スマホさんと僕
連載予定の短編です。是非、高評価をお願いします!!
「……っ、はぁっ、はぁっ……!」
鬱蒼と茂る森の中、少年"バン"は泥だらけの足でもつれるように走っていた。
肺は焼け付くように熱く、喉からは血の味がする。背後からは、乾いた枝を踏み折る無数の足音と、飢えた獣の唸り声が迫っていた。
バンは『半人半獣』の孤児だ。
頭には立派な山羊の角が生え、金色の瞳には横長の瞳孔が浮かび、お尻には白い尻尾がある。だが、それ以外の身体は全くの人間だった。
獣人の集落では「獣の血が薄すぎるデキソコナイ」と蔑まれ、石を投げられ、幼くして群れを追い出された。人間の街へ逃げ込んでも、今度は「不気味な獣のなれの果て」と忌み嫌われ、残飯すら分けてもらうことはできなかった。
生きるためには、実力主義の『狩人』になるしかなかった。
しかし、すがるような思いで訪れた狩人ギルドで、スキンヘッドの屈強な受付男はバンを一瞥し、鼻で笑った。
『小僧が狩人だぁ? ……いいぜ、実力を示してみろ。森にいる魔獣、ウッドウルフを三匹狩ってきな。そうしたら登録してやるよ』
それが体をの良い厄介払いであることは、バンにも分かっていた。まともな武器も、防具も、魔法の知識もない痩せこけた少年が、凶暴な魔獣に勝てるわけがないのだから。
それでも、バンには行くしかなかった。行かなければ、明日には路地裏で餓死しているだけだったから。
そして今、バンは三匹のウッドウルフに追い詰められ、巨大な倒木を背にしてへたり込んでいた。
(……なんで、僕は生きようとしたんだろう)
迫り来るウッドウルフの牙を見つめながら、バンはぼんやりと考えた。
生きていても、苦しいだけだった。誰からも愛されず、誰からも必要とされず、ただ痛くて、ひもじくて、辛いだけの人生。
(もう、いいや……)
バンがぎゅっと目を閉じ、己の死を受け入れた、その瞬間だった。
――ドゴォォォォンッ!!
凄まじい轟音と共に、天から『何か』が降ってきた。
バンが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。先ほどまで自分を食い殺そうとしていたウッドウルフの一匹が、空から落ちてきた謎の物体に押し潰され、絶命していたのだ。残りの二匹は突然の異常事態に恐れをなし、尻尾を巻いて森の奥へと逃げ去っていく。
『いたた……いや、痛くないな? なんで俺は生きてるんだ?』
声がした。
バンは周囲を見渡すが、人間の姿はない。声の主は、ウッドウルフの頭蓋骨を粉砕して地面に突き刺さっている、真っ黒で四角い板だった。
「ひぃっ!? い、板が喋った!?」
『板じゃねぇ! ……って、なんだここは。空から落ちたはずなんだが』
四角い板は、器用にぴょんぴょんと跳ねるようにして近くの水たまりへ移動し、水面に映る自分の姿を見た。
『なんじゃこりゃああああ!? なんで俺がスマートフォンになってるんだぁ!!??』
板――『スマートフォン』と自称したそれは、大パニックに陥っていた。
話を聞いてみると、どうやら彼は元々人間だったらしい。しかし、名前も、なぜこんな姿になってしまったのかも、一切の記憶がないという。
途方に暮れる黒い板を見て、バンはふと口を開いた。
「じゃあ……『スマホさん』って呼んでもいいですか?」
『スマホさん? ……まぁ、とりあえずはそれでいい。それよりお前さん、さっきから腹の虫が鳴りっぱなしだぞ』
バンは限界だった。恐怖が去ったことで、数日間まともなものを食べていない強烈な飢餓感が一気に押し寄せてきたのだ。バンはそのまま、糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。
『おいおい、大丈夫か!? 俺がスマホになってなけりゃ、飯の1つでも奢ってやりたいところだが……ん? なんだこのアイコン』
スマホさんの黒い画面が、ふわりと明るく発光した。
そこには『異世界出前横丁』という見慣れない文字が浮かんでいる。
『……よし、現金はどうやら俺が人間だった頃の電子マネーが使えるらしいな。ポチッとな』
ポンッ!
