虫を食べる少女
ー虫を食べる少女ー
訝らずにはいられなかった、虫を食べる少女がいるなんて。
二宮さんはこの学校の近所に虫を食べる少女がいるといった。はじめにイメージしたのはコオロギだ。海外では虫を食べるというのを聞いたことがあるし、テレビでも見たことがある。コオロギのような黒々とした虫がお尻のほうから竹串が突き刺され、素揚げなり丸焼きなりされて食べられる。脚は細長く毛が生えていて、口に入ることを想像するだけで虫唾が走る。
不気味な噂だが興味がわいた。少女というのはいったいどれくらいの大きさなのだろう? 小学生? 幼稚園児? 中学生である自分たちの視点から少女と呼称するのだから、自分たちより年下だと予想する。
黒光りするコオロギが少女の淡い唇に吸い寄せられ、乳白色の短い歯がその胴をかみちぎってふっくらとした頬の中に含まれる。バリバリと無邪気に咀嚼する少女は笑みをたたえ、一言。
「まずい」
おえぇぇぇ。吐き気がする。
「二宮さん、君の悪い噂だな」
「噂じゃないって、本当の話だよ。友達が見たんだって、小学校1年生くらいの女の子が蝶々を食べてたって。」
「その友達ってだれさ?」
「本人に聞くの? 真樹ちゃんだよ。 3組の長野真樹っていう。」
女の子に話しかけるのが苦手な僕はその長野さんに真相を聞きにいかなかった。
この後、さらに二宮さんから話を聞くと、長野さんの通学路である北門のほうに少女が住んでいるらしい。
今日の帰り道にでも探してみよう。
部活が終わり捜索に出たが日も傾き、寂しげな夕闇が香っていた。いくつも横断歩道を渡り、少女どころか帰宅する学生の姿ももはや見えない。
遠くのほうでたくさんの車のタイヤがこすれる音が響いてくるが、近くでは人の話し声も足音もせず、不気味で寒気がしてくる。
古びたアパートの片隅にたたずむ自販機で缶ジュースを買い、少し抵抗があったが、ペンキが剥げ埃のかぶったベンチに腰を掛け、休憩をとった。
さすがに人づての情報で見つけられるほどこの町は狭くないようだ。長野さん本人に聞けばたちまち少女と出会うことができるのに。だが、噂を確かめるためだけに女子に話しかけられるほど女慣れしていない。
ちなみに二宮さんも女子だけど、不思議なことに抵抗なく話せるがどうしてだろう。
「ふぅ……」
軽やかにため息をついて空を仰いだ。オレンジと水色の境界を凝らしてよく見たが、いったい何色をしているのかわからない。
下を向くと蟻がよろよろと目的もなく歩いていた。
これくらいなら僕でも食べれるだろうか。缶ジュースを傍らに置いて蟻を優しくつかみ手のひらに乗せると、何が起こったのかと蟻は慌てふためく。
手の上を蠢き回る蟻の感触はただむずがゆく、さほど気持ち悪いとも感じなかったが、これが口の中に入るとなると話が変わる。でもこれぐらいの大きさなら……。
僕は蟻の頭を摘まんで潰し、舌に乗せた。生きたままだとそのまま這いずってのどの奥に入ってしまう恐れがあったから。
しかし恐ろしいことに脳みそが潰れたばかりの蟻は僕の舌の上で苦しみもがいていた。
全身の毛がよだつほど気持ちが悪くて吐き捨てようと思ったが、勇気を出して嚥下しようと試みた。口内の遺物を唾液で沈め、噛みしめた。
「何を食べたの?」
不意に声がした。あまりに近くで聞こえたので驚いた。隣を見ると、髪を脳天で結ぶ奇妙なポニーテールの少女がこちらを見ていた。
今の顛末を見られていたのだろうか、何と答えよう。
「今の見たの?」
「うん」
「虫を食べたんだよ」
「おいしいの?」
「まずいよ」
「やっぱりね」
少女は想像したよりも驚きを見せなかった。ひいては……
「死んだらおいしくないもん」
……と、言った。
「え?」
「死んだらおいしくないもん」
「蟻のこと?」
「うん。だって頭をつぶしたら、食べたらおいしくない。お尻のほうから食べて、最後に頭を食べるの」
あどけない日本語で恐ろしいことを言っている。どうやらこの子は蟻を食べた経験があるようが、食べ方にもこだわりがあるみたい。
もしや
「君が虫を食べる女の子?」
「ん?」
意味が分からないといった風だ。この子は自分が噂の張本人だという自覚がないようだが、恐らく二宮が言っていた女の子に間違いない。わかりやすく言葉を変えて質問してみた。
「君は虫を食べたことある?」
「ある」
「どれくらい?」
少女は優しく唸って考えて
「ひゃく」
と答えた。僕は目の前の少女が自分と同じ人間に見えなくなった。
翌朝の学校、二宮は話しかけた。
「昨日の噂、結構真に受けてたみたいだったけど、気にしないほうがいいよ」
「いや、その噂、本当だったよ」
「え?」
「その子、僕の目の前で蜂を食べたよ。黄色と黒の縞々を噛み千切って、そのあと顔と羽をバリバリと食べてたよ」
お久しぶりです、藤森秀介です。
ちょっとグロテスクなものを書きました。
評価、コメント、よろしくお願いいたします。