる暇はないのだ。

 扉が開かれたことは、彼にも判る。判るが、今はその扉から、必要な情報以外を取り出して遊んでいる訳にはいかない。

 今、この球場に。

 歓声が大きい。振動が、ここまで伝わってくる。


 ここに何かあったら、大惨事だ。

 もしも爆発自体が軽いものだったとしても、パニックは免れない。

 シィズンが、そんな仕事の専門だとしたら。


 彼は走りながら、考える。今はそれしか考えてはいけない。

 一階の出入り口まで来て、ようやく彼は、この球場全体の見取り図を見つけた。

 考える。今まで、相棒に言われたこと、あの冬の惑星から一緒に帰った仲間の言ったこと。

 こんな時、慣れている者は、何処に仕掛けるのか。


『目的が、場所を決めるんだぜ?』


 あの頃の仲間の一人は言っていた。

 軽い、何処か切れた口調の、いつも趣味の悪い柄のシャツや、パーカを着ていた金髪の男。

 軽く見える割に、そんなことばかり妙に体系だって知っていた。確か、相棒に、あの名前をつけたのも、その男だった。


『その目的が、何であるか。まずそれをよぉく考えな』


 耳に響く声を、今でも強く思い出す。そして、次に、自分の手の中のコントローラーを見る。


 これは、どんなタイプのものに使っただろう? 


 時限発火式だ。しかも、ひどく単純な。

 学生でも、手に入るくらいの。規模はそう大きい訳ではない。

 そうでなければ、シィズンがこの球場に持ち込める訳がない。何を彼女が考えているのか、まるで判らない、というのが一番厄介だった。

 客として入ったなら、客席に仕掛けているのか。球場の破壊と、観客の動揺、もしくは観客自体が狙いだったら、それでいいだろう。

 しかし、このコントローラーを使う程度のもので、球場や、観客自体が狙いとは考えられない。小さく、何か特定のものを、確実に爆破するためのものだった。だから、爆破そのものを防ぐことは、まずできない。


 できないから、あの時、自分たちは、それを選んだのだ。


 すっ、と思考の中に、記憶がスライドしてくる。首を横に振る。


 だからどうした、なんて今は考えるな。だからどうしよう、と考えろ。


 小さくて、確実。狙いは…

 彼は、つ、と指を場内見取り図に這わせた。やがてその指が、一点で止まった。


 狙いは、選手だ。


 彼は自分の考えに、血の引く思いだった。

 間違いであってほしい。だが可能性は高い。選手。相棒は。マーチ・ラビットは。

 狙いが自分の相棒だ、と言ったのは、彼女だ。それはこういう意味なのか?

 そんなこと、させない。

 キディは今にも今の思考と、堰を切ってあふれ出す過去の記憶が氾濫して混乱しそうになるのを、かろうじて押さえていた。


 そんなことさせるか!


 プレイ中の選手に、それを仕掛ける方法は。

 既にベンチに仕掛けてあるのか。

 いずれにせよ、彼は、それを、相棒に告げなくてはならない、と思った。

 一階スタンドにつながる扉を開けた。すると、そこから、洪水の様に、一つの名前を呼ぶ声が、彼の耳に飛び込んできた。

 あの名前を、呼んでいる。


「D・D!」

「D・D!」

「D・D!」


 強烈な勢いで、それはキディの中に、強い振動をもたらす。彼は通路に立ちすくみ、その声の洪水に、一瞬目眩がする。


 これは。


 目を開く。マウンドの上、メンバーに取り巻かれた相棒は、困惑した様に、呼ぶ声を、受けていた。


「あんたにも」


 キディは自分の唇が、そうつぶやくのを感じていた。


「あんたを、呼ふ声が、あるんだ」


 目覚めてくれ、と呼ぶ声が。

 ベースボールを愛する人々の、たくさんの熱気が。

 やがてメンバーが守備位置に帰り、プレイが再開される。だが声は止むことがない。

 相棒は、戸惑っている。

 当然だろう。彼は自分以上に、この声の意味を知らないはずだ。セットポジションから、二人目の打者に、第一球を投げた。

 コォン、と少しくぐもった音がして、打球が高く上がった。


「ファウル!」


 スタンドにすっぽりと入った打球に、審判の声が上がる。わぁ、と高揚した観客は、ボールを取り合う。

 相棒の元には、別のボールが返された。

 そのボールを握った時、相棒は首を傾げた。ぽんぽん、と右手で何度か小さく放り上げ、またグラブを持った左手で上げてみる。何度か、グラブに入れてみる。そしてまた首をかしげる。

 どうしたのだろう、と彼は一歩一歩、ネットに向かって歩き出す。

 ちょうどそこは、一塁側ベンチの上だった。不思議そうな顔をしている相棒の顔の表情まで、よく見える場所だった。

 しかし相棒は、首を傾げつつ、セットポジションから、第二球を投げた。軽く当てた打球は、後ろのネットにかしゃん、と音を立てて、ファウル。ヒュ・ホイがそれを拾い、相棒に投げ返す。そしてまた、何か首を傾げている。


 まさか。


 キディはネットに走り寄っていた。何だこいつ、という視線が、周囲から向けられているが、気にすまい。まさか。まさか。まさか。

 相棒は、手にしたボールに、違和感を覚えている。

 公式試合のボールは、同じ重さ、同じ大きさ、規格物である。たとえこの星域が、全星域統合スポーツ連盟から認められない場所であったとしても、使うボールは共通のはずだった。

 そのボールに、相棒は。マーチ・ラビットは、疑問を持っている。自分の手に馴染んでいるそれと、何かが違う、と身体が主張しているのだ。


 言わなくては。


 キディはネットを両手で掴む。


「マーティ…」


 大声で叫ぶ。それでは駄目だ。


「マーチ・ラビット!! でかウサギ!」


 はっ、と相棒は、その声に釣られる様に顔を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