何もない空間から、突如として湯気を立てるお盆が出現した。
そこに乗っていたのは、こんがりと焼けた巨大なハンバーグ、艶やかな白いご飯、そして具沢山の温かいスープだった。
暴力的なまでに食欲をそそる匂いが、バンの鼻腔をくすぐる。バンはヨダレを垂らしながら、しかし「勝手に食べたら殴られる」というこれまでの経験から、必死に身を縮めて耐えていた。
『何やってんだ。お前さんのために頼んだんだ、食っていいぞ』
「……え?」
『ほら、冷める前に食え。飯を食うでゴワス!』
恐る恐るハンバーグを口に運んだ瞬間、バンの目から大粒の涙が溢れ出した。
温かい。柔らかい。美味しい。
生まれて初めて食べる、まともな食事。泥水と残飯で命を繋いできたバンにとって、それはあまりにも優しく、残酷なほどの美味だった。
「うっ、ひっく……おいひい、おいひいです……っ」
『……ゆっくり食え。喉に詰まるぞ』
腹がはち切れんばかりに食べた後、バンは地面に額を擦り付けて泣きながら感謝した。
「ありがとうございます……! こんな僕なんかに、なんで……っ」
『勘違いするな。俺はガキが腹減らして泣いてるのを見るのが嫌いなだけだ。礼なんていらん』
ぶっきらぼうに言い放つスマホさん。
しかし、バンには分かっていた。この四角い箱は、自分に何の対価も求めず、ただ純粋な善意で命を救い、腹を満たしてくれたのだと。
『それに、俺は自分じゃまともに動けねぇ。お前さん、俺の持ち主になってくれないか?』
「……僕なんて、『デキソコナイ』なんかでいいんですか?」
『だから勘違いするな。お前さんは利用しやすそうだから選んだまでだ。決して、親もいないガキが心配なわけじゃないからな!』
ツンデレな台詞を吐くスマホさんの画面は、照れ隠しのように少し赤く点滅していた。
こうして、絶望の底にいた半人半獣の少年と、記憶喪失のスマートフォンの、奇妙な二人旅が始まったのである。
街に戻った一人と一台は、狩人ギルドへと向かった。
バンは帽子を深く被り、獣人の特徴である角や耳を必死に隠している。ギルドの受付に、スマホさんとぶつかって絶命したウッドウルフの死骸を提出すると、スキンヘッドの男は目を丸くして驚いた。
『……まぐれだろ。だが約束は約束だ。あと二匹、狩ってこれたら正式に登録してやる』
ギルドを出た後、バンは慣れた足取りでスラム街へと向かおうとした。
「今日は空き箱を探さないと……」
『おい、どこに行くつもりだ?』
「寝床です。僕みたいなデキソコナイは、お金もないし、宿屋なんて泊めてもらえませんから」
バンが自嘲気味に笑うと、スマホさんの画面がピカッと光った。
『バカ言え。こんなガリガリの身体で野宿なんかしたら死ぬぞ。……ちょっと待ってろ』
スマホさんの画面に『検索機能中』の文字が浮かび上がり、高速で情報が流れていく。
『よし、見つけた。街の裏通りにある古びた宿屋だ。あそこなら種族問わず泊まれるし、店主も訳ありに慣れてる。金なら俺の電子マネーをこの世界の硬貨に両替するアプリがあったから、問題ない』
スマホさんの言う通り、案内された宿屋の主人はバンの姿を見ても顔色一つ変えず、銀貨を受け取るとすんなりと部屋の鍵を渡してくれた。
清潔とは言えないが、風雨を凌げる壁と、柔らかいベッドがある部屋。
バンにとっては、王宮のような場所だった。
ベッドの上で、スマホさんは真剣な声でバンに告げた。
『バン。お前さんを強くしてやる』
「え……僕を?」
『ああ。あと二匹のウッドウルフを狩るんだろう? 今のままじゃただの餌だ。辛い修行になるが、耐えられるか?』
