9.鼻血
「うぅ……やっぱり気持ち悪い」
1回目と同じく、体をザラザラと舐められるような感覚に、鳥肌が立つ。
分厚い結界に体をめりこませながら、じわじわと歩を進める。
すると両手の平が、結界を通り抜けた感覚がした。次いで両腕。そして顔、片方の足の順に、気持ち悪い感覚を脱していく。
ゆっくりと目を開ける。予想通り、すぐそこに異形の男性がいた。
最後にもう片方の足を引き抜きにかかりつつ、うっかり男性の顔に見とれてしまう。
「間近で見ると、とっても綺麗な顔をして……へ?」
男性に顔に見とれすぎた。足を引き抜き損なって、つんのめってしまったのだ。
「うわっ……とっとっ、へぶっ」
慌てて片足を引き抜こうとしたものの、結局引っかけたまま転んだ私は、再び顔面を勢いよく強打した。
「綺麗な顔に見とれて、集中力……切れてしまったわ……顔と乙女心が痛すぎるぅ……」
半泣きだ。半泣きで、再び顔を擦る。
まさか、これって魔国式の罠!? 美顔で油断させて転ばせるなんて、やるわね!
片足を結界に引っかけたまま、痛む顔面を両手で押さえてゴロゴロ転がって、痛みに悶えつつ堪える。
結界にぶつかった時の比じゃない! 喉の奥に血の味を感じるわ! 口の中、切ったの!?
「何者、だ……」
暫くゴロゴロしていれば、低くてくぐもった声が耳に入った。
思わず動きを止めて顔を上げれば、ケモックとよく似た金色の瞳と目が合った。
「ケモ……」
「おい、間抜けか」
何ですって!? 突然の暴言に、ケモックと呟きかけた言葉を飲みこむ。
「大方我に、とどめを刺そうとしたのであろう。だが結界に囚われた挙げ句、間抜けな面を曝しおって」
男性は怪我が一番酷そうな脇腹を押さえ、ゆらゆらと揺れつつも、立ち上がる。
随分な暴言を吐いてくれるわね! そりゃ、今は地面に顔をぶつけて、どこか腫れてるかもしれないけれども!
内心では罵詈雑言を並べるも、口を引き結んで一旦、堪える。
相手は魔国の住人だ。1回目の人生で、魔国の住人である師匠は言っていた。
魔国の住人は総じて、好戦的なタイプが多いのだと。
「私は敵じゃ……」
「丁度良い。そのまま死ね」
私の言葉を遮った男性が、片手を空に上げる。
直後、バリバリと雷のような火花が、男性の手の平に宿った。
嘘でしょう!? いきなりの殺る気!?
思わず驚いて、頭を庇って丸くなる。
中和魔法を体に纏うけど、防御魔法のように攻撃をガードする類の魔法とは、根本的に使用目的が違う! 駄目かもしれない!
そのまま、体感では何分も――実際には数十秒くらい?――経っているはずだけれど、どうしてか雷には襲われず……。
恐る恐る、ゆっくりと顔を上げた。
すると男性は、訝しげな表情で私を観察していた。
「………………お前、外の子供か?」
男性は何かを思案してから、言葉を選ぶように、慎重に口を開いた。
せっかくやり直せた2回目の人生は、ここで終了かもしれない。
回帰直前に感じた死の感覚を思い出して、体が竦む。
「こ、殺す?」
震える声を絞り出した。
男性は、そんな私に殺る気を削がれたらしい。大きく息を吐いて、頭が痛そうな顔になり、火花を消した。
脇腹を押さえたまま結界に近づき、私の隣でしゃがむ。
結界に足首を引っかけたままの、私のふくらはぎを、自由な方の手で掴むと、男性が私の足に中和魔法を纏わせた。そのままゆっくりと引き抜いてくれる。
その後、私の顔をじっと見ると……え? 苦笑した? 何で?
「脅かして悪かった。ほれ、これで鼻を押さえておけ」
男性が懐から、白いハンカチを差し出して……ん? 鼻?
「気づいておらんのか? 鼻血が出ておるぞ」
「……嘘!?」
「ああ、素手で触るでない。ほれ、使え……くくっ」
ガバッと体を起こして鼻下を触ろうとすれば、男が素早くハンカチを当てて私の手をガードした。
男性が笑ってしまったくらい、間抜けな顔だっただろう。恥ずかしくて、顔面が熱くなる。
「あ、ありがとう……ござまいます?」
男性の殺気は、もう消えている。何より、ハンカチで押さえてくれた時の手つきが、とても優しかった。
ケモックの人間版のような外見もあって、私の中の恐怖心は霧散していく。
「いや、良い。ふふっ、いや、笑ってすまぬ……くくっ」
それに謝りながらも、笑いを抑えきれない男性の顔に、どうしてか懐かしさを覚えた。
男性とは初めて会ったはずなのに、不思議ね。
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