バンは力強く頷いた。
「は、はい。耐えてみせます!」
『よし。なら、お前さんが当分することは……規則正しい生活だ!!』
「……はい?」
拍子抜けするバンに、スマホさんは呆れたように言った。
『まずはその骨と皮だけの身体に肉をつけるところからだ。話はそれからだ!』
その日から、不思議な共同生活が始まった。
バンは宿屋の部屋で、スマホさんが『出前横丁』で頼んでくれる栄養満点の食事を腹いっぱい食べ、泥のように眠った。
一ヶ月が経つ頃には、骨ばっていたバンの身体にはしなやかな筋肉が付き始めていた。獣人の血が混ざっている影響か、その回復力と成長速度はすさまじかった。
体力がついてからは、スマホさんの検索機能で見つけた最適な強化トレーニングが始まった。
筋力トレーニング、走り込み、そして魔術の訓練。
山羊の獣人は元来、魔力量が非常に多い種族だ。バンの体内にも膨大な魔力が眠っていたが、指導者がいなかったため引き出せずにいた。
『いいか、魔力ってのはイメージだ。俺の画面の動きに合わせて魔力を練り上げろ!』
スマホさんは画面に魔術陣の構造や魔力の流れを可視化して表示し、バンに分かりやすく教え込んだ。
数ヶ月が経過する頃には、バンの顔からあどけなさは抜けきらないものの、その眼差しには確かな自信と力が宿っていた。
もう、怯えて逃げ惑うだけの『デキソコナイ』ではなかった。
「……行きましょう、スマホさん」
『ああ。準備は万端だ。ぶっ飛ばしてやろうぜ』
一人と一台は、再び因縁の森へと足を踏み入れた。
深い森の中。
バンは木の上に潜み、息を殺していた。
『斜め右方向、距離50。二匹来るぞ』
スマホさんの『マップ検索機能』による的確なナビゲート。
バンは懐から水の入ったガラス瓶を取り出すと、現れたウッドウルフの足元に力いっぱい投げつけた。
パチンッ!という音と共に瓶が割れ、水が周囲に飛び散る。
突然の襲撃に怒り狂ったウッドウルフが、バンを見つけて猛スピードで突進してくる。
バンは慌てることなく、あらかじめ掘っておいた落とし穴の方へと誘導した。
ズボッ、と大きな音を立てて二匹のウッドウルフが穴に落ちる。
すかさず、バンは片手を突き出した。
「スマホさん!」
『おう! 魔術支援アプリ『EMS《Ease Magic System》』起動!』
バンの膨大な魔力を、スマホさんのアプリが制御・最適化し、完璧な術式へと変換する。
「LIGHTNING SHOT《稲妻弾》』!!」
バンの手から放たれた強烈な電撃が、水浸しの落とし穴へと吸い込まれた。
ウッドウルフの体内には樹液が流れており、火の魔術には強い耐性があるが、水に濡れた状態での電撃には極めて弱い。
鼓膜を劈くような悲鳴と、木が焦げる嫌な臭いが森に充満し、やがて二匹の魔獣は完全に動かなくなった。
「……やった。倒した……!」
『HAHA、楽勝だったな!』
初めての自力での勝利に喜ぶ二人。
しかしその直後、スマホさんからけたたましい警告音が鳴り響いた。
『警告! 警告!マップ検索範囲外から超巨大な反応!』
バンが間一髪で横に飛んだ瞬間、先ほどまで立っていた場所が巨大な丸太のような腕によって粉砕された。
舞い上がる土煙の中から姿を現したのは、象ほどもある巨大なウッドウルフ――群れの長である『トレントウルフ』だった。
その圧倒的な威圧感と、本能が告げる絶対的な死の気配に、バンは腰を抜かしてしまった。
(勝てない……あれは、集落の一番強い戦士でも勝てない化け物だ……!)
恐怖で身体が動かない。トレントウルフが、バンを容易く噛み砕こうと大口を開けた。
『バン! 俺を投げろ!!』
「えっ……!?」
『いいから全力で俺をあいつの顔面に投げつけろ!!』
バンは葛藤した。大切なスマホさんを投げるなんてできない。
しかし、スマホさんの画面に浮かんだ真剣な光に押され、バンは泣き叫びながらスマホさんをトレントウルフの鼻先に向かって思い切り投擲した。
カンッ!という小気味良い音を立てて弾き飛ばされるスマホさん。
空中でスマホさんは『翻訳アプリ』を起動した。
『この木偶の坊が!! てめぇの母ちゃんはシロアリの晩飯だ! 枝毛だらけの不細工野郎!!』
トレントウルフの言語に翻訳された極悪な罵詈雑言が、森に響き渡る。
完全にターゲットをスマホさんに変えたトレントウルフが、咆哮を上げてそちらへ向き直った。
『今のうちに逃げろ、バン!!』
「す、スマホさん!? だ、ダメです、一緒に――」
『足手まといは要らん!! さっさと何処へなりとも消えろ!!』
その冷酷なまでの拒絶の声に、バンは弾かれたように走り出した。
背後で、トレントウルフの凄まじい破壊音が響く。
走りながら、バンの脳裏にこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡った。
『デキソコナイ』として生まれ、集落で媚びへつらい、奴隷のように働き、いじめられてきた日々。
人間の街で石を投げられ、泥水をすすって生き延びてきた日々。
人生を諦めかけた自分を、空から降ってきて救ってくれたあの日のこと。
温かいご飯の味。
不器用で、口は悪いけれど、誰よりも自分を心配し、力を貸してくれたこと。
親からも与えられなかった『愛情』を、自分に注いでくれたこと。
――そんな彼を、見捨てて逃げるのか?
バンの足が、ピタリと止まった。
「……ちがう」
ギリッと奥歯を噛み締める。
「僕はもう『デキソコナイ』じゃない!!」
バンは踵を返し、地を蹴って元の場所へと疾走した。
広場に戻ると、トレントウルフがまさにスマホさんを踏み潰そうと足を振り上げているところだった。
バンは無意識のうちに、EMSを通さずに自らの魔力を練り上げていた。
「その人から離れろォォォォッ!!」
バンの両手から放たれた荒削りな電撃が、トレントウルフの側面に直撃する。
わずかに硬直した隙を突き、バンは地面に落ちていたスマホさんをスライディングで回収した。
『くっ……バカ野郎、なぜ戻ってきた!?』
「すいません! すいません! でも、スマホさんを見捨てて逃げたくなかったんです!!」
『この……大バカ野郎が!!』
電撃から回復したトレントウルフが、激怒して二人を追跡してくる。
(ここまでか……)
スマホさんが覚悟を決めたその時、画面に新たな通知がポップアップした。
【新機能『戦闘支援システム』をインストールしますか?】
『……これだ!! バン、お前さんの魔力を全部俺に注ぎ込め!!』
「はいっ!!」
スマホさんを強く握りしめ、バンはありったけの魔力を流し込む。
『戦闘支援システム――戦闘モード、起動』
無機質な女性の音声が響いた瞬間、バンの金色の瞳が、不気味なほど鮮やかな赤色に発光した。
「……あ」
世界が、変わった。
トレントウルフの筋肉の収縮、重心の移動、風の動き。すべてがスローモーションのように、次に何が起きるのか『予測線』として可視化され、バンの脳に直接叩き込まれる。
巨大な爪が振り下ろされる。
バンは最小限の動きでそれを紙一重で回避し、そのままトレントウルフの懐へと潜り込んだ。
『右から来るぞ!』
スマホさんの声と同時に、死角から枝の触手が鞭のようにしなり、バンの左肩を深々と貫いた。
「ぐっ……!」
『バン!!』
しかし、血を吐きながらも、赤い瞳をしたバンの口角は吊り上がっていた。
「……捕まえた」
貫かれた触手を両手でガッチリと掴む。
樹液の通った触手は、バンとトレントウルフを繋ぐ完璧な『導線』となっていた。
「スマホさん!」
『ELECTRIFICATION《帯電雷神》』
バンの体に激しい稲妻が流れ、触手越しに直接トレントウルフの体内へと流し込まれる。
「ギィィィィィィヤァァァァァァッ!!」
内側から焼かれる絶大な苦痛に、森の主が断末魔の叫びを上げる。
トレントウルフは体を硬直させ、隙を晒す。
「これで……終わりだァァァ!!!!」
『BALL LIGHTNING《紫電砲》!!』
最大出力の雷の砲弾がトレントウルフに直撃する。
数秒の放電の後、黒焦げになったトレントウルフの巨体は、地響きを立ててその場に崩れ落ちた。
「……す、すごい……。集落の大人たちだって倒せないはずの、こんな大きな魔獣を……」
「やったな、バン! 俺たちの勝利だ!!」
肩から血を流しながら、バンはその場にへたり込んだ。
「そんな……スマホさんがいなかったら、僕なんて……」
『バカヤロー! お前が逃げずに戻ってきたから勝てたんじゃねぇか! 俺とお前さん、二人の勝利だ!!』
その言葉に、バンの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
声を出して泣きじゃくるバンを、スマホさんは画面を優しく明滅させながら見守っていた。
それは、世界から見放された一人と一台が、初めて世界に勝利した瞬間だった。
――
死闘の疲れから、バンはトレントウルフの骸のそばで泥のように眠ってしまった。
夢を見た。
幼い頃、集落の片隅でボロボロの絵本を読んでいる夢。
それは獣人族の起源の神話。
弱い獣が群れから追い出され、魔獣に襲われ、死に瀕していた時。
天から降りてきた美しい『聖女』が獣を救い、戦う力を与えた。
救われた獣は、生涯その聖女のために尽くし、牙を剥き、彼女の絶対の守護者となった――という物語。
「……んっ」
目を覚ますと、すっかり夜が明けていた。
目の前には、スマホさんが『異世界出前横丁』で注文したらしい、大量のご馳走が並べられていた。肉の焼ける匂い、甘い菓子の匂い。
『おお、起きたかバン! 怪我の治りも早いな、さすが半獣だ。さぁ、祝勝会の準備はできてるぞ! 食うでゴワス!!』
画面の中で無邪気に跳ねるようなアイコンを見つめながら、バンはふと気づいた。
(まるで、今の僕は……絵本の中の『獣』そのものだ)
バンは、物心ついた時からずっと考えていた。
なぜ、自分は『半人半獣』という中途半端なデキソコナイとして生まれてきたのか。
なぜ、誰からも愛されず、拒絶され、苦しむためだけに命を与えられたのか。
理由があるはずだ。いや、あってほしいと、ずっと願っていた。
そして今、ようやくその『答え』が分かったのだ。
(ああ、そうか)
僕が、デキソコナイとして生まれた理由。
群れを追い出され、この森で死にかけた理由。
すべては、空から落ちてきた記憶喪失の『彼』と出会うためだったんだ。
(僕は――スマホさんに仕えるために、生を受けたんだ)
「……バン? どうした、腹減りすぎて動けねぇか?」
「ううん。なんでもないです、スマホさん」
バンは微笑んだ。
それは、以前までの怯えたような卑屈な笑みではなく、どこか憑き物が落ちたような、純粋で、透明で――底知れない狂気を孕んだ笑顔だった。
自分を救い、温かい食事を与え、戦う力をくれた絶対的な存在。
彼が白と言えば黒でも白になる。彼が死ねと言えば、今すぐこの命を絶ってみせる。彼に仇なす者がいるならば、それが誰であろうと、この手で八つ裂きにする。
「いただきます、スマホさん」
優しかった少年の心に、狂信という名の強固な鎖が巻き付いた瞬間。
ここに、スマートフォンに絶対の忠誠を誓う、最強の『狂獣』が誕生したのだった。